1.科学男と霊能少女
俺は相当な自信家だ。
だが同時に、それだけの運と才能を兼ね備えた、史上最高の完璧超人でもある。
退屈なこの世界には、俺のような「希望」が1人は必要なんだ。
恵まれた人間が、他人が羨むような人生を謳歌すること。
それによってこの暗い世界に、一筋の光が差し込むのだ。
庶民では到底手の届かない存在の俺は、この世界でとても貴重な「希望」である。
朝の新宿は、相も変わらず人混みに溢れていた。
何処かへと急ぐスーツ姿の人々が、特に目立つ。
この汚い街は、俺にとって退屈そのものだ。
夜は煌びやかなネオンが光るこの街も、朝はただ灰色の世界。
ビルも空もまるで寝起きのように気怠く、くたびれた表情をしている。
俺を乗せた黒のリムジンは、今この灰色の街の大通りを走っている。
運転手に言って、近くの窓を半分だけ開けさせた。
…決して、薄汚れたこの街の空気が好きなわけではない。
しかし、すぐそこに吹いている春の風が、俺の心を優しくくすぐるのだ。
同時に、風はまるで母親のような温度で、俺のくねった髪を撫でてくれる。
それだけでも、今の俺にはとても癒される至福の温もりだった。
この俺にとって、手を伸ばせば何でも掴める大都会は、狭い部屋に閉じ込められたのと同じだ。
(こんな世界くだらねえ…)
心の中でそう呟いた。
俺は広い空と色鮮やかな自然が大好きなのだが、今見えている街はいつだって、俺の好みとは真逆の姿を目指して進んでいくのであった。
…ああ、やはり俺のような天才にとって、こんな街は狭苦しいだけなのだ。
天才とはこんなにも辛いのか。
神は何故俺に、この世の幸福の全てを与えてしまったのだろう。
俺は何故、人類史上最高の完璧人間として生まれてきてしまったのだろうか。
「…朝っぱらから、何を黄昏れているのかしら。凛太郎さん」
突然、俺の世界に侵入してくる声が聞こえた。
俺は目の前のシートに座る女の言葉を無視して、外を見続けた。
「あら?凛太郎さんたら、なんで無視するのかしら。
きっと頭の中で『この世界はくだらねえ』とか言って、せっかく悦に入ってるところを邪魔しちゃったから怒っているのね」
「…じゃねえ」
俺は肩を震わせながら呟いた。
「え?何かしら。声が小さくて聞こえないわ」
目の前の女の、澄ました声が返ってきた。
「俺の頭の中を読むんじゃねえ!」
俺は叫んで立ち上がった。
そして、その勢いで車の天井に頭をぶつけた。
「痛えっ!」
頭を抑えながら、再び座席に座り込んだ。
正面からため息が聞こえた。
「毎度毎度、考えもしないで突っ走るなんて。
本当にバカね」
「俺はバカじゃねえ!天才だ!」
すぐさま言い返してやったが、あの女はまたしても深いため息をついて、呆れた表情で俺を見てきた。
10分後。
俺たちを乗せたリムジンはやがて、大きな交差点を曲がって、再び広い道に出た。
その道を少し進んだところにある、巨大な校門。
その門の前で、このダックスフンドのような長い車はなんとか端に寄って停車した。
ブレーキを止めると、運転席の老人が素早くリムジンを降り、俺のいる後部座席の前へと回って、丁寧にドアを開けた。
「あーあ、今日も退屈な高校生活が始まるぞ」
俺は欠伸をしながら呟いた。
「どうせ凛太郎さんは、昼食以外寝ているだけじゃない。さ、行くわよ」
…この女、いちいち痛いところを突きやがる。
リムジンを降りて、俺の前を颯爽と歩くあの女を睨んだ。
長い黒髪と、女にしてはスラリとした長身。
大人びて整った顔立ちと色白の肌で、すれ違う誰もが振り返るほどの美人だ。
確かに外見は良い。完璧と言っていいだろう。
だけど性格は、これ以上ないってくらい最悪だった。
この女は俺のストーカーだ。
こいつと出会ってからの2週間、思い返せばいつでもどこでもこいつが隣にいる。
そしていつも、俺を面倒ごとに巻き込む。
それにうんざりして走って逃げたとしても、何故かまたいつの間にか俺の隣にいる。
簡単に言うとこいつは、かなり上級者のストーカーだった。
なるべくならこいつと関わりたくないのだが、毎日家まで迎えに来られては逃げようもない。
結局のところ、毎日ウチの車にちゃっかり同乗してきて、2人での登校を余儀なくされている。
なんか最近、変なことばっかり起きるんだ。
その中でも、こいつとの出会いが一番最悪だってことは間違いない。
溜息をつきながらも、この女と一緒に、校舎へと続く渡り廊下を歩いた。
今日の英語の授業で提出する宿題があるだとか、興味もない話を聞き流しながら、下駄箱で靴を履き替え、階段を登った。
3階に着いてすぐの教室の扉を開ける。
ああ、今日もこの暇な監獄に着いてしまった。
この教室のやつらも、よくこんなつまらない場所に毎日毎日登校できるよな。
…この女に無理矢理家から引っ張り出されたわけでもないのに。
教室に入って室内をチラリと見回すと、何か違和感があった。
いつもと違って、生徒がほとんどいなかったのだ。
俺たちを除くと、3人くらいしか来ていなかった。
(…今日は体育館で全校集会でもあるのか?)
訝しみながら机の上にカバンを置き、黒板の上の時計を見た。
7時半。朝のホームルームまであと1時間以上もあった。
「おい、景色!」
イラッとして叫んだ。教室にいた数名がビクッとした。
「何かしら、凛太郎さん」
この女はそれを物ともせず、至って冷静に返事をしてきた。
「何だこの時間は!いつにも増して早すぎだろ!」
時計を指差して思いっきり怒鳴った。
「私の支度がいつもより早かったから、早く起こしてあげたのよ。感謝して欲しいわ」
いつものように、冷たく静かに言ってきた。
「俺に関係ないだろ!もっと寝かせろ!無遅刻無欠席とか興味ねえんだよ!
今朝はなーんかやたら眠いと思ったんだ!」
叫ぶ俺に対して、この女は全く動じた様子を見せなかった。
この女、古山景色は無表情のまま、溜息をついた。
「すぐにサボる凛太郎さんを早めに連れてきたのに、なぜ責められなければならないのかしら。
感謝するどころか、この私に向かって怒鳴るなんて。
本当にあなたって、甘やかされて育ったボンボンのクズなのね」
棘のある言葉を、冷たい表情で淡々と言い放った。
そのあまりの冷たさに、教室にいた数名がビクッとした。
「なんだと…、大体お前は」
「大体、教室に着いてようやく初めて時計を見るなんて。
朝起きてから車の中まで、一体どこを見ていたのかしら。
普通一度くらいは確認するものなのだけれど、きっと凛太郎さんはまだ時計の見方がわからないのね」
景色に言葉を遮られ、俺はワナワナと震えた。
「あああ!気分が悪い!やっぱ今日は授業出ないでサボる」
俺は自分の椅子を蹴っ飛ばし、教室の扉に向かった。
すかさず景色がスタスタと向かってくる。
「ついてくるな!」
俺は振り向かずに叫んだ。
「何かと理由をつけてサボるのは毎日のことじゃないの。
くだらないこと言うのはやめて、ちゃんと授業を受けなさいよ」
「うるせえ!」
まあ確かに、最近毎日こんな調子だ。
こんな調子で、俺はいつも景色の被害を受けている。
授業の出席まで管理してくるストーカーを、警察に言えば被害届は受理されるだろうか。
迷惑なストーカー行為の上に、性格も悪ければ口も悪い。
精神的苦痛ってやつも、一度警察に相談してやろうか。
だがしかし、俺が景色を嫌うのはそれだけが原因ではない。そんなのまだ序の口である。
実は景色は「オカルト」にハマっている。
ここが一番嫌いな点だと言ってもいい。
俺は科学を愛する普通の人間だ。
霊だの化け物だの存在しないものを「見える」とか言って人の気を引こうとする連中が大嫌いなのだ。
それを信じて崇めるやつらも嫌いだ。
聞いた話だと、この学校には景色の信者ができ始めているらしい。
末恐ろしくて寒気のする話だ。
俺は授業をサボるため4階に上がった。
4階は普通の教室はなく、音楽室や書道室などの特別な教室や、プールや屋上へと続く階段などがある。
そのため、他の生徒や教師の数も少なく、静かで見つかりにくいのでサボるにはもってこいの場所だった。
案の定、4階はとても静かだった。
どこかの教室から話し声は聞こえるが、まだ8時前ということもあり、ほとんど誰もいない。
教師の監視の目が行き届かない場所に来て、ようやく解放されたような清々しい気分になった。
「なるほど…。凛太郎さんはいつもここでサボっていたのね」
ほんの少しの間だけ、完全に忘れていた。
俺は監視されていた。しかも人一倍しつこく厳重に監視されているのだった。
俺はいつものように、4階の広場にある長い木製のベンチに寝転がった。
硬くて寝にくい素材なのだが、不思議と眠くなる。学校でこっそりと授業をサボるという状況が、眠気には最高のスパイスになっていた。
「さあ、俺は今から寝るから。お前は気にせず授業を受けてこい。向こうへ行け」
手で払う仕草をすると、景色は切れ長の目を細めてニコリと笑った。
「嫌だわ凛太郎さん。頭がおかしいことはもう知っているから、これ以上はやめてちょうだいよ」
「おかしくねえよ!」
本当に景色のせいで疲れてばかりだ。面倒ごとは嫌いなんだ。
他人の事情に首を突っ込むのは、時間と労力の無駄でしかない。
景色が俺をジッと睨んでいるが、もう完全に無視しよう。
余計なことから解放され、何にも縛られない自由な人生に戻りたいんだ。
景色を横目に見て、俺は目を閉じた。
早く起こされた分の睡眠時間を取り戻そう。
「凛太郎さん」
景色の冷たい口調が耳に刺さったが、絶対に無視。
「ふーん、そういう態度をとるのね」
ナイフのように尖った口調だが、頑として目を開けたりはしない。
こいつに俺の大切な時間と労力を奪われてたまるか。
「残念だわ、凛太郎さん」
突き刺すような口調だった。
何か恐ろしい別れの挨拶みたいだった。
殺す前に言いそうなセリフに恐怖を覚えた。
俺はこんな奴を前に、目を閉じて無防備に寝ていて大丈夫なのだろうか。
その時突然、どこかからつんざくような女の叫び声が聞こえた。
声は遠くからだったが、静かな校舎に反響して大きく響いた。
「無い!無い!ないぃいいい!!!」
同じ人の声で続けて聞こえてきた。
「な、なんだ!?」
俺は驚いて思わず起き上がり、声のした方を見た。
まだあまり人はいない時間だが、いくつか電気の付いている教室はあった。
景色も振り返って探していた。
「あ、凛太郎さん。あそこの扉だけ開いているわ」
景色が見ている先は、廊下の突き当たりにある「音楽室」と書かれたドアのことだった。
音楽室や被服室などは、本来授業の始まる前は施錠されていて、誰も入れないはずだ。
だがここまで聞こえてくるとしたら、開いているあの扉の向こうから出ているのだろう。
「やっぱりあそこの教室かしら」
景色が言った。
「まあ、だろうな。隣は書道室で誰もいないようだし、美術室も鍵が閉まっている」
そして俺は、向こうを見ている景色の姿を見て絶句した。
「…お前、何してんだ」
「え、何が?」
景色の両手は、どこから拾ったのかわからないロープを握っていた。
5メートルくらいのロープの両端を持ち、明らかに俺に何かしようと構えていた。
「…俺に何をする気だった」
俺の質問に、景色はキョトンとした表情を見せた。
「え?だって凛太郎さん、起きようとしないんだもの」
「だからって何をする気だったんだよ!!」
やはり景色はナチュラルにヤバい女だ。
こいつに一瞬でも無防備な姿を晒すのは、今後一切やめよう。
「もういいじゃないの。そんなことより、音楽室に行ってみましょうよ。凛太郎さん」
そう言いながら、俺の同意を得る前に音楽室へ向かって歩き出していた。
「ちょっと待てよ、余計なことに関わる必要はないだろ」
勝手に歩いている景色に言った。
「いいから凛太郎さんも来なさい。何かあったのかもしれないわ」
「俺には関係ねえ。気になるならお前1人で行ってこい」
俺は再び寝転がり、目をつぶった。
「本当に残念だわ…。この手だけは使いたくなかった」
「待て待て待て。そのロープは何をするためのものなんだ」
景色は再びロープの両端を握りしめ、俺に何かしらの企てを実行しようとしていた。
「何するつもりかは知らんが、暴力はよせ」
「え?だって、凛太郎さんが起きようとしないから」
またキョトンとしてとぼけてきた。
「それはもういい。とにかく面倒ごとはごめんだ。1人で首を突っ込んでこい」
ベンチに寝転がり、景色に背を向けて目を閉じた。
「あら、いいの?あの叫び声、きっと音楽の先生よ」
後ろから景色が不思議そうな声で言った。
「それがどうした?授業前の音楽室なんだから、当然と言えば当然だろう」
「凛太郎さんは音楽の授業を受けてないから知らないのね。
とても若くて美人な先生よ」
「何をモタモタしている。急いで行くぞ」
飛び起きた俺は、丁寧な足取りでゆっくりと歩く景色を追い抜かし、俺は音楽室の扉をくぐった。
そうして今日も、俺は景色のせいで面倒ごとに巻き込まれてしまった。