科学男と霊能少女③
「凛太郎さん。凛太郎さん」
暗闇の中で声がした。
(…うん?)
「ねえ、凛太郎さんたら」
自分の体が激しく揺すられているのを感じ、無意識に唸り声を上げた。
(…なんなんだ?)
「…起きなさい!遅刻するわ!!」
突然耳元で馬鹿でかい声が鳴り響いた。
「うわっ!なんだ!!」
状況が理解できない。
意識がはっきりしていなかった。
ほんの少しだけ目を開けると、眩しい光が痛いほど突き刺さってきた。
「うーん…」
眠たい目を擦り、欠伸をした。
働かない頭で状況を理解する。
俺は自分の部屋のベッドにいた。
そして目の前には、景色が呆れた顔で立っていた。
窓のカーテンは全開にされ、部屋は朝の気持ち良い光が差し込めていた。
…なんだ、いつもの光景じゃないか。
今日もまた、景色に叩き起こされたのだ。
俺は思いっきり伸びをした。
「凛太郎さんたら、いつまでぼうっとしているの。早くベッドから出てちょうだい」
いつものように冷静な、嫌味のような声で景色が言った。
「母親か、お前は」
俺は寝巻きの胸元から手を突っ込んで、ポリポリ掻きながらまた欠伸をした。
俺は最上凛太郎。
あの有名な超巨大企業「最上ホールディングス」の社長の次男だ。
兄も自分の会社を経営する若手実業家である。
母はいない。元々病弱だったという母は、俺を産んだと同時に亡くなってしまった。
父も兄も多忙を極め、家はいつも俺独りで過ごしている。
まあ独りといっても、家には掃除人や料理人などはいる。
俺を毎日車で送っている世話役の老人もそうだ。
そのため厳密には一人ぼっちではない。
だがやはり、家族のいない家というのは、孤独感が強く襲うものだ。
好きなものは美しい女性と自然、それから科学だ。
嫌いなものは男と窮屈な場所。
俺の人生は何の変哲もなく幸せそのもので、明るい見通しのみが存在する。
…はずだった。
この女、古山景色が現れるまでは。
2週間前。高校2年最初の日に、俺はこいつと出会ってしまった。
確かに俺も最初こそ、こいつの美貌に見惚れた。
だがその性格の悪さを知ると完全に嫌いになった。
なるべく関わらないようにしようと、逃げ回りもした。
なのに…、それなのに。
この女は、何故か俺に惚れていた。
俺がどんなに拒絶しようと、常に俺のそばに居ようと近づいてくる。
まあ俺のような男に惚れるのは、仕方のないことだ。
だが、どこに行くにも付いてくる女は邪魔でしかない。
全てにおいて恵まれた俺の、たった一つの不幸な点。
それは、全てにおいて恵まれすぎていることだ。
時には何もない大自然に寝転がり、全てを忘れたくなることがある。
景色と出会ってから今日までの間、こいつは毎日学校へ行く前に俺の家へ来る。
そして俺を早い時間に起こして、ベッドから引っ張り出しやがるのだ。
そのせいで、俺はこの2週間一度も遅刻をしていない。
時間に縛られるのが嫌いな俺だったが、この2週間は景色のせいで、遅刻どころか、始業時間の遥か前に学校に到着していた。
押しかけ女房のように、俺の身の回りのことをなんでもやる景色。
この女はとても便利だったが、それは俺に惚れているからというだけで、元々優しい性格なわけではなかった。
言葉はいつも棘があって冷たい。
それでも、俺にはまだ柔らかい口調な方だった。
他のクラスメイトなんかには完全に見下した冷たい口調で、時にかなり残酷な言葉も平気で言ってのけた。
だから、2年生からこの学園にやってきたこいつは、転校からわずか2週間で、学園中で「女帝」と噂されるほどの冷酷残忍な人間なのだ。
そして、景色への最大の不満がある。
それはこの女が、自称「霊能者」であるということだ。
時々人の心を見透かしたようなことを言ってくるが、それは背後霊だかが教えてくれるとか言っていた。
言っておくが、俺は科学を愛する男だ。
オカルトのような類は一切信じていない。
大っ嫌いなのだ。
なのにこいつは、おかしなことに首を突っ込み、自称「霊能力」で解決しようとする。
俺は面倒事を嫌う至ってマトモな人間なのに。
こいつはいつも、俺を余計なことに巻き込むのだ。
こいつといると毎日が疲れる。
「凛太郎さん、まだぼうっとする気なの?」
気がつけば、俺はまだベッドの上だった。
眠すぎてまだ夢うつつだ。
「わかったわかった。起きるよちくしょう」
起きてから何度目かわからない欠伸をした。
景色を部屋の外に出し、俺も制服に着替える。
(…おっと、あれを忘れるところだった。)
机に置いてあった蒼いペンダントを首に掛け、部屋を出た。
こういうのは完全に校則違反だが、俺は気にせず毎日ぶら下げていた。
一応校則では決まっているが、実際そこまで厳しく持ち物を取り締まる教師は少ない。
もっとも、脳筋な体育教師と廊下ですれ違う時は必ず、制服のワイシャツの中に隠していた。
廊下の吹き抜けから一階を見ると、景色が中央に立って待っていた。
俺に気がつくと、ニコリと笑顔を向けてきた。
…外見だけは完璧なんだけどな、この女。
今日も、ついそんなことを思ってしまった。
そんな考えを景色に悟られないように、俺は溜息をつきながら階段を降り、景色の元まで行った。
彼女を連れて、広い我が家で"食堂"と呼ばれている部屋に入った。
食堂には三十人が囲える長いテーブルがあり、俺は二週間前まではそこで一人きりで食事をしていた。
しかし最近は、いつも向かいに景色が座って待っている。
「早く食べて、凛太郎さん。遅刻はさせないわよ」
彼女の声は美しくて棘があった。
そして少し気取ったような調子があった。
本当に煩わしい女だ。
あの日から俺は、本当に息苦しい生活をさせられている。
あの出会いの日。
二週間前の、KTB飛行機墜落事故の日から。
洗面所で顔を洗い、歯磨きを済ませた。
カバンを持って玄関に向かうと、景色は既に玄関の外で待っていた。
二人で黒いリムジンの後部座席に乗り、向い合わせの席に座ると、俺は窓の外を眺めて車に揺られた。
景色が話しかけてこようとしても、窓を開けて風を感じるだけだった。
いつも通り、切れ長の目を細めて涼しげに笑んでいる景色。
その顔と向かい合い、俺は深くため息をついた。
「どうしたのよ、凛太郎さん。溜息なんてついて」
景色が首を傾げて、俺の顔を覗き込んできた。
「…霊能力で当ててみろよ」
景色から顔を背けて、窓の外を見ながら言った。
「そうね。いいわ…」
そう言って景色はまた、両手を前に出して掌を向かいの俺にかざした。
「なるほど…、わかったわ。
霊能力なんて非科学的なこと、信じられないって思ってるのね」
外を見る俺の視界を遮るように、景色は窓と俺の間に顔を突っ込んできた。
景色のニコリと笑う顔が、吐息のかかりそうな程至近距離で俺と目を合わす。
俺は少し恥ずかしくなって、目線を再び車内に戻した。
そして、「当たりでしょ?」と言わんばかりの嬉しそうな表情をして俺の顔を覗き込んでくる景色に、また溜息をついた。
「昨日ネットで調べたんだ」
俺は景色を睨み付けた。
しかし景色は、キョトンとした顔を浮かべた。
「何を?」
「お前のエセ霊能力をだ。
お前が昨日の朝音楽室で見せたのは、霊能力でもなんでもない。
ただの心理学や観察力とかを組み合わせただけのお遊びだろう」
景色は何も言わずまた目を細めただけだった。
ただ笑顔で、俺の言葉の続きを促していた。
「…まずは、無くしたものが指輪だと見破った理由。
あれはあの先生の薬指に、指輪の跡でも見つけたんだろう。
そして金属のラッパに触れる時などには、傷がつかないように指から外す人もいる。
また、誰かがすぐに隠せる小物だという予測もできる。
それに、あの先生が結婚適齢期の若い女性だったこと。
それから、ほんの数秒見つからなかっただけでかなり取り乱していたことからも、結婚指輪もしくは婚約指輪であったことが推測できる」
俺の言葉に、景色はニコニコしながら黙っているままだった。
俺は続けた。
「あとは男子生徒の焦る反応や、手首を掴んだ時の脈拍数や嘘をつく時の目の動き。
それから隠してある方向を指摘された時に腕に力が入ったことなどから推測して、指輪の隠し場所を見つけたんだ。
脈絡もない質問をぶつけたのも、それを分析する為だ。
突然昨日の晩飯を思い出させて"本当の記憶"を遡る時の表情と、食べたい物を想像させて、現実で起きていないことを"空想"する時との表情の違いを調べ、嘘をつく時の反応を見たんだ。
全て現代の脳科学のお遊びバージョンみたいなものを利用しているだけで、科学的ではないことはもちろん、全く霊能力などでもない」
俺の話が終わっても少しの間黙ったまま、景色は満足そうに微笑んでいた。
二人の空間に、道路を走る車の音だけが響いた。
「すごいわ凛太郎さん。
一晩でそんなにもパソコンで調べるなんて。
流石科学技術を使わせたら右に出る者はいない天才ね」
パソコンで検索しただけなのに褒められた。また皮肉だろうか。
しかし、景色は珍しく本当に感心しているようだった。
俺は勝ちを確信しニヤリとした。
「ようやく認めるんだな?
現実の世界へようこそ。退屈だが良い所だぞ」
だが、景色は澄ましたままの表情を変えなかった。
「でも、残念ね。私は全部霊に聞いたのよ。
そんな難しい知識も技術も、私にはないもの。
ただ音楽室にいた霊が、指輪の場所を教えてくれただけよ。
あの指輪を隠した男子の身体を通してね」
景色が顔を近づけて俺の瞳を覗き込んだ。
透き通った色白の彼女の顔は、まるで彼女自身が幽霊なのではないかと思わせるほど、この世のものとは思えぬ美しさを醸し出していた。
「…やめろ、顔が近い!」
俺は景色から距離を取り、彼女と反対側の席に移った。
「なあに。凛太郎さんは私とラブラブなのが恥ずかしいのかしら」
「誰がラブラブだ!!」
景色が俺の前の座席まで、身体を横にスライドしてきた。
「私と凛太郎さん、よ」
また俺の瞳を覗き込んで、景色は笑った。
俺は、僅かに火照る頬を誤魔化して外を見た。
「あ、それと」
景色が思い出したように、また口を開いた。
「…なんだよ」
目線を合わさず聞いた。
「彼らが持っていた楽器はラッパじゃなくて、それぞれホルンとユーフォニアムって名前があるのよ」
「知るか、どうでもいい」
大通りを曲がって、大きな正門が見えたあたりで、俺は景色の方を見なかった。
「私も知らなかったけど、霊が教えてくれたのよ」
美人教師が取り乱して大変な時に、霊に余計なことを聞くんじゃない。
…いや違う、そもそも霊なんていない。
俺の頭は今後もこいつに掻き乱され続けるのだろうか。
俺は早くも本日3度目の溜息をついた。