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A-002 新たなる世界

A-002 新たなる世界


 流渡が目を覚ますと、そこには透き通るような青空が広がっていた。

 空の青を除くと周囲の景色は濃い緑で統一されており、ここが深い森の中であることをうかがわせている。


「うぅ……」


 いつの間に眠り込んでしまったのだろうか。

 流渡は背中から伝わる慣れない草の感触に戸惑いつつも体を起こすと、痛みの残る頭を振って辺りを見渡してみた。

 どうやら流渡は小さな湖のほとりで気を失っていたらしい。

 付近では木々が開け、ちょっとした広場が形成されている。

 暗い森の中で唯一太陽の光が降り注ぐこの場所の景色は、まるで完成された一枚の絵のようであり、しばらく流渡はその幻想的な光景に目を奪われていた。


「あぁ、転送装置の実験をしていたんだっけ」


 しかし当然、なんて素晴らしい景色なのだろう、という感想にはならない。

 状況が理解できず、確認のために凝視していたと表現した方が正確である。

 いや、結論は出ているのだ。転送先の座標がずれたのだとしか考えられない。

 本来なら、別の実験装置の上に転送が行われる予定だったはずなのだから。

 流渡が無事なので転送自体には成功したといえるが、これは少々困ったことになったのかもしれなかった。

 柊研究室の近く、少なくとも、人工島である星戸市には湖のある森など存在しない。

 最寄の陸地までは大体百キロメートル。ここがどこであれ、かなり遠くまで飛ばされてしまったことには変わりなかった。

 外国まで飛ばされていた場合はさらに厄介なことになる。まぁ、柊機関の名前を出せば妙な納得とともにおおよその事情を察してもらえた可能性は高いのだが。


「それにしても、転送先が地上で本当に良かった」


 自分の置かれた状況を把握した流渡がまず感じたのは深い安堵の思いであった。

 落ち着いて考えてみると、転送座標のずれはかなり致命的な問題であると分かる。

 空中や地下に転移しようものなら即死で間違いないだろうし、砂漠や海に放り出された場合も生存率は低い。失敗例として有名な石の中というパターンもありえた。

 もちろん、即死は回避できたというだけの話なので早急に対処が必要である。


「当面の課題は連絡手段の確保か……」


 しかし、残念ながら流渡の右手首の通信端末には圏外の二文字が表示されていた。

 こうなってしまえば、機能の大部分をサーバーに依存した端末は役に立たない。

 近くに人が住んでいるのならばどうにでもなるだろう。

 しかしこの先、数十キロ単位で森が続いているとなればさすがに命が危なかった。


「装備なしでサバイバルとか無理にも程があるんですけど」


 転送装置の残骸を磨けばナイフくらいは用意できるのかもしれない。

 ただ、聞きかじった程度にしかない流渡のサバイバル知識では、どれだけの日数を生き延びることができるのか全くの未知数であった。

 最も無難な選択はここで救助を待つことだろう。人間、水さえあれば一週間は持つ。

 普通の遭難とは異なり、流渡の捜索範囲は地球全土にわたるので発見を期待した行動は本来間違っているはずなのだが、大地が本気を出せば何とかなってしまうのではないかと考えるあたり、流渡の常識も相当に毒されているようだった。


「はぁ、さっきから僕はだれに向かって話しているのか」


 恐らくは現実逃避。誰かの反応を無意識に求めていたのだろう。

 どうでもいいことに気づいてしまい、突然の虚しさに襲われる流渡。

 けれど、意外なところから流渡の呼びかけに応える声があった。


【基地局との通信切断継続時間が設定値を超過しました】

「はい?」

【条件に従い、システムをアクティブモードに移行します】


 方角は不明、距離も不明。直接、脳内に語りかけるかのような声が響いた。

 性別の特定も難しく、驚くほど抑揚に乏しいその声は市販されている音声合成ソフトの中でも最も有名な製品を用いたものであったが、重要なのはそこではない。

 この感覚を流渡は知っていた。ナノマシンによる聴覚情報への割り込みである。

 柊機関が開発を進めていた医療用デバイス。血中に投与することにより効果を発揮するナノマシンは、当初、薬の自動投与や健康状態の管理など日常的に医療行為を必要とする患者の負担を軽減する目的で開発された。

 ところが最近、収集したデータを解析した電気信号を直接神経に送り込むことで五感を再現できるとわかり、バーチャルリアリティ、いわゆるVR分野へ転用可能な技術として注目され始めたのである。

 視覚情報にも割り込みがかかり、流渡たちが遊び半分で作ったゲーム画面風のデバッグ出力が今見ている景色と重なるように描画された。

 流渡の視界の左上にはHPとMP――現実では何を意味するか不明だが――のゲージがそれぞれ一本ずつ、右上では現在地周辺の地図が表示され、左下には柊機関のロゴと製品名らしきNGEの三文字、右下ではシステムログがリアルタイムで流れていた。


「NGE? いつのまにこんなものを」


 正式名称には『ナノマシン・ジェネレーティング・エンジン』と記載されている。

 名前から察するに、流渡の知っているナノマシンに実装された既存の機能に加え、自己複製などの手段によりメンテナンスフリーを達成したものであるのだろう。

 他にも、いろいろと応用の利きそうなセンサー類が搭載されているのか、スペック上の数値では少し前まで使われていた携帯型の情報端末と同等の性能を保持していた。


 ──こういっては何だが、例の薬の副作用かもしれん。


 ついさっき、いや、NGEにより正確な時刻を取得できるようになった今、四十分前と詳細な表現に直すべきだろうか。とにかく、転送前に判明した衝撃の事実。

 大地が流渡に投与していたという謎の薬、もはやその正体は容易に想像がついた。

 流渡が趣味で使っていたのは柊機関が販売している廉価版であったが、大地が用意した薬は研究用のハイエンドモデルを体内で生成する働きを持っていたのだろう。

 思わぬ力を手に入れた流渡の取った行動は一つ。NGEに搭載されたGPSを使用し、現在地を確かめることであった。近くに人里があることを祈りながら操作を行う。


「現在地を再取得、付近の詳細地図を表示」


 音声認識よりNGEが対応するプログラムを起動させる。しかし――


【電波の受信に失敗。現在地を特定できませんでした】


 ――結果はこの通りである。これでは今後の計画を立てることができない。

 流渡は樹木で電波が遮られているのかと考えたが、すぐに否定する。

 湖の周りには草しか生えておらず、頭上には雲ひとつない青空が広がっていた。


「いやな予感がしてきたなぁ」


 時間をおいて何度か試してみるも、一向に成功する気配がなかった。

 人工衛星との相対位置は常に変化しているので、これだけ試しても全く受信できないということは何か別の要因が関わっているのだろう。

 例えば、電波を阻害する物が近くに存在しているのだとか、果ては、地球外の惑星まで転送されていたのだとかそういったものである。


「まさかね」


 そもそも、人間が生存できる惑星はほとんどないのだ。

 広大な宇宙の中で運よくたどり着ける確率など皆無に等しい。

 けれど、あくまで理論値は理論値。世の中には絶対などないのだと流渡が理解したのはまさにこのときであった。

 肉眼では見えるはずもない人工衛星を探して仰ぎ見た視線の先――


「あはは。あるんだ、本当に。こんなことが……!」


 ――そこには、時間とともに高度を増し、生い茂る木々の裏から顔を出した『二つ』の太陽が輝いていた。

 失意により緊張の糸が切れた流渡は草の上にぺたりと座り込んでしまう。

 さらには徹夜の代償、睡魔が追い討ちをかけるがのごとく襲い掛かってくる始末。

 最後の希望はこれが夢であると願うくらいか。

 心地よい風とぬくもりに身をゆだね、流渡は久々の睡眠を貪ったのであった。




 ◆ ◆ ◆




 再び流渡が目を覚ましても、依然として透き通るような青空が広がっていた。


「…………」


 残念ながら夢ではなかった。流渡にとっては残酷な事実だが認めざるを得ない。

 こうなった以上、ポジティブな思考をするべきだ。

 流渡はそうやって気持ちを切り替えると、未知の星についての考察を始める。

 地球環境に近い惑星である。生命が存在していてもおかしくはない。

 焦点となるのは知的生命体が存在しているのか否か。

 まずは、該当する生物が存在しないと想定してみよう。

 森が深すぎたケースと同じであるが、サバイバル生活がスタートすることになる。

 食料はどう調達するのか。毒性はないのか。危険な生物がいないのか。

 軽く挙げてみただけでこれだ。寿命をまっとうすることはできないだろう。

 では、文明が築かれているあると仮定し、接触を試みた場合はどうなるのか。

 忘れてはならないのが、彼らにとって流渡は宇宙人であるという事実だ。

 宇宙船ではなく空間転移による漂着であり、新種の現地生命体と区別が付かないという話もあるが、文明レベルが低ければ化け物扱い、高くても実験と称して弄り回されたりと幸福な未来は想像しづらかった。

 少なくとも二千年代の地球のような、貴重な生物として手厚く保護してもらえる程度の価値観を持つ相手であると期待したい。

 まぁ、見世物的な扱いを受けて不自由な身となることは確定であったが。

 それとも、いっそこの場で楽になってしまうべきか。

 悪魔のささやきに流渡が耳を傾けかけたその時、自然現象だけでは発生し得ない音が、意志を持った何かがサワサワと草を掻き分ける音が森の広場に響いた。


「──っ!」


 記念すべき地球外生命とのファーストコンタクト。

 新たなる歴史の一ページを飾ったのは真っ黒な体毛に覆われた大型の狼であった。

 正式には狼に似た何かなのだが、この際、単に狼と呼ぶことにしよう。

 空腹に耐えていたのか、鋭い牙がのぞく口からはボタボタと液体がこぼれている。

 まさに絶体絶命。流渡の恐れていた事態が現実のものとなってしまっていた。

 ナイフの製作に挑戦してみるべきだったと後悔したところで時すでに遅し。

 平和な日本での生活に慣れきっていた流渡では、跳躍一回で三十メートル以上も距離を詰めてくる狼への対処など取れるはずもなかった。

 結局、地面に座り込んだまま体を強張らせただけに終わる。

 両者の距離が二十メートルを切った。

 二回目の跳躍、数秒後、狼が着地した時こそが流渡の最期となるだろう。

 許容限界を超えた恐怖に流渡は瞳を閉じ、思わず自分の体を抱きしめた。

 直後に襲いかかったのは轟音と閃光。流渡の視界が赤く塗りつぶされる。

 目の前から鈍い着地音が聞こえると、全身に入る力はいっそう強められた。

 しかし、待てども待てども予想された痛みはやってこない。

 流渡が恐る恐る目を開けると、狼は所々が炭化した死体に成り代わっていた。


「wue+5snXpMCkw6S/oak」


 呆気にとられる流渡に、背後から意味不明な音の羅列が投げかけられた。

 驚いて振り返ると、身長は十センチほど、背中に二対の羽を持つ少女の姿があった。

 地球の知識に照らし合わせるのならば、妖精とでもいったところか。

 彼女の体はうっすらと光に包まれたまま宙に浮かんでいたが、透き通るような美しさを持って輝く黄金の翼はどうみても揚力を発生させているようには思えない。

 動きから推測すると重量が極端に軽いようにも思え、流渡は最初立体映像ではないかと疑ったくらいである。

 彼女は滑らかに移動して流渡の前に回り込むと、不思議そうな顔をして首を傾げた。


「pKikw6TIoaKks6SzpMukz7K/pPKkt6TLpK2kv6TOpKukyg」


 状況から見て、彼女が狼に何らかの攻撃を与えたことは間違いないのだろうが、それが一体どのような手段でもたらされたものなのか流渡には全く見当がつかなかった。ただ、許容限界を超えた出来事の連続に唖然とするばかりである。


「pKKhorvkpM+lqKWvpeyhvKXroaPN66TOwLrO7qTApOg」


 戸惑う流渡の反応に思うところがあったのか、彼女が再び音を発する。

 空気振動、すなわち声による意思伝達を試みているとみて間違いなかった。

 注目すべきは彼女の外見と行動である。

 大きさは除外するとして、人間そっくりの知的生命体が目の前にいるのだ。

 しかも、相手は流渡を見て慌てることもなく声をかけてきた。

 以上の二点から、この星にも人間に近い生物が存在しているのだと考えられる。


「ありがとう。君が助けてくれたんだよね?」


 現時点では警戒されている様子はない。

 流渡は彼女から言葉を学ぼうと思った。

 まずは助けてもらったお礼を述べるべきだろう。もちろん日本語でだが。

 意味は通じないかもしれないが、言葉が通じないことは伝わるはずだ。

 案の定、彼女もこちらに言葉が通じていないと理解したようだった。

 身振り手振りを使えば何とか意思疎通を図ることができるかもしれない。

 具体的にはどうやって教えを乞うべきか。流渡は計画を練り始めた。

 ところが途中から、彼女の表情は急に険しいものへと変わっていった。

 背後を向いて森の奥を睨むと、片手を突き出しながら鋭く声を発する。


「xrCkq6TKpKSkx6Gq」


 果たして、その発言は誰に向けたものだったのだろう。

 しばらくして現れたのは、先ほど流渡の命を脅かした個体の仲間らしき狼の群れ。

 死体となった一匹は獲物を独占するために抜け駆けを行ったのだとみえた。

 経緯はどうであれ、彼らが流渡を狙ってここまで移動してきたことに変わりはない。

 今にも飛び掛からんとする黒き狼の集団に対し、彼女は悠然と構えたまま世界を自らの望む形へと変化させる特別な力を解き放った。


《pbml0aG8pa+lwaWnpaSl8w》


 前に伸ばした右の手で金色の光が輝き、やがてそれは電撃となって撃ち出される。

 高速で翔ける稲妻が群れの中央にいたリーダーらしき狼を吹き飛ばした。

 さらには、命中した個体から仲間へと放電が起きて電撃が連鎖し、たったの一撃で群れ全体を行動不能にまで至らしめる。


「これは……、魔法?」


 ビジュアル的には、ゲームやアニメなどに登場するそれだ。

 あるいは、科学を極めた末に到達するエネルギー制御の技術なのかもしれない。

 けれど、流渡の直感は目の前の出来事が前者だと主張していた。

 すでに別の惑星がどうとかいう規模の問題ではない。

 物理法則からして異なる恐れがある。

 ここにきて、まさかの異世界説が浮上したのであった。


「pMik6qSipKikuqTPpLOk7KTHsMK/tKTApM0」


 あたかも、軽い運動を終えたかのようなさわやかな笑顔で話しかけてきた彼女に対し、流渡は少しばかりの恐怖が混じったまなざしを向けた。

 是非とも彼女とは友好的な関係を築きたいものだ。

 息を吸うかのごとく電撃を操る相手を敵に回すほど流渡は愚かではない。

 ただし、何が彼女の気分を害すかわからない以上、言語の習得は急務といえた。

 食料の都合を付けるためにも、やはり意思疎通を図る手段の獲得が求められる。


「pL2kw6SrobyhorjAzdWkrMTMpLikyqSkpPOkwKTDpL+kzaHEocQ」


 彼女も困っているようで、うんうんと頭を悩ませていた。

 しかし突然、何かを思いついたのかパッと顔を輝かせると流渡の正面に陣取った。


「pKak86GjpOSkw6TRpOqks6SzpM+8q7jKvtKy8KSrpOmkwKTooao」


 続いて自分を胸に手を当て、何度か同じ言葉を繰り返す。


「pailr6Xsobyl6w」


 恐らく、自分の名前を伝えようとしているのだろう。

 まずは自己紹介から。極めて妥当な選択である。

 流渡はそんなことを考えつつ、彼女にならって名前を答えた。


「僕は水月流渡、これからよろしくね」

異世界の言語にはBase64を使用しています。

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