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A-003 異界の知識

A-003 異界の知識


 結論からいうと、流渡はわずか数日にして言語の習得に成功した。

 流渡の体内を流れているナノマシンはつまるところ、入出力に優れたパソコンと同じであるため、システムに管理者としてログインすれば自由に操作が行えるのである。

 与えられた機能を存分に活用すべく流渡はデータベースの構築を開始した。

 簡単にいえば辞書を丸ごと用意するという力技をやってのけたわけであり、受験生なら誰もが欲しがる夢の機能を体現したに等しい。

 あとは、NGEにインストールされている翻訳ソフトから似通った体系の言語を探してプログラムを修正、使用する辞書を入れ替えれば完成である。


「精霊ねぇ」

「そうだよー」


 流渡の恩人、妖精のような姿をした彼女は自らをエクレールと名乗った。

 まず、最も重要なことだが、流渡は異世界に転移したとみて間違いない。

 エクレールの放った電撃はやはり魔法という認識で正しく、別に高度に発達した科学か何かが背景にあるというわけでもなかった。

 基本的な物理法則は同じなのだが、この世界には魔法を扱うための特殊な法則が追加で定義されているといった感じだ。

 エクレールは大自然の力を司る種族で、魔法の扱いにかけては世界最強を誇る。

 言葉のイメージ的に、妖精というよりも精霊と表現したほうが近いだろうか。

 精霊の身体は純粋に魔力のみで構成され、各々が独自の属性を持つ。

 代表的な属性は火、風、水、地、光、聖などで、エクレールは雷の精霊であった。

 欠点は自身の属性と一致する魔力が満ちている場所でなければ生存できず、行動範囲が限られてしまうことだ。


 言語の壁を乗り越えて行われた自己紹介、以上がその成果である。

 このころになると、流渡も日常会話程度なら自力で理解できるようになっていた。

 というのも、さすがのNGEも思考を直接読み取ることはできないので、入力には音声認識を使うわけだが、そうなると、言葉を発するたびに日本語、翻訳、現地語、現地語の返事、翻訳のプロセスを繰り返す羽目になる。

 結局、ストレスなく会話できるかどうかは本人の努力次第なのであった。

 

 言語という名の障害を突破した流渡がまず興味を示したのは魔法の存在。

 狼との遭遇以来、流渡は自衛手段の確保を第一と考えていた。

 もちろん、単に使ってみたいだけというのも理由には含まれている。

 かくして、エクレールによる魔法の講義が始められたのであった。


「魔法を使うためには、魔力を特定の手順に従って操作する必要があるの」


 まず前提として、この世界には魔力という名の未知のエネルギーが存在している。

 魔力についての詳細は不明だが、大自然の力の一部とする説もあるとのこと。

 全ての生命は魔力を保持しており、自身の魔力を自由に操作することができる。

 体力と同じく時間と共に回復する力で、魔力にも個人差があるといわれている。


「最初は展開、魔力を目的の場所に注ぎ込む感じかな」


 流渡の目の前で実践してみせたエクレールの右手が金色の輝きを放つ。

 展開により形を与えられた魔力は特に『エーテル』と呼ばれ、使用者の知識を添加して属性の概念を持たせることが可能だ。

 属性は全部で十あるといわれており、純粋な魔力は無属性に分類される。

 火、風、水、地はまとめて四大属性といい、特に使用頻度が高い。

 これは、属性の付与には該当分野の知識が必要とされるためで、日常生活でなじみ深い自然現象に関わる属性の使い手が多いことに起因している。

 続いては雷、攻撃に用いられる属性としては四大属性の次に使い手が多く、五大属性と表現される場合もある。

 補助魔法が多いのは光と聖、使い手の人数は四大以下雷以上といったところか。

 聖属性は回復など、生命の神秘や神の祝福を連想させる魔法に使われている。

 残るは念と闇で、念は物体を動かすなど力を制御する属性、闇は対象を消滅させたりと攻撃力では最強を誇る。


「次は構成、展開した魔力を使って魔法の効果を定義するの」


 エクレールの右手がさらに輝きを増し、細かい光の粒が複雑な軌道を描く。

 魔法の効果は、展開したエーテルの中に『術式』として定義される。

 構成については生まれ持った才能に依存する部分も大きいが、目的とする現象を正確に理解しているほど術式の性能が高くなる傾向にあり、使用者の能力次第では少ない魔力で強力な魔法を扱うことも可能となる。

 なお、術式の構成方法は二種類に分けられており、現在エクレールが行使しているのは想像力や呪文、道具や動作などの組み合わせによって術式を作り出す詠唱構成と呼ばれる手法であった。

 逆に図形や文字を用いて魔法陣を描き、術式の効果を厳密に定義する手法は法陣構成と呼ばれているが、使い勝手が悪いため利用される機会は少ない。


「最後は発動、これはちょっとわかりにくいかも」


 話し終わると同時に、エクレールは近くの石に向けて魔法を発動させた。

 纏っていた光が瞬間的に明るさを増し、起動した術式が効果を及ぼし始める。


《ライトニング》


 エクレールの右手から稲妻が走り、直撃を受けた石が粉々に砕け散った。

 魔法を発動させると、後から術式を変更することができなくなってしまう。

 そのため、使用する魔法の効果は発動前に決めておかなければならないのだが、高速で動き回る対象の位置など、術式の構成中には確定させられない情報も多い。

 解決策としては、単純に構成を瞬時に終わらせることで時間差をなくすか、必要になる全ての情報を予測するなどの方法が考えられるが、最も広く利用されているのは発動時に特定の魔力に反応して効果が変化するような術式を組む方法である。

 もっとも、設定項目を多くしすぎると術式の構成難度が上昇するうえ、発動時の制御も複雑になるのために魔法を暴走させてしまう危険もありうる。

 ただ、普段から汎用性の高い術式の構成に慣れておけば、不測の事態に対しても柔軟な対応が見込めるため、このあたりのバランスをどう調整すべきか、使用者の経験に大きく左右される操作なのであった。


「まぁ、魔法の基礎はこのくらいだよ。あとは才能と経験次第かな」


 話を聞いた流渡は魔法について自分なりに解釈して理解に努めていた。

 すなわち、魔法とは絵を描くようなものであると。

 魔力とは個人の持つ資金だと考えればよい。

 まずは画材を購入する必要があるだろう。これが魔力の展開である。

 描く対象についての知識があれば必然と道具も定まる。

 色は何にするのか、筆の太さはどうするのか。属性とはこういったものだ。

 術式とは絵そのものである。

 対象を理解しているほど細部までこだわった矛盾のない絵が描けるはずだ。

 あるいは、芸術的なセンスで直感に訴えかけるのかもしれない。

 魔法の発動とは描かれた絵の展示の方法についてだ。

 光の当て方、タイトル、額縁のデザインなど豊富な経験が求められる。


「ありがとう。すごく参考になったよ」

「試しに使ってみたらどう?」

「そうだね。早速試してみることにしようかな」


 知識と理解については科学の得意とする領域である。

 経験は、これから慣れていけばいいだろう。

 最大の問題は魔力の保有量であった。

 鍛錬で底上げできるらしいが、才能があるに越したことはない。

 流渡は全身から手に向けて力が流れ込む様子をイメージしてみた。

 付与する属性は雷。落雷の避け方、オームの法則、電気と磁気の関係など、思いついた知識を片っ端から詰め込んでいく。


「おー、すごいね!」


 エクレールが流渡の展開した魔力を見て驚きの声を上げた。

 先ほどのエクレールと同じ、いや、もっと色が濃いだろうか。

 流渡の左手で強い金色の光が揺らめく。

 総量は不明だが、流渡も魔力を保持していると証明された瞬間だった。

 続いて術式の構成に入る。

 落雷を参考にして対象をプラスに、手の平をマイナスに帯電させるイメージ。

 明確な役割を与えられた魔力は輝きを増し、光の粒が複雑な軌道を描き出す。

 最後に、発動。

 念のため、多めに魔力を与えてからエーテルの制御を解き放った。


《ライトニング》


 強力な閃光が空間を満たし、同時に耳を覆いたくなるほどの轟音が鳴り響いた。

 流渡は少し遅れて、その原因が自分の放った落雷の魔法だと気付く。

 すさまじい威力が出てしまった。

 おそらく、エクレールは威力までしっかりとイメージしていたに違いない。

 流渡の魔法は対象の石の破壊のみにとどまらず、周囲の地面を抉り、小さなクレータを作り出してしまっていた。


「魔法怖い……」

「やるねー。属性を見た時に思ったけど、雷に相当適性があると思うよ!」


 しかし、エクレールは目の前の惨状を見ても特に驚いた様子はなく、流渡に向け賛辞の言葉を送っているだけだった。

 実はそれも当然の話で、世間一般では魔法を使えるようになるのはおよそ十人に一人といわれており、職業として魔術士に就ける者はさらに限られるという。

 なお、余談になるが、しばしば混同されがちな魔法と魔術は別の言葉であり、魔術とは魔法を扱うための知識や理論体系のことを指す。

 つまり、魔術士にとって魔法とはあくまで手段であり道具なのであって、例えるならば魔法とは剣であり、魔術とは剣術に等しいのである。


 さておき、流渡の放った電撃は威力だけでみれば中級程度の魔術士に匹敵する。

 属性にしろ、術式にしろ、経験を積めば一流の魔術士なれるとの評価であった。

 むしろ、流渡にしてみれば科学的な知識もなく直感のみで魔法を使っているとの事実に驚きを禁じ得ない。

 確かにそれでは使用者が限られてくるだろうし、使えたとしても相性のいい属性のみに限定されてしまうのは自明の理である。

 恐らく、適性という言葉はこのような理由から生じたものなのだろう。

 物理や化学を学んでいれば、少なくとも初歩的な魔法の行使は可能なはずだ。


「まぁ、電気関連は散々勉強してたしね」

「電気って?」

「あー、雷のことだよ。僕の故郷には雷を利用した道具がたくさんあったから」

「本当に!? ちょっといってみたいかも」

「精霊だから森の外に出られないんじゃないの?」

「実は裏技があってね。誰かに魔力を分けてもらえば大丈夫だったりするんだよ」

「ほほう」

「でも、精霊契約を結ぶわけだから軽い気持ちではちょっとね」

「なるほど」


 流渡はエクレールと会話をつづけながら落雷の魔法を連射していた。

 当初は地面にまで甚大なダメージを与えていた流渡の魔法も、今では対象のみの破壊に適した本来の仕様へと近づいていた。


「結構慣れてきたし、他の属性にも挑戦してみようかなっと」


《アースクラフト》

《ウォーターボール》

《ウィンドカッター》

《ファイアボール》


 流渡は立て続けに四つの魔法を発動させてみせた。

 まずは地属性の魔法で石を加工し、鍋らしき物体を作成。

 そして水属性の魔法を使って作成した鍋の洗浄を行う。

 残念ながら魔法で作った水を飲むことはできなかった。

 魔法の効果が切れると水も消滅してしまうためだ。

 乾燥いらずの洗濯魔法として応用可能なのだが、それはまた別の話である。

 風属性の魔法で森の木を伐採すると、細かく割って薪に加工する。

 火属性の魔法で薪に火をつけ、石の鍋に湖の水を注げば完成とある。


「魔法って便利だなー」

「えっと、何してるのかな」

「湖の水を消毒しようと思ってね。沸騰させているんだよ」

「そうなんだ」

「病気は怖いからねぇ」


 すでに数日間は直接飲んでしまっているわけだが、消毒できるようになったのであればしておくに越したことはないだろう。


「ところでさ」

「うん?」

「ルートはこの森に何しにきたの?」

「…………」

「森の深くに来る恰好じゃなかったし、会ったときは死にかけてたよね」


 エクレールの当然の疑問を受け、流渡の動きがピタリと停止する。

 転移の事故で漂着しただけなので目的などあるはずもなかった。

 言語の習得に魔法の実験と、新しい話題に没頭して不安を押し殺していただけ。

 改めて考えてみると、当面の目標は生活基盤の確保、次に研究環境の構築、最終的には元の世界への帰還となるのだろう。

 ちなみに、ルートというのは流渡の名前が変化したものである。

 本来はリュウトなのだが、正しい発音が上手く伝わらなかったためだ。


「参考までに聞いておきたいんだけどさ」

「なになに?」

「別の世界に移動する魔法ってあったりしますか」

「伝説級の代物だねぇ」

「ふむ。僕はいきなり伝説を達成してしまったというわけか」

「どういうこと?」

「転移装置の実験に失敗して、気付いたらここにいました」

「…………」

「空間を移動する魔法の実験に失敗したような感じかな。僕の故郷では精霊なんて存在は確認されていなかったし、空で輝く太陽だって一つしかなかった。最初は別の星なのかと思ったけど、魔法なんで現象が存在する以上、物理法則からして異なる別の世界だとしか考えられない」

「……空間移動の魔法は、遥か昔に失われたはずだよ」

「それは、この世界での話でしょう? うーん、そうだなぁ。付近に散らばってる金属片なんだけど、あれが空間転移に使った装置の残骸で、紛れもなく異世界の技術で作られた代物だよ」

「これのこと? 確かにすごい細工が――!?」


 精密に加工された機材に加え、内部に組み込まれた複雑な電子回路を見たエクレールが驚愕の表情を浮かべる。

 流渡に頼んで装置の破片を回転したり分解したりしてもらって凝視していたが、興奮が収まったのか妙に納得した口調でこう言葉を発した。


「……なるほど。だから装備もないのに森の中心いたんだ」

「納得してもらえてよかったよ」

「下手すると、アーティファクトでさえも凌ぐ技術だったからねぇ」

「アーティファクト?」

「古代文明の遺産とかいわれてるものだよ。強力な効果を持つ魔法具だったり、はたまた何に使うのか全くわからないものだったりもするんだけど、今の技術では再現が不可能な人工物をまとめてそう呼んでるみたい」

「つまり、転移はアーティファクトの実験に失敗したことにすればいいのか」

「というか、あの金属片は間違いなくアーティファクトにカテゴライズされる代物だよ。確かに、他のとは違う技術が使われているみたいだけど、私だって異世界の存在は未だに信じきれていないんだから」


 失われし太古の技術、アーティファクト。

 なるほど、柊機関の作品は元の世界でも超技術認定されていたので違和感はないな、と一人納得する流渡であった。。


「それで、ルートはこれからどうするつもりなの?」

「どうするって、何を?」

「このまま森で生活するのかって話だよ」

「いや、それはちょっと」


 魔法を手に入れたとはいえ、サバイバル生活を続けるには厳しいものがある。


「とりあえず、この世界にも人間がいるという認識でいいのかな」

「……ルートにはまず、常識を教えてあげる必要があるみたいだね」

「お願いします」

「まず、人口の多さでは人間──ヒューマンが最も繁栄している種族なはずだよ」

「ということは別の種族も?」


 魔法の存在といい、どうやらファンタジーを地で行く世界のようだ。

 なお、ヒューマンの特徴は高い繁殖力による物量作戦なのだとか。

 社会構造的にも、仲間の多さを活かした情報網の構築は強力な武器となる。


「うん。代表的な種族の中だと、魔法の扱いに関してはエルフが一番かな」

「エルフかぁ、僕の世界では想像上の存在でしかなかったけど」

「簡単にいうとエルフは魔法に特化した種族だよ。魔力との相性はバッチリなんだけど、身体能力は人間に対し大きく劣るし成長も遅いの。その代わり、圧倒的な寿命を持つから魔術士としては知識や経験が群を抜いているんだ」

「大体イメージ通りか。弓を使うとか、森に引きこもってるとかは?」

「私たち精霊と同じで、魔力の多い場所を好むから必然的に自然の豊かな森に住む傾向にあるみたい。弓は――使わないんじゃないかなぁ」


 エルフは魔法具の扱いにも長けた種族で、持っているとすれば杖だろうとのこと。

 好奇心旺盛な者は森の外で生活を営んでいるが、基本的には閉鎖的な種族である。


「それからドワーフ、こっちは結構人間社会に溶け込んでるし数も多いよ。手先が器用で鍛冶屋として武器や防具を作ったり、圧倒的な力を活かして前衛として活躍する人もいるかな。逆に魔法に関してはぜんぜんダメでエルフとは仲が悪いみたい」

「へぇー」

「あとはビースト、獣人っていえば分かるかな。野生動物の血を引くだけあって素早さと感覚の鋭さに優れるのが特徴だよ。前衛や狩人になる人が多いけど、魔法が使えないわけでもないからその辺はヒューマンと一緒だね。だけど、ヒューマンとは仲が悪くて互いに差別してたりもしたような……」


 悲しいことだが、どの世界でも争いはなくならないのである。


「まぁ、さすがに実力が重視される冒険者の世界ではその傾向は低いんだけどね」

「たしかに、そんなことを気にしてたらさすがに身が持たなさそう……」

「最後に私たち精霊についても説明しておくよ。やっぱり最大の特徴はエルフすら上回る圧倒的な魔法を操ることかな。ただ、他の種族のように複数の属性の魔法は使えないの。それから、存在自体が魔力の塊みないなものだから、魔力のない場所には存在することができなかったりもするんだよね」

「この森にも魔力が?」

「エルフの話でも出たけど、魔力は自然の豊かな場所ほど多くなるから。しかもこの森は落雷が多発するせいで全体的に雷の属性を帯びているの」


 幸い、生い茂る木々には豊富に水分が含まれているので火事になることはない。

 常に雷鳴の響くこの森には神が住んでいるとされ、神域の森と名付けられていた。


「ここから一番近いのはレインフォードで、歩いて半日くらい。ヒューマンがほとんどの街だからルートが行っても不審に思われることはないはずだよ」

「結構遠いけど、やっぱり街で仕事を見つけるのが一番なのかなぁ」


 魔法の存在する世界の技術水準がどうなっているかは分からないが、流渡が元の世界に帰るためには転送装置を作り直す必要があった。


「それなら、冒険者ギルドに登録して適当に依頼を探すのがいいと思う」

「冒険者……戦うのはあんまり得意じゃないんだけど」

「大丈夫だよ。探索や討伐だけじゃなくて採集とか事務の依頼もあるから」

「ならいいや。秘書としての経験が役に立ちそうだし」


 研究室に積み上げられた書類の束の大半を消化していた流渡である。

 担当者が消えてしまったことで問題が起きてないかと密かに心配していた。


「それじゃあ、森の外れまで案内するね」

「おねがいするよ」

「本当は街まで付いて行ってあげたいんだけど……」

「案内してくれるだけで十分だよ。中心部以外は魔力が少ないんでしょ」

「そうそう、なんていうのかな。人間なら水に潜ってる感じ?」


 精霊にとっての魔力とは人間でいえば空気に相当すると言いたいのだろう。

 エクレールの雰囲気から察するに、ギリギリまでは一緒に来てくれるようだ。


「でもさ、歩いて半日ってことは五十キロくらいだよね?」

「魔法を使って身体を強化すればいいよ。魔力次第では数時間で着くはず」

「なるほど」

「身体強化は魔力を体内で循環させるだけの簡単な魔法なの」

「へぇー、こんなかんじかな」


 体内を巡ると聞いて、流渡が思いついたのは血液だった。

 魔力が血管を通り全身へ染み込んでいく様子を思い浮かべる。


「おぉー! これはすごい!」


 数秒後、流渡は自分の体が驚くほど軽くなったかのように感じていた。

 試しに広場を走り、百メートル五秒という信じられない速度を記録する。

 脳にも魔力が供給されているため、体に反応が遅れるということもない。


「身体強化は魔力消費が大きいから使いすぎないようにね」

「了解。早速出発しようか」


 神域の森には強力な野生動物が生息しており、単独での突破は容易ではない。

 木材以外目立った資源もないので人も寄り付かず、立ち入った者には神罰が下るとまで噂されたため、神域の森には自然そのままの環境が残されていた。

 エクレールが自由に移動できるのは森の外周から内側に十キロの範囲まで。

 それ以上は能力が低下する――人間でいうと高山病のような状態になる――ので普段の行動範囲には含まれていなかった。

 どこまで付いていくかは森で様子をみながら決めよう。

 事前に二人はそう話していたのだが――


「まさかこんなにスピードが出るとは……」


 移動し始めてから五十分ほど。

 流渡はすでに道のりの大半を消化していた。


「うーん。全力での身体強化はこんなに長時間維持できないはずなのに」

「特に問題ないけど、魔力が切れると何が起こるの?」

「最初は体がだるくなっていって、無理すると吐き気やめまい、高熱や頭痛などの症状が現れ始める。最後には気絶して終了ってとこかな」


 具体的な症状が挙げられたため、流渡は該当項目の兆候がないか確認を行った。


「全くそんな気配はないなぁ」

「なんというか、ルートって存在自体が非常識だよね」

「悔しけど否定できない」

「でしょ? あっ、そろそろ魔力が薄くなってくるころだよ」

「案外簡単だったね」

「私が付いていく必要もなかったりして」

「それはどうかな。正直精神的な支えとして不可欠だったように思う」


 魔法の効果は使用者の精神状態に大きく影響を受ける。

 術式の構成時には極度の集中力が要求され、少しでも心が揺らげば様々な不具合が発生することになる。

 潜在能力は高いといえど魔術士としては新米、未開の森を一人で走破するなど流渡には到底不可能な挑戦にみえた。


「魔術士の弱点も把握してるみたいだし。これは将来が楽しみだね!」

「いやいや、そんなこと……は……」


 流渡は一人で街に辿り着けるだろう。エクレールが確信したその時だった。

 走りながら会話するほどの余裕をみせていた流渡の表情が急変したのだ。

 黙り込んだまま速度を落とすと、立ち止まり近くの樹木へともたれかかった。


「う……ぁ……」


 事前知識なしでは流渡も風邪の症状だと錯覚したはずだ。

 全身から力が抜けていく感覚。

 高い熱を出したかのように体が重く、立っていることすらままならなくなる。

 肉体が次々と不調を訴え、流渡はそのまま膝をついて座り込んでしまった。


「ちょっと! いきなりどうしたのさ?」

「なんか、急に力が抜けちゃって」


 乱れた息を整えながらも流渡は言葉を続ける。


「あとは発熱とか頭痛とか色々」

「うん。魔力切れの症状の典型だね」

「たぶんだけど、使える森の魔力が少なくなった影響かな」

「え?」

「身体強化を森の魔力だけでは維持しきれなくなったんじゃないの?」


 不足した分の消費で魔力切れを起こしたのだと流渡は理解していた。

 しかし、エクレールは若干呆れたような声で予想外の反応を示した。


「なんというか、本当にルートが人間なのか疑わしくなってきたかも」

「さすがにそれはひどくない!?」

「真面目な話だよ。自然の魔力を利用するのは精霊だけの特権なの。エルフも似た能力を持っているけど効果は微々たるものだし」

「そうなの?」

「魔力の説明をしたときにも教えたはずだよ。自身の魔力は自由に操作できる。つまりは他人の魔力は、例えそれが自然のものであったとしても対象外だってことをね」

「だとすると……」

「単純に、一時間近く身体強化が使えるほど膨大な魔力容量を持つのか、もしくは私たち精霊と同じく周囲に満ちている自然の魔力を扱う能力があるのか」


 私は精霊と同じ能力である説を推すけどね、とエクレールが続ける。

 精霊の鋭敏な知覚が、流渡から漏れ出した僅かな魔力を感じ取っていた。

 そのままエクレールは少し考えた素振りをみせ、しばらくして再び口を開いた。


「あのね、魔力っていうのは壺に入った水と同じなの」

「いきなりどうしたのさ?」

「穴のあいている壺に水を注ぐとどうなると思う」

「どうって、何にもならないんじゃ」

「じゃあ、同じ壺を川に浮かべたらどう?」

「もちろん穴から水が逆流して――ってまさか!」

「そうだよ。ルートの状態はまさにそれなの」


 通常の場合、壺に穴はなく注がれた水を自由に使うことができる。

 逆に言えば、いくら外側に水が満ちていても――口の部分から水が流れ込むことは当然考えに入れない――壺の内側には何の影響を及ぼさないのである。

 しかし、流渡の場合には壺の外側と内側の水量が完全に等しくなる。

 すなわち、周囲に魔力のない場所では注がれている水を直接取り出して使うしかなく、強力な魔法を発動するのに必要な水位には全く届かないのであった。


「急激に魔力を失わなければ魔力切れの症状は出ないはずだよ」

「精霊と同じ能力。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか」


 安定性に欠けるが爆発力に優れた体質。

 流渡はその有用性をはかりかねていた。


「少なくとも、魔術士を名乗るのはやめたほうがいいと思うな。精霊の住める場所以外で魔法を使っても微妙な威力にしかならないから」

「くっ……」

「何なら神域の森に永住してくれてもいいんだよ?」

「いや、それは遠慮しておきます」


 魔法の存在は魅力的だが、空間転移装置を一人で用意できるとは考えにくい。

 最終的に森に引きこもるにしても、まずはこの世界で培われてきた技術なり知識なりを手に入れてから実行に移すべきだと流渡は考えていた。

 金属関連の部品は自力での調達が難しそうなので市場に期待したい。

 食料など生活必需品も一緒に調達できれば用意する手間が減って自由時間が増すので、やはり街での生活を目指すのがベストな選択なのだろう。


「そろそろ森から抜けるよ。私はこれ以上進めないけど、森の入口には比較的おとなしい動物しかいないから後は一人で頑張ってね」

「わかった。色々とありがとう」

「じゃあね、ルート。ひさびさに話し相手ができて楽しかったよ」


 エクレールはそう言い残して森の奥へと姿を消した。

 数分後、森を抜けた流渡の目の前には見渡す限りの草原が広がっていた。

 少し先には建造物が立ち並んだ区画が平地の中にぽつりと存在している


「あれがレインフォードか」


 この世界の知識も乏しく、知り合いなどいるはずもない。

 それでも、元の世界へと帰る方法を探し出したかった。

 魔法という名の未知なる力は無限の可能性を秘めている。

 きっと大丈夫。必ずたどり着けるはずだ。

 そんな想いを胸に秘め、流渡は新たなる一歩を踏み出し始めた。

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