最終話:同じ大地の上で
気が付くと、街が見える場所にいた。
「ここ、は・・・?」
最初にダイスワールドを訪れた時に来た場所、ヒロキと出会った場所だ。いつの間にか、夕方になっていた。
「スミレさん」
この声は、
「ヒロキ・・・!」
振り返ると、ヒロキがいた。
「無事に、帰ることができるようですね。おめでとうございます」
そう、だよね・・・。無事に、元の世界に帰れるんだから。なのに私はきっと、浮かない顔をしている。涙で滲んで、ヒロキがどんな顔をしているか分からない。
「うん。・・・ありがとね、ヒロキ」
でも、「おめでとう」と言ったヒロキにも、私の涙が見えているはず。
「お別れになってしまうのは、寂しいですね・・・」
「うん・・・」
また涙が溢れてきて、目を思いっきりつぶって、下を向いた。
「みんなに、・・・ぢゃんどお別れでぎなくでごめんねって、・・・づだえどいで・・・」
「・・・はい」
一度元の世界に戻った人が、またダイスワールドに来ることはあるのだろうか。どちらにしても、私はもう迷わずに生きるから、二度と来れない。もしまた来るようなことがあれば、それこそみんなに怒られる。
「っ・・・・・・」
軽く目を開くと、ヒロキの影が近づいて来ていた。
頭に、手を乗せられた。
「よし、・・・よし」
そっと、撫でられた。
「や゛め゛・・・て゛よ゛・・・・・・」
そう言いながらも、手を振り払えないでいる。
「スミレさんは、よく頑張りました」
「っ・・・・・・。ヒッ・・・・・・」
頭に乗せられたヒロキの手を、両手でそっとつかんだ。
「ヒロキ・・・、ありがとう」
まだ少し、声が震えるけれど、ちゃんと話さなきゃ。
「・・・こちらこそ、ありがとうございました。スミレさんと過ごした1週間、とても楽しかったです」
「うん・・・」
「前の方が半年だったので、余計に寂しいです」
「私も・・・、っ・・・・、もう少し・・・、いたかったな・・・・・・」
ヒロキの手をつかむ両手をゆっくり上げて頭から離し、顔を上げた。視界が完全に滲んでしまって、目の前にあるのがヒロキの顔かどうかさえ分からない。
「私の名前と、同じあの場所・・・、みんなで、っ・・・、行きたかったな・・・」
「・・・僕は、一度でもスミレさんを連れて行くことができて、ホッとしています。本当に、急なお別れになってしまいましたから」
一度でも、連れて行ってもらえて良かった。そうでなければ、私は。
「実はあの時まで・・・、っ・・・、菫の花言葉のこと・・・、っ・・・、おろそかに、なっちゃってた・・・」
「スミレさん・・・」
「あの場所に連れ行ってもらえて・・・、ヒロキに名前のこと話して・・・、ちゃんと生きようって、思えたの」
「それは、よかったです。・・・元の世界に戻っても、スミレさんらしく生きてくださいね」
「うん・・・。約束する・・・。それが、私の幸せだから・・・。私は、幸せになって、私の人生を、誰にも負けない最高のものにするの・・・」
「本当に、素晴らしい生き方ですね。・・・スミレさんなら、きっと大丈夫ですよ」
「ヒロキにも、負けないから」
「ええ、勝負です」
体が、光り始めた。
「もう・・・、お別れなのね・・・」
ヒロキの手をつかむ両手を胸の高さまで下げて、ぎゅっと握った。
「・・・そのよう、ですね・・・」
光が、強くなっていく。
「もうひとつ・・・、伝言、・・・いい・・・?」
「はい、どうぞ」
「っ・・・・・・。フーーッ」
しっかり、話さなきゃ。
「みんなに・・・・・・、大好きって伝えといて」
みんなは今、どこで何をしてるのかな。ヒロキは今、どんな顔をしてるのかな。
「・・・分かりました。しっかりと、伝えておきます」
また一段と、光が強くなる。次の言葉が、最後だ。
「もちろんあなたのこともだよ、ヒロキ」
100万ドルの笑顔、できてるかな。
「ありがとう、・・・ございます・・・」
そしてまた光が強くなり、ぎゅっと握っていたヒロキの手が、私の手から消える感覚がした。
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目を開けると、建物の中にいた。あの日、雨宿りのために入ったビルだ。私の手は、胸の前で組まれている。さっきまで握っていたヒロキの手は、もう、ない。
腕時計を見た。9時12分を指している。ガラスの自動ドアの向こうが、暗い。道行く人は傘をさしてないけれど、地面は濡れている。
胸の前で組まれている手を、もう一度握った。
「1週間、楽しかったな・・・」
だけど、
「ちゃんとお別れ、したかったな・・・」
後悔は、残る。だけど、二度と同じような事を繰り返さないように、この後悔をしっかりと背負って生きていかなければならない。
「フーーーーッ」
よし。手をほどき、軽く拳を作って喝を入れた。
謙虚に、誠実に生きて、かつ、たくさんの命が生きているこの世界の、小さな幸せの1つになる。そして、絶対に乱暴は振るわない。
これからの毎日も、変わり映えのないものかも知れない。だけど、私の生きる目的は、日々を楽しむことにはない。私自身が、私の理想の人柄であり続けることが、誇りで、喜びで、私の生きる意味になる。生きていることを、実感できる気がする。
“これが六方菫だ”と、“六方菫はこういう人だ”と、胸を張って言えるようになろう。
歩き出し、自動ドアに近づくと、当たり前のように開いた。
都会の雑踏の中を歩く。雨で濡れた大地を、一歩一歩踏みしめて。
強く、強く生きていこう。
同じ大地の上で生きる、菫の花のように。
お読み頂いたみなさま、ありがとうございました。