4 あの娘と遊園地 中編
鬼との戦闘は熾烈だった。
僕は空中を飛び回り、光の矢を嵐のように射る。
鬼は打ち捨てられた廃車やバイクを豆まきでもするような、そんな気軽な感じでプロ野球選手のそれをあっさりと超える速度の豪速球を投げてくる。
僕の攻撃は鬼に直撃しているが、なに事もなかったかのように、平然としている。
父さんと訓練した時、父さんが創造したチタン装甲の盾すら貫いた矢なのに、全然効いた様子がない。
肉体が頑丈すぎるのか、僕の攻撃は魂にまで届いていないように見える。
鬼の反撃を回避しながら、光の矢……もはや槍のように太く、大きく、大きな力を籠めたそれを撃ちまくる。
放たれた矢は、鬼が投げた車を貫通してなお勢いは止まらず、鬼を貫くために一直線に迫る。矢には剣と同様、直接的な殺傷力はない。魂を少しだけ傷つけて、戦闘不能に追い込む程度だ。
特に、魂も肉体も頑丈な鬼ならば、僕の力じゃ本気でやっても絶対に死なないだろうし殺せないだろう。
「おぉっと、危ない危ない」
鬼は高速で迫る矢を、あっさりと掴み、投げ返してくる。
――それ一応、音速の五倍の速さだったんだけど?
効果音をつけるなら、ヒョイっていう感じの気軽さだった。
対魔用の術式は使っていなかったから殺傷力はなかったとはいえ、それだけの速度に反応する身体能力は鬼の中でも間違いなくトップクラスだ。
この鬼、化け物中の化け物だな。
だが、僕の呆れと驚愕が詰まった思いなど、鬼には関係ない。
僕が放った時よりも更に速く僕に迫る矢が、自分に直撃する前に、手をかざして光を霧散させる。
僕の攻撃はことごとくがどんな金属よりも硬い肌に阻まれ、魂に届かず、鬼の攻撃は僕には当たらない。
お互いに決め手に欠けている状況だった。
天使の力を使った僕と、本性を表した鬼の戦闘力は互角……ではない。
攻撃が全く効かない分、僕の方が若干不利だ。
「うん、どうしたのもんかな」
正直に言って、鬼を殺すだけなら簡単なんだ。
だけど困ったことに、この鬼を殺したら誘拐された子どもたちの居場所が分からなくなる。
生かして捕まえて、口を割らせる必要がある。
幸い、鬼は僕よりも動きは遅い。このまま一日中戦い続けたって、鬼は僕に攻撃を当てられない。
問題なのは、僕の攻撃が貧弱過ぎて鬼にダメージを与えられないことくらいだ。
これは結構な問題だぞ。
「本当にどうしようか……」
ああ、頭が痛いよ。
◇
「空くん、遅いわね」
黒崎一乃は園内の喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、空の帰りを待っていた。
ストローを伝って口に流れてくるコーヒーは、コーヒー豆の苦味と砂糖の甘味が程よくブレンドされていて、とても美味しい。
店内にはカップルや家族連れが多く、一人でいるのは一乃だけだったが、彼女は周りなどまるで気にもとめず、美味いコーヒーを楽しむ。これでおかわりは三杯目だ。胃が荒れないか心配になってくる。
話を戻そう。彼が迷子を見つけて、面倒を見ると言い出したときは、ギョッとしたものだ。
本来の彼女ならば、迷子を迷子センターをに連れていく程度の善行はするのだが、今回ばかりは相手が悪かった。
なにせ、相手はあの兎妖怪の一種だったのだから。
兎妖怪の恐ろしさは、一乃のようなまだ若いハーフにも知れ渡っている。彼女の父が言うには、一万年前に起こった天使と悪魔の頂上決戦である天魔大戦のおり参戦した多くの妖怪と神たち、特に、因幡を初めとする兎たちは【妖術】という悪魔の魔法とも、天使の魔術とも違う未知の力で敵対者たちを心底恐れさせたという。
迷子になっていた兎の女の子はまだ幼かったが、溢れる妖気は既に並の妖怪を超えていた。
――兎の妖怪とは関わるな。
父の教え通り、彼女はあの兎の妖怪との関わりを避けた。
代わりに彼から誘ったはずの肝心なデートがおざなりになっているが……。
空になったコップから溶けた氷が崩れる音がする。
一時間は待っているが、全く音沙汰がない。連絡を取ろうにも、携帯は使えない。メールアドレスも電話番号も知らない。
連絡先を交換し忘れていたことが裏目に出た。
基本、一乃は他人など、どうでもいいと思っているが、契約相手という顧客にだけは関心を持っていた。
特に、恋人契約を交わした天使の少年には。
「おかわり飲んだら探しに行こう」
しかし、なんとも気まぐれでマイペースな少女。それが黒崎一乃だ。
「助けて!お姉さん!」
店にウサミミのあの子が現れるまでは。
◇
鬼との攻防は続く。
遠距離からの攻撃は止めて、スピードを生かした至近距離での肉弾戦に切り替えてみたが、鬼の桁外れの筋肉の鎧の前には、相変わらずダメージが通らない。
関節技をかけようにも、ビルを引っこ抜いて振り回す怪力の前では力業で外されてしまう。
僕の技も能力も術も、全てが効かない。なす術がない。
完全に詰みだ。
「ホッホッホ。鳩の小僧よ、もう戯れは終わりかのぅ?」
鬼は僕を嘲り、笑う。
「これでは童子や幼子と戯れるほうがおもしろいわ」
この野郎……!
心のなかで毒づいても、僕が追い詰められている状況は変わらない。
父さんに念話で助けを求めることも出来るが、それをやってしまうと、確実に「付き合ってる娘を紹介しろ」っていう話になってしまう。
黒崎さんが悪魔だとバレたら、その時点で契約に関係なく終わりだ。二人揃って父さんに粛清されるかも。
助けも呼べないんじゃ、八方塞がりも良いところだよ。
そう言えば、宇佐美ちゃんはちゃんと逃げられたのだろうか?
そんな心配なんて今さらな話だけど、あの子が逃げられなかったら元も子もないからね。
無事に宇咲子ちゃんと会えたら良いけど……。
「そら、鳩の小僧よ!儂はまだ遊び足りぬぞ!」
僕がボーッとしている隙を鬼が見逃すはずもなく、容赦なく攻め立ててくる。
引っこ抜いた電柱を、投げ槍に見立てて銃弾並の速さで投擲してくるのを、更にその何倍もの殺人的な速さと軌道で回避する。
僕という的から外れた哀れなコンクリートの槍たちは、雲を突き抜けて何処かへ飛んでいった。
恐らく、彼らはお星さまになるのだろう。
今は、他人のことよりも、自分の心配をするべきかな。
「小僧、歳上の贈り物くらい、一つは受け取ったらどうなんじゃ」
「嫌ですよ。死んじゃいます」
鬼が贈り物という名の攻撃を受けとれと言うが、僕はバッサリ切り捨てて拒否する。
一撃でもまともに喰らったら死んでいたかもしれないだぞ。
もういっそのこと、対魔用術式を使って鬼を殺すつもりでやろう。
僕よりもずっとタフで強いんだし、きっと殺す気でやっても大丈夫だ。
天使の翼に光の力を集中し、対魔用の術式を展開する。
足が震えるのは緊張か、恐怖か。
恐らく、僕が初めて戦い、相手を殺すつもりで戦うのだ。
十年以上の修行の成果が試されるのが、相手を殺してしまうかもしれないことが、怖い。たまらなく怖い。
もし、これでも歯が立たなかったら、僕の今までの努力が無駄だったと教えられることになる。
もし、これで鬼を殺してしまえば、僕は今日、初めて人……違った、妖怪を殺すことになる。
人間じゃないとしても、相手は意思も人格も自我もある、れっきとした知的生命体だ。
その命を奪うかもしれないことが、怖い。
でも、僕はそれ以上にここで死にたくない。
黒崎さんにプロポーズもまだしてないし、宇咲子ちゃんや熊谷くんともっと遊びたいし、父さんにも親孝行できてない。
「クソッ!」
悪態をついたって、状況はなにも変わらない。
覚悟を決めて、対魔用術式を発動する。
万歳のポーズで両手を上げる。 その上に僕のイメージに従い、幾何学模様の魔方陣が形成されていく。
暴れ狂う魔力が魔方陣に流れていき、その中心で莫大なエネルギーを溜めこんだ魔力弾が作られる。
制御用の魔方陣を解除すれば、一瞬でこの空間が破壊されるほどのエネルギー量だ。
「ほう、儂を殺す気じゃな?」
「その通りだ、ゲス野郎」
この魔力弾を撃てば、鬼は確実に消し飛ぶ。なのに、腕を組んで不敵に笑っている。
「よいのか?儂を殺せば、童子どもの居場所がわからなくなるぞ。浚った者たちは、まだ儂の巣で生きておるのじゃぞ?儂が帰らなければ、童子どもは餓えて乾いて死ぬしかないのじゃぞ?」
確かにそうだ。
ここで鬼を倒してしまえば、こいつにさらわれた子供たちの居場所は分からなくなる。鬼の巣に必要最低限の食料と水しかなかった場合、鬼を倒してからのんびり探している間に子どもたちが死んでしまうかもしれない。
「僕が撃てないと思ってるんだろう」
「おう!絶対に撃てん!お主ら鳩は童子を見殺しにせぬ!」
ここで撃つのは、子どもを見殺しにすることに等しい。
でも、方法はある。
「あなたを倒した後で、魂をこの世に呼び戻せばいい!僕にだってそれくらいできる!」
降霊術で魂を召喚して無理矢理でも話を聞き出す。
僕にだってそれくらいのことはできる。
両手を鬼に向けると、破壊の砲口が鬼に向けてセットされる。
僕の意思一つで鬼をいつでも消し飛ばせるように。
「ほう、ならば絶対に外すでないぞ?外せばお主の羽を引きちぎり、今宵の肴の手羽先にしてくれる!」
「言われなくったって、この距離なら外せないよ!」
僕と鬼の距離は目測で凡そ千メートル前後だ。
僕の魔力弾は光速の半分の速度で進む。だから、撃てば確実に当たる。
「喰らえ!僕の全力を!!」
魔力の砲弾を発射する。
「本当に撃ちおったか!」
鬼は両腕を突き出して砲弾を受け止める。
両腕に籠める力で血管が浮き出て、額には汗と青筋が浮かんでいる。
「ヌオオオオオオオオ!」
鬼は絶叫する。本気で僕が撃つとは思わなかったらしいから。
「こんなものがぁぁぁぁ!!」
突然だが、砲弾っていうのは大抵は炸裂するものだ。
炸裂っていうのは、砲弾が爆発すること……らしい。多分。
僕の魔力砲弾も砲弾の一種なので、例に違わず炸裂する。
瞬間、魔力の砲弾は激しく爆発、炸裂し、押し潰されまいと必死に足掻いていた鬼を飲み込んだ。
僕の創り上げた異空間の一部が崩れ落ちるが、結界自体にはなんの影響もない。
舞い上がった倒壊したビルや大型トラック、軽自動車、捲れた地盤などが偽りの天まで高く、高く舞い踊り、隕石のように地上に落ちていく。
あぁ、僕の作った世界が……。
一人になりたい時とかに使う世界が壊れていく……。
ここまで大きくするのに、何年もかかったんだけどなぁ。
まあ、過ぎたことは仕方ないか。さよなら、僕の世界。また創り直すよ。
鬼の死体は確認しない。多分だけど、自分が殺めてしまった相手の死体なんて見たら、しばらくはご飯が食べられなくなりそうだし、殺した実感が沸き上がって罪悪感とかで死にたくなりそう。
僕って以外と無責任で冷たい天使だったんだなあ。
「全く、危うく死ぬところじゃったぞ」
結界を解いた僕の後ろで、ありえないはずの声がした。
確認はしてなかったけど、確かに消し飛ばしたはずなのに。
「……どうして、どうして……生きてるんですか?」
「儂はのう、天魔大戦のおりからこんな攻撃は何度も受けてきた。もう慣れっこなんじゃよ」
「そんなっ!」
動揺と驚愕と恐怖が僕の背中を冷たい汁となって流れ落ちる。
なにが殺すのは簡単だ!
この鬼はヤバすぎる!僕が手を出すべきじゃなかったんだ!
今になって遅れてやってきた後悔も、もう遅い。
力は使いきった。結界を張って逃げることもできない。
詰んでいる。
「ほれ、小僧は細っこいが、肉は柔らそうでジューシーな味がしそうじゃのう」
僕の首を掴み、大口を開ける鬼。不揃いな歯並びだが、凶悪な牙が鮫のように大量にならんでいる。そして、腐った肉と血の生臭い匂いがして嗅覚を消してしまいたいくらい、すごく臭い。
こんなやつの口の中で噛み砕かれて死ぬのか、最悪だ。
覚悟なんて出来ない痛みに耐えるべく、僕は固く目を閉じる。
最期に黒崎さんともう一度会いたかったなぁ。
「いただきまーす」
鬼が僕の頭を噛み千切ろうとすると、横からの炎の槍が、鬼の脇腹を貫いた。
「痛っ!なんじゃ!」
刺された痛みと傷口が焼ける痛みに、鬼は思わず、反射的に僕を解放する。
食われる恐怖から解き放たれた僕は、僕の命を救った救世主を見る。
「大丈夫?空くん」
その背中には、コウモリ型の炎の翼。
右手には炎の槍。左脇にはちょこんと宇咲美ちゃんを抱えている黒髪ロングをストレートにした美人さんの悪魔。
「黒崎さん!」
僕の天使で悪魔の娘、黒崎一乃さんが颯爽と登場して僕を救ってくれた。