2 屋上来い
黒崎さんとの契約を交わした翌日。黒崎さんと会うのが楽しみで、学校に通う足取りが軽い。
契約上の理由で擬似的にだが、黒崎さんと事実上の恋人になれたのだから。
彼女ができるってこんなに幸せなことだとは思わなかったよ。
でも、浮かれてばかりではいられない。
黒崎さんはあくまでも、契約に従って僕と恋人ごっこを演じてくれるだけだ。卒業までに黒崎さんが僕のことを好きにならなかったら、僕はその日に黒崎さんに命を奪われることになる。
ここは勇気を出して、黒崎さんとの距離を縮めるしかない。
授業中、黒崎となにを話そうかとか、デートのプランとかをずっと考えていた。
昼休みに入り、弁当でも食べようかと教室を出ると別のクラスの友達が僕に近づいてくる。
「そらそら~。あんた昨日色々あったらしいじゃん~。kwsk聞かせてよ~」
このギャルっぽいしゃべり方をする子の名前は、【森宮宇咲子】ちゃん。白いウサギの髪止めがチャームポイントと自称している女の子だ。
かわいいもの好きを名乗っており、最近は僕をからかってオモチャにすることがお気に入りらしい。
宇咲子ちゃんにだけは、黒崎さんと付き合い始めたことは言わない方がいいな。バレたら確実にそのネタで延々と弄られることになること間違いなしだ。
「あの、昨日のことは熊谷くんに聞いてほしいな……。彼ならよく知ってるから」
「クマちゃんは途中で逃げちゃったから最後までは知らないじゃん?そらそらが黒崎となにがあったか、最後までクワシク教えてちょ」
黒崎さんとのトラブル(命の殺り取り)は熊谷くん経由で広がったっぽいな。成島先輩の可能性はない。だってあの人、学校滅多にこないもん。
宇咲子ちゃんは、それはもうワクワクした様子で、僕を絶対に逃がさないようにしてる。腕をがっちりホールドされてちょっと痛い。素直にはいちゃうまで、ずっとこうするつもりだ。
執念深い宇咲子ちゃんなら、一日中だって付きまとってくるし、ここは正直に、黒崎さんと付き合い出したことを話そう。それで、口止めをしよう。
「耳を貸して宇咲子ちゃん。実はね……」
誰にも聞かれないように、耳元で契約と僕の命を狙ってること以外の全てを話す。
「ほほう、とうとうそらそらにも彼女ができたか!この、この!色男め!」
水を得た魚かってくらい、宇咲子ちゃんが元気にじゃれついてきて、僕を小突き回す。
それから頬をツンツンされたり、頭をくしゃくしゃに撫でられたり、チョークスリーパーで首を軽く絞められたりとか、いろいろ弄られた。
今までは宇咲子ちゃんにされるがままになっていた僕だが、今はもう、黒崎さんと付き合っているんだ。
仲が良い友達だからと言って、女の子とこんなスキンシップをとるわけにはいかないと思う。アメリカ人じゃあるまいし、黒崎さんに失礼だ。
「あの、宇咲子ちゃん。僕はもう黒崎さんと付き合ってるから、今までみたいなスキンシップは抑えて……」
「わかってるわかってる!宇咲子ちゃんは全部お見通しだぞ☆」
僕の話を遮って背中を叩いてくる宇咲子ちゃん。よかった、僕の言いたいことを分かってくれたらしい。
「でも黒崎って子、もう見てるよ?」
僕たちの横にある教室の出入り口を指差す宇咲子ちゃん。そういえば、この教室は黒崎さんのクラスだったような気がする。
宇咲子ちゃんに指摘されたとたんに、冷たい視線を感じているし、もしかして……。でも違って欲しい。
「まさか、そんな……うぇぇ!!」
恐る恐る宇咲子ちゃんの視線を追う。その先には、指摘通り黒崎さんがいた。
黒崎さんのクラスの出入り口から、無表情で僕たちを見ていた。
恐らく、全て見られていた。僕たちがじゃれついていたところを全てだ。無貌で手招きしている。
さすがに僕でも、それがなにを意味しているかは分かる。
「来て」
天使の姿をした悪魔が、無言で僕を呼んでいる。
(……怖い)
何度目かも分からない黒崎さんへの恐怖を感じた。
「屋上よ。来なさい」
「……はい」
悪魔的な圧力。有無を言わせぬ命令。感じる恐怖。
黙って従うしかない。
屋上に呼び出された僕は、黒崎さんと二人だけになった。
周囲をよく観察すると、どうやら黒崎さんがあらかじめ人払いの結界を張っていた痕跡があり、昼休みなのにその場には僕たち以外は誰もいなかった。
人払いの結界の効果は確か、結界を張った場所を周囲の空間と隔離するってやつだ。
付き合った直後に二人っきりになるなんて、なんて大胆な人なんだ。二人っきりになるなんて、僕の命を狙ってるんじゃ……やっぱりないか。
悪魔は契約と約束には忠実な生き物なんだ。少なくとも、契約が生きてる限りは僕の安全は保証されている。
「二人っきりね」
「そうですね」
気まずい沈黙が流れてる。
今、絶体つまらない男だと思われてるよ。なにか面白いことでも言わないと!
「あ、あの!」
「ねえ、天地くん」
僕の言葉に被せるように言われた。
「はい!」
「一緒にお弁当でも食べない?」
黒崎さんから思ってもいない、嬉しい言葉が出てきた。
まさか付き合って直後で二人っきりで昼食を食べることになるとは!
屋上に座って、二人ならんで弁当箱を広げる。
僕の弁当の中身は野菜中心。黒崎さんのは肉類中心だ。
天使と悪魔の食性の違いが出ている内容だった。
僕ら天使は基本的に菜食主義で、穀物や野菜を好んでいるのに対し、悪魔はがっつりと肉や魚で腹を満たす。
ひどい悪魔になると、人間や生肉を丸かじりするとか。
黒崎さんがワイルドに生肉にかぶりつく姿を想像すると、なんか笑えてくる。人肉は、食べてないよね?食べてたらちょっと引くよ?
「空くん、あなた、野菜しか食べてないわね。成長期なんだからちゃんとお肉も食べなさい」
「僕たち天使は野菜だけで十分なんですよ」
「お肉美味しいから食べなさい。ほら、口開けて」
ナチュラルに僕の話を無視するなこの人……悪魔か。
淡々とした言葉とは裏腹に、黒崎さんは恥ずかしそうに肉を差し出してくる。
これは、「あーん」ってやつかな。リア充がよくやるやつの。
僕みたいな友達の少ない非リアには関係のない行事かと思っていたけど、これはちょっと照れるな。
「あ、あーん」
「はい、食べた」
開ける口すら震えるほどの緊張で、肉の味は全く分からなかった。お肉苦手だからかえって助かったのは黒崎さんには言えない。
「僕からもしますね!はい、あーん」
「あーん」
パクっと僕の野菜を食べる黒崎さん。さっきまで普通に自分で使っていた箸で黒崎さんに食べさせてる。今気づいたけど、これって、間接キスなんじゃ……。今さらになって恥ずかしくなってきたぞ。
なんかもう、付き合って二日目とは思えないほど、ひたすらに甘ったるい二人だけの空間がここに広がっていた。
「で、あの女とはどういう関係なの?」
「……!?」
宇咲子ちゃんの話が今さら出てくるなんて、完全に忘れてくれたと思っていたのに……!
「あ、あの娘とは、一年の時から友達なんです」
「ふーん、あんなに激しくボディータッチする女の子の友達、ねぇ」
完全に宇咲子ちゃんとそういう仲じゃないかって疑われてるよ。
僕は一年前から黒崎さん一筋なのに!
「や、やだなぁ!宇咲子ちゃんはただの友達ですよ!」
「あんなに仲良さそうなのに、まだ友達なの?」
ずいっと顔を寄せてくる。疑いは晴れていない。
後ろ手に隠した右手からは、禍々しい気配を感じる。炎の短剣でも握ってるのかな?
黒崎さんと付き合うという契約なのに、宇咲子ちゃんとくっついてる疑惑が浮かんだままだと最悪、契約を破棄されてそのまま殺されかねない。冗談抜きで命の危機だ!
「もし、あなたが、あの娘となにかしていたら……」
目が据わってる。怖い。
僕はなにをされるんだ。
ふと、黒崎さんが真剣な顔を崩して微笑んだ。
「なんて、冗談よ。本気にしないでね」
「はっは、なーんだ。冗談ですかぁ」
安心したら急に可笑しくなってきて、二人で笑いあった。
「私も、その宇咲子って娘みたいに、してくれないかしら?」
「へ?」
「私の頭を撫でなさいと言ってるの」
僕の脳が黒崎さんの言葉を理解するのに一瞬の間が必要だった。
「えええええええ!!」
これは僕にとって、嬉しくも予想外な展開だった。
まさか僕に興味無さそうにしていた黒崎さんの方から攻めてくるなんて。
「人払いはしているとはいえ、あまり大きな声を出さないでくれる?」
「あっ、はい、すいません」
「それで、やってくれるかしら?」
「はい、やります!やらせてください!」
黒崎さんの頭を撫でるだなんて、僕にとってはかなりの大仕事だ。うまくできるだろうか。言葉とは裏腹に、かなり不安な心境だった。下手くそだと思われたら、と思うと手が震える。
「……かわいいわね、あなた」
「え?」
「なんでもないわ」
黒崎さんがなにか言ったように聞こえたけど、聞き取れずにはぐらかされてしまった。なにを言ったんだろう。
まあ、いいや。そんなことより、僕の手は黒崎さんの頭を撫でるのに適しているのだろうか?手汗とかは掻いてないけど……。
「ほら、はやくして」
昼休みも終わりに近いので、結構急かされる。
覚悟を決めろ、僕!
「それじゃ、失礼します」
おっかなびっくりと言った手つきで黒崎さんの頭を撫でていく。
小動物を撫でるように、繊細に、優しい手つきを意識する。
黒崎さんの反応を伺うと、なんとも安らかな表情で気持ち良さそうに目を細めていた。
側頭部に手を動かすと、首をコテンと傾げる仕草をして、とてもかわいい。
普段のクールさと怖さを欠片も感じられない、小動物的かわいらしさが、そこにあった。
黒崎さんって、こんな顔もできるんだなぁ。
この黒崎さんは、僕だけの心のアルバムに大切にしまって置こうと思う。
それと、この雰囲気なら言える!言える気がするぞ!チャンスは今だ!
「あ、あー!そうだ!黒崎さん!今度、二人で、デ、デデ、デートとか、どう、ですかぁ?」
緊張のあまり吃りまくった上に、声が上ずって裏返った。
最悪だ。穴があったら入りたい。むしろそれごと爆殺してほしい。死なないけど。
「えぇ良いわよ。今度の日曜日、空けておくからね」
「た、楽しみにしますね!」
黒崎さんは上品に口を手で隠しながらクスッと笑い、微笑んだ。
うまく誘えたようだ。
「(この子、どもっちゃって。本当にかわいいわね)」
黒崎さんの内心は、僕の知るよしもなかった。