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第10話:六方菫

 翌朝、日曜日。残念ながら今日も働かなければならない。迷い人のさだめ。でも色んなことがサイコロに決められてしまうのと比べれば、どうということはない。


 そしてそのお仕事もサイコロで決まるのだ。朝食後、いつものようにサイコロが現れた。


「来ましたね」


 サイコロを拾い上げると、


<1・2:スーパーで見切りシール貼るやつ>

<3:ビルのトイレ掃除>

<4:メイドカフェでスミレの愛情オムライス>

<5:カジノのディーラー>

<6:カジノのギャンブラー>


 ちょっ・・・! オムライス!!


「またオムライスぅ!?」


「あっははは。どうやら、スミレさんの愛情がこもったオムライスを食べたいようですね」


「サイコロが食べられる訳ないじゃないのよ~」


「ですが僕も、ぜひ一度食べてみたいと思ってますよ」


「4なんて出さないからね」


 ポン、、ポン、ポン、コロコロコロコロ。


 出た目は、1。


「よし」


「ことごとく、オムライスが外れますね」


「ふっふ~ん」


 昨日の今日で、また写真をパシャパシャ撮られるような展開になってたまるもんですか。この人たちなら、一家そろってメイドカフェに訪れ兼ねない。


 景色が戻り、1枚の紙が現れる。


「えーっと、スーパーマーケット“レインボー”、勤務時間は20時から3時間。そっかあ、見切りシールだから夜かあ」


「それまでは、自由に過ごせますね。・・・それにしても奇遇ですね。スーパーマーケット“レインボー”、日曜日は“バイオレットの日”です。スミレさんにピッタリですね」


「あ、そうなんだ」


 バイオレット。菫の花、菫色、両方を指すものだ。私の名前と、同じ。


「“バイオレットの日”は、何がバイオレットなの?」


「店内の照明ですね。うすくではありますが、今日は菫色が掛かります」


 私に気を使ってか、ヒロキは「菫色」と言った。バイオレットと言うと、紫と言われることが多いけど、語源が菫の花なのだから菫色だ。“紫”が、それに近いの色もひっくるめた総称みたいになってるから仕方ないけど。

 逆に、紫の英語にパープルとバイオレットがあって紛らわしい感じになってるけど、正確には、紫がパープル、菫色がバイオレット。


「曜日で変えると言っても、そこだけなのね」


 て言うか、店名“レインボー”なのに1日1色だけ。なんて野暮なことは言わないでおこう。そのおかげで“バイオレットの日”があるのだから。ちなみに、虹の7色目が“バイオレット”なのは、昔の科学者が“バイオレット”と言ったから。私の色を採用してくれて、ありがとう。


「そうですね。せめて、花ぐらい飾ってもいいと思うんですけど」


「確かに」


 むしろ、電気の色に赤とか青が混ざる方が微妙なような気が。


「提案してみたらどうです?」


「あははっ。できそうな雰囲気だったらね」


 さて、そのバイトは夜からなんだけど、


「夜まで仕事ないのはいいけど、どうしよっかあ」


「そうですね・・・」


 ヒロキは指を顎に当て、視線を斜め上に向けて考える仕草を取った後、


「・・・せっかくですから、遠出しませんか? うちの文具屋もお休みなので僕も自由です」


「遠出?」


 --------------------------------


 蒸気機関車に揺られながら、車窓から遠く緑の丘を眺めている。

 2回乗り継いだ先のローカル線。日曜日でも混み合うことはなく、4人掛けの席にヒロキと2人で対角に座っている。テーブルもあって、便利。


 日々生活している、人々で賑わう街とは離れた場所。遠出している感じを強く感じることができて、少しワクワクしている。


「どこに向かってるの?」


「ヒミツです」


「ええー? ホントは行き当たりばったりなんじゃないの?」


「さあ、どうでしょう」


 私は別に、行き当たりばったりでもいいけどね。


 最初に乗った電車の駅で買ったビスケットを頬張る。ボリボリ、ボリボリ。素朴な味で美味しい。


「でもずっと、なんやかんやで慌ただしかったから、お出掛けできて良かったかも」


 今のところ、今日サイコロが出てきたのは、仕事を決める1回だけ。


「ご満足いただけているようで良かったです」


「まだワクワクしてるだけよ。満足するかどうかは、最後まで分からないわ」


「あはは・・・。ご満足いただけるように、頑張ります」


「楽しみにしてるね」


 思えば、こっちの世界に来る前も、こんな時間は取れなかったなあ。仕事は毎日5時半には終わるし、土日も休みなんだけど、事務職仲間や大学時代の友だちと食事、親とのテレビ電話、何かと色々とあって遠出をしようなんて気分になれなかった。


 元の世界に帰れたら、たまには行ってみようかな。



 次の駅が近づく。駅名は”East Garden Hill”。


「スミレさん、ここです。降りますよ」


 ここが目的地なんだ。何があるんだろう。


 開いた扉でまず車掌さんが降りて、それに続いて降りてから切符を渡した。駅舎はあるけど駅員はいない。無人駅だ。左右を見ると、私たちの他は右の方で降りたファミリーが1組だけ。車掌はこっちにしかいないから切符を渡しに歩いて来ている。


「行きましょうか」


「うん」


 当然のことながら、駅舎も閑散としていた。木造の、シンプルなものだ。床だけはセメントで、休憩用に木製の大きなベンチがいくつか置いてある。


「帰りは、4時20分のに乗らないといけませんね」


「そうね。 夜から仕事かあ」


「それまでは、しっかり羽を伸ばしてくださいね」


「そうさせてもら…」


 ここで、景色がモノクロに。


「えると、いいなあ・・・」


「ま、まだ、悪い事が起こると決まった訳じゃないですし」


 ポン、ポンポポポポ。


 サイコロ登場。いつものように2mほど離れている。歩いてそばまで行って、拾い上げた。


<お昼ご飯の場所は、>

<1・2:池のほとり>

<3・4:菜の花畑>

<5・6:一番高い丘の上>


 ほっ。大したものじゃなかった。


「良かったですね、変なのがなくて」


「うん」


 ポン、、ポン、ポン、コロコロコロコロ。


 出た目は、1。

 サイコロが消えて、景色に色が戻る。


「では池の方にいきましょうか。知ってますので」


 ヒロキと一緒に、駅を出発。


 --------------------------------


 辺りを見た感じは、緑の丘。目を見張るほど美しい訳じゃないけど、のどかで、心が落ち着く。池はともかく、菜の花畑なんてどこにあるんだろう。あの丘の向こうかな、あっちの森の向こうかな。


「ヒロキは、ここに来たことがあるの?」


 なんか、道を知ってるみたいだし。


「はい。小さい頃はたまに、家族でここに来ていました。スミレさんも、案内しようと思って」


「ありがと。今度は、みんなで来れるといいね」


「はい。・・・スミレさんが、元の世界に帰ってしまう前に」


 あ。そうだった。元の世界にも、ちゃんと帰らなきゃ。


「それじゃあもうちょっと居た方がいいのかなあ?」


 そんなことを、つい思ってしまった。


「できる限り早くお帰ししたいとは思っていますが、スミレさんさえ良ければ長く居てもいいんですよ」


「うーーん。ここにどんなに長く居ても、元の世界では3時間しか経ってないから、ほとんど影響ないのよねー」


 とは言え、一生こっちに居るつもりはない。


「でも、あんまり長く居ると帰りにくくなっちゃうかも」


「そうですね。皆さん、スミレさんのことを気に入っているようですし」


「ヒロキは?」


「僕ですか? そうですね・・・やっぱり、スミレさんが帰ってしまうと寂しいかもしれませんね」


「そうなんだ」


 結構、嬉しい。


「前の人の時はどうだったの?」


「もちろん寂しかったですよ。半年も一緒に過ごしていた人が居なくなってしまったのですから。特に、マナミはもの凄く仲が良かったもので、しばらくは別人のように元気がありませんでした」


「へえ」


 あの人でも、元気なくすことあるんだ。“もの凄く仲が良かった”って、どんな人だったんだろう。でも何だか、聞くのをためらってしまった。



 しばらく歩くと、低めの丘の先に池が現れた。


「ここです」


 周りをただ芝生で囲まれた、なんの飾りもない池。その水面には、青い空がくっきりと映っている。


「ご飯にしましょう」


「うん」


 ベンチもなく、ブルーシートを持って来た訳でもなく、乗り継ぎ駅で買ったサンドウィッチセットを開いた。今日の昼間が休みだって早く分かってたら、早起きして自分で作ったんだけどな。



 お昼を食べ終え、その後もしばらく休憩したあと、座り続けて腰が疲れたので立ち上がった。


「そろそろ行きましょうか」


「うん」


「どうします? 菜の花畑や、一番高い丘の上も行ってみます?」


「う~~ん」


 私は少し考えたあと、


「ううん、行かないでいい。サイコロで、池のほとりに行くって決まったから。お昼ご飯が終わったからって選ばれなかった所に行くのは、なんかズルい気がするから」


 と言った。本心だ。


「そうですか」


 ヒロキは、特に肩を落とす様子もなく淡々とそう答えた。


「ごめんね、せっかく連れて来てくれたのに」


「いえ、大丈夫です。むしろ、サイコロの結果をそこまで正直に受け止めるなんて、凄いと思いました」


「そお?」


 そう言われると、少し照れる。


「スミレさんを案内したいと思っていた場所は他にあります。サイコロの選択肢に出なくて良かったです」


「そうなんだ。どんなところか楽しみ」


「気に入っていただける自信は、あるのですが」


 少し離れた位置にある森の中に入った。割と道は整備されていて、歩きやすい。


「何があるんだろう」


「それは見てのお楽しみです」


 森の中をひたすら進む。日差しが結構入り込んでくるから、薄気味悪かったりはしない。気持ちのいい緑の空間。


 森に入って20分ぐらい経っただろうか。


「もうすぐですよ」


 なんか、先の方に広い場所がありそう。空がきれいに見えたりするのかな。


 景色が開けた先に、大きな、紫色の四角いものがあった。いや、菫色だ。色だけじゃない。四角いものが、菫の花に覆われている。


「わああぁっ。菫だ」


 しかも、まるでスポットライトを当てているかのように、太陽の光が当たっている。私を、ここに連れて来たかったんだ。


「驚くには、まだ早いですよ。さあ、こちらへ」


 ヒロキが手を差し伸べてきた。せっかくだから、手を引いてもらおう。

 ヒロキの手をつかみ、菫の花に覆われた四角いものに歩いて向かって行く。何だろう。皮肉にも、サイコロの形をした建物みたいだけど。それにしても、すごい数の菫の花。


「え・・・?」


 近づいて行くと、だんだん見えてきた。縦長の長方形の入口と、その内側の境目が。遠くからだと、ここに入口があるなんて分からなかった。


「さあ、中へどうぞ」


「わああああぁぁぁぁっ」


 思わず、両手で口を覆った。頭も、真っ白になった気がする。何も、考えられない。この建物は、外側だけじゃなくて、内側も菫の花で覆われていた。天井の所々に穴が開いていいるのか、日差しが差し込んできている。


「道も、ちゃんとありますよ」


 足元も、菫の花でびっしり。反対側の壁にあるベンチに向かって、人が2人並んで歩けるぐらいの幅の道がある。菫の花を踏まずに、向こうまで行ける。


「す、ごい・・・」


 手を離して、1人で真ん中まで進んで、ぐるりと一周回った。そして改めて足元を見て、今度は天井を見た。前後・左右・上下。その六方が、菫に囲まれた場所。


「私のために、連れて来てくれたんだ」


 ヒロキの方を見ると、優しく微笑んでいた。


「ええ。あなたの名前を聞いた時から、いつか、ここに案内しようと思っていました」


 ヒロキが歩いてこちらまで来た。再び手をつなぎ、今度はベンチへ。


「よいしょっと」


 つないだ手を離さないまま、私が左、ヒロキが右に座った。


「ありがとう。連れて来てくれて。凄く、嬉しい」


 ヒロキの目を見て、そう言った。ヒロキも私の方を見たけど、すぐに目を逸らして正面を向いた。


「どういたしまして。喜んでいただけて、良かったです」


 もう、大満足。


「少し不安もあったんです。スミレさんが、ご自身の名前をどう思ってるのか分かりませんでしたから」


 そっか。自分の名前にコンプレックスを持つ人も、いるものね。私は、この世界に来てからは“六方”のほうにはちょっと思うところがあったけど、でもおかげで、こんな素敵な所に連れて来てもらえたのだから、文句なし。


「大丈夫よ」


「良かったです」


 むしろ、自分の名前は好きだから。特に、“菫”は。



 5分ぐらい沈黙が続いた。心地よい沈黙だったけど、せっかくだから、話してみようかな。


「私ね」


 口を開くと、ヒロキが特に返事をせずに顔だけをこちらに向けた。私は正面を向いたままだ。見えるのは、菫の花。


「自分の名前が好きなの」


 正面を向いたままそう言うと、視界の端に移るヒロキの顔が、少しほころんだように見えた。


「素晴らしいことですね。理由を聞いても?」


「自分の名前が好きになるのに、理由なんているの?」


「確かに、そうですね。でも僕は、自分の名前にそこまで愛着がないので」


「そっか」


 ヒロキ。

 その名前には、どんな想いが込められているのだろう。


「今度聞いてみたら、自分の名前の由来」


「“響きが良かった”、だそうで」


「そっか・・・」


 少しだけ、いや、かなり、気の毒だと思った。ゲンさんもミズエさんも、愛情もってヒロキやマナミさんを育てたと思うけど、名前の由来が特にないのは、やっぱり気の毒に思う。


「スミレさんの由来を聞いても?」


「うん。教えてあげる」


 私はヒロキの方を向くことなく、話を続けた。


「私の名前が、菫の花と同じのは知ってるよね」


「はい」


「私のいた世界には誕生花って言う文化があって、1日1日に、その日にちなんだ花がいくつかあるの」


「スミレさんの誕生日が、菫ですか」


「そう」


 いつの間にか私は、体を軽く前後に揺らしていた。止めなくていいや。


「私の誕生日、2月21日の誕生花の1つが、菫なの」


 ヒロキの反応はない。続けよう。


「・・・菫の花言葉は知ってる?」


「いえ。何です?」


「色によって細かくあったりはするんだけど、大きくは、謙虚、誠実、それから小さな幸せ」


「なるほど・・・。小さな花から、連想されているものなのですね」


「私の名前には、謙虚で、誠実に生きて、それでかつ、広い世界の中の小さな幸せであって欲しいという願いが込められているの」


 今はもういない、お祖母ちゃんが付けてくれた名前。


「そう・・・ですか」


 ヒロキ、何を考えているのかな。


「難しいよね。謙虚で、誠実に生きて、それで幸せでも居るなんて」


「難しそうですね」


「でも、頑張ろうと思うの。運の悪さだけで違う世界に連れて来られたり、サイコロに振り回されたりしてるけど、何でもいいから、いいとこを見つけて幸せを見つけようって」


 まさか、こんなことを、お祖母ちゃん以外の人に話すなんて。でも、こんな素敵な場所に連れて来てもらえたのだから、話さずにはいられない。


 それに、最近は少しおろそかになってた気がする。こっちの世界に来る前は、いつも変わらない毎日を過ごして、私は何をしてるんだろうと思うこともあった。少なくとも、幸せではなかった。


「・・・そう、なんですね。いつも明るい、スミレさんらしいです」


「ちゃんと、明るく過ごせてる?」


「ええ。それはもう。僕も、家族のみんなも、毎日元気を分けてもらってますよ」


 こっちに来てからは、サイコロに振り回されてはいるけれど、楽しく過ごせている気がする。


「ホント? 良かった」


 気付いた頃には、ゆっくりではあるけど足を交互にパタパタさせていた。なんでだろう、止められない。


「今日は、幸せかも。私が幸せなら、私は、この世界の中で、1つの小さな幸せになれてると思うの。菫は、そうじゃなきゃいけないの」


 この名前に恥じないように、ちゃんとしなきゃ。


「素晴らしいですね。そんな名前をもらえているのが、羨ましいです」


「へっへ~。私の自慢なんだ」


 この名前を自慢できるように、ちゃんとしなきゃ。


「あ、“謙虚”はどうしたんですか?」


「いじわる」


「あははっ、失礼しました」


「謙虚と誠実、上手くできてる?」


「大体は、できていると思いますよ。誠実に関しては、さっきサイコロで選ばれなかった場所に行かなかった辺りは、本当に凄かったですよ」


 そうなんだ。嬉しい。でも、謙虚に、謙虚に。


「謙虚に関しても、大体は大丈夫ですが、たまに、欠いてしまったりしてますね」


 やっぱり、そっか。


「あちゃあ、気を付けなきゃね。私がだらしないと、世界中の菫に申し訳が立たなくなっちゃうから」


「それはそれは、意味のある名前というのも、重圧を背負わされるのですね」


「プレッシャーは感じてないわ。私が感じているのはただ1つ、誇りだけ。菫の名を持つ者だけが、謙虚・誠実・小さな幸せを目指せるの。菫の名を持つ者は、それを目指す生き物なの」


「そう、ですか。・・・素晴らしい生き方ですね」


「なんて、また謙虚さに欠いちゃったかな」


「いえ。菫という名前を持っていることに対しては、謙虚に受け止めていると思います。今まで、お名前の話をしなかったことも」


「そお? ありがと」


 だけど、これまでこの意識が頭の片隅においやられてたのは事実。それを、しっかりと引っ張り出すことができて良かった。ありがとね、ヒロキ。


 少々の沈黙を挟み、


「サイコロの結果に対しても、素直に従ってるじゃないですか」


「え? でも従うしかないんじゃないの?」


「それはそうなのですが、やっぱり皆さん、無視してみたり、結果に逆らってみたり、物に八つ当たりするような方もいらっしゃいますよ?」


「あっはははは・・・」


「どうかしたんですか?」


「私も、元の世界で出られなくなったビルで、初めてサイコロが出た時、無視しようとしたし、結果に逆らおうとしたわ」


「あ・・・そうだったんですね」


「だからこそ無駄だと分かって、こっちに来てからは1回もやってないのかもね」


 本当は、ものの一度もしちゃダメだったんだ。私も、まだまだだな。


「でも、八つ当たりは一度もしてませんよね? どんな場面でサイコロが出ても、どんな結果になっても」


 それは、それだけは、いつも欠かさずに意識してきたことだ。謙虚も誠実も幸せも難しいけれど、これだけは簡単だから。


「それはね・・・、」


 私は、つないでいた手を離し、立ち上がってこの空間の真ん中まで進んで、手を広げて上を見た。見えるのは、菫の花。


「“バイオレット”の、名誉を守るため」


「バイオレットの、名誉、ですか・・・」


「そう」


 手を下ろし、ヒロキの方を振り返る。たまに見せる、疑問を持ってるような表情をしている。


「“バイオレット”って、なんだか響きが“バイオレント”に似てない?」


「似て、ますね」


 私は体を少し左に回し、顔を左に向けた。見えるのは、菫の花。


「語源は違うって聞いたことあるんだけどさ、なんか、嫌なの。自分の名前の意味を持つ言葉が、乱暴を意味する言葉に似てるなんて」


「その気持ちは、なんとなく分かります」


 今度は、右の方を見た。見えるのは、やっぱり菫の花。


「だから私がね、絶対に乱暴をしないバイオレットになるの。乱暴を意味するのは“バイオレント”であって、“バイオレット”にはそんな意味はないんだって」


 下を見た。菫の花が並んでいるけど、踏まずに歩けるように道がある。


「バイオレットは、菫は、」


 正面を見た。ヒロキと、その奥には菫の花。

 この場所は、六方が菫に囲まれている。


「乱暴なんかじゃ、ないんだぞ」


 しばらく、ヒロキと見つめ合った。先に目を離してはいけないような気がして、ずっとヒロキの目を見ていた。


「スミレさん・・・」


 ヒロキは、何を思ってるのかな。


「本当に素晴らしい、生き方ですね」


 “素晴らしい”の一言で済ませちゃう辺りが、ヒロキらしい。


「そろそろ、帰ろっか。乗り遅れたら大変」


「そうですね」


 六方が菫で囲まれたこの場所を、名残惜しく思いながらも後にした。



 帰り道、傾きかけの太陽を眺めながら、外を見ている。お互いに疲れがあるからか、特に会話はない。今日は、本当に素敵な場所に連れて行ってもらえた。頭の片隅に追いやられていた大事なことも、しっかりと引っ張り出すことができた。


 これから今日の夜は、スーパーマーケット“レインボー”で、私の名前と同じ“バイオレットの日”にお仕事。菫の、バイオレットの名に懸けて、頑張ろう。


 でも今は、少しだけ、休んでもいいかな。目を閉じると、思いのほかあっさりと私の意識は眠りの中に落ちた。帰り道で乗った3度の列車は、3回ともヒロキに起こされるまで寝てしまっていた。


次回:日曜日の終わり

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