プロローグ(1)
微睡みからゆっくりと意識を覚醒するように、そっとその記憶が私の中に落ちてきたのは高校入試を控えた冬の日の早朝のことでした。
どうやら私は女性向けゲームの世界に転生した前世持ちだったようです。
まじかぁー。そっかー。だからかぁー。なんて、妙に納得したのを覚えています。
だって、おかしいなって思いながら15年間生きていたんですもの。
平凡な私が極道の娘とか。地域からかなり慕われている極道があるとか。極道者が通う学園があるとか。ないない。ないわー。って常々思ってたんだもの。私の中の極道イメージと違いすぎますもん。
それでも、私の頭は容量オーバーだったみたいで、その日あった入試は散々で、第一志望の女子校は見事に落ちて、続く入試の第二志望の女子校も落ちて、滑り止めくらいの気持ちだった第三志望の公立校も落ちて、まさかの裏口入学しか余儀無くされたのは、今思い出しても涙無しには語れません。ううう…。
羽鳥 彩葉。それが今生での私の名前です。東で第二位の規模を誇る羽鳥組組長の娘ということ以外、ほぼ普通の15歳中学三年生です。
極道、というよりも二枚目俳優みたいな美丈夫の父と十代の頃はグラビアにも載ったダイナマイトボディの母をもった割に、あんまりパッとしない外見に育ってしまいました。可愛くないわけではないと思いますが、両親のような“特別な人間”みたいな輝きは受け継げませんでした。
学業方面も真ん中より少し上くらいのもんで、本当に家庭環境以外は至って普通の女の子です。
中学校の卒業式も無事に終わってしまい、今は春休みの午後を自室で優雅に引きこもり中です。
志望校全部に落ちて、裏口入学の予定という現実に全身全霊で打ち砕かれております。なんでなんだよぉー…。
受験勉強のために封印した漫画やアニメやドラマを片っ端から見て、途中でセーブしていたゲームをやったりで毎日を潰していますが、どうしても脳裏に浮かぶのは前世の記憶の断片たちです。
そうなのね。将来は歌手を目指していたのね。20代後半まで頑張ったけどメジャーデビューまでは至らずに、遅めの就職活動中に事故で死んだのね。夢半ばで挫折、再出発の決意をした矢先に若い命を散らすことになるなんて、なんて不幸な人生なんでしょうね。
そんな不幸な前世の私の唯一の心の癒しは素敵声の男性が愛を囁く女性向けゲームというやつで、なんの縁なのか、その一つの『桃の花』に転生してしまったらしいのは確かなことなんだと思います。
だって極道の娘って。極道が選り取り見取りの学園って…どこの漫画ですか?って感じじゃないですか。
『桃の花』。それは極道の子息たちが集まる桃ノ木学園でのラブロマンス。主人公が、急な親の転勤の都合で何も知らずに桃ノ木学園に入学してくるところから始まります。
入学してから何かがおかしいと気づき始めた主人公。それもそうですよね。特定の人物を中心に明らかな格差社会が確立しているんだから、そう思わない方がおかしいですよ。
見過ごされる暴力。対立する同級生たち。抑制力と扇動力を兼ね備えた生徒会役員たち。そこは、極道社会の縮図なのでした。
って、すごいですよね。どういうこと?極道社会の縮図って。ワロスワロス言われてしまいますよ。
まぁ、でもちょっと流行りましたもんね。某少年誌でマフィアになる中学生たちの話。確か、ゲームが発売されたのもそれくらいの時だった気がするし。制作側からしてみれば流行に乗った結果だったんですね。
そんなわけで、流行に踊らされてゲームを購入後プレイ。路上ライブで打ちのめされた日に、イケメンボイスに癒され元気付けられていました。
攻略対象は主に五人。生徒会役員の先輩二名と同級生一名。生徒執行部の一名と荒くれ者の同級生が一名。
隠れキャラに担任の先生がいます。
言わずもがな、みんな極道関係者たちです。
時に対立し、時に友情を育み、時に憎まれる。攻略対象者たちとの交流を経て卒業の三年生になった時にエンディングを迎えます。
エンディングは各キャラにノーマル、トゥルー、バッドの三種でそれぞれ死亡エンディングを含んでいます。
高校生という若い命が散るのはどんな世界観でも悲しいもので、涙無しには見れませんでしたよ。あぁー、またちょっとやりたいなぁー。
そんなとんでも世界観の他に、私が転生したことが確かだと思う最大の理由は身内の存在にあります。
「彩葉。おやつあるってよー」
ドアをノックも無しに開けたのは、双子の兄の羽鳥紅葉です。
母譲りの色素の薄い茶色の髪の毛に父譲りの二枚目俳優ばりに整った顔立ち。背はあまり高くないけどそこそこに鍛えられた痩身の身体。
彼は春から桃ノ木学園の入学と早くも生徒会への打診を受けています。
そうなんです。双子の兄が『桃の花』攻略対象の生徒会役員の同級生である羽鳥紅葉、まさにその人なんですよ。
最初にそのことに気づいてしまった時の衝撃と言ったら半端なくってですね、混乱のさなか紅葉を抱きしめて「行かないでー!」と泣き喚いたことは忘れて欲しい黒歴史です。
紅葉は私と違い、羽鳥組の若頭としての教育を幼少より受け、低身長痩身の身体からは想像できないほど喧嘩が強いんです。多分、地元で紅葉に喧嘩で勝てる同級生はいないだろうな。
それに頭もとってもいいです。学校では試験では常にトップの成績を保ち、スポーツも万能。
まぁ、組の相談役である蒲田弁護士が家庭教師についているためだと思いますが、それにしたって良すぎる気がしていました。毎日二時間程度の勉強をしただけで全教科満点を叩き出すのはおかしすぎでしょ。私なんて寝る間を惜しんでも学年30位が限界でしたもん。
頭脳明晰、スポーツ万能、喧嘩も強い、スーパー極道子息。なにそれ、コワ。
喧嘩なんて口喧嘩したことないし、勉強も並な私からしてみれば、双子とはいえ紅葉はまさしくチートキャラだと思っていました。
今思えば、ゲームの攻略対象者ならそれぐらいじゃないと魅力が足りないのかもしれないから納得してますけど。
「彩葉?」
じっと凝視している私を訝しんでか、紅葉が私の肩を叩いてきます。
「そんなに睨んでくるなよ。高校なんてたかが三年しかいないんだからさ。とりあえず、おやつにしよう?」
優しく響く声音はゲーム内での声優さんと同じ素敵声。脳の神経が痺れちゃいます。
極道、なんて設定はありますが、この15年間ずっと一緒だった紅葉が、私は誰よりも大好きなんです。
ゲーム設定に気付く前までは、唯一無二の半身だといつも思ってきました。
だからなんでしょうね。受け入れられないんですよ。紅葉が本当に桃ノ木学園に入学してしまうということが。
そんな現実に段々と視界が歪むのは、ここ最近の私が紅葉を見ると必ずと言っていいほど起こる現象なわけです。紅葉は、高校入試に失敗した私が情緒不安定になっていると思っているようで、今みたいに部屋に引き篭もっている私の様子を気にかけてくれます。
今も泣き出しそうな私の背中を、紅葉はポンポンと優しく叩いてくれます。慰めてくれてるんですね。本当、優しいお兄ちゃんですよ、紅葉は。
あぁ、本当に本当に本当に…
「紅葉ぃ…行かないで…」
ついつい口からポロっと出ちゃいました。後から恥ずかしくなる台詞。
でも、高校の入学式が近づくにつれて不安は大きくなる一方なんですもん。
入学後、紅葉に襲いかかる様々な出来事。ルートによっては流血ものだし、最悪………死んでしまうかもしれないのに。
うわぁぁぁああん!やだやだ!絶対に嫌だ!紅葉がいなくなるなんて、やっぱり絶対考えらんないです!
いずれは組を継いで、纏めていかなきゃならない紅葉だけど、二人で居る時は普通の優しいお兄ちゃんなんですよ。それなのに、どうしてよく分かんない極道もどきの子どもの抗争に巻き込まれて死ぬとか!あり得ないじゃないですか‼︎
今や完全に泣きはじめた私は、この大好きな兄をぎゅっと抱きしめます。痩身な紅葉は、細いけど骨っぽい男の子の身体で、鎖骨がぶつかってちょっと痛いけど構いません!
今この瞬間を忘れないように強く強く抱きしめます。
「大丈夫だよ、彩葉。彩葉だって楽しい高校生活になるよ。」
違うんだよ、紅葉。私は、紅葉のこれからを憂いているんです。
暫く泣いていましたが、数分もすると少しずつ落ち着いてきました。
目を腫らして見上げる私に、紅葉は優しく微笑みを与えてくれます。
身内ではありますが、胸がキュンキュンしちゃいます。
この微笑みが、あと数日後には主人公が独占するのかと思うと腸が煮えくりかえりそうです。
だからでしょうか。ついつい口からポロポロと続恥ずかしい台詞が出てきちゃいます。きっと、後で悶えるんだろうけど…まぁいっか。
「紅葉は私のことが好き?」
「うん、好きだよ。」
「じゃあ、私のお願いを一つだけ聞いてくれる?」
「どんなお願い?」
「あのね。」
続く言葉に紅葉も流石に目を見開きました。そして、明確に「それだけはない。」と口約してくれました。よかったよかった。
PC専用女性向けBLノベルゲーム『桃の花』。もちろん年齢指定はありありな内容で、所謂モザイク処理がちょっと緩めなメインスチルは、まぁ、ねぇ、ゲームだからいいけど、実際に身内がそうなるってなると…ねぇ?
だからね、紅葉。お願いだから、絶対に男性を好きになったりしないでね?
読んでくださってありがとうございます。
ゲーム転生ものが書きたいだけで始めてしまいました。不定期更新ですが、彩葉の恋の行方を一緒に見守ってください。