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タイムトラベラーの進路  作者: 芦田友郎
第一部「時間旅行と恋物語」
3/89

科学男と霊能少女②


 高校生活2年目にして初めて訪れた音楽室は、想像と違わぬごく普通の音楽室だった。


 ただ最初に疑問に思ったのは、始業前の音楽室には教師だけでなく、生徒が俺と景色の他に5人もいたことだ。


 ピアノのイスに腰掛けた女生徒や、その側で楽譜を手に持つ男子生徒。

 俺たちの入ってきた扉の近くには、大きなラッパを持っている男女二人組がいた。


 すぐに吹奏楽部の朝練だと察しはついた。


 そして残りの1人の女生徒は、教室の真ん中で屈み、床に座り込む女教師の肩を支えていた。

 教師はまるで膝から崩れ落ちたようにへたり込んでいた。


 俺はその教師の顔を見た。

 成る程景色の言った通り、美人な教師だった。


 しかし何故か、顔面蒼白といった表情だ。

 虚ろな目を見開いて、何処か一点を見つめて呆然としてるように見えた。



「先生、何かお困りですか?」

 俺はすぐさま彼女に近づき、彼女の肩をそっと抱いた。


 しかし彼女は、俺の言葉が耳に入っていないようで、呆然としたまま空を見つめていた。


「…何があったのかしら?」

 落ち着いた口調で、景色がラッパを持った男女に尋ねた。


「いや、僕たちもわからないんだ。

 先生が突然『ない!どこにも無い!』って叫び出したんだ」

 男子生徒も状況を把握していないようで、困惑したように答えた。


「何かはわからないが、先生は物を無くしたことに気がついて取り乱したんだな」

 俺は景色に近づいて言った。

「そうみたいね」


 本来であれば、他人の事情などどうでもいいと思っている。

 下手に関わって面倒ごとに巻き込まれるのが大嫌いだからだ。


 しかし今回は話が別だ。

 何故なら音楽の先生がかなり美人だからである。


 俺はこの人の授業をとっていないので、仲良くなるにはこの機会を逃すわけにはいかなかった。


「そうだ、お前のオカルト能力で探してみろ」

 俺は、嫌味を込めてそう言った。

 もちろん、そんな能力などこの世に存在しないとわかってのことだ。


 俺は景色のそういうオカルト言動に嫌気がさしていた。

 そのうちこいつのスピリチュアルな妄想を打ち砕いてやりたいと、常々思っていたのだ。


「そうね。いいわよ」

 困るだろうと思っていた俺の期待とは裏腹に、景色は静かにそう言った。


 そしてぐるりと教室中を見回して、ゆっくりと目を閉じた。


「お、おい、待てよ。冗談だって。

 まさか本当にやろうってんじゃないだろうな」


 科学が作り上げたこの世界で、まさかそんな能力を本気で信じているのか、この女は。


 流石にもう少しまともな頭をしているはずだ。

 引くに引けなくなって、内心焦っているに違いない。

 そう思っていた。


 しかし景色は、滑稽にも目を瞑ったまま両手を前に出した。そして掌を開いて、力を込めた。


「おいおい…景色」

「凛太郎さん、静かに」


 駄目だ。この女本気だ。

 いつも言ってる「霊能力」とやらで、本気で霊と会話をするつもりなのだ。


 他の5人の生徒が困惑しながら景色を見ている。

 その隣にいるのが恥ずかしくなり、頭を抱えた。


「な、なにやってるの…?

 本気で、無くした物の在りかがわかるって言ってんの?」

 ピアノの側にいた、楽譜を持った男子生徒が言った。


 キノコ頭で、太い黒縁のメガネをかけている生徒だ。

 とても気弱そうな性格に見えるが、景色のあまりのおかしな言動に、つい口を開いてしまったのだろう。


 ほら見ろ。変な目で見られてしまった。

 俺は景色にあんなことを言ったのを後悔した。


 突然教室に入ってきて「霊の力で探せ」と言うなんて、完全に俺まで変な奴だと思われている。

 大体、あの美人教師が何を無くしたのかすら、まだわからないというのに。


 景色が瞑っていた目をゆっくりと開けた。

 そして、今喋った男子生徒の顔を見た。


「あなた、昨日の晩ご飯は何を食べたのかしら」

 景色が、冷静な声で彼に言った。


「えっ?」

 突然わけのわからない質問をされて、彼は動揺していた。無理もない。


「昨日の晩ご飯が何か聞いているのよ」

 景色が繰り返し冷静な声で言った。


「なんだよいきなり、今全然関係ないだろ!」

 男子生徒は動揺して言い返した。


「いいから答えなさい、ボンクラ」

 冷たい言葉が、ナイフのように突き刺さった。


 知らない奴にもお構い無しで、冷徹な言葉を浴びせる残酷人間。

 それが景色だ。


 言われた男子生徒が硬直した。

 女からこんな罵声を浴びせられたのは、恐らく初めてのことだろう。


 答えないでいる彼を見て、景色がわざと聞こえるように大きなため息をついた。


「…この音楽室にいる霊が、そっちの方向を指差しているのよ。

 疑われたくなかったらすぐ答えなさい」

 景色が伸ばしていた両手を動かし、掌を彼に向けた。


 こいつ本当に頭おかしいな…。


「景色、アホなことはやめろ。こっちまで恥ずかしい」

 俺は景色の両手を降ろそうと、彼女の二の腕に手をかけた。


「邪魔しないで凛太郎さん。

 サイキックパワーが上手く使えなくなるわ」

「サ、サイキックパワー…だとぉ…?」

 俺は恥ずかしさの限界だった。


 しかしこれ以上、変なスイッチの入った景色と会話していると、こっちまで変な目で見られそうだ。

 いやもう見られているか。

 もう俺は黙っていることにした。


「さあ、あなた。昨日食べたものはなあに?」

 景色が3度目の同じ質問をした。


「えっ、えっと…」

 景色の放つ異様な雰囲気に圧倒され、男子生徒は目を逸らして思い出そうとしていた。


「肉じゃが…だった。母親が作った肉じゃが」

 男子生徒が答えた。


「今夜は何を食べたいかしら?」

 景色が表情を一切変えずに、別の質問をした。

「は、はあ…?」

「いいから答えなさい」

 景色の冷たい声に、男子生徒が明らかに怯えていた。


「ら、ラーメン…かな…うん」


 なんだこの質問は。

 景色は一体何をしているんだ。

 仮に霊が存在したとして、一体こいつは霊に何て言われたというのだ。


「ふぅ…」

 景色が息を吐いた。

 そして男子生徒に向かって歩き始めた。


「な、なんだよ…」

 男子生徒が動揺していた。


 彼の目の前まで行くと、景色は彼の目を見て言った。

「指輪の場所を知っているかしら?」


 俺を含めた他の生徒は皆、事の成り行きを黙って見ていた。


 何が起きているかを理解している人間が、今この中にどれだけいるだろうか。

 少なくとも俺にはわからなかった。


 何の脈絡もなく突然出てきた「指輪」という単語が、更に事態への理解を阻害していた。


「えっ?はっ?知らねえよ俺。何の話だよ…」

 景色に目の前まで詰め寄られて、彼は目を泳がしながら困っていた。


「両手を出して」

 景色が言った。

「えっ?」

「いいから」


 景色の冷たい声に、男子生徒は否応なしに両手を前に出した。

 景色が彼の両の手首を掴んだ。


「なに、なんなの?」

 男子生徒はかなり緊張しているようだった。

 突然女の子の両手に触れられたら、慣れていない男なら確かに緊張してしまうだろう。

 それが例え景色であっても。一応美人だし。


「指輪の場所を教えて」

 景色が彼の手首を掴んだまま、ゆっくりと後ろ向きに歩き出した。


 まるで小さい子供を歩かせるように、彼を誘導していた。


「知らねえってば…」

 彼が言っても、景色は無視していた。


「こっちかしら?」

 景色が彼の右手首を軽く動かした。丸の字をなぞるように、ゆっくりぐるぐると回した。


 そしてその腕の方向、景色から見て左側へ、後ろ向きのまま進んでいった。



 室内に並んだ生徒用の椅子の間を進み、時折さっきのように手を回しては、またどちらかの方向へ向きを変えていった。


 時間の進みが異様に遅い。

 正直、恥ずかしさなどもうどうにでもなれと思った。


 霊能力でも何でもいいから、早くこの空気を終わらせてくれ。

 というか、これは本当に霊能力なのか?

 

「このリコーダーケースの中なの?」

 景色が右手を彼の手首から離し、戸棚を指差した。

「…何のことだよ」

 男子生徒はうんざりしていた。


 景色の指差した戸棚には、確かにリコーダーの入っている布製の袋はあった。

 しかしぱっと見ても40以上のリコーダーケースがある。


 景色はまた彼の言葉を無視して、戸棚に並んだ大量のリコーダーケースの中から、たったひとつを取り出した。


 そしてケースのチャックを開け、中に手を入れた。


 すると。

 景色は中から、小さなダイヤのついたシンプルな指輪をひとつ、指で取り出した。


 ニコリとようやく笑う景色。

 俺を含めた皆が唖然とした。

「あなたには正直な霊が取り憑いていたみたいね」


 何が何だかを、誰一人理解する前に、全てが片付いたらしかった。


 誰も状況を飲み込めないうちに、どうやら「男子生徒が隠した音楽教師の婚約指輪」の在り処を、景色が霊と交信して見つけてしまったようだ。



 こういうところなのだ。

 俺がこの女を苦手としている最大の理由。


 ただの不思議ちゃんならいい。それならまだわかる。

 「霊が見える」なんて特に珍しい設定ではない。


 しかしこの女は、実際に俺の目の前でワケの分からないことをする。

 そして、誰も状況がわかっていないうちに、物事を本当に解決してしまう。


 この女と出会ったせいで、まるで自分が今まで信じてきた世界がひっくり返ったようだった。


 俺はオカルトは信じない。認めない。

 だがこの女は確実に、俺の目の前で、俺が知らない理屈で物事を対処している。


 それが腹立たしくて仕方ないし、悔しいし、超ムカつくのだ。



 科学と霊能。

 こんな真逆のものを信仰している俺たちが一緒にいて、話が合うはずもなければ、分かり合えるはずなどない。


 これからも、ずっとこんな日常が続くのかと思うと、俺はこいつから逃げ出す為の作戦を本気で考えたくなった。


 ただ、残念なことに…。

 これから俺が過ごす、「何の変哲もない非日常」は、この時まだ始まったばかりだったのだ。


 今の俺には、数メートル前にいるだけの景色が、はるか遠くにいるようで、ただ呆然と眺めているだけだった。

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