承
後世に何を残すかというのは人類永遠の命題である。
多くの人は子を、己の血を残す。あるいは知識を、田畑を、財産を残すだろう。
その中で、英雄は何を残せるか。
人類の中から流星の如く現れる彼らは、しかし、一代で燃え尽きることが宿命づけられたかのように、後に残せる物は多くない。
優れたる者の子がそうであるとは限らないように、英雄の子が英雄になることはない。
故に、多くの英雄は己の足跡を残した。
竜を討った者、戦乱を平定した者、前人未到の地を踏んだ者。己が足跡を以て人類の可能性を示すことこそ、彼らが後世に残せるものだった。
だが、ここに一人の例外がいた。
血でも知識でもなく、彼は己の肉体を後世に残した。
強靭なバネとなった大腿筋、上体に搭載された骨肉を支える腹筋、拳を射出する為に発達した広背筋、そして、魔物すら打ち抜く鍛え抜いた上腕筋群と拳。
強い。絶対に強い。彼にとって己の肉体こそ最高の解決法なのだ。故に、それを残すのもまた必然であった。
だからこそ、一切の虚飾なく、生まれたままの姿を残した。
そう、全裸こそ正義なのだ。
◇
「お、おお、わかってたけど高いわね」
アルナが感嘆したように呟く。
青空の下、開けた視界は草原の果ての地平線まで見渡せる。微かに動いて見えるのは魔物だろうか。街に近付こうとする素振りすら見せないというのは珍しい姿だ。
(やっぱりラカンがいるからなのかな?)
思索を深める少女は今、街を囲む外壁の上にいた。
“守護者の街”に滞在を初めて早一週間。端的に言って、アルナの詩作りは難航していた。
素材は最高の物が揃っている。
石像となって街を守る英雄。穏やかな性格と鍛えられた肉体。敢然と悪に立ち向かう英雄の雄姿。
今までなら、勝手に詩が思い浮かんでくるのを書き留めるだけでよかったのだが。
一見、極普通の英雄、極普通の石像。でも、ただひとつ違っていたのは――
「英雄は全裸だったのです、って何で私ノッているのよ!?」
頭を抱えて突然叫ぶアルナをみて、案内していた兵士がびくっと震えた。
アルナは黙っていれば、もとい、歌っている時は美少女なのだが、日常生活では概ねこんな有様だった。猫を被ることは既に諦めている。
「アイツが悪いのよ。服くらい着ればいいじゃない」
外壁の上からは街の入口に立つ裸マント像も見える。
ポーズは両腕を臍前で構えて直立した、全身のキレをアピールするもの。
前見た時とポーズが違っている。事情を知らなければ完全にホラーだ。
「……なによ、答えなさいよ」
初日以来、アルナはラカンを動かすことが出来なくなっていた。
「おや、アルナ殿」
「あ、お勤め御苦労様です」
拗ねている少女に声をかけたのはこの街の自警団長だった。
警羅の途中なのだろう。きっちりと制服を着込んだ三十過ぎの男の姿には実直さを感じさせる。
「ここは冷える。風邪などひかれるぬようお気をつけて」
「あ、はい……お気遣いなく」
「ラカン殿を起こせる方は街としても大事だ。たとえ魔物が襲撃してきたとしても、祈る者がいなければラカン殿は動けない」
それは街を守る者としての正直な言葉なのだろうが、アルナは少しだけカチンときた。
「私はもう喚べないですけどね」
「ふむ、純粋でなくなった、つまりは――」
「その先言ったら怒りますよ」
正直すぎる言葉にアルナがジト目を向けると、自警団長は慌てて居住まいを正した。
「失礼した。君は吟遊詩人なのだから――ヨゴレたと言うべきだったか」
「ちがう。何かが致命的にちがってる」
この街ではシリアスは長生きしない。古今東西の常識だ。
「まったく! 吟遊詩人を何だと思ってるのよ!」
「何か違ったか? 前に街に来た吟遊詩人に教わったのだが」
「どんな詩人よ、それ?」
「“これは詩だ。そして、これを聞く君達も詩人だ”と言っていた」
「なんでこの街って奇人が多いの?」
ツッコミ所が多すぎて対処しきれないアルナに、自警団長は笑顔で頷きを返す。
「不安になることはない。ラカン殿に認められた以上、あなたも立派な街の一員だ!」
「奇人と一緒にするな! 私はまだ平常よ」
「……まだ?」
「き、気付かないうちに浸食されてる!?」
「まあ、それはひとまず置いておいて」
「置かないで! 大事だから。私が常識人がどうかの境目だから!」
「――貴女なら大丈夫だ。本官はそう信じている」
慌てふためくアルナを余所に自警団長はそう言って去って行った。
◇
自警団長と別れてたアルナは外壁を下りて、宿泊している宿へと戻ってきた。
息抜きに出かけた筈なのに何故か余計に疲れた気がする。
「マスター、ごはんー」
「おう。ちょっと待っとけ」
宿に併設された食堂に入り、空いている窓際のテーブルに着く。
ペタリと頬をつけた樫の木で作られた丈夫なテーブルは窓から差し込む陽の光で仄かに暖かい。
「嬢ちゃん。こっち来て一杯やらないか」
「今そんな気分じゃないんでパス」
見るからにダラけているアルナに仕事帰りと思しき男が向こうのテーブルから声を投げかける。
この街ではどこにいても誰かしら声をかけてくれる。ひとりで旅していた時間が長いアルナとしては新鮮な体験だった。
「そんな辛気臭い顔してたら可愛い顔が台無しだぞ、がっはっは!」
「若いから大丈夫よ」
「女はみんなそう言うんだよ。そして、十年、二十年と……」
「なんでアンタが落ち込んでいるのよ!?」
思わずつっこんでしまう自分の気質を呪いつつ、アルナが立ち上がろうとしたその時、グラリと世界が揺れた。
揺れは一度では終わらず、断続的に続く。
この現象に慣れていないアルナは思わず尻もちをついてしまった。
「嬢ちゃん、窓際は――危ない!!」
「え?」
嫌な予感を感じて振り向けば、地震で根が抜かれたのか、道沿いの木が此方に向かって倒れ込んで来るのが窓越しにみえた。
「あ――」
瞳孔が拡大し、妙にゆっくりと時間が流れていく。
脳裡を過去の記憶が駆け巡る。これが走馬灯という奴なのだろう。
思考が加速する、その中で思うのは一つ。
(なんで、なんで私はラカンが喚べなくなったの。アイツに服着ろなんて言ったから?)
倒木は窓の外、すぐそこまで迫っている。
避けられない。このままでは――――
(後ろの他の人まで巻き込まれる!!)
「――ラカアアアンッ!!」
口を吐いたのは純粋な祈り。誰かを助けたいという無垢な祈り。
次の瞬間、予期した衝撃は訪れず、木は何処かへ吹き飛んでいた。
「わたしを喚んだか?」
代わりに立っていたのは、マントひとつを身に纏う、鍛え抜かれた体をそのまま石に変えた巨人。
この街の守護者。アルナが今この瞬間に最も欲していた存在だった。
「ラカン? ラカンだよね」
「一週間ぶりだな、アルナ」
ラカンの落ち着いた声音を聞いて、アルナも冷静さを取り戻した。
未だに微かに揺れは続いているが、先程のような大きな揺れはもう来ないようだ。
「私、アンタのこと喚べたのね」
「無論だ。君の祈りに曇りはない」
「で、でも、ここの所ずっと喚べなかったわよ!?」
「それは君が喚ぶことで、他の誰かの許にわたしが行くのが遅れるのを危惧したからだろう」
「そんなことは……」
ないとは言い切れなかった。思い返してみれば、そう考えていたような気もする。
そうして、モジモジし始めた少女を石像は興味深そうに見下ろしている。
「君は、優しいな」
「そ、そんなことないわよ! こちとら旅慣れた吟遊詩人よ!」
「では、そういうことにしておこう」
恥ずかしがるアルナを残し、ラカンは踵を返した。気付いたアルナが慌てて後を追いかける。
巨人は自分の膝下ほどしかない通行人に挨拶を返しつつ、彼らを器用に避けて街の中心へと歩みを進める。
「地震、ずいぶん続くわね」
違いすぎる歩幅を回転数を上げることで相殺したアルナが見上げながらラカンに問いかける。
「これは地震ではない」
「え?」
「地下に封印した魔物が動いた余波だ」
(あるいは、奴の復活の予兆か)
「……」
どこか厳しい表情をしたラカンにアルナは声をかけるか迷ったが、意を決して口を開いた。
「それってアンタが封印したっていう魔物でしょう。どうする気なの?」
「封印を重ね掛けする」
「できるの?」
「無論。その為のわたしだ」
街の中心にある円状の広場には複雑な紋様が描かれている。おそらくはこれが魔物の封印なのだろう。
そして、広場の真ん中にある台座の前に進み出たラカンが両膝を突き、組んだ両手を天へと掲げた。
如何なる偶然か、その時、雲間の切れ間から後光が差し込み、石像を柔らかく照らす。
その様は神へと祈る敬虔な信徒のようにすら見える。
侵しがたい一枚の絵画のような光景を前に、アルナは息を呑む。
そして――ラカンは組んだ両手をそのまま地へと打ち下ろした。
「――ヒィィイトエンドッ!!」
さらに、膝をついた体勢から背筋の力を総動員、打ち込んだ両拳に全身の力を乗せて零距離からの追撃を放つ。
極大の一撃に轟音が鳴り響き、衝撃が僅かにアルナの身を浮かせた。
そして、驚くべきことなのだろう。石像の一撃に相殺されたのか、揺れは収まっていた。
「……あの、封印は?」
誰も問う者がいない中、アルナは代表してどこかやり切った感のある石像に尋ねた。
「見ての通り、再封印は完了した」
「詠唱とか魔法とか、なんかないの?」
アルナの問いにラカンはまるで鋼板のような胸板を叩いてみせた。
かつては隕石も受け止めた、石像自慢の胸筋だ。
「筋肉があるではないか」
「……何でもアリね」
「うむ、鍛えているからな」
と、そこまで明るく告げていたラカンが真面目な表情になって腰を折って丁寧に一礼した。
「とはいえ、わたしが動けたのは君の祈りのおかげだ。礼を言う」
「こちらこそ……その、助けてくれてありがとう」
ラカンの実直な言葉に、はにかみながらアルナも礼を返した。
街に来た当初よりも明るくなった少女の様子に全裸の石像もまた相好を崩した。
「うむ、何かあればいつでも言うといい」
「じゃあ服着て」
「それは断る」
「何でよ!?」
「そこに筋肉があるからだ!」
足元の少女の願いをスルーしつつ、ラカンは広場の中心でポーズを決めた。
多くの喝采といくらかの恥じらいを引き出しながら、石像は今日も街を護っていた。