A-001 始まりの日
同名タイトルのリメイクになります
魔法――それは、科学では説明のできない超常的な現象を引き起こす力の総称。
未知の力を前にした彼らは実験を行い、仮説を立て、検証し、法則を見いだす。
長きに渡る議論の末に、魔法は、科学技術の一分野として確立されるのだろう。
―― Gate of the World: The Alchemist of the Magic World ――
A-001 始まりの日
「全部で六百八十二単位かぁ……。どうしてこうなった」
受講中の教科の一覧、そして、末尾には合算された取得単位数が並んだディスプレイを前に、少年――水月流渡は思わずため息を漏らした。
決して成績が悪いわけではない。むしろ、卒業に必要な単位が二百程度だという事実を鑑みれば異常なほどに勉強熱心な学生だともいえる。事実、時間割の都合で流渡の成績は達成不可能ではないかと疑問視する声まで上がるくらいだ。
ちなみに、流渡が本来専攻していたのは情報分野。プログラミング関連と言えば分かりやすいだろうか。もっとも今では、物理や化学、電気、機械、材料、生物、数学など他の学科の卒業要件にまでリーチをかける謎の学生となってしまったのだが……。
しかし、今現在流渡を悩ませているのはそんな表面上の問題ではない。手当たり次第に授業を取らざるをえなくなった原因、下手すれば命にすら関わる重大な懸念がすぐそこに差し迫っていたのである。
星戸学院連合柊機関柊研究室――それが、流渡の所属している研究室の名前だ。
実体は研究所を中心とした独自技術の開発から商品化までを手掛ける株式会社であり、研究室は人材確保のために用意された内部組織の一つであるともいえる。
設立者は柊大地。七年前、突如この街に現れた天才である。
大地は高校に入学すると同時に才能を開花させ、飛び級を繰り返しわずか三年で大学を卒業するに至る。取得した特許は数知れず、卒業してすぐ在学中に得られた膨大な資金をもとに柊機関を立ち上げた。
そんなわけで、柊研究室は毎年配属希望者が定員の数十倍になる人気の研究室となっているのは当然の流れともいえる。
しかし、流渡はその狭き門を潜り抜けた選ばれし人間というわけではない。
ある日学校を歩いていたところ、いきなり大地に声をかけられほとんど強制に近い形で柊研究室に連れ込まれたのであった。
すると当然、才能あふれる周囲の人間に圧倒されることになり、気づいた時には研究の手伝いから雑務にいたるまでなんでもこなせる秘書的ポジションに収まってしまっていたというわけだ。
最終的に本当に秘書として登録されてしまっていたのだから笑えない。正体不明の振り込みを見て、流渡が軽く恐怖してしまったのは無理もない話だろう。
「そろそろ実験の時間か……」
不安と期待の入り混じった呟き。流渡の悩みの元凶こそがこれであった。
設立から四年、柊機関の知名度は世界でも有数の規模に迫りつつある。
研究内容もそれなりに高度なものになり、実験には相応の危険が伴う。
加えて、大地を筆頭にして柊機関のメンバーは行動力が異様に高く、後先考えず物事を進めてしまう傾向にあるので安全対策が十分でない場合も多い。
流渡は実験を手伝う傍ら、事故を防ぐための豊富な知識を求めたのだ。
学生にとって最も手軽に知識を取り入れる方法といえば授業に出ること。
星戸学院連合設立以来の最多単位取得記録は、そんなやむにやまれぬ事情から生まれた涙ぐましい努力の賜物なのであった。
「こんにちはー」
研究室の扉が開かれ、若干だるそうな挨拶をしながら少年が部屋に入ってきた。
流渡はディスプレイから目を離すと、立ち上がって声の主のもとへと向かう。
蓮杖悠樹、今回の実験を企画したメンバーの一人だ。
学年は流渡の三つ下で、専門分野は機械工学。あとは少々数学に明るいくらいか。
悠樹は自分の机から実験に使う道具を取り出し、次々と鞄の中に詰め込んでいた。
「こんにちは」
「あ、水月先輩はもう来てたんですか」
「授業をサボったから。録画してもらってるし何とかなるでしょ」
同じ時間に行われている二つの授業を履修するためのコツがこれだ。
授業風景を撮影してもらうためか、流渡には他学科の知り合いも多い。
「さすがですね」
「最近、早送りでも理解できるようになったし」
「それはまた……。えっと、他には誰も来ていない感じで?」
「出張が重なったみたい。博士はもう現地にいると思う」
柊機関において、博士といえば社長兼所長兼教授である柊大地のことを指す。
もちろん、機関内には博士号を持った職員も多数存在しているのだが、大地は在学中に取得していたために周囲からもてはやされ、自然と呼び名として定着したのであった。
「じゃあ俺らも向かいましょうか。施錠お願いします」
「了解。先に車で待ってて下さい」
パソコンの電源を切り、研究室に鍵をかけると流渡も車の助手席へと乗り込む。
実験を行う実験用のエリアまではおよそ二十キロの距離があった。万一事故が発生した場合の被害を最小限に抑えるためで、居住エリアとの間には農業エリアも広がっており、極力人が立ち入らない環境が街の基本機能として整えられていた。
そう、星戸市は都心から二百キロ離れた海上に浮かべられた人工の都市なのである。
街の中央に位置する学院連合を軸として三十年ほど前に設立され、近年、各国が熾烈な争いを繰り広げている科学技術の発展を目標に計画的な街づくりが行われた。
研究を円滑に進めるため、市内に適用される法律の一部を条例で変更可能とする制度も導入されている。安全に関わる各種制限が大幅に引き下げられたのは有名な話だ。
学校を出て市街地を抜けると、窓の外の景色は単調なものへと変化していく。
どこまでも田畑が広がり、彼方には都市を囲む巨大な壁がそびえていた。
それからさらに進むこと十分。二人は街の東端にある実験棟へと到着する。
野球ができるほどの面積を誇る研究施設。中には一人の青年が待ち構えていた。
「やっときたか」
彼は後ろ姿で二人を出迎えると、無駄に洗練された動作で振り返り完璧なポージングを決めてみせる。愛用の白衣を揺らし、堂々と自己を主張し続けるその姿は常に揺るぎない自信に満ち溢れ、見た者すべてを圧倒する輝きを放っていた。
最早、誰の目にも明らかであろう。彼こそが柊機関の創設者、柊大地である。
「世紀の大実験に遅刻するとは、二人とも少し自覚が足りないのではないかね?」
「予定の時間はまだ……。いえ、なんでもないです」
「まぁ博士のことだし。俺は早速準備してくるとしましょう」
「うむ。用意が出来たらすぐ知らせてくれたまえ」
「了解です」
「相変わらず気が早いですね。もう始めるんですか?」
「当然だ。善は急げというしな。さて、我々も作業に移ろうではないか」
「いいですけど。その準備のせいで僕は寝不足なんですよ」
こう聞くと如何にもギリギリまで作業が間に合わなかったかのような台詞ではあるが、実際はその逆であり、流渡は今回の実験を万全の体制で迎えていた。
ただ、求められた機能はあまりにも複雑であったし、普段は楽観的な意見しか言わない大地が珍しく慎重になっていたので絶対に失敗できない実験だと流渡は判断したのだ。
万が一の事態が起こらないようプログラムを何度も見直し、繰り返し試験を行うことで信頼性を向上させた。しかし、満足できる結果が得られた時には当日の朝になっていたというのが事の顛末である。
「それはすまなかったな。やはりその歳では徹夜はつらいか」
「誰が年寄りですか。僕は今年やっと成人を迎えるんですよ?」
「逆だ逆。成長期な君には長時間の睡眠が必要なのではないかと思ってな」
「むぅ……」
大地は至極真面目な顔をして流都を見下ろしていた。両者の身長差は約二十センチ。
プライバシーに関わる項目であるためあえて明言は避けるが、大地の身長は世の男性の平均からさほど外れていないとだけ言っておこう。
「中学生の頃からあんまり伸びてないんですよねー」
「ふむ。まぁそうだろうな」
「何か原因に心当たりでもあったり!?」
降ってわいた希望に、流渡は思わず大地の服を掴み引き寄せながら話を促す。
「おいおい。落ち着きたまえよ」
「あっ、すみません……」
「いやな? こういっては何だが、例の薬の副作用かもしれん」
大地がしれっと話したとんでもない発言を理解しきれず、流渡の思考が停止する。
例の薬に思い当たる節は全く無く、しかも自分はその影響下におかれているという。
まさか勝手に実験台にされていたのか? 流渡の脳裏に最悪の予想が駆け巡った。
確かにそのうち人体実験にまで手を染めるんじゃないかと危惧はしていた。
しかし、その対象が自分で、あろうことかすでに始まっていたとはさすがの流渡も想定していなかったのだろう。
流渡は半ば反射的に、そして本能的な危険をも感じて大地に詰め寄っていた。
服を掴んだままの手を前後させつつ、先ほどとは別の衝動に駆られて続きを促す。
「はー、かー、せー? 例の薬って何のことですか!?」
「まぁまて、今はそんなことよりもだ。実験の準備を始めてくれ」
「ねぇ? ねぇってば!」
「君の飲み物にちょっとな。ほら、実験の準備を頼む」
「ちょっとー! 僕なに飲んだんですか!」
「体に害はないから安心しろ。むしろプラスだ。さぁ、実験の準備を!」
必死に迫る流渡を前にしてこの反応、今日も大地は平常運転を続けていた。
身内からのまさかの裏切りで混乱の極みに達した流渡には到底勝ち目は無い。
ここは素直に指示に従っておき、後でじっくり問いただすのが正解であろう。
「はいはい、分かりましたよ」
流渡はしぶしぶと頷き、実験室の隣に設けられた観測室の制御装置を起動させた。
「準備といってもデータをコピーするだけですが」
「最新規格の転送速度で十分以上かかるという時点で疑問を抱きたまえよ」
「機能が機能ですし、仕方ないかと」
暗に仕事が多くて大変だったと訴えてみるも、当の大地はどこ吹く風だ。
「待つだけなのも暇だな。向こうの様子でも見に行くとしよう」
「そうですね」
流渡は脳内での抗議活動を早々に取りやめると大人しく大地の後に続いた。
観測室と実験室は重そうな二枚の扉で隔てられており、内部で核爆発が起きたとしても何の影響もない程度には安全性が確保されていた。
黙々と作業を進めていた悠樹に向け、大地が無遠慮に声をかける。
悠樹はちょうど細かい部分をいじっていたようだったが、集中力を乱された様子もなく極々自然に指先を動かしながら反応を示した。
「どうかね」
「いいタイミングですね。これで最後ですよ」
「素晴らしい」
実験室の片側に設置されていたのは縦横が二メートル、高さは三十センチ程の大きさのシンプルな直方体型の構造物であった。四隅には二メートル弱の細い柱が取り付けられており、全体としての印象は立方体のフレームに近い。
同様の装置が部屋の中央を挟んだ反対側にも置かれており、両者が同期して動くことで何らかの現象が発生するのだと予測できる。
底面を構成する正方形のステージ中央には操作用の端末――とはいっても、胸の辺りの高さにディスプレイとキーボードを置いただけ――が用意され、装置に直接命令を下せる仕組みになっていた。
最低限の機能のみを実装した無駄のない構成。しかし、装置の外観を目の当たりにした流渡が覚えたのは謎の違和感だった。しばし思考を巡らせ、やっとその原因に思い至った流渡は大地に疑問をぶつける。
「今回は随分とおとなしい見た目なんですね」
「さすがに、デザインに凝っていられるほど暇じゃなかったからな」
「その時点でかなりやばそうなんですけど……」
今までの実験では、機能とは全く関係のない外観にこだわるなど大地の態度には余裕を感じさせるものがあった。
これほど神経を使って調整しなければならない実験となれば、当然、その危険度も折り紙つきなのだろう。
「さすがに、失敗して地球ごと吹き飛んだらいやだろう」
「――実験は中止にしましょう」
「まぁまて、そんなに危険なものじゃない。空間転移の実験だと言っただろう?」
「えぇ、座標の計算がやたらと複雑でした」
「さっきは大げさに言ったが、実際、何が起こるかわからんからな」
「いつもそんな感じじゃないですか」
「非常事態の想定もしておかなければならん。といってもどうしようもないが」
「諦めるしかないですね」
大地と適当に会話しつつ、流渡は装置の端末を使って入念にチェックを行っていく。
さすがに地球ごと吹っ飛ぶということはないだろうが、この建物程度なら木っ端微塵になるかもしれない。
核にすら耐えられる強度があろうと安心はできなかった。最悪の場合、空間ごと物質を消し飛ばしてしまうのだから。
「組み立ては終わりました」
「お疲れ様です。んー、上手く繋がってますね。いつでもいけますよ」
悠樹が装置の組み立てを終え、流渡も動作確認の結果を報告する。
理論の開発者は大地であったが、具体的な作業は他二人に任せられていた。
適材適所。天才とうたわれた大地も実のところ万能ではない。
だが、自分にできないのならば誰かに任せればよいのだ。
幸いにも、大地は人を惹きつける天性の才能まであわせもっていた。
「よし、では始めるとしよう」
装置の上に適当な荷物を配置し、流渡たちは隣の観測室へと向かった。
二重構造になっている扉を閉めて実験室との通路を遮断する。
内部の様子は強化ガラス製の分厚い観測窓から確認できるようになっていた。
「それでは、実験を開始する」
大地の意気揚々とした宣言に従い、流渡が観測室から遠隔操作で指令を送った。
目の前には巨大なスクリーンが広がり、計測された様々な数値が踊り狂っていた。
「プログラムの起動を確認しました。今のところ問題ないですね」
「各部に取り付けた計測器からの情報も想定された範囲に収まっています」
「西側の装置から東側の装置へ転送を行います。データ取得、座標計算を開始」
先ほど悠樹が完成させた実験装置は単なる入出力デバイスに過ぎない。
物体転送に必要となる複雑な座標計算は観測室側で行う仕様になっていた。
現地の各種情報を取得して計算し、転送に必要となるデータを送り返す。
「――計算完了、データ送信。転送空間を展開します」
四隅の柱を結ぶように薄い光の膜が形成され、装置はまるで白いフィルムでピッタリと包み込まれてしまったかのごとく内外を分離していく。
物理的に壁ができたのではなく、立方体内部で発生した空間の歪みを抑えるための概念的なシールドを発生させているのである。
「現在の展開率は七十パーセント。八十……、九十……、完了しまし――!?」
「うわ!」
「なにっ!?」
スクリーンの中央に映し出されていたのは転送空間展開率の七文字。
結局、その横で静かに遷移していた数値が百へと届くことはなかった。
瞬間的には到達していたのかもしれない。
けれど、同時に部屋を満たした強烈な閃光のために、その真偽を確かめる機会は永遠に失われてしまった。
観測窓に仕込まれたシャッターが異常を察知して光の奔流をせき止める。
視力を取り戻した流渡たちの目に飛び込んできたのは、エラーコードで埋め尽くされた赤色のスクリーンだった。
「そんな……」
「何が起こったんだ」
「原因を調べろ!」
瞬時に状況を理解した大地が素早く指示を飛ばす。
流渡もすぐに我に返ると、すぐさま端末の操作を始めた。
「スクリーンの一部を実験室のカメラに切り替えます」
閉鎖された実験室の様子をうかがおうと、悠樹もカメラの出力先を繋ぎ替える。
適切な光量で撮影された実験室の内部では、球状の光が装置を包み込んでいた。
「エラーコード十三、接続障害です!」
「電源を落とせ!」
「すでにやってますよぅ」
「そんなバカな! 俺バッテリーとか組み込んだ覚えないですよ!?」
依然として白い光を映し出しているカメラの画像を見て悠樹が叫びをあげる。
「それどころか、転送空間が徐々に広がっているみたいです」
「……別次元からエネルギーが流れ込んでいるとしか思えん」
「でも、制御信号が途絶えたら自動終了するはずですよ!?」
「恐らく、火事か何かと同じ原理なのでしょう。火元を断ったところで燃え盛る炎までは消し去ることができないのです」
実験装置からの情報の取得画面。多重化され、高い信頼性を誇っていたはずの通信路がこうも簡単に機能を失ってしまった原因を流渡は静かに分析していた。
設計上、装置の基礎部分と転送空間の境界にはシールドを張るようになっている。
けれど、過剰なエネルギー供給によって転送空間が急膨張し、瞬間的にシールド外部の空間が歪んだのだとすれば通信ケーブルが切断されていてもおかしくはない。
また、実験室では可視光以外の電波も吹き荒れているのか、無線接続の信号はノイズが酷く目的の情報を読み取ることができなくなってしまっていた。
「はっはっは。地球滅亡が現実味を帯びてきたじゃないか」
「笑い事じゃないですってば! 先輩は非常時の対策してないんですか!?」
「ごめんね。転送空間が制御下にないと役に立たないんだよ。空間保護のシールド追従はしっかりと機能しているみたいなんだけ……ど……?」
自分の言葉で流渡は気づいた。正常に動いている機能もあるのだ。
もしかすると、失われたのは通信経路だけなのかもしれない。
流渡は装置に取り付けられた入力端末の存在を思い出していた。
エネルギーが多すぎるのなら使い切ってしまえばよい。
悠樹の話から察するに、通信障害によって装置は緊急停止している。
逆に言えば、装置を直接操作することで転送を再開できるはずだ。
「先輩!?」
「まて! 危険だ!」
その結論に至ったとき、流渡はすでに実験室への扉に手を掛けていた。
素早くロックを解除し、白く塗りつぶされた室内を勘を頼りに突き進んでいく。
転送空間の内部は、さながら台風の目のような静寂に満たされていた。
あれほど眩しかった光は嘘のように収まっており、文字通り現実から切り離された奇妙な空間がそこには広がっていた。
流渡は装置に取り付けられた画面を見て通信以外の機能の状態を確認する。
「良かった、大丈夫みたい」
遠隔操作を取りやめて緊急停止を解除し、直接入力で転送の再開命令を出す。
いきなり人間を転送させる事態になってしまったが、これも致し方ないことだろう。
転送が始まってしまえばシールドを通過することはできないのだ。
心配することはない。数秒後にはもう一つの装置の上に立っているはずだ。
流渡は目を閉じて静かに息を吐くと、入力端末に添えた指でキーを軽く叩いた。
「流渡! いますぐそこを――」
追いかけてきた大地の声を、流渡は最後まで聞き取ることができなかった。
全身を強い力で引かれているような、まるでどこかに落ちていくような感覚。
転移に伴う衝撃が予想外に大きく、流渡の意識はそこで途絶れてしまう。
ただ、薄れ行く意識の中で、悲しげに立ち尽くす大地の姿が見えた気がした。