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斜陽に航れ  作者: 榎本かほり・弁財堂芙愛
序章
1/4

斜陽族

 わだつみが、燃えている。

 今日と云う一日が終わる。


 宵染(よいぞめ)の星影を集めて船が往く。

 (かつ)ての志士が散った海を、嘗て栄華を極めた者達が沈んだ海を、嘗て賊の蔓延(はびこ)った海を、城塞の沈んだ海を、嘗て神が宿った海を、魍魎(もうりょう)跋扈(ばっこ)した海を、嘗て誰かが夢見た海を。波も風もいまや掌中(しょうちゅう)に収めたりと言わんばかりの顔で。相も変らず儚き夢に酔い、繰り返す歴史の己が(ごう)をも忘れて。恵まれた一握りの者達が、未だ桃源郷(とうげんきょう)を探している。嗚呼、人の愚かしさよ。


 島影(しまかげ)遺す落陽の茜、燃え尽き死に逝くものの色。

 幕切れの刹那に起こる玉響(たまゆら)の輝き。海鳴りが()える。

 幾千幾百万たる日が死んで行き、幾千幾百万の夜が葬列の如く追い掛ける。

 東の海原の果ては宵闇(よいやみ)顎門(あぎと)に呑まれて、射干玉色(ぬばたま)の虚無が広がるばかり。


 逢魔ヶ時(おうまがとき)(せま)る。


 あかあかと照らさるる丹色(にいろ)の世界を船が往く。

 凪いでいた風が(にわ)かに立ち、罪人どもを押し出して岸辺が遠ざかる。儚き夢に惑うどの御人の頬にも、赤い牡丹の花が咲いた。強欲なる富める者ども。

 今日と云う日が死んで逝くのを白痴(はくち)のように笑って見送っていた。踏みつけた身内や排斥(はいせき)した他者と一緒くたにして、昨日と云う日の亡骸を、船尾(せんび)から波間へと投げ捨てた。忘れているのだ、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理を。危機感を忘れ、歴史を忘れ、自分達が踏み台にしてきたものを忘れ、当然の如く明日が来るものと思い、当然の如く胡座をかいて今日を見送る。血の池のような夕焼けを目の前にしても、人は海神(わだつみ)の彼方に無限の夢を見る。より幸福に豊かに勝者になる明日の夢を見てしまう。あなたは、まだ欲しいと云うのか。嗚呼、人の(たくまし)しさよ。


 逢魔ヶ時が逼る。


 紅蓮の映写幕(えいしゃまく)に焦げ付くような黒い影絵を浮かべて、船が往く。

 しじまに波打つ大海を航る一艘いっせきの豪華客船。点々と灯っていく窓明りは薄闇に煌めき出す星々と競い合う。豪勢な宴の声が聞こえる。ほんの一握りの特権階級者だけに許された、目映く華やかな饗宴(きょうえん)。煌びやかな洋装、優美なる仮面、歓喜の歌声……此の世の贅沢と幸福、そして陰謀と醜悪が集約されて渦巻いている。


 緋色の海が仄暗く変わる。残り陽に照らされた世の深淵たる水底にて、怨讐(おんしゅう)が脈を打つ。彷徨える魂の慟哭(どうこく)が、海鳴りを奏でる。

 地上に置いてきた栄華(えいが)にあくがれて、ひとつ。かのものに奪われた地位がなつかしく、またひとつ。一族の復讐を誓って、さらにひとつ。冷たい忘却の海から、ーー憎し、羨まし、嫉し、悲し、口惜しーーーー滾る想いは泡沫(うたかた)へと変わりて、こぽりこぽりと湧き上がる。海底から渦を巻く。海の蛍の如く瞬き(なが)ら漂い、(やが)て鬼火の如く燃え上がると、それは一面に陣形を為した幻の漁火(いさりび)へと変わって、一斉にくらくらと燃えだした。誰にも気付かれぬ大洋の最中、餌に群がる蟻の大群のような(おびただ)しい不知火(しらぬい)が、薄気味悪い悪意が、寄せ返す波に揺蕩(たゆた)いながら、貴人たちを乗せたあの美しい客船の後をぞろぞろ、ぞろぞろと追いかけてゆく。


 逢魔ヶ時だ。

 今日と云う一日が終わる。

 あなたがたの栄華が終わる。

 日は昇れど(やが)(かげ)り、誰そ彼(たそがれ)の懐疑を遺し、沈む。

 繁栄し冨貴に恵まれた者達がいつしか衰亡(すいぼう)に向かってゆくこと。それを人は、斜陽(しゃよう)と呼ぶ。


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