第十三話 学院の便利屋さん①
ランクリットはクロスセピアの中枢都市である。
その景観は他の都市と比べても特殊で、なんと言っても都市中に水路がひかれている。これがクロスセピアが『水の都』という名を冠する理由であり、自然の力を利用し環境に負荷をかけない古き良き町並みであった。
例えば、城へと繋がるメインの中心水路の至るところから、横にのびて町の奥まで張り巡らされる小水路の一つを舟に乗ってしばらく進む。すると、見えてくるのは『リリックス・カフェ』という看板の掛かった、小洒落た小さなお店である。そこはリリックス家というクロスセピアではごく一般的な部類に入る家庭の経営している店である。店主は母親で、一人娘がお手伝いとして働いていた。客層は近所の人からランクリットを訪れた観光客まで様々。ただ、店の前の道路を通学路として使用する学生も多く、その人たちのお陰で売り上げはそこそこと言ったところである。
そんなリリックス・カフェで最近あることを始めた。
それはアクセサリーなどの小物販売である。
カフェの横の道に入り、ワンブロック歩いた場所にある比較的広い道で、ノアという男の子が開いている露店商があった。そこの商人と契約して小物を置かせて貰っているのだ。
「いらっしゃいませ。午後のブレイクタイムを過ごしながら商品を眺めてはいかがでしょうか?きっとお似合いの小物が見つかると思いますよ」
「じゃあ、身に付けるだけで恋愛運がアップするようなものってありますか?」
「すみません。あいにく、そういうまじない的なことは専門外なもので……」
ノアは店を訪れた若い女性客に向かって、残念そうにそう告げると、彼女は可笑しそうに、ふふっ、と笑みを溢した。
その若い女性客とはモニカのことである。
彼女は店の前の道を通学路として利用するラフォード学院の生徒の一人であり、ノアの友達、ひいてはカノンの大親友でもある。
「ふう。平日の午後のひと時を紅茶を片手に静かな店内で過ごす。やっぱり余裕を持つって言うのは大事だね。そう思わない?」
彼女は手元に用意された紅茶を一口すすると、しみじみとそう言った。
ノアにはその言葉を放った彼女の真意はわからなかったが、誰のことを頭に思い描きながら言ったのかは予想がついた。
「もしかして、カノンのことを言ってるの?」
「そうだよ。朝から夕方までの講義を全部とってるなんて信じられないことしてるんだよカノンってば。研究会の方にも熱心みたいだし。頑張り屋さんだ」
「おまけに俺の商品のデザインは全部彼女が考えてくれてる。頑張り屋さん過ぎて俺も頭が上がらないよ」
ノアはモニカに便乗するように言った。
実際それは誇張などではなく、事実として正しいことだった。モニカも首を縦に動かして肯定する動作をして見せた。
「うんうん。確かに、カノンがいなければノアくんの今の生活はなかっただろうね。ノアくんの考えたデザインは世間離してるっていうか、迷走しているっていうか……」
「素直にダサいって言ってくれて良いよ!事実なんだから」
ノアはその顔に苦笑いを浮かべながら自虐した。
彼女の言う通りだった。ノアは小物を作るその技術はピカイチなのだが、デザインのセンスがどうしようもないくらいに絶望的にダメダメなのだ。
しかし、なぜそんなことになっているのかというと、それにもちゃんとした理由がある。もちろん天性のものも多少はあるだろうが、他に原因をあげるとすれば、それは、ランクリットの中心にそびえ立つ立派なお城の中で、小さい頃から世間離した教育を受けさせられていた点にある。
詰まるところ彼は全く庶民などではなかった。彼の身分は第二王子。現国王の弟なのである。
そんなノアの秘密を知っているのは、カノンにシズカ、そして観光案内人のリオの三人だけ。それ以外の人(今ノアの目の前に座っている彼女も含めて)には今でもトップシークレットな事実だった。
「ねえ、ノアくん。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
そんな折、突然、モニカがそう口を開いた。その時はノアは斜に構えること無く返事をしたが、次に彼女の口から発せられた言葉を聞いた途端に、言葉に詰まることになった。
「実際のところ、いくらくらい儲かってるの?」
ティーカップが、カタン、と音を立てる。モニカの目は好奇の色に染まっていた。
「い、言わなきゃダメ?まあ、別に隠すようなことでもないんだけれど……」
「遠慮せずに!」
「わかったよ。じゃあ、窓の外を見て」
ノアは自分が一日に儲ける額をモニカに説明するのに、彼女の視線を店内入り口側の窓の外へと誘導した。ちょうどその時、観光案内人と観光客を三人ほど乗せた小型の舟が、店の前の水路を横切るところだった。
「ああいう舟に乗って一日中ランクリットの町中を散策することで得られる対価、それがいまの俺が一日に稼ぐ金額だよ」
「わかりにくいよー。要するに舟と観光案内人を一日中レンタルするのにかかる費用分ってこと?」
「ちょっと違う。かかる費用じゃなくて、それによって得られる対価、ね。お金じゃないんだよ。数字では表せない。そんなものを俺は客からもらってるんだ」
「数字では表せない……ねえ」
納得がいったような、いかないような、そんな複雑な表情を浮かべながらモニカは頷いた。
「なんか話をずらそうとしてない?」
「そうかな?」
ご愛嬌ということでこの場ではモニカには納得してもらうしかなかった。
実際にはカノンに対するデザイン料や露店商の場所代を差し引くと、ギリギリの生活をしてほんの少しだけ貯金ができるレベルだった。売り上げを今ここで公表してしまえば、その話は目の前の彼女からそのうちカノンへと伝わり、カノンから「私はタダ働きで良いから。好きでやってるんだもの」などと言われるに決まっていた。しかし、ノアにはそんなことはできなかったし、それは彼が望んでいる展開でもなかったのだ。
「あ、今の話カノンには内緒ね。その代わりこれあげるから。俺の新作」
「うん、わかった」
ノアは念のために付け加えておく。察しの良いカノンのことだ、先程の話だけでノアの売り上げがどれ程のものかを言い当ててしまう可能性は十分にあった。
モニカに口止め料としてあげたのは、ノアのデザインしたアクセサリーだった。
「やっぱり、センスないね。でもありがたくもらっておく」
彼女はそれを受けとると笑いながら言った。デザインセンスもここまで来たらもはやひとつのアイデンティティである。それを理解してくれる彼女もまたカノンと同じくらいにノアにとっては必要な存在であった。
ちょうどその時、店のドアがけたたましく音を立てて開いた。
「あ!やっぱりここにいた!」
「カノン?そんなに慌ててどうしたの?」
噂をすれば何とやら、カノンのご登場である。しかし今日はいつもと様子が違う。
突然のカノンの訪問に素っ頓狂な声をあげたのはモニカはだった。
「どうしたの、じゃないでしょ。何こんな所でのんびりしてるの?あなたのレポートを手伝う約束だったでしょ?早く終わらせましょ」
「えっ?今から?」
「早めに終わらせる癖をつけておかないと、締め切り前に慌てることになるでしょ」
それを聞いてモニカの気持ちが急激にブルーになっていくのを、近くにいたノアは感じ取っていた。
「カノンってば、余裕を持つって大事なことだよ……」
最後に放ったモニカのその言葉は、先程と違ってひどく説得力に欠けるようにノアには思えたのだった。
◇◇◇
リリックス・カフェを出る。
店の前を横切る道を真っ直ぐに進んで、右に曲がったところ。ちょうどそこから目に入る広大な立派な建物群が、クロスセピアの最高学府、ラフォード学院である。
モニカとカノンの二人は、正課の授業を終えた学生たちが学院から出てくる流れと逆行して、本日二回目となる登校を果たすと、学院図書館へと直行した。
「ねえ、カノン。明日で良いんじゃないかな?」
「何か用事があるのかしら?」
「いや、ないけど。気分的にのらないっていうか」
「一時間で終わらせるから、ね?がんばろー」
カノンは陽気な声でモニカを励ました。そう言われると彼女も頑張るしかなかった。
ラフォード学院は水路が張り巡らされたランクリットの中に位置しているのだが、学院の中には一つも水路が通っていない。そのせいか、校門から一歩でも中へ入ると、そこを支配する独特な雰囲気に最初は誰もが驚く。
最高学府というだけあって、学生はみな優秀で、特に一部の学生は化け物じみた頭の良さを誇っていた。そんな彼らが放つオーラも学院の独特な雰囲気に寄与している違いなかった。
立派な最高学府、憧れの最高学府。
そんな肩書きにモニカは魅入られて入学を決意したものの、一年弱という長い期間通っているうちに少しだけ居心地の悪さを感じ始めているのも、また事実だった。
けれども、その事実をモニカは誰にも打ち明けられず、密かに胸に隠し続けていた。そういうこともあって彼女は無意識に学院から足を遠ざけているのかも知れなかった。
「というか、カノンがそこまで授業をつめてなければ、もっと早く始められるのに。『植物学』とか言ったっけ?今日あった最後の授業は。必要ある?」
「確かに卒業するのに必要となる科目ではないよ。『植物学』は私が興味があるからとってるだけ。上空に浮かぶクロスセピアには他では見られない独特な植生分布が見られるの。クロスセピアの住人として知っておきたいと思わない?」
「残念ながら、私は思わなーい」
モニカは軽い口調で返すと、カノンは少しだけ残念そうな顔をした。
すると、カノンは何を思ったのか、持っていた鞄を開けると中から教科書を一つ取り出した。
「じゃあ、これは?『紋章術』」
「単位取得が一番難しいって言われてる科目じゃん。必修でもないし」
「でも、興味はあるでしょ?」
「まあね。もしかしてカノン、この授業も取ってるの?」
「もちろん。ノアくんを見てたら私もやってみたくなっちゃって。今年から取ってる」
やめときなよ、と一瞬言いかけてモニカは口をつぐんだ。
そんなことを言っても彼女の意思が変わることがないのはわかっていたし、なにより自分より優秀な頭を持つカノンが、やれる、と判断したのだ。心配はできても止める権利はなかった。代わりに彼女の口を突いて出たのは別の言葉だった。
「難しいっていうのもあるけど、私は紋章術の担当の先生の、お前らこんな簡単なこともできないのかよ、とでも言いたげなあの態度が気に入らないんだよね」
「確かに。それは私も否定しないよ。実際先生もそう思ってるだろうし。紋章術は向き不向きがはっきり分かれる分野だって言うし、できる人にとってはそう見えるのかもしれないね」
「できる人……ね」
モニカは、うらやましい、と心の中で呟いた。
そして彼女はあることを思い出した。
「あっ、そうだ。その話で思い出したんだけど、ラフォード学院にもノアくんみたいに、恐ろしく紋章術ができる先輩がいるらしいんだよね。カノンは知ってる?『学院の便利屋さん』って人」
さあ?と首をかしげるカノンに対してモニカはチラシのようなものを取り出して見せた。
そのチラシの薄汚れた紙面上には『困ってる人、力になります』の文字が表記されており、丁寧に依頼内容と対応する値段まで書かれてあった。
「この人、紋章術でできることなら何でも請け負ってくれるんだって噂だよ。鉛筆削りからそれこそカンニングまで何でも」
「カンニングって……。そもそも学院内での商売行為は禁止だったはずでしょ?バレたら停学なんじゃない?」
「だから、こういう風にバレないよう細工してあるんだよ」
モニカが手に持ったチラシを、ポイッ、と地面に捨てる。
すると、どういう仕組みなのだろうか。数秒後に紙が光ったかと思うと、それはただの両面白紙の紙になっていた。こうなると何のチラシかわからない。文字通りただのごみである。
「『条件付きで発動する紋章術』……ね。確かにものすごい技術を持ってそうだね、その人」
「なら、明日にでも会いに行こうよ。仕事の依頼はしなくても、勉強のこととかなら何かためになる話を聞けるかも知れないから。ちなみに昼休みに学生食堂付近に出没するらしいよ」
カノンはその話に興味を惹かれたようで、モニカの提案に激しく頷くと、目をキラキラ輝かせた。
「あっ!でもその前にレポートをちゃんと終わらせないとね」
「……うん。そうだね……」
その一言で、あっという間に嫌な現実に引き戻されたモニカであった。