水に浮かんだ流木
アクアツアーで不気味な生き物の影が見える。
そんな噂話を知っているかな。
仮に、その人をAさんとしよう。
その日、彼と彼女のBさんは裏野ドリームランドに遊びに来ていた。
とても暑い日で、二人はアクアツアーに行くことにしたんだ。
アクアツアーっていうのは川下りに見立てたアトラクションでね。
お客さんはボートと流れるプールにのって山をぐるりとまわるんだ。
トンネルの中を通ったり、滝の中を通ったり。
冒険をしているようなロマンが味わえるし、水飛沫がかかる場所も多くて涼しい。
その上、暗いトンネルの中を通る間は二人だけ。その間に恋人同士ですることなんて……決まっているだろう?
暑い日にも関わらず、アクアツアーには人気がなかった。
前日に大がかりな清掃作業が終わったばかりだというのに、しんとしている。
長い行列に並ぶこともなく、すんなりとボートに案内されて乗ることができた。
大人が求めるスリルがあるわけでも、子供の願う面白みがあるわけでもない。
二人はすぐに、このアトラクションに人気がない理由を理解した。
ただ淡々と、ペンキの剥げた船に乗って漂うだけ。それだけだった。
けれどAさんたちみたいなカップルにとっては、邪魔の入らない、ちょうど良い休憩場所だった。
年季の入ったボートは順調に進み、ついにさいごの滝を通り抜けるという時だった。
前のほうで悲鳴があがった。
自分たちの他にも、お客さんはいたらしい。
二人は気恥ずかしいような、どこかほっとしたような。そんな顔を見合わせた。
ツアーの最後には一番大きなトラブルが待ち構えているという設定があったから、二人はどんなトラブルが来るのだろうかとワクワクしながら待っていたんだ。
すると、前の方から不思議なものが流れてきた。
流木のようなものだった。が、やけにヌメヌメしていて赤い。
それは二人が乗ったボートの横を通って、すーっと後ろの方へ流れていった。
さっきのは何だったんだろう。
変な丸太だったね。
もしかして、死体だったりして。
止めてよ。
そんな会話をしながら、二人はボートを降りた。
話は少し前に戻るけど、その日の前日、アクアツアーの清掃をしていた清掃員が一人消えていたんだ。
周囲の人間は「さぼり癖のある奴だから」と誰も不思議に思わなかった。
彼は業務用の苛性ソーダを使って、山の上の掃除を任されていた。
苛性ソーダっていうのは強いアルカリ性の物質で、排水溝に詰まった汚れ、たとえば大量の髪の毛なんかを溶かす時に使われるんだ。
ずさんな彼は、掃除の途中、うっかり目の中に使っていた溶剤を入れてしまった。
そりゃあ痛いよね。
だって「髪の毛を溶かすくらい」なんだから。
柔らかい眼球が溶けおちるのはあっという間だった。
そのまま叫んでいたら、誰かが気付いてくれたかもしれない。
けれど不幸は続くもので、彼は足を滑らせ、持っていた掃除用具と一緒に山の上から転がり落ちた。
そして首の骨を折って死んでしまったんだ。
翌朝、アクアツアーの水を入れにきた従業員が、溶けた清掃員の死体を見つけた。
彼は驚き、そして喜んだ。
ドリームランドの入園者数は年々減る一方。
アトラクションは老朽化。
かさむ修繕費と人件費。
上の方はコスト削減の一環として、こんな宣言をしていた。
人気のないアトラクションは閉鎖する。
アクアツアーの名は、一番に上げられていた。
アトラクションが閉鎖すれば、そこで働いている従業員は用無しだ。
次のコスト削減の対象になる。
解雇されるんじゃないかとおびえていた従業員は、その日、二つのものを手に入れた。
苛性ソーダで人を溶かせるという事実と、その現物だ。
首にならないためにはどうすればいい?
彼は考えた。
そうだ。解雇しようとする奴らを消してしまおうってね。
噂とは便利なもので、それからアクアツアーの最後には時々「謎の生き物」が現れるようになった。
あれは赤かった。
いや、黒かった。
ほとんど白かったよ。
滅多に見られない。
けれど時々は見られる。
そのくらいの頻度が、一番噂になる。
人々はそれが何なのか確かめるためにアクアツアーに足を運んだ。
「噂になれば、人が来る」
従業員はどんどん学んでいった。
ほどなくして、裏野ドリームランドは閉園になった。
理由は分からない。
経営者やスポンサー、上役が次々と失踪したって話だよ。
ただアクアツアーではいまでも時々、「謎の生き物」が流れてくるらしい。
え? 噂が本当かどうかまでは知らないな。
長いこと、ここでさぼっているけどね。
目も耳も、溶けてるんだもの。
たとえ何かいたって、分からないよ。
おや、また会ったね。
そうだ。さっきの話には、実はもう少しだけ。続きがあるんだ。
良かったら聞いてくれ。
正直に言えば、暇で暇で仕方なくてさ。
喋ることに飢えていたんだ。
ドリームキャッスルの噂話は知ってるかな。
お城の下には拷問室が埋まっているっていうウワサだ。
兎の人形が、ウワサを確かめにやってきた子を地下室に連れて行ってしまう。
そんな噂も聞いた事があるけれど、実際は少し違っているんだ。
ドリームキャッスルの地下にあるのは、ただの作業倉庫。
アクアツアーの従業員……Cさんという名前にしておこうかな。
ドリームランドが閉園しても、Cさんは従業員であることを止めなかった。
止めようがなかったんだろうね。
彼は、丸太を作ればまたお客さんが戻って来ると信じていたんだ。
Cさんは化学においては素人だったから、苛性ソーダの扱い方を知らず大怪我をしてしまった。
うっかり、水に濡れたままの手で、苛性ソーダを触ってしまったんだ。
苛性ソーダは水と反応して熱を発する。
手を石鹸で洗った時、ぬめりがあるだろう?
あれは、石鹸に含まれた苛性ソーダと水がほんの少しだけ反応して、皮膚のたんぱく質を溶かしているからなんだ。
その原液が手についたんだから、彼の両手はあっというまに焼けただれた。
Cさんがウサギの着ぐるみを着ているのは、防護服代わりなんだ。
そんな初歩的なミスをして以来、彼は反省した。
苛性ソーダをアクアツアーから離れたこの場所で、苛性ソーダを保管することにした。
ここは広いし、爆発することも無い。
なにより素晴らしいのは、どれだけ騒いでも外に聞こえないってこと。
だから、ここは拷問部屋じゃなくて、作業倉庫。
アクアツアーに流す丸太を作るためのね。
丸太の準備も大変らしいんだ。
子供は小さいから、目を離すとすぐに溶けてピンク色の液体に。
大人は暴れるから、飛び散って掃除が大変だ。
悲鳴、助けを呼ぶ声、命ごい。
溶けている途中の声を聞いた誰かが、拷問されていると勘違いしたのかもしれないね。
まぁ、僕には見えないし、聞こえもしないんだけど随分と長い事叫ぶらしい。
さて、ご清聴ありがとう。
これで噂を解明しにきた、勇気ある君の探求心が少しは満たされればいいんだけど。
君もいつまでも風呂桶の中でもがいてないで、早くウワサの真偽を確かめに行ったらどうだろう。
Cさんは、どうやって苛性ソーダを手に入れているのか。
丸太の材料はどうやって調達しているのか。
アクアツアーの水はなぜ、まだ流れ続けているのか。
噂も謎も、まだまだたくさん残っているよ。
それじゃあ、さようなら。
そしてようこそ、裏野ドリームランドへ。