転
朝だ。地平線の向こうから太陽が昇り、草原を遍く照らす。
顔を出した陽を遠くに見ながらラカンは思考を起動状態に移行させた。
ラカンの朝は早い。寝ないからだ。
とはいえ、精神は人間のままなので、朝日が昇るまでは精神活動を抑えて擬似的な睡眠状態にしている。
飽くことなく、百年以上続けてきた日々だった。
(今日もいい日にならんことを)
その祈りもまた変わることはなかった。
守護者ラカンは改造人間である。
身長5メートルと生身の時より巨体ながら、100メートルは5秒フラットとかつての速度を維持している。
加えて、その体は錬金術で作られた特殊な石材で構成されており、生前の筋肉を再現しつつ、魔力を通じて本人の心の強さを身体強度に反映している。
つまりは、パワー×スピード=破壊力に勇気の力が加算されるのである。筋肉が勝利のカギだ。
そして、動力は人々の祈りである。助けて欲しいと誰かが祈ればラカンは動く。
東に隕石が落ちてくれば、行って大胸筋で受け止め。
西に魔物達が出現すれば、行って鉄拳で殴り飛ばす。
そういうものに、彼はなった。
(思えば、遠くにきたものだ)
微動だにせず、感慨深く思い起こすのは過去の記憶。
(この身なってからの初めの10年は街の皆もわたしを見上げるとすぐに目を逸らしていたな。昔はただの田舎町であったから恥ずかしがり屋も多かったのだろうな)
さらに10年ほどして、街の者が総出でマントを織って、ラカンに着せた。
街長が「せめてこれくらいは」と言っていたのを石像は覚えている。
(わたしは特に寒くないと言ったのだがな。彼らは何故ああも切実そうだったのだろうか?)
ラカンは知らない。当初、街の住民たちは年単位でラカンに少しずつ服を着せていこうと目論んでいたのだ。
だが、その目論見は失敗した。
理由は単純である。人間が環境に適応する生き物だったからだ。
つまり、ラカンが石像として門前に立ってから生まれた大多数の者たちは、“それ”が当たり前だと認識したのである――たとえ、全裸であっても。
そうして、世にも奇妙な全裸の守護者は街に受け入れられていった。
(ともあれ、今日もいつも通り――)
「泥棒ッ!!」
(ん? 事件か?)
ラカンの思索を打ち破るような大声が朝の街に響く。
意識を向ければ、街の大通りを果物を抱えたみすぼらしい恰好の少年が商人に追いかけられている。
「待てや、コソドロ!!」
「待てと言われて誰が待つか!」
逃げる少年の足は早い。混雑し始めた人波を縫って大人相手によく逃げている。
「今なら腕一本で赦してやる。ついでに出血大サービスでもう一本いってやる!」
「それ両腕もってくんじゃねえか! 汚ねえぞ!」
「いいからおとなしく捕まれや! オマケで首もいってやる!」
「死んじゃうじゃねえか。やだー!」
元気に言い合っている間に少年は路地の暗がりに逃げ込んだ。随分とこの街の構造を熟知しているようだ。途端に、商人は相手の行方を見失ってしまった。
ほう、とラカンは感嘆の息をひとつ吐いた。
「元気な少年だ。盗みはよくないが……うん?」
ラカンは自分の口が動いていることに気付いた。
試しに腕に力を入れる。上腕二頭筋が彼の意思に従って力こぶを作る。
「ふむ……フンヌッ!」
おもむろに両腕を掲げてポーズを決める。
――完璧だ。
基本的に謙虚なラカンだが、殊、自身の肉体に関してだけは別だった。
いきなり動きだした石像を見て、丁度、街に入ろうとしていた行商人がぎょっとして見上げているが、ラカンは気にしない。
「動けるか。動けるな」
ラカンが動けるということは、誰かがそう祈ったことの証明に他ならない。
先の商人が祈ったのかとも思ったが、追跡を諦めて帰ってきた商人にそんな様子はない。
「では、もしや――」
ラカンはひとつ頷き、全裸行動を開始した。
◇
「……よし、撒いたな」
入り組んだ路地にできた死角に隠れていた少年、コトゥは追っての気配がなくなったのを確認して安堵の息を吐いた。
手の中には鮮やかな橙色の果物。両親が生きていれば普通に買えた筈の品だ。しかし、今となっては少年が一日働いても買えるかどうか分からない程の価値がある。
「はやく帰ろう」
言葉をひとつ、少年は人目を気にしつつ、いくつもの路地を抜けて生家へと帰った。
少年の家は路地の奥まった所にある普通の二階建ての民家だ。
軋む扉を開ければ、中には閑散とした居間が広がっている。ここ暫く使った記憶がなく、時間に追われて満足に掃除も出来ず、至る所に埃が積もっている。
そのまま居間を抜けて二階に上がる。そして、部屋の一つの前で身だしなみを整え、意を決して扉を開ける。
「ただいま、ティル。大人しくしてたか?」
その部屋は、他と違い綺麗に掃除が行き届いていた。
窓際にあるベッドには少年と良く似た顔つきの、しかし痩せこけた少女が一人臥している。
「おかえり、お兄ちゃん」
「うん、ただいま。今日は元気そうだな」
兄を出迎えようと上体を持ち上げる妹を支え起こした後、コトゥはベッドの側に椅子を引き寄せて座った。
「おなか減っただろ? これ、店の人がくれたんだ。ティルも好きだっただろう?」
「うん……お兄ちゃん」
「い、いま剥いてやるからな!」
兄の手の中の果物を見て何か言いたそうにしている妹を制して、コトゥは橙色の皮を剥いた。
微かに香る柑橘系のにおいに腹の虫が鳴りそうになるのを全力で押し殺し、小さくもいだ果肉を妹の口元に持っていく。
ティルは果物の酸っぱさに味覚を驚かせながら、啄ばむように少しずつ嚥下していく。
少年の掌大の果物一つ食べるのに、四半刻ほどの時間がかかった。
しかし、それでも少女にとっては重労働だったのだろう。食べ終わるとすぐに、少女は寝息を立て始めた。
力を込めると壊れそうな妹の細い体をそっとベッドに横たえて、コトゥは疲れたように椅子に座りこんだ。
妹は生まれつき体が弱かったが、ここまで酷くなったのは二人の両親が事故で亡くなってからだ。
薬の一つでも買えれば状況も変わるだろうが、そんな金が少年にある筈もなく、また、盗むにしても薬を扱うような商店はきちんと護衛を雇っている。店主一人振り切ればいい露店とは難易度が違いすぎる。
はっきり言って、八方塞りだった。
こうしている間にも妹の病状は刻々と悪化している。加えて、自分一人で二人分の食い物を盗んで調達するにも限界がある。
妹の前では気丈な態度を取っていたが、少年の心と体は既に限界だった。
「誰か……助けて」
故に、だからこそ、その真摯な祈りに応える者がいた。
「わたしを喚んだか?」
次の瞬間、窓の外に石像の頭がぬっと現れた。
「おとさああああん!!」
「ああ、怯えないでくれ、童よ。わたしはラカン。不肖この街の守護者を任じている」
「しってるよ! でも、窓から急に頭だけ見えたらこわいんだよ!」
「これは失礼した。きちんと扉から入るべきだったな」
「ちがうよ! ってか、アンタ入らないよ!」
混乱しながらも、色々と観念したコトゥが窓を開ける。
いつもは街の入口に居る石像が路地裏でポーズを決めている姿は異様すぎる。
ショックで停止しなかった自分の心臓を褒めてやりたかった。
「お前は、僕を捕まえに来たのか?」
「それを望む者がいるなら、そうするのがわたしの責務だ。たとえ、願ったのが君自身であっても」
守護者ラカンは砕けない。祈りを果たすのが使命だからだ。
コトゥも街に住む者の端くれとして、それは理解している。
「……妹のこと、お願いできないか?」
「それ程の覚悟があるなら、盗みなどするべきではなかったな」
「知った風な口をきくな!!」
そのとき、コトゥの心に浮かんだ嫉妬と怒りだった。
自分のことはいい。盗みも随分とした。しかし、妹は何も悪くない。
「お前が守護者ならティルを救ってみせろ! できないんだろう!? 殴るしか能がないんだろう!! この筋肉達磨!!」
「まったくだ。我がことながら恥ずかしい限りだな。わたしには君に食べ物を与えることも、その子の病を治すこともできない」
「なら――」
「だが!!」
次の瞬間、ラカンは気合一つで自らの指を折った。
いかな武器でも傷ひとつつかなかった小指がいとも簡単に折れて、外れた。
石像は血を流さない。そして、指の断面は磨かれた大理石のように美しい。
「これを妹さんの傍に置いておくといい。内部にまだ魔力が残っている。多少なりとも楽になるだろう」
「な、これ……」
有無を言わさず、ラカンは折った小指を眠るティルの横に置いた。
暫くして、内部に宿る清浄な魔力があたりに発散され、少女の生命力を活性化させる。
「ティル……」
幾分顔色の良くなった妹を見て、コトゥは安堵の念を抱いた。
一時的なものでも、それでも、状況は好転したのだ。
「さあ、行こう」
「どこへ?」
「まずは盗んだ商人への謝罪だ。それから、君の仕事を見つける。私を喚んだ君の祈りは本物だ。君のように私を信じる者がいるなら――」
ラカンは小指の欠けた大きな手を差し出す。
そして、少年は――――
◇
「それで、それからどうなったの?」
ラカンが負傷したと聞いて宿を飛び出してきたアルナは、警羅中の所をとっ捕まえた自警団長に話の先を促した。
「本官が聞いたのはそこまでだ。少年は情状酌量の余地ありとして保護観察。後は、ほらあの通りだ」
自警団長が露店の一つを指さす。
そこでは威勢のいい商人と、件の少年が来客の対応に追われていた。
「おい、おっさん、釣りがもう無えぞ!」
「店主と呼べ、クソガキ! さっさと取って来い!」
「補充しとけって朝言っただろうが! 棚の二段目だな!?」
「口より手を動かせや! とりあえず全部持ってこい!」
口論しながらも、二人は手際よく客を捌いている。
住み込みで働いているのだろう。二階の窓から顔を出している妹らしき少女の顔色も悪くない。
「……いい街ね」
「そうあるよう心がけている。ラカン殿に恥じぬようにな。では、本官はこれで」
敬礼をひとつ残して自警団長は去って行った。
まだまだ発展途中の街に諍いは絶えない。しかし、その度にラカンが動きだすことはない。
人々は、己が手で解決できることを守護者に祈ることはないのだ。
頑張って、奔走して、それでもどうにもならない時、人は祈るのだ。
「信じる心、か」
アルナが見上げた先、石像は今日も全裸マントで、しかし、欠けた小指を誇らしげに掲げていた。