10 僕の取るべき選択肢
天使であることを取るか、恋人であることを取るか、究極の二択を迫られた僕はどうすれば良いのかと途方に暮れていた。
黒崎さんは今、僕を試している。一人の恋人として、一匹の悪魔として、一人の女性として、天使たる僕がこれからどう出るのかと。
こんな風に唐突に試されるだなんて、思ってもみなかった。
「(僕はどうすればいい。どっちを取るのが正解なの?いや、そもそも正解なんてあるの?)」
たっぷり二分ほどかけて長考した末に、僕の答えは決まった。
「僕は……」
と、答えを言いかけたその時、僕のポケットに入っていた転移魔方陣のマーキングが起動した。
「あ、やばっ」
それは、父さんがここに来るってことだ。
悪魔形態の黒崎さんと一緒にいるところを見られたら、もう弁解の余地がない。
過保護な父さんなら、「よくも俺の息子を誑かしたなぁあ!!」とか言って魔界に乗りこんで第二次天魔大戦開幕待ったなしだ。
僕は無言で父さんの頭を掴んで魔方陣から出てこないように力ずくで押さえた。
「おい空!なんのつもりだ!よせ!」
黒崎さんの方を見ると、黒崎さんから少しだけ離れたところで、虚空から出現した炎が魔方陣を描いていた。その魔方陣は悪魔式、それも、大悪魔バルログが好んで使っていたとされるものだった。間違いなくバルログも来る。
その魔方陣から初老の紳士風の男が転移しようとしてきて……黒崎さんに押さえ込まれた。視線だけ合わせたけど、全く同じ事を考えてて笑うしかない。
「お父様!ここは帰って!お願いだから帰ってください!」
「おい、何をする!帰りが遅いから心配してたんだぞ!」
年頃の父娘らしく親子喧嘩まで始まっている。
僕らの方もだけどね。
「なにがあったのか説明するんだ!」
「とにかく帰って!」
言い争う黒崎さん親子。
「空ぁぁぁあ!!止めろおぉぉぉお!!」
僕を怒鳴る父さんと、とりあえず無言を貫く僕。だって反抗期真っ只中だから。
もう状況は悪魔教団とか関係無くなって滅茶苦茶だ。
ほら、教団の黒ローブの人たちも僕らのコントみたいなことに口開けてポカンとしてるよ。
「そいつらはなんなんだ!?なにが起きてたのかだけでも教えろ!なんで悪魔と一緒にいるんだ!」
「娘よ、なぜだ。反抗期なのか。なぜ教団や天使と共にいる?」
「「今それ関係ないでしょ!帰って!!」」
僕らの父が絶対に仲良くできないのは目に見えてる。
悪魔嫌いのミカエルと、天使を憎むバルログでは、殺しあいになるのは必然だ。
今、二人の関心は教団に向いてるけど、いつ殺しあうか不安だ。
「まあまあ落ち着いたらどうだ?」
あまりにグダグダな惨状に、黒ローブさんの一人が仲裁に入ってきた。
「「黙れ」」
「……はい」
父親二人に威圧されてあっさりと黙ってしまった。弱いなぁ。
「こいつら、悪魔教団か。襲われたのか?」
「はい、そうです。でも大丈夫ですお父様。私も空くんも怪我はしていません」
「空、何をされた?」
「殺されそうになった。でも大丈夫だよ。なんとかなったから」
父親たちは真剣に僕らを心配して詰め寄ってくるが、僕らは事実だけを口にする。
怪我や心の心配をしてくる父親を避けて、僕と黒崎さんは目が合った。
「僕は大丈夫……黒崎さんを心配して」
「私は無事です。でも空くんが……」
僕たちの言葉にハッとした顔を見せる父親二人。
お互いの存在が視界に入った瞬間、二人は真名を名乗り、真の姿を引き出している。
父さんは甲冑を着こんだような分厚くてメタリックな外皮と、生体金属で出来た鋼鉄の十六枚の翼をはためかせ、黒崎さんのお父さんは三メートルはありそうな筋肉ダルマの炎の巨人と化している。
二人とも完全に臨戦態勢だ。
僕らが危惧していた通り、戦いが起きてしまった。
鋼鉄の熾天使と炎の大悪魔。父親と父親が僕らの目の前で対峙する。教団の人たちは僕と黒崎さんで隔離結界の世界の中に逃がしておいた。
魔力を含んだバルログの魔炎は、普通の人間にはその熱波だけでも即死レベルの猛毒になるから保護しておいたよ。
「お前はバルログか」
「貴様はミカエルか」
ついに向かい合った悪魔嫌いと天使嫌いの親バカ親父たち。
もはや教団も子供の僕達もそっちのけで言い争っている。
「貴様の息子を私の娘に近づけるな」
とバルログさんがジャブを放つ。
「お前の娘が俺の息子を誑かしたんだろうが!」
一目惚れしたのは僕の方だからね。部分的にはあってる件。
「第一、貴様の息子は見た限り、心も体もひ弱過ぎる。天使である時点で私の娘に相応しくないが、それを抜きにしても娘とは釣り合わん。今すぐに別れるべきだ。そして、親子揃って首を差し出せ」
天使嫌い、ここに極まれり。言動の端々でさりげなく僕をディスるのが流行ってるのかな。泣くよ?いいの?泣くよ僕。
黒崎さんはハラハラした様子でバルログさんの動向を見守っている。黒崎さんの育ちが良さそうなのと、娘を心配して駆けつける辺り、バルログさんはいい人(悪魔)そうだけど……。
「ナメるなよ。俺の息子はお前よりも遥かに強い。強くなれる潜在能力を秘めている。俺が未だに息子に真名を教えない理由が分かるか?潜在的なパワーが強すぎるからだ。空は俺よりも、お前らよりもずっと強いのさ。分かったらさっさとけつまくって魔界に帰れ。二度とこっちに戻ってくるなよ」
魔力を封じる特性のある聖剣【デビルバスター】を持ったまま、父さんはバルログさんに啖呵を切る。
あの聖剣は、かつて千年戦争と天魔大戦で父さんが悪魔や妖怪や魔物やドラゴンを切りまくった剣だそう。
いつか僕に真名を渡すと共に、引き継がせる予定だとか。
父さん物の扱い雑だし、僕が握る前に壊されないといいけど。
父ちゃん同士の視線が火花を散らし、一触即発の事態になっている。迸るそのスパークは、熾天使と大悪魔の魔力のぶつかり合い。
高密度かつ純度の高いエネルギーのぶつかり合いは、周囲の空間にも影響を及ぼし、大地が唸り、アスファルトの道に亀裂が走る。危機を察知した鳥たちが一斉に電線から飛び立った。
「天魔大戦の続き、やるか?」
「望むところだ」
いやいやいや!!まさか、本当に、こんな街中で戦うつもりなの?!
結界張って隔離空間に入っても、どうにもならないほどの高パワーの魔力じゃん!
こんなの天魔町が滅んじゃうよ!
「「やめて!!」」
僕と黒崎さんは二人同時に叫んだ。
「お父様!いつまで一万年も昔の話を引きずっていられるのですか!貧しくて厳しい魔界から抜け出して、親子二人で人界でひっそりと暮らそうと仰ったのは、お父様ではないですか!」
「父さん!頼むから、僕の大切な人のお父さんを傷つけないで……頼むからさ……お願いだよ父さん」
黒崎さんは怒り、僕は懇願する。
元来の性格の違いが出たんだろうけど、僕らの想いは同じだ。
「「父さん(お父様)たちの殺しあいを止めたい」」
自分の父と、恋人の父が殺しあうところなんて見たくない。
町が僕たちのせいで滅ぶところも見たくない。
父さんは溺愛している僕の訴えは絶対に無視できない。
黒崎さんもお父さんには相当可愛がられているようなので、バルログさんも多分止まる。止まってくれなきゃ困る。
息子と娘の掛ける静止の声に、父親二人は武器を納めた。
熱波で溶けたアスファルト、ひび割れた電柱やブロック塀が二人の間に渦巻いていたパワーを物語っている。
一応、保護結界は張ってたみたいだけど、二人が本気だったら絶対この程度じゃ済まなかった。
バルログさんは炎の魔剣召喚してもっと強くなってたし、父さんは翼から天使の光を放出してデビルバスターに注いでいたからね。
どんな戦いが起こるかなんて、僕にはまるで想像もつかない。
悪魔教団を尋問するはずが、こんなことになるとは思わなかったよ。
矛(剣だけど)を納めた父さんは天使状態から擬態化して、矛先を僕に向ける。バルログさんと同様だ。
「で、空。その娘はお前のガールフレンドか?」
「うん、そうだけど、なに?」
「…………大切にしろよ」
「………………うん」
一応、僕の意思を尊重してくれるみたい。それが本心かは知らない。その場しのぎの嘘かも。
「娘よ、その少年と共に生きるのか?」
「まだなんとも言えませんけど、卒業の日まではこの関係が続きます。彼とそういう契約を交わしました」
「娘と契約中の相手だったのか。ならば今は魂を焼くのは止めておこう」
おっと、バルログさんがかなり際どい発言をしているぞ。
父さんの表情も目に見えて曇っている。というか、憤怒に染まっている。僕が「どうどう」と宥めるが、あまり効果は無いようだ。
僕んちと黒崎さん家の親子の話し合いは一先ずこれで終わった。
「おいバルログ。俺の息子に何かしたら、今度こそお前ら悪魔共を冥府の果てまで送ってやるぞ」
「やってみるがいい。だが、今は貴様ら親子を見逃してやる。感謝するといい」
「ほざいてろ」
「ふん」
「あ、それよりも……」
「なんだ、ミカエルの子よ」
「悪魔教団の人たち、忘れてました」
…………………。
間抜けな沈黙の後、寂しく吹いた風は冷たかった。
◇
僕の結界に保護しといた教団員たちを解放し、四人で囲む。
父さんとバルログさんと黒崎さんは真の姿で。僕は一人だけ翼を生やしただけの半天半人の姿で。……なにこの格差社会。
「で?お前らはなんで俺の息子を殺そうとしたんだ?正直に答えれば命だけは助けてやるぞ」
「私の娘を襲った貴様らは、どのみち私が魔界の焔で魂まで焼き尽くすがな」
ついさっき襲った相手の父親たちが、人外本来の姿で詰めよってきて恐ろしい脅し文句を言われるのはさぞかし怖いだろう。
同情はしないが。
「ひぃ……俺たちはあなたたち悪魔のためを思ってたんですよ!娘さんに近づく天使を殺そうとしたじゃないですか!」
「そのために私の娘まで害しようとしてたのか……!ならば私は貴様を頭から食ろうてやってもよいのだぞ。崇拝する悪魔の肉体の一部となれて光栄だろう?」
「それに、お前さん方は俺の息子を殺そうとしたんだ。とりあえず、それ相応の報いは受けてもらう。なぁに心配するな。未遂だったし、命までは取らねぇ。せいぜい、手足の骨を一本ずつ頂くだけだ。ついでに首もな」
教団の男たちが仲良し(?)親父たちの激おこ過激派ムーヴにガクガク震えだしている。どっちかっていうと、僕のお父さんの方がマシだけど、どっちにしろ嫌だもんね。怖いし痛いし。
父さんは昔、悪人を処刑するパニッシャー的な仕事をしていたらしいけど、本当に彼らを殺したりするのかな。
小さい頃、山で遊んでいた僕が人食い妖怪に襲われた時、父さんは颯爽と駆けつけてライフバスターで妖怪を切り捨てたことがある。
この人たちも無慈悲に殺されるのか。
なんか、それは嫌だ。
父さんが人を殺すところなんてみたくない。
「ねえ、父さん。その人たち殺すの、やめない?」
「こいつらはお前の命を狙ったんだぞ。許しておけん」
「でも僕は無事だったし、それに、この人たちを生かしておけば、悪魔教団の情報とか調べられるかもしれないよ。僕たちに話してないことがまだ山ほどありそうだし。生かしておけばなにか使えるかもしれないよ」
「…………そうか」
少し考えて、父さんは教団員の首に突きつけていた剣を納めた。
別に僕の穴だらけの説得に応じた訳じゃないだろう。
僕の気持ちを汲み取ってくれただけだ。
「………ありがとう父さん」
「ん?なにか言ったか?」
「何も言ってないよ」
しかし、親子の間に割って入ってくる空気の読めない人が一人いた。
「ありがとうなボウズ!!さっきはバカにして悪かった!お前は俺の命の恩人だ!!」
さっき僕を笑っていた男だ。
頭を何度も下げながら、涙ながらに必死に謝ってきた。
手足を縛られているからヘドバンみたいになってるけど、動きが激しくて若干、汗?も飛んでて正直気持ち悪い。
「もう終わったことですから」
相手の謝罪を受け入れて、水に流すのも天使の仕事だから。
それに、僕がかわいいのは僕が一番分かってることだ。
女の子扱いしたくなるほど僕はかわいいもんね。仕方ない。
と言ってたら、バルログさんは来たときみたいに転移魔方陣を開いて帰っていった。今度は黒崎さんを連れて。
「娘にこれ以上近づくな」っていう感じの殺意丸出しの目で睨まれたけど。
父さんも黒崎さんを殺意の籠った目で見ていた。これは確実に命狙ってる目ですね。
「また明日ね、空くん」
「はい、また明日」
僕と黒崎さんはそれに気づいてないふりをして手を振って別れの挨拶を告げる。無視するのはそれはそれで怖いけど仕方ない。
黒崎さんたちを見送ると、僕たち親子も帰路につく……前に、教団員たちをもう二度と悪さできないように天使の光で徹底的に浄化しておいた。
魂を洗われた彼らは、今後無垢な真人間として生活していく。
やってることは洗脳だが、まあ彼らは地獄行き確定の元凶悪犯罪者たちだ。
残りの人生を社会に捧げて貰えば恩赦だって貰えるかもだし。
ようやく帰れる。
僕の長いようでやっぱり短い一日は、やっと終わったのだった。