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私は、ファンタジー小説って嫌いじゃないのよ。
夢があっていいじゃない。
だけど、自分の人生にファンタジーな展開を求めてはいないのです。
時間にして数十秒、私は完全フリーズしていた。
人生で初めて目の前が真っ白になるっていう、貴重な経験をしました、うふふっ。
「先生、いい加減に現実に帰ってこいよ。
これからのこと、色々と話し合わないといけないんだから。」
「……………私、頭の可笑しな人とおしゃべりする程、暇ではありませんのでお暇致しますわね。」
あくまで冷静を装いながら、急いで身支度を整えて玄関へ向かう。
やべぇーーよ、マジこえぇーよ。
あの子、所謂、中二病こじらせちゃった系?
可哀想な気もするが、やはり我が身が一番可愛いのである。
こりゃあ、逃げるっきゃないっしょ。
「待てよっ!
あんた、コレ見てもそんな態度取ってられるのか?」
腕を掴まれた私は、仕方なしに振り返る。
差し出されたスマホの画面には、鮮明な写真が映し出されている。
涎を垂らして眠る私と、カメラ目線に微笑む鬼市稜汰。
両者はどう見ても裸で、いかにも情事の後といった写真である。
「っっっ何よ、何なのよ、あんた!?
お金?金が、欲しいの?
薄給の新米教師から、金をせびり取りたいのか。
はんっ、幾らよ、言ってみなさいよ。
くっそーー、あんたみたいな男の腐ったやつ…」
罵詈雑言を遮るようにして、鬼市君の顔が至近距離に近付く。
何だ?さっきの仕返しでもする気か?
渾身の頭突きだったもんなぁ。
しょうがない、一撃くらい受けてやろうじゃないか。
私は攻撃に備えて固く目を瞑るが、一向にダメージを喰らわない。
どういう事だろうと不思議に感じた瞬間、ふにゅっと唇に柔らかいものが触れる。
んっ?今のは、何?
んっ?今のは、もしかして、もしかして、もしかしすると…――
あの、これって、間違いなく接吻ですよねぇ。
「いやぁぁぁぁあああああーーーーーーーーっ!!!」
パッシーーーーーン!
おおっと、緑川選手の強烈な平手打ちが、鬼市選手の左頬にヒットしました。
鬼市選手、立つことができるでしょうか。
ワン、ツー、スリー、おっ、立ち上がりました。
なんと、鬼市選手、余裕の笑みを浮かべています。
一方、攻撃を仕掛けた緑川選手は、瞳に大粒の涙を浮かべております。
「何すんのよぉぉーーーーっ!!!
あんたみたいな男にとっては、大した事ないのかもしれないけど、こっちはねぇ、大事なファースト・キスだったのよぉぉぉーーーーーっ!!」
鬼市君は腹黒い笑みを浮かべながら、自らの唇を色っぽく舐める。
「ああ、そんな事か。
気にすることないよ、先生。
今のは、ファースト・キスじゃないから。
ほらぁ、昨晩もっと激しいキスをした仲じゃないだよね、僕たち。
まぁ、最も先生は半分意識なかったみたいだけど。」
なっ、なっ、なっ、なっ何ですってぇぇーーーーっ!!
いっいいいいい今、あいつ、何を喋った?
私には、到底理解できない言語だったんですが。
んっ?私の訊き間違いじゃなければ、奴は死刑に値するよね。
「ふっふっふっふっふ。」
急に私が不審な笑い声を発したため、敵は身構える。
馬鹿め!か弱い女性である私が、真正面から男に勝負を仕掛けるわけがない。
この部屋で武器になりそうなもの、そうだ、昨晩料理で使った包丁があるじゃない。
私の視線の先にあるものに気付いた奴は、どうにか思い留まらせようと平謝りを繰り返す。
だが、しかし、乙女の純情踏みにじった代償は、身を持って償って頂きます。
「うわぁぁあーーーーーーっ!!!
ちょっ、待った、待ったぁーーー!」
部屋に響き渡った声は、憎い敵の男のものではなく、勿論私のものでも無い。
声の主を探してみるが、室内には私と奴の二人しかいない。
「おおーーーーいっ!!
ここだよ、ここ、ここ。視線を下げてごらん。」
言われるがまま下を見てみると、そこには一体のマスコットの姿があった。
重力に逆らうかのようにして、床に対して垂直に立っている。
どうやら狐をモデルにしたもののようで、毛並みの良い真っ白な毛で全身が包まれている。
「初めまして、レディ。
私、神様の使徒で御座います。
以後お見知りおき下さいますよう、宜しくお願い致します。」
狐のマスコットはご丁寧に挨拶をすると、私の手の甲に口づけを落とす。
その動きは、まるで生きているかのように自然であった。
マジ、半端なく、ヤバい気が、する。
私、幻覚・幻聴に悩まされる程、疲れてたんだぁ。
こりゃあ、早急に頭を休める必要がありますな。
脳内から送られる危険信号に従い、私はブラックアウトしていった。
♪・♪・♪・♪・♪
「鬼市様の態度が悪いから、冷静に話し合いも出来ないじゃないですか!?」
「はぁっ?俺のせいじゃないでしょ。
この女が、いちいち気を失うから悪いんだろ。
大体、こいつ本当に俺の“運命の女神”なのかよ。
全く以て、俺のタイプじゃないんだけど。」
「何を、贅沢なことを仰いますか!?
この方こそ、鬼市様の“運命の女神”に間違い御座いません。」
頭上で交わされる言い合いが耳障りで、私は嫌々ながら目を開いた。
「あっ、お目覚めですか?
お気分は、如何ですか。
ご無理はなさらないで下さいね。」
「なーにが、お加減だよ。
寝起きに頭突き喰らわせてくるような女だぜ。
心配いらねぇよ、使徒。」
「鬼市様!お黙りなさい!
緑川様、御混乱の心中お察し致します。
しかしながら、こちらにいる鬼市様と昨晩あなたが出会われた太郎様は、間違いなく同一人物で御座います。」
私はもう抗うことに疲れたので、大人しく説明を受けることにしました。
これが、なかなか醒めない悪夢だと信じて。
「そして、緑川様は鬼市様の“運命の女神”であることが昨夜判明いたしました。」
“運命の女神”だと?
早速、中二ワードが出てきたな。
「簡潔に申し上げますと、緑川様には鬼市様のために御協力願いたいのです。」
んっ?
何やら、雲行きが怪しくなってきたぞ。
これは、私と鬼市君のカップルを匂わせるフラグなのか?
その後、長々と話された使徒の説明を、私なりにまとめてみた。
青春真っ盛りの鬼市稜汰は、日々喧嘩と女遊びに明け暮れておりました。
命知らずの鬼市君は、死の道路と呼ばれる危険な山道で夜な夜なレースを繰り広げ、負け無しの王者に君臨していました。
ある日、鬼市君はいつも通りレースに臨もうとしていましたが……絶対王者の鬼市君を妬む輩が、ブレーキに細工を施しました。
そんな事とは露知らず、ぶっちぎりにぶっ飛ばす鬼市君。
しかし、カーブに差し掛かった時、異変に気付くが時すでに遅し。
曲がりきれずにガードレールを突き破り、鬼市君は谷底に転がり落ちていきました。
普通の人間ならば即死の状態でしたが、神のお情けで鬼市君は一命を取り留めます。
意識不明の重体である鬼市君に、神は条件を出されました。
『御前は命知らずの阿呆だが、改心する見込みがある人間じゃ。
よって、いくつかの条件を満たした時、完全に生き返らせてやろう。
今から御前に与えるのは、仮初めの姿である。
本来の姿に戻りたければ、“運命の女神”を探し出せ。
其の者は、御前に生きることの尊さを教えてくれるだろう。
己れを振り返り悔い改めることで、御前の人生をやり直すのだ。』
といったところで、説明終了。
「掻い摘んでお話しさせて頂きましたが、ご理解いただけたでしょうか?
…緑川様、どうなさいました?」
要するに、私はとばっちり娘か。
てゆーーーか、鬼市君、鈍すぎるっしょ。
何故、ブレーキが利かないことに気付かない?
レース前に確認すべきでしょうよ。
何だ、彼は、ドジっ子属性なのか?
ふぅーーーん、それじゃあ、仕方無いよね…
っっって、なるかぁぁぁぁぁあああああああーーーーーーーっ!!!!!!!!
アホ、ボケ、カス、ナス、神様のオタンコナスゥウーーーーっ!
私は、金輪際、神を信じないと心に決めた。
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