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もしものクリスマスプレゼント

作者: 楠木尚

 今日はクリスマスだ。きっと街は色鮮やかに彩られてクリスマスソングが流れ、道行く人々はみんな幸せそうな顔をしているんだろう。

 二十九歳になった俺は、明日締め切りの漫画を描き終わったところだった。今回は余裕で間に合った。いつもなら締め切りの当日ぎりぎりまで描いてやっと間に合うぐらいなのだ。

 俺はタバコの箱を手に取り、一本口に咥えようとした。だが、さっき吸ったのが最後の一本だったらしい。箱の中にはタバコの細かい葉っぱが散らばっているだけだ。

「はあ……」と嘆息を漏らすと、椅子から立ち上がり、適当な上着を着る。面倒だが、コンビニまで買いに行くつもりだ。

 外はすっかり日が落ち、真っ暗だった。冷たい冬の風が俺の頬を引っ掻くように撫でていく。街は案の定、色とりどりの電飾にまみれていて、綺麗に建物を着飾っていた。行き交う人々はやはり幸せそうな顔をしていて気に入らない。

 コンビニに入ると中ではクリスマスソングが流れていた。「勘弁してくれよ」内心、そう呟く。コンビニでタバコを買い、目的を達成した後は、ただ帰るだけだ。どこかに寄ったり、人と会う約束なんてない。俺はただ孤独だった。別に昔から孤独だった訳じゃない。昔は幼馴染に囲まれてそれなりに楽しい生活を過ごしていた。だが、俺は立派になりたかった。誰もが知っているような有名人になりたかった。人生の成功者になりたかった。

 結果、今の俺は漫画家として成功しているといっていい。有名な漫画の週刊雑誌に連載を持っているし、アニメ化もされ、ヒットした。それも一度だけではない。誰がどう見ても俺は成功者だった。もちろんその為に努力をしてきた。高校一年の夏に学校を辞め、そこからずっと家に篭もり、誰とも遊ばず、漫画だけを書き続けてきた。あの時は幼馴染の香織と健太に猛反対されたが。しかし、結果として俺は成功者になれた。

 「本当にそれでよかったのか?」いつもその疑念が俺の心を占領した。俺は確かに成功した。だが、それと同時に多くのものを失った。例えば青春、友人、幼馴染との時間。上げればキリがない。もしも、あの時、高校一年のあの夏、学校を辞めなければ……


 コンビニの帰り道、見知らぬ少女が男に絡まれていた。ナンパだろうか。少女は見たところ、まだ中学生ぐらいなのに。いつもならそういった場面に出くわせば見逃していたが、今日はなんとなく助けたい気分だった。柄でもない。

「おい、その子から離れろ。警察にはもう通報してある。すぐに警察官がここに来るだろう」

 男はそれを聞き捨て台詞を吐いて去っていった。

「君、大丈夫か?」

「助けてくれてありがとう。お礼にクリスマスプレゼントをあげる」

 少女はそういうと逃げるようにどこかへ行ってしまった。「クリスマスプレゼント」ってなんだろう。俺はあの少女から何も貰ってはいないのだけれど。まあいいかと思い、俺は家へと向かった。

 家に着き、上着を脱ぐ。俺はいつもの仕事机に座り、タバコを吸う。気分が落ち着く。今日はクリスマスだ、酒でも飲んで酔いつぶれて寝よう。俺はウイスキーを棚から取り出し、グラスに注いで飲んだ。体が温まる。四杯目を飲む頃にはもうだいぶ強い眠気がやってきた。今日はこのまま酔に身を委ねて寝よう。そう思いながら眠りについた。


 俺を呼ぶ声がする。原稿は締め切りに間に合ったのだから、もう少し眠らせて欲しい。ところが、その声の主は、俺の名前を呼ぶどころか、俺の体を揺さぶり始めた。まだ重い瞼を手で擦り、目をあける。と、そこには信じられない光景が広がっていた。昨日は仕事机で寝たはずなのに、俺が寝ているのはベッドで、そもそもいつもの俺の部屋じゃない。そこは実家の部屋だった。そして、さっきから俺を起こしているのは制服姿の香織だった。香織はいつもの透き通った優しい声でいう。

「悠一、起きた?」

 何がどうなっているのだろう? ここは実家の俺の部屋で、高校生の香織が俺を起こしていて。とにかく訳が分からなかった。そんな状況で硬直している俺に対して香織は、「早く準備しないと遅刻するよ」と言い放つ。俺は言われるがままに準備をして家を出た。

 家を出ると、じとっとした暑さが身を包んだ。蝉の鳴き声が聞こえ、向日葵は輝くように咲いている。

 高校の教室に着くが、自分の席がどこか分からない。すると、「なにぼうっとしてるんだよ」と声をかけられた。幼馴染の健太だった。

「自分の席忘れちまったのか? 寝ぼけてんのか」

「ああ、悪いそうみたいだ。どこだっけ?」

「窓際の列の後ろから二番目だろ。本当に大丈夫か?」

「……大丈夫。ありがとう。ちょっと寝ぼけてるだけだから」

 俺は自分の席に座り考えこむ。今どうなっているのか。どんな状況なのか。そして一つの結論を導き出した。過去に戻ったのだ。この感覚は絶対に夢なんかじゃない。教室のカレンダーを見ると、十四年前の年が記されていた。そう、ここは俺がまだ十五歳の時の、高校一年の時の夏なのだ。すんなりこの状況を理解出来たのは俺が漫画家だったせいかもしれない。普通の人間なら理解するまでに相当な時間を必要とすることだろう。

 そして授業が始まった。懐かしい。昔は学校の勉強なんて無駄だとしか思えなかったのに。楽しくてしかたがなかった。そしてあっという間に昼休みになる。俺は自然と、香織と健太の元へ向かう。いつも三人で昼食をとっていたからだ。

「でも本当に悠一が学校辞めなくてよかったよ。一時はどうなるかと思った」

「本当本当。びっくりしたね。『俺は漫画家になるんだ』って急にいい出してさ」

 どういうことだ? ただ過去に戻ったわけじゃないのか?

 学校が終わり、家に帰った。それから飲み物がなかったので、夜コンビニへと向かった。そして、その帰りに俺はまた「あの少女」と出会った。

「こんばんは。もう馴染んだのね。この世界はあなたが学校を辞めなかった場合の『もしも』の世界。楽しんでね」少女はそういうとまたどこかへ行ってしまった。

「もしもの世界」か。だったらやり直せるかも知れない。俺の人生を。漫画家には成れなくても、普通の人生でもいい。ただ、失ったものを取り戻したかった。


 それからの毎日は幸せだった。傍から見れば平凡な高校生活だろう。しかし、俺にとっては毎日が新鮮だった。学校で昼食を一緒に食べたり、学校帰りに寄り道したり。そうして季節は夏休みに入った。

 夏休みも香織と健太と三人でたくさん遊んだ。海、プール、夏祭り、花火大会。俺たちは夏を遊び倒した。まさに青春だった。俺の失ったものが今ここにある。そう実感できた。

 思い出ばかりの夏休みが終わり、秋に変わっていく。秋は学校の行事で盛り上がった。運動会に焼き芋。テストに向け、三人で家に泊まって勉強会なんかもやったりした。俺はこの生活に飽きる事がなかった。確実に俺の人生は変わってきている。そう思えた。

 冬休みに入る直前、俺は急に香織に告白された。俺は小さい時から香織のことが好きだったから、この告白は嬉しかった。次の日から一緒に手を繋ぎながら登校した。何もかもが眩しいくらいに輝いて見えたし、最高の人生だと思った。人生も変わり、失ったものを全て取り戻せた気分だったといってもいい。

 だがそれからしばらくして冬休みに入った時、コンビニの帰り道でまた「あの少女」が現れた。

「こんばんは。久しぶりだね。あなたにお知らせしなきゃいけない事があるんだ。この世界は私からのクリスマスプレゼントだから、終わりがあるの。今度のクリスマスでこのプレゼントはお終い。だからそれまで楽しんでね」

 俺はそれを聞いて絶望した。てっきり人生をやり直せるものとばかり思っていた。怖かった。この世界が終わってしまう事が。今までのことがなかった事になってしまうのが。それからの俺の心には幸せと絕望が同居するようになった。

 香織とクリスマスは家で過ごす事にした。どうしても最後の日は二人きりの世界の中にいたかったのだ。香織をいつまでも抱きしめていた。そして最初で最後の口づけをした。お互い恥ずかしくて照れた。最後の時、俺は眠気に負けないよう必死で目を開けていた。隣ではもう香織が寝息を立てている。しかし、やはり眠気にはどうしても勝てなくて……


 目が覚めるといつもの仕事机だった。俺は泣いているようだ。涙を拭き、携帯を手に取る。そして、俺は懐かしい番号に電話をかけた。一コール、ニコール……数コール後、相手が電話に出た。

「……はい、もしもし」

 あの頃と変わらない、透き通った優しい声だった。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] キャラの心情がよく描かれていると思います。 [気になる点] 話がスラスラと進んでいるために、あまり読んでいる気になりません。 喩えば、告白されたシーンであれば、どのような経緯で、どのような…
[一言] 読み終わった後 ほっこり、あたたかい気持ちになりました。 失ったと思ったものも 手を伸ばせば そこにあるのかもしれないですね。 読ませていただき ありがとうございました。
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