0 プロローグ
僕こと、【天地 空】がこの世に生まれ落ちて十五年が経った。
十五年生きてきて、僕には一つの疑問があった。
それは、好きな人がいることは、幸せなことなんだろうか?というものだ。
恋愛もののドラマや映画を観るたび、僕は愛や恋愛というものについて考えていた。
物語のなかでは、恋した相手のために命をかけていたり、時には死や種族を超越した愛で結ばれている男女を何組も見てきた。
恋愛ものの作品では、誰もが幸せそうなハッピーエンドを迎えるときもあったが、時には想いが届かず、あるいは死別して悲哀で終わるお話もあった。
愛は必ず報われるわけではない。
そもそも、女の子と男の子がお互いを好きになったり、好きのもっと上にある『愛』という感情が、僕にはよく分からない感覚だった。
別に家族のことが嫌いだったり、学校に憎いやつがいたり、深刻な悩みがあったりする訳じゃない。家族のことは好きだし、友達は少ないが学校もそこそこ楽しめてる。悩みだってテストで良い点が取れない事くらいだ。
だが、僕には恋愛感情というのがよく分からなかった。
高校生になってもいまだに初恋の兆しもこない僕は、将来家庭を持てるのだろうかと漠然と不安になっていたりしたし、恋愛に青春を捧げることはないと思っていた。
そう、彼女に出会うまでは。
彼女の名前は【黒崎一乃】
僕が初めて恋をした女の子だ。
彼女との出会いは、高校に入学して始めて教室に入った時だった。
窓際の席に座り、春先の暖かな陽光を浴びて気持ち良さそうに目を細めている彼女を見た瞬間、僕は頬が熱く熱を持ち、心臓が跳ね上がるほどの衝撃と心が張り裂けそうな精神的ダメージを受けたのを今も覚えている。
心の底から湧いてくる正体不明の感情を、これでもかとたっぷり味わい、心と体へのあまりのショックに体が着いてこれず、その日は早退したことも覚えている。
家に帰ってお父さんにこの感情を伝えたら、お父さんは優しい顔でこう答えた。その顔が悟りを開いたような、微笑ましいものを見るような、妙にイラッとする顔だったのを覚えている。
「それは愛だよ。それが恋だよ」
「おまえにもとうとう春がきたか」、とお父さんは笑っていた。
その日の夕食はご馳走だった気がするけど、あの胸の高鳴りからすれば、それは些細なことだ。
そんな過去の思い出よりも、今の話をしよう。
今、この瞬間、僕を殺そうとしている悪魔の少女についてだ。
僕の喉元に炎の槍を突きつける彼女――黒崎さんは、いつものクールな表情とはかけ離れた薄い笑いを浮かべている。
「あの時の天使の男の子ね。この姿を見たからには、気の毒だけど死んでもらうわ」
彼女の額に生えた角が月の光に照らされて、背中から伸びる炎の翼が夜の闇を切り裂く。魔力を解放した彼女の炎の瞳は輝いていて、魅惑的な光を放っている。
満月と炎を背後に背負った彼女は、その人間離れした美貌も相まって、芸術的なまでの美しさを感じさせる。
この身体的特徴は僕もよく知っているある種族のものだ。
聖書に置ける神の敵、口先と誘惑で善人を堕落させる悪の化身、悪の存在にして魔の物。多くのものに苦痛と絶望を与える存在。
なにを隠そう、僕が恋した女の子は、悪魔だったのだ。
◇
ことの始まりは一年の終業式、僕が黒崎さんに告白して振られたことから始まる。
僕はあの日、それまでは遠巻きに見守るだけだった黒崎さんに勇気を出して告白したのだ。
彼女の下駄箱に手紙を入れて終業式が終わった後、校舎裏でずっとスタンバイしていた。
そして、待ちに待った黒崎さんがやってきた。
僕の心臓はずっと緊張しっぱなしだったけども、いざ黒崎さんを目の当たりにすると、緊張し過ぎて一周回って鼓動が止まりかけた。
あの時は、本当に心臓が破裂しそうなくらいのプレッシャーを感じていた。
「私を呼んだのは、あなたなの?」
僕を見るなり言った黒崎さんの一言。
「はい、そうです!」と元気よくハキハキと答えられたのは、印象的にはプラスに働いてくれただろうか。
その後の展開を考えると、あんまり意味は無かったように感じるが。
「僕、ずっと黒崎さんが好きでした!付き合ってください!」
お父さんに教わって、鏡の前であれだけ練習したキザなセリフも、耳触りのいい口説き文句も、まるで出てこなかった。
憧れの人を目の前に、頭は沸騰しそうなくらい熱をもってパンク寸前になり、口も舌も自分のものじゃないみたいに全然回らなかった。それでもなんとか言葉を紡ごうと努力して、必死な思いで言えた言葉がこれだった。
率直な僕の気持ちの丈を、そのまま彼女にぶつける。
それが、僕にできた最善の一手だった。
影で僕の告白を見物している友人たちを見れば、無責任にも投げキッスや壁ドンのジェスチャーでひっそりと囃し立てている。
僕と黒崎さんの身長は、黒崎さんの方が高い。女の子としては背が高い黒崎さんと、男としては背が低い僕の身長差では、僕の方から壁ドンなんてするのは無理だと知ってる癖に。
僕の精一杯な告白に対しての、黒崎さんの答えとは……。
「は?嫌よ」
「……え?」
バッサリと振られた。それはもう、とりつく島もないくらい清々しく振られた。
「だって、あなた、私のことを知ってるんでしょ?」
僕は、黒崎さんのことを何でも知ってる自信があった。
それはもう、彼女の好みのものからスリーサイズまで……は言い過ぎた。付き合ってもいない女の子のスリーサイズ知ってるとか、どんな変態ストーカー野郎だよ。
でも僕は、彼女のことをよく観察して、好き嫌い程度なら把握しているつもりだった。
黒崎さんはかわいい系のものが好きで、男の人の趣味も、がっちりした男前よりも、かわいい系の男が好きだっていうことも知ってる。
僕は、自分で言ってはなんだが、女の子と比べてもとてもかわいいほうの容姿をしてると思うんだ。
金髪のサラサラとした髪、澄んだ青い瞳、白い肌、童顔な顔立ち、お母さん譲りらしい女性的なルックス。低い身長と華奢な体躯。
自慢じゃないが……やっぱり自慢になるけど、僕は昔から年上の女性にモテた。それに「かわいいね」と誉められることも多かった。
だから、見た目だけなら、何度も言うが、見た目だけならば、僕は彼女のストライクゾーンにいるはずなんだ。こんなこと言ってると、ナルシストって言われちゃいそうだな。
「え、あ、はい。そうですが……?」
「だったら、なおさらダメよ。私もあなたのことを知ってる。だからあなたとはそんな関係になれない」
僕が黒崎さんのことを知っていて、黒崎さんも僕のことを知っているからこそ、僕とは付き合えないだってさ。
どういう意味だったのか、まだなにも知らなかった当時の僕には、さっぱり分からなかった。
冷やかし目的で影で見ていた友人たちには、いたく同情された。
僕の初恋は、そこで終わるはずだった。
それから僕はお父さんの指導のもと、熾天使の力を使いこなすための修行に励んでいた。
僕の初恋も、彼女のことも忘れるために、振られた心の傷から逃げるために、必死になって修行に打ちこんだ。
朝も昼も夜も魔法の修行に明け暮れた。
それでも僕の心には彼女がいた。
そんな生活を一年程度続けたある晩のことだ。
家の中じゃできない少し規模の大きい魔法の修行のために、月の光がまぶしい夜に町外れの公園に行ったとき、僕の中の止まった時間が動き出した。
メラメラと燃える街路樹。その火に照らされた彼女の手には、炎の槍があった。
背にはコウモリ状の翼、額には角、臀部からは尻尾。いずれも魔力の炎で出来ていた。
肌は浅黒く変色し、色彩は業火の如く赤く燃え盛っている。
別人のように変わり果てる黒崎さんの姿を、僕は見た。
お父さんの話にしか聞いたことがない悪魔の姿がそこにあった。
「あなた……見たわね?」
僕の気配を感じたのか、ゆっくりと振り返った彼女はそう口ずさむ。
手にした炎の槍を僕に向けて目にも止まらぬ速さで距離を詰めてくる。
「あなた、あのときの天使の男の子ね?この姿を見たからには、気の毒だけど死んでもらうわ」
向けられてくるのは、純粋な殺意。憎しみも悪意も敵意でもない。敵だから殺すとか、憎いから殺すとかじゃない。
彼女は僕を殺すことを、ちょっと飲み会でやらかしたツケを拭いさる作業程度にしか考えていない。飲み会行ったことないけど。
――怖い。
恐怖で声が出ない。怖いときって、こんなに体が動かなくなるのか。
好きな人に武器を向けられる恐怖と殺される恐怖。
どちらも初体験だ。こんな体験、したくないことだった。
それと同じくらい、悪魔と化した彼女の姿にときめいている僕がいた。これって変なのかな。きっと、すごく変だろう。
だって殺されかけているのに、その相手が美しいと思うなんて、絶対に変だ。
「く、黒崎さん。ぼ、僕は、敵じゃないん……です」
うまく呂律が回らない舌をなんとか動かし、敵意はないことを伝えてみる。
「で?その言葉を信じろって言うの?天使の言葉を信じろって?どっちにしろあなたを殺すことをは変わらないわよ」
残念、黒崎さんの信用は得られなかった。黒崎さんの言動からして、仮に信用を得られたとしても、僕を殺すことは止めないだろう。悪魔の本当の姿を見てしまったから、殺すしかないのだろう。
悪魔には『自分が悪魔であることを天使にだけは絶対に知られてはいけないルールがある』と教わった。
少なくとも、この人間の世界に置いてはそれが彼らのルールだとか。でも僕は黒崎さんが悪魔の姿に変身する瞬間を目撃してしまった。
人間としての姿、悪魔としての姿、過失ではあるが両方を知ってしまった天使である僕のことを、黒崎さんが見逃してくれることはないだろう。
どうしよう。どうすればこの場から逃げられる?
黒崎さんの殺意が爆発的に膨れ上がるのを感じとり、とっさに飛び退いて距離をとる。火事場の馬鹿力というやつだろうか。自分でも驚くようなとてつもない速さだった。
ジッと僕と黒崎さんが互いの瞳を見つめあう。普段の僕なら、女の子と見つめあうシチュエーションに耐えられず、目をそらしていただろう。その相手が意中の人ならなおさらだ。
だが、今はそうは言っていられない。命懸けなんだ。
恥ずかしがっている場合じゃない。
このままだと、僕は黒崎さんに殺されるかもしれないんだ。
恋愛ドラマの告白シーンにも似た状況が黙々と続き、風が吹くのと同時に黒崎さんは炎の翼をはためかせ、空中へ飛び立つ。
「死んで!!」
殺意のこもった言葉とともに、殺意に満たされた攻撃を仕掛けてくる。
黒崎さんが投擲した槍が空中で分裂し、それぞれが意思を持っているかの如く、全方位を取り囲んで同時に攻撃してくる。
それらの攻撃を天使特有の力である光力を使い防ぎつつ、翼で飛翔して回避する。
「待ちなさい!逃げるな!」
「無理ですよそんなの!」
僕が選んだのは彼女の言う通り、逃走だ。
熾天使の血をひいている僕だが、戦闘なんて生まれて初めてのことだったから、逃げる以外のことができない。
戦う?
好きな人を倒すなんて、僕にはできないよ!だから逃げる!
黒崎さんも結構必死になって追いかけてきている。
そりゃそうだ。悪魔のルールに従わなければ黒崎さんの悪魔社会での立場も危ういのだから。
「パッと殺すから!一瞬だから逃げないで!」
それを聞いて「はい、殺されます」ってなると思うのだろうか。
「無理です!逃げさせてもらいます!」
「待って!お願いだから待って!」
それから僕らのリアル鬼ごっこは、一晩中続いた。
後半、涙目になりながら追いかけてくる黒崎さんは可愛かったけど、こんなに怖い思いをするくらいなら、もう夜には出かけないことにする!
満月の夜なんて大嫌いだ!!
新作開始です。
今回は書き留めが続く限り毎日投稿して、無くなり次第、長くて一週間ほどかけて投稿する予定です。
今作では三章くらい続けられるようにがんばります。