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エースの背中  作者: 滝川誠
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5.そんな甘くないよね


 グラウンドに出ると、早速アップを開始した。


 軽いジョグをしながらグラウンドを見渡すと、独りで黙々と走る皆の姿が見えた。一番外側のコースを使っていた。内側では陸上部が列になって腿上げをしている。その横を駅伝部が黙々と通り過ぎていく。その中で僕は新藤の姿から目が離せなかった。


 新藤はゆっくりと走っている。視線を落として、ゆっくりと腕を回したり、脚を開いたり、手首を回したりと、身体の動きを確認しながら走っていた。


 どんなペースで走るんだろう。最初はゆっくり入るのか、それとも最初から飛ばしていくのか。


 キャプテンの姿が目に入った。キャプテンは新藤の後ろで走っていた。新藤と同じ様子で、身体と対話しながら走っているように見えた。


 どっちが勝つんだろう。


 二人は『全国男子駅伝』でチームメイトになっていた。


 中学生、高校生、大学生と社会人の大人、から選んだ七人でタスキを繋げる全国大会だ。


 その大会に、新藤は中学生代表で六区、キャプテンは高校生代表で一区を走った。


 それでキャプテンは区間18位。

 新藤はダントツの1位でおまけに区間新記録。


 まあ、条件が違い過ぎて二人の力は比較できないけど、練習では新藤の方が速かったと風の噂で聞いていた。あくまで僕はその場で一緒に練習していないので本当かどうか分からないけど、3000mの自己ベストは新藤の方がキャプテンより速い。でも1万mになると、どうなるのかは分からない。


 キャプテンは高校一年生の頃から走っているから経験は豊富だ。それに比べて、新藤は僕と同じで先月まで中学生。いくら全国一の速さを持つ中学生とは言え、1万mの距離は未知数だ。いきなりの1万mで県のトップ選手よりも速く走れるのだろうか。いや、新藤なら物凄い記録で走るかもしれない。その走りに感化されたキャプテンも物凄い記録を打ち立てるのかもしれない。そして、それについていく僕達も好記録を連発するかもしれない。


 色んな考えが湧いてきた。ジョグ中も、ストレッチ中も、僕はキャプテンと新藤の姿を何度も往復しながら色々考えた。自分の状態には全く集中できずに時間はやってきた。



 スタートラインに全員が並んだ。



 心臓が、トク、トク、と小気味良く動いている。



「最初だからあまり無理するなよ」


 盛男さんがストップウォッチを見た。


「はい、いくよー。ようい、どん」


 その呑気な声と同時に全員が一斉に走り出した。



 速かった。



 短距離かと思ってしまうほど皆の飛び出しは速かった。


 新藤を先頭にして、僕を含めた六人が団子状態になっている。


 四人が新藤の命を狙って追っ駆けているように見えた。


 それほど前の五人の背中には迫力があった。


 呆気にとられた。なんなの、この速さは。


 少しだけ振り返ると、もう省吾は既に離れていた。


「おおい、無理はするなよお」


 盛男さんの声がしたけど、新藤のスピードは俄然と上がっているような気がした。



 これは無理だ。



 100mを走った僕の感想はこうだった。


 先頭の新藤は尚も前をいっている。三人の先輩も賢人も、新藤のすぐ後ろを追い駆けている。



 おかしい。絶対にこのスピードはおかしい。



 1周の勝負でもしてるのかと思うほど前の五人は速かった。後ろの省吾の淡々と走る姿を見て、これが1万mの勝負だと確信できた。


 前の五人はどんどん先を行った。


 ついていけるわけがない。僕はスピードを落とした。このスピードでいくと、きっと1周でリタイアする。背伸びはしない事にした。


 トップレベルの走りについていって、あわよくば自分も覚醒する。


 そんな強欲モードは開始わずか20秒で消え失せたので、今の自分の凡庸な実力を知る、この謙虚モードに転換させる。


 まだ初日だ。これから千日近くも僕らは走るのだ。僕は僕なりに成長していけばいい。焦る事はない。そう自分に言い聞かせている内に、先頭とはもうかなりの差が開いていた。その先頭集団から賢人が零れていた。どうやら賢人も僕と同じ謙虚モードに切り替えたみたいだ。


 四人はどんどん前を進んだけど、1周した時には、もう先頭は新藤とキャプテンの二人だけになっていた。相変わらず新藤が前で、そのすぐ後ろをキャプテンがついていた。


 新藤とキャプテンはどんどん小さくなった。そこから間隔が空いて亮先輩と大志先輩、また間隔が空いて賢人、その少し後ろで僕が走っていた。とにかく賢人には負けたくなかったので、僕は賢人の背中を目標にしながら走り続けた。たまに後ろを見ると少し離れて省吾がいた。その姿は少しずつ小さくなっていった。


 最初に抜かれたのは7周目に入った時だった。


 スーッと風が通ったように滑らかに現れてきた。


 新藤だった。


 一人だった。たたた、と軽快な足音を残して新藤は軽やかに離れていった。風になびく髪が綺麗だった。その綺麗な姿はすぐに前の賢人に隠れた。まだまだ余裕そうだった。そして、また一人が抜いていく。


 キャプテンだった。キャプテンも新藤と同じようにあっさりと僕を抜いて、賢人も抜いていった。僕らは眼中にない。見据えるのは前を行く華麗な走りをした新入生だけだった。


 僕は二人のそんな様子を見ながら自分のペースを守って走った。腕時計を見て、今の自分の身体の状態と、残りの距離を照らす。まずまずの走りだと思った。このままのペースを維持できたら目標の記録にも届きそうだった。でも先はまだ長い。


 次に抜かれたのは12周目に入った時だった。


 新藤の走りは全く変わっていなかった。一定のリズムの息切れを残して、たたた、と軽快な足音で前をいく。そしてあっという間に前の賢人へ消えていく。


「すげえな。あいつ」


 練習中の陸上部からそんな声が聞こえた。


 速かった。


 本当に速かった。


 同じ人間とは思えなかった。本当に僕と同じ年数を生きてきたのだろうか。性能が違い過ぎる。残酷と言っていいほど造りが違う。何でこんなにも違うのだろう。あんまりだ。不公平だ。走るのが馬鹿らしくなってくるほど新藤の走りは圧倒的だった。


 そして、いま抜いていったこの人の走りも。


 キャプテンも一定の距離を空けて新藤を追っていた。


「良豪、一年に負けたら恥だぞ」


 陸上部の冷やかしに、うっせえ、とキャプテンは一蹴した。まだ余裕があるように見えた。気づかれない距離を保って隙を窺っている。まるで草の茂みに隠れて獲物を狙う肉食獣だ。いつ動くんだろう。


 そんな考えが頭を過ったけど、16周目に入って、一人の息切れが近づいた事で、僕の考えはそこに向いた。


 省吾だった。僕よりも頭一つ小さい省吾の小さな身体が僕の前を行った。


 顔が熱くなった。こんな小さな省吾に抜かれたのは恥ずかしかった。


 僕はすぐにギアを上げて省吾を抜くと、離そうとさらに脚の回転を上げた。小さくなっていた賢人の姿がだんだん大きくなった。省吾の位置を確認する為に何度も振り返った。


「おおい、後ろを気にし過ぎだよ。自分の走りに集中」


 盛男さんの声がしたけど無視する。


 省吾にだけは負けたくない。あんな小学生みたいな身体をした奴に負けるわけない。負けたら恥だ。


 18周目に入った辺りで様子がおかしい事にやっと気づいた。姿が大きくなっていたはずの賢人の姿が小さくなっていた。軽やかな足音がして、すぐ傍で風が吹いた。


 新藤だった。


 もう何回目だろう。数えてないから分からない。新藤の姿はどんどん離れていく。次にまた足音がした。


 省吾だった。省吾はさらにスピードを上げて僕から遠ざかっていった。追いたかったけど力が全然入らなかった。もう僕に力はあまりなかった。


 また足音がする。前に出たのはキャプテンだった。次に、亮先輩。亮先輩に抜かれた回数も分からない。少し経って、大志先輩が抜いていった。


「あと6周。もう少しだよ」

(あご)を落として」


 ゴールラインにいる盛男さんの声の他に、別の声がした。


 横目で見ると、息を整えている新藤が見えた。隣にキャプテンもいる。


 二人はもう走り終わっていた。


 ショックだった。速すぎる二人と、6周差もつけられた自分の遅さに。


 声がどこか遠くから響いてくるように聞こえる。今すぐにでも止まりたかった。歩きたかった。身体が悲鳴を上げている。特に心臓はうるさいぐらいに喚いている。顎はずっと開いているから痛い。きつい。疲れた。もうやめたい。


 僕はいつも思う。何の為にこんな辛い思いをするんだろうと。


 それはレースの佳境の時にいつも頭に出てくる。



 馬鹿みたいだ。こんな事をして何になる。



 そんなネガティブな考えしか出てこない。


 でも、それでも脚は動く。


 進むしかない。ここまで来たんだ。ここで止めたら残るのはネガティブな気持ちだけだ。辛くても苦しくても今を乗り越えたら、次は強くなっているはず。


 僕はそれを願って走る。


「あと2周だぞ。ファイト」


 走り終えた先輩達と新藤が声を出してくる。


 前には誰もいなかった。省吾の姿も見えなかった。


 後ろから息切れが聞こえてきた。


 僕の前に出たのは賢人だった。


 とうとう賢人にも周回遅れ。賢人は最後の力を振り絞って腕を懸命に振っていた。


 速かった。皆の前に到達した賢人は、その場で座り込んで空を仰いでいた。いいな。僕はまだあと1周ある。もう終わらせてもらえないかなと思った時、前に人影が現れた。



 省吾だった。



 その背中はどんどん離れていく・・・・。




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