第六話 ノアの秘密①
カンカミールから一ヶ月が過ぎた。町の雰囲気も、季節の変わり目ということもあって、以前より落ち着いている印象を醸し出していた。
そんなランクリットの一角。とある店に四人の男女の姿があった。
職人のノアに、学生のカノンと店員のシズカ、そして水先案内人のリオ。四人は年が近いこともあって、いつの間にかとても仲良くなっていた。
そして今日、四人はある目的があって、ここに集まっていた。
テーブルの上にはたくさんの本が広がっている。以前リオが「観光案内人としてもっと知識をつけたい」ということを言っており、その要望に応えて、カノンから直々に知識を享受してもらっているのだった。
「それでね、シルクハッシュについては、三十年前に大規模なものが起こったけれど、当時は今ほど発生頻度も高くなくて、シルクハッシュに関する研究もあまり進んでなかったの」
三十年前の出来事は、今では一般常識だった。ノアたちは生まれてはいなかったが、まだシルクハッシュに対し慣れていなかった、当時の人々にはかなりの衝撃を与えた、とは伝えられている。カノンは続けた。
「それが近年の増加に伴い、研究も盛んになっていったわけ。大規模なものは三十年前を最後に起こってないけど、近いうちに国全体を覆ってしまうような超大規模シルクハッシュ発生もありうる、というのが今一番問題になっているところ」
カノンはそこで一息ついて、ページをめくる。
「でも一方で、問題なのは規模ではなく発生時間の長さだって主張している人もいる。今までの最長は四時間だけど、そういう人が言うには一週間ずっと晴れなくてもおかしくないだって。もしそういうことが起これば、その地域の被害は今までとは比べ物にならないくらいに大きいものになる。なんたって、一週間ずっと身動きが取れなくなるからね。でも、大多数の専門家はそんなことはありえない、長くても四時間程度だ、だから心配する必要はないって意見だけど」
カノンはリオの方を見て、最後に言った。
「以上。それでほかに聞きたいことは?」
「あなた、詳しいんだね~。びっくりしちゃった」
リオは感心したように、カノンに尋ねた。
「シルクハッシュはいま私が研究会で調べている題材なの」
カノンは本を整理しながら、答えた。彼女がカンカミールで発表していた内容も、これに関連したものだった。
「そうそう、言い忘れてた。シルクハッシュで一番気を付けないといけないのは、今の技術でシルクハッシュの発生の予測はできるけど、止めることはできない、ということ。大事だから覚えててね」
カノンは付け加えるように言った。
「では、質問がないなら、次はクロスセピアの歴史についてお勉強しましょうか」
リオの意に反して、授業は続いた。
しばらくして、カノンは口を止める。
「あれ?ど忘れしちゃった」
カノンは必死に思い出そうとして、困った顔をする。それでもどうしても思い出せなかったらしく、落ち込んだように言った。
「まあ、いいや。じゃあ今日はここで終わりにする。あとで学院の図書館で調べておくね。あの本分厚くって、ここに持ってこれないの。ごめんね」
「いいよ、別に」
リオは嬉しそうに言った。隣で待っていたノアとシズカも、授業が終わったのを確認すると、席を移動し、四人同じテーブルに座った。
「じゃあ、おやつにしよっか!」
シズカがおもむろにそう言うと、店の奥からお菓子を四人分とってきた。各々出されたお菓子を、手に取る。一番最初に口にしたのはカノンだった。
「んー。やっぱりおいしいね。ここのお菓子」
黙々とほおばるカノン。途中でリオが思い出したように切り出した。
「そうだ。お父さんから聞いたことなんだけど、今度、何とかって言う行事で、お城の庭が一般公開されるらしいんだって~。四人で行かない?もちろん私の舟で!」
リオは観光案内人の知識を生かして嬉しかったのか、胸を張って答える。すると、
「お城かぁ。王様に会えたりしないかな」
シズカがきらきらとした表情で、漏らした。
「会えるわけないでしょ」
そのシズカの問いに、カノンが冷静に答える。
「それはそうだけど、夢がないな、カノンちゃんは。カノンちゃんは直接見てみたいと思わないの?病気で急死した先代の王様に変わって王位についた、史上最年少の王様。かなりのイケメンじゃない」
「私は別に興味ありません」
「意地っ張りめ」
お城や王様に関する話で盛り上がる三人の横で、一人だけ暗い表情をする少年がいた。
「俺、ちょっとやめとく。行くなら三人で行ってきて」
珍しくノアが乗り気ではなかったのだ。
「どうして?」
「行こうよ、ノアくん」
すぐさま二人の声が返ってくる。それでも表情を曇らせたままのノアを見て、いつもと何か違うという空気を感じとる。カノンが尋ねてきた。
「もしかして、お金のこと?入場料とか舟代とか」
「いや、別にそういう訳じゃ……」
シズカもリオも、心配そうな顔で、ノアを覗き込んでいた。そういう三人を見ていると、だんだんと申し訳ない気持ちになってくる。何とか嘘でもいいから、この場をしのぐための理由を、と必死に考えたが、結局何も浮かばなかった。そんな時に再びカノンと目が合う。
「でも……そうだな。庭までなら別にいいか。たぶん大丈夫……」
ノアは独り言のように呟き、自分に言い聞かせた。
「何か言った?」
「いや、何でもない。わかった、俺も行くよ。さっきのは気にしなくていいから」
「よっし。そうと決まったら、さっそく予定を組みましょー」
リオは急に活気づいて、みんなの予定が合う日を調整し始めた。一方で、カノンやシズカは、心配そうな顔をしたまま、時々ノアの方に目をやっていた。けれども、二人はそれ以上声をかけることはしなかった。ノアもその視線には気づいていたが、あえて触れなかった。
こうして釈然としないまま、四人は城にいくことになった。
◇◇◇
自分の店に戻ったノアは、浮かない顔をして店を開いた。
「ふう。怪しまれたかな」
一人で店を構えた日から、正確にはそうせざるを得ない状況に追い込まれたあの日から、いつかは、とは思っていたが、いざその時が訪れると意外と勇気が出なかった。しばらく店番をしながら、ノアは考え込んでいた。
遠くの方から聞こえてくる軽い足音でノアは現実に戻る。目の前に現れたのは、以前の双子だった。
「ねえ、これ作って」
一人が画用紙に描いた絵を手渡してくる。ノアはそれに目をやったが、大雑把だなと思ってしまった。子供ということを考えれば、妥当かもしれないが、今までカノンのきれいな絵を見ていたため、なおさらそう感じたのかもしれない。
「ごめんね。オーダーメイドでは作ってないんだ」
ノアは一応、建前上の理由をつけて断った。二人は残念そうな表情を見せた。
「ほら、シン。やっぱり駄目だって」
「えー。でも、制服着たお姉ちゃんが頼んだときは作ってあげてたよ」
カノンのことだった。シンは、僕は知ってるぞ、という目つきでノアをにらみつけた。その場面を見られていたのなら、さっきの言い訳は通用しない。ノアも仕方がないと話を聞くことにした。
「わかった、とりあえず事情だけでも聞こう」
「プレゼントにするの」
ランの方が答えた。
「おい、ラン。言うなよ」
シンがランを咎める。けれどもランは動じない。結局、弟の妨害もあって、それ以上の情報は得られなかった。どうしようかとノアは悩んだが、他人に話せないらしい事情を抱えている点に、何だか共感を覚えて、引き受けることにした。
「わかった。できるかわからないけど、やってみるよ」
ノアは双子から画用紙を受け取り、じっと眺めた。
その後、店の奥から雲のかたまりを取り出すと、紋章術を発動させた。一応、画用紙に書いてある絵を少しスッキリさせたようなものをイメージしたつもりだった。けれども、両手を開き、できたものをみると、歪な形をしていた。
「下手だな」
「おい!これはしょうがないだろ!」
ノアは思わず言い返す。
「とりあえず、すぐには無理だ。色々やってみるから、また今度ここにきてよ」
「わかった。帰ろう、ラン」
「うん」
二人は嬉しそうな顔をしながら、店を後にした。
◇◇◇
「ということでカノン。お願い!この乱雑な絵を解読して書き直してくれないか?」
試行錯誤した結果、ノア一人ではどうすることもできず、結局、次の日にノアの店を訪れたカノンに、助けを求めることになった。カノンは画用紙を手に取る。
「これって何?子供の落書きみたい」
「そんなもんだ」
ノアは苦笑いをした。カノンは画用紙に書かれた絵を眺めた。疑問顔の晴れないカノンにノアはことの事情を話す。
「なるほどね」
カノンは理解してくれた。けれども難しそうな顔を崩さなかった。
「残念だけど、これは本人と話さないと私も書き直せない」
「やっぱりそうか」
ノアも落胆する。結局双子の依頼は果たせなかった。
「でも、これどこかで見たことある気がするんだよね」
その時、カノンが呟いた。
「本当?何とか思い出せない?」
「ちょっと待ってね」
カノンは手に持った画用紙をひっくり返してみたり、太陽にすかしてみたり、角度を変えてみたりして、何とか思い出そうとしていた。
しばらくして声を上げる。
「あ、わかったかも。これってもしかして観光案内人じゃない?これ帽子っぽいし、これがオール、これが川みたいじゃない?舟の中で座りながら、見上げるように案内人を眺めるとこんな感じに映ると思う」
「言われてみると、なんとなくわかる。でも、なんで?」
ノアは疑問に思った。なぜあの二人が観光案内人の絵を描いたのか。
「そんなの、わからない。でも、誰かへのプレゼントって言ってたんでしょ。きっと写真を見ながら書いたか、記憶を頼りに描いたんじゃないかな。そして、それをペンダントか何かにしてあげようと思ってたと思う」
「なるほど」
絵が観光案内人を表しているとわかると、さっそくカノンは全体像を壊さないように書き直してくれた。ノアは出来上がったそれを見ながら、紋章術でペンダントを作る。そして、満足がいくものができると、出来上がったものを大事にしまって双子が来るのを待ったのだった。
◇◇◇
――後日
双子がノアの店にやってきた。
「ほら、できたよ」
ノアはペンダントを取り出して、画用紙と一緒に返す。
「わあ、すごい!やればできるじゃん」
「そりゃ、どうも」
シンは嬉しそうにペンダントを抱える。一方で、ランの方は何やらポケットを探っていた。そして、ランがポケットから出してきたのは、お金だった。
「これで、足りる?」
ランは心配そうに聞いてきた。その眼はちらちらとペンダントを見ている。商品の予想以上の出来に、値段が高くつくのではないかと思っているらしかった。
「大丈夫だよ。お金はいらない。初回無料サービスだ」
「本当?」
半信半疑のラン。ノアは出されたお金を手に取ると、ランの手に押し返した。
「おう、大事にとっとけ」
二人はそのまま丁寧に頭を下げると、ペンダントを大事に抱えて帰って行った。
「ありがとう、兄ちゃん」
去り際に、シンが叫んだ。ノアは嬉しくなった。