第十四話 学院の便利屋さん②
時は過ぎて翌日の昼休み。
講義を終えたばかりのカノンとモニカは、いつものように第二講義室を出る生徒の流れに揉まれながら廊下へと繰り出した。そこから生徒の流れは二分割される。学院図書館や中央広場のある左方向と、正門や学生食堂のある右方向である。彼女たちはというと右方向へと足を向けて歩き出した。その目的地は『学生食堂』である。
「もんもん、もんもーん。ねえ、カノン。お腹すかない?」
「そりゃあ、お昼時だもの。お腹はすきますよー。ってか、その変な擬音は何?」
「私はね、お腹が空いたらお腹がもんもん鳴くのです」
「なにそれ、初めて聞いた」
「だって、いま考えたんだもーん」
その後もモニカはもんもん言いながらカノンの前を歩いていくのだった。
二人が向かっているのは、学生食堂……ではなく、その付近に出没すると言われる『学院の便利屋さん』の所である。といっても、実際に見つけることができるかどうかは、わからないのであったのだが。
二人が学生食堂前についた頃には、そこには食事をとる学生たちで既に溢れ返っていた。
「来てみたは良いけれど、この中から顔も知らない一人を見つけるのはやっぱり難しいと思う」
「もんもん、確かに。ちょっと待っててね」
「痛っ!もう、急に立ち止まらないでよ!ってモニカ、どこ行くの?」
モニカは何かを思い付いたように急に歩みを止めると、方向転換をして違う方向へとまた歩き出したのだった。お陰でカノンは彼女の背中に、どすん、とぶつかった上に近くを歩いていた別の生徒にも接触してしまった。カノンは、ごめんなさい、とその生徒に一言告げると、モニカと同じ方向に歩き出す。
モニカが向かったのは、学生食堂の入り口に立っている二本の大きな柱の片方だった。彼女は人混みを避けながら柱の下の、段になっている部分に足をかけると、ひょいっと体を持ち上げた。モニカは頭一つ分だけ高くなった視界から、もう一度辺りを見渡し始める。
「どう?見つかりそう?」
「全然わかんなーい。やっぱり、そういう変に頭がいい人って、奇抜な風貌をしているのものなのかな?」
「知らない。とりあえず目ぼしい人はいない?」
「うーん。あっ!もしかしたら、あれかも知れない」
モニカが見つけたのはもう一つの柱にいる、彼女と同じように頭一つ分だけ高い生徒だった。
確証はなかったものの、彼女はカノンを連れて反対側の柱まで歩いて行ってみることにした。カノンは思い付いたように動くモニカに振り回され、ぶつかる生徒に謝り倒しながらも、なんとかその場所までたどり着く。
「ど……どこにいるの?その人」
「多分あれ。っていうか、何かいっぱい人が集まってるから絶対あの人だよ」
モニカが指差した先に見えたのは、カノンが想像した眼鏡をかけたガリ勉くんでもなければ、モニカが想像した奇抜な風貌な人物でもなかった。
そこに見えたのは、ウェーブがかった長い髪を持つ、可憐な少女だった。
「あの女の人?『学院の便利屋さん』って女の人だったんだ」
「私もちょっと意外かも。普通の外見の人で」
二人ともその姿をはっきりと確認してから少なからず驚いていた。
二人は様子を見て、その女の子に近づくと、今度は何とか接触を試みようとした。しかし今はちょうどお昼時。人が多すぎてなかなか前には進めなかった。そんな二人の存在に気づいたのか、モニカがその人と目につけた少女は話をしていた生徒に紙のようなものを手渡したあと、二人の方に視線を向け頭を軽く下げたたのだった。
「何かご用ですか?」
「あの……『学院の便利屋さん』って、あなたのことで合ってますか?」
「ええ。確かにその呼称が指し示す人物は、私パトリシア・クラウドですよ。それで今日はどんな御用ですか?」
パトリシアと名乗った少女は柔らかい口調でそう応対した。
突然始まった会話に、しどろもどろになって、言葉に詰まる二人に対し、パトリシアはにっこりと微笑むと再び話を繋いだ。
「私の記憶違いでなければ、二人は初めてのお客ですよね?大丈夫、一年生でも歓迎しますよ。もちろん、仕事分の料金は貰いますけど。依頼は?やっぱりカンニング?」
「いえ……私は紋章術を教えてもらいに来たんです。パトリシアさんは上手だって聞いたので」
モニカが何もしゃべらなくなったのを確認すると、代わりにカノンがそう口にした。それを聞いたパトリシアは驚くでもなくすぐに返事をした。
「それは紋章術の単位を取りたいっていう意味で良いのかな?だとしたら、心配いらないと思いますよ。パパはああ見えて女の子には甘いから。少し媚びれば、何とかなるよ。上位を目指したいっていうなら、話は別だけれど」
「いや、そういうことではないんです。私はただ純粋に技術を磨きたいんです。……っていうか、パパ?いまパパって言いましたか?」
「ええ。パパは父親を表す呼称ですよ。知りませんでしたか?紋章術の講義を担当しているクラウド先生と私は親子なんですよ」
パトリシアは隠すふうでもなく言った。
それを聞いて再び驚いているカノンたちを目の前に、パトリシアは機嫌が良さそうににっこりと笑った。
「話を戻しますが、どうやら私は誤解していたようです。あなたは成績に関係なく紋章術の腕をあげることを望まれているようですね」
「はい。やはりそういう依頼はダメ……でしょうか?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。けれども、タダでというわけにもいきませんが」
「そう……ですよね……」
カノンは語尾を弱くして言った。
もしかしたら、お金はかからないかいも知れない、と淡い期待を抱いていたからだ。商売行為は禁止としている校則もある手前、カノン自身がそれを破るようなことをするのは気が引けるのだ。けれども、紋章術初心者のカノンに対しても、無下に断らずに教えてくれる姿勢を示しているだけ良心的だとも言えた。
「あは。大丈夫。お金は多少かかりますけど、パパじゃなくて私を選んだことは賢い選択ですよ。私たち親子はいわゆる『トンビがタカを生む』という状態で、紋章術に関しては、パパより私の方が遥かに長けてますから」
迷いを見せるカノンに対し、パトリシアは自慢げに話した。
しかし、それは彼女を頼もしく見せる情報でもあった反面、料金が高くつくのではないかという新たな不安も生み出していた。
カノンは恐る恐る口にする。
「あの……具体的にはいくらぐらいになりますか?」
「そうですね。といっても、こういう依頼は初めてなので料金設定はまだしていないというのが正直なところです。どの程度のスキルを身に付けるかにもよりますし……。参考に聞きたいのですが、あなたは紋章術でどのようなことができれば満足ですか?」
カノンは迷って言葉に詰まった。
紋章術で何をしたいかわからない、というのがいまの彼女の正直な答えだった。けれども一つだけはっきり言えることは、彼女が紋章術に興味をもったのは、ノアに影響を受けて、彼みたいに自在に紋章術を使ってみたいと思ったからだった。つまり、誰を目指しているかは彼女の中にはあったのだ。
だから、カノンは彼の腕前を指し示す指標、右手首につけた、ノアからのプレゼントであるブレスレットを見せて告げた。
「このブレスレットを作れるくらいに上達したいです」
するとパトリシアは、興味深そうにそれをじっと眺め始めた。
カノンが腕からそれを外して手渡すと、彼女は嬉しそうにし、何かを確かめるようにくまなくブレスレットを調べ始めた。
しばらくの沈黙のあと、パトリシアは告げた。
「わからないなあ、これを紋章術で作りたいだなんて。紋章術に慣れてる私でも、これをつくるには一時間はかかるでしょう。つまり、色や形や大きさを調べるのに三十分、そしてそれらを入力した紋章術のプログラムを組むのに三十分。それなら、紋章術を使わずに普通に手作業で作るのと時間はさほど変わらないと思います」
「一時間……?」
カノンは彼女の言葉を聞いて、驚きを隠せないでいた。
なぜなら、パトリシアが作るのに一時間かかると言った代物を、ノアは十秒で作っていたのだから。しかも、その原型となるデザインはカノンが考えていた。つまり、ノアはブレスレットを作る直前まで、どういうものを作るのか知らなかったはずなのだ。
「嘘ですよ。これは知り合いの紋章術師が私の描いた絵を見て十秒で作っていたんですよ?一時間もかかるはずがありません」
それを聞いたパトリシアは少し驚いた表情をみせたものの、カノンの話を否定するでもなく返した。
「誤解の無いように言っておくと、紋章術師には二種類いるんです。私やパパを含む多くの紋章術師がそうであるように、きちんと紋章術のプログラムを書き起こしてから実行する理論派タイプの人と、非常に稀ではありますが、それらを全て頭の中だけで、しかも半分無意識でやってしまうひらめきタイプの人の二種類です。あなたの知り合いはおそらく後者なのでしょう。だから、私が先程のべた手順をすっ飛ばしって、十秒で作るのも可能かもしれません。けれども、私には到底無理ですし、おそらく、あなたにも無理でしょう」
無理、という言葉を聞いて落胆したように肩をおとしたカノンは、そこで改めて自分とノアが違いすぎることを実感した。年齢は近くても、地位や技術や仕事が全く異なる。初めて路地裏であったあの日から、カノンの中ではノアがどんどん離れていくような気がしているのだった。
そして、その事が彼女にとっては悲しいことのように思えたが、なぜそう思うのかこのときの彼女には説明できなかった。
「でも、『困ってる人、力になります』……そういう謳い文句を掲げておいて、無理と一蹴するのはいささか情に欠けるような気がしますね。どうしましょうか?紋章術の講義では扱わない応用手法を習得することを目標に設定し直せば、可能な範囲かもしれません」
「いいえ、また考えて出直してきます。無理な注文をした私の方が悪いんです、手間をとらせてしまって、すみませんでした。……頑張ってもノアくんと同じにはなれないことは最初からわかっていたんですから……」
カノンはトーンを落としながら謝った。
そんな彼女を見て、パトリシアは声色を変えて言った。
「そうですか……ところで、話は変わりますけど、私、一度その方にお会いしたいのですけれど。紹介してもらえます?もしかしたら知っている人かもしれませんし、そうでなくとも同業者としてぜひとも仲良くしておきたいんです 」
「はい、もちろん。ノアくんなら学院を出て……」
そこまでカノンが説明すると、今まで二人のやり取りを見ていたモニカが、何かを思い出したように割って入って会話を中断させた。
「だめだめ!だめだよカノン、そういう情報を簡単に教えたら」
「どうして?別に誰も困らないでしょ?」
「私が困る。私良いこと思いついちゃったんだから」
カノンは怪訝そうな顔を見せていたが、モニカは今度はパトリシアに対し、話を始める。
「ここで取り引きをしましょう。パトリシアさんは数字では表せないお金というのがあるのを、ご存知ですか?つまりですね、情報にも価値があるんです。ノアくんを紹介する代わりに、紹介料としてそれに見合ったお礼をしていただけたら、嬉しいなあということなんですけど」
そう言ってモニカは右手の指でお金を表す輪っかをつくって見せた。
「ちょっと、モニカ。どこで覚えてきたか知らないけど、やめようよ。私たちはそういう交渉をできる立場にいないと思うんだけど」
「えー、いいじゃん。カノンは頭が固いんだっから」
カノンはその話を聞くや否や、モニカを止めに入った。モニカもぐずる。けれども、パトリシアは怒るどころか、逆に笑い始めたのだった。そして、彼女は最初からそうなることがまるで予定調和で決まっていたかのように、自然に口にしたのだった。
「あはは、おもしろいですね。確かに彼女のいう通りです。これでは私が得するだけですね。だったら、私はそのお礼として、お二人に対する紋章術の講義を提案させて頂きます。これでどうでしょう?」
「……本当にいいんですか?」
「そちらが合意してくださるならば。私の方は異論はありません」
せっかくのチャンス、カノンにも断る理由はなかった。
「あ……はい。こちらこそ、よろしくお願いします!」
カノンは深々と頭を下げる。ついでに隣にいたモニカの頭も鷲掴みにして一緒に下げた。モニカは、えっ、というような声をあげていたが素直に従った。
そんなこんなで事態は丸く収まったものの時計を確認すると、結構な時間が過ぎていた。
「少々長話し過ぎましたね。もうすぐ昼休みが終わりそうです。今日の放課後が空いてるようでしたら、その時にでも話の続きを致しましょう」
「はい、今日の放課後で私は構いません」
「なら、今日の放課後にこの場所でまた会いましょう」
そう告げると、パトリシアは廊下を歩く生徒の中に紛れて姿を消したのだった。
残されたカノンは人目を気にせず嬉しそうに跳び跳ねると、モニカに抱きついた。けれどもモニカはあまり嬉しそうな顔をしていなかった。それもそのはず、彼女はお腹に手を当てていたから。その行為が意味することは一つだった。
「もんもん……。カノンってばもうすぐ昼休みが終わりそうだよ。私はお腹がすいてるって言ったのにぃ……」
モニカは時計を確認して、残念そうにそう呟いた。