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石像の裸漢・起

 その街にはかつて英雄がいた。

 千の兵士すら敵わなかった魔物にたった一人で立ち向かい、遂に封印することに成功した鉄拳の聖者。

 尊きその名を『ラカン』という。


 しかし、おとぎ話のように伝えられる伝説も今は昔。

 直に見た者は皆、年を経て、天へと召されている。

 それでも、街に住む者は誰でもその偉業を知っている。


 街を囲む外壁の前には、彼の偉業を称える石像が今も変わらず立っているからだ。



 ◇



「あれが“守護者の街”ですか」


 春の日差しが辺りを照らす穏やかな昼下がりの草原。

 旅の目的地が見えた少女はおもむろにフードを外した。

 陽光に晒された整った顔立ちはまだ十代のものだ。

 魔物の跋扈する地域を一人で旅するのは随分な苦労であっただろう。顔には微かに疲労の色がみえる。

 それでも、少女を歓迎するように街から吹いて来た風が、左右で結った青い髪を揺らすと、その表情は朗らかな笑顔になった。


「新しい詩が書けるといいんだけど……」


 眩しそうに碧眼を細めながら、少女はぼやく。


 少女の視界に遠く映るのは街をぐるりと囲む長大な壁。ドワーフ作とも言われる壁には数多の戦いの傷痕が刻まれている。

 そして、街の入口と思しき辺りに一体の石像が立っているのが離れた位置からでもわかる。


「ホントにあるんだ、“守護者ラカン”の像」


 感嘆と共に呟いた言葉は少女の旅の成功を約したものだ。


 少女はいわゆる吟遊詩人だった。

 各地を旅して詩を作り、歌う。時に英雄を謳い、時に奇跡を詠う。そうして旅を続けてきた。

 そんなある日、旅先の港で“守護者”の噂を聞いて、いても立ってもいられず、頼み込んで船に乗ってこの大陸までやってきたのだ。


「よし、いこう!」


 疲れも今は吹き飛んだ。

 軽やかな足取りで少女は目的地へと駆け出した。

 履き慣れた靴が街道を蹴って少女の身を進ませる。

 風が優しく外套を揺らし、陽光が少女の身を暖める。絶好の詩日和の中を少女は走る。



「もう少し、もう少しで……みえた!」


 走り続けて数分。息を切らしながら、少女は遂に守護者の許へと辿り着いた。


「これが、ラカン……」


 それは全長5メートルにも及ぶ巨大な石像だった。

 いかな名工に手によるものか、威風堂々とした巨体には一切の継ぎ目がない。

 見上げれば、生きているかのような精悍な顔立ちに浮かぶのは、旅人の訪れを言祝ぐ穏やかな表情。

 首から下はがっしりとした肩に、鋼のような胸板、8つに割れた腹筋と続き、かつての英雄の雄姿を今に伝えている。

 街の者が着せたのだろうか、風になびく緋色のマントも石像の姿によく映えている。


「か、かっこいい……ん?」


 詩にするのも忘れて見上げていた少女は視線を下げて、それに気付いた。


 石像はマントを除き、一切の衣服を纏っていなかった。


「これは……いやいや、芸術作品だからセーフ。ノーカン、ノーカンよ」


 一瞬の自失から立ち直り、少女は首を振った。

 視界に入ってしまったナニかには触れず、自分に言い聞かせた、その時


「わたしの体がどうかしたかね?」



 ぐるり、と石像の視線がこちらに向いた。



「しゃ、しゃべったああああ!」

「はっはっは! 元気な少女だ」


 石像は豪快に笑うと、筋骨隆々の見事な肉体を動かして優雅に一礼した。


「ようこそ、旅の少女。若い身空で大変な旅であっただろう。歓迎しよう、盛大にな」

「う、う、うごいたああああ!」

「はっはっは! そんなに喜ばれると照れてしまうよ」

「喜んでないわ!」


 少女は思わずつっこんでしまった。

 街に入る前に既に地の性格が出てしまっているが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


「なんで、アンタ動いているのよ!?」

「うむ、よくできているであろう。我が朋友の手によるものだ」

「じゃあ、なんで裸なのよ!?」

「鍛え抜いたこの肉体に恥ずべき場所などない!」

「恥ずかしがれよ! 街の入り口でしょう、ここ!」

「であれば、わたしの全身を以て歓迎するのは当然であろう!」


 そう言って、石像は両腕を肩の上にあげて力こぶを作った。

 それが歓迎のポーズなのだろうかとか、石像なのに何で力こぶが出来るのか、等々。つっこむべきことが多すぎて少女は暫し迷った。


「ちなみに、わたしの名はラカンだ。石像などと呼ばれては寂しいぞ?」

「思考に返事するな! ああもう、なんなのよ、これ……」


 少女はついに頭を抱えた。予想外の出来事に頭が既に一杯一杯だった。


「ところで、旅の少女よ、名はなんという?」

「……アルナ。別に覚えなくていいわよ」

「では、アルナよ。どこか悪いなら医者を紹介するが?」

「叶うなら今すぐ回れ右して帰りたいわ」

「それは難しいな。今から隣町へ行くには日が暮れてしまう。推奨しかねる」

「わかってるわよ」


 会話を続ける中で、ようやく落ち着いて来たアルナは、ひとまず旅の目的を果たす為、ラカンを見上げ、スカートの端を摘んで優雅に一礼した。


「とりあえず歓迎ありがとう、ラカン。さっきも言ったけど、私はアルナ、旅の吟遊詩人よ。あなたの詩を作りたくてこの街に来たの」

「……わたしの詩、か」


 アルナの応答に、ラカンは先程までの泰然とした態度から一転して困ったように頬を掻いた。

 一々挙動が人間臭い石像だった。


「どうしたの、ラカン?」

「アルナよ、わたしは……あいや、待て」


 何かを告げようとしたラカンは突然、街の方へと視線を向けた。

 その表情には明らかな緊張感が浮かんでいる。


「どうやら緊急事態のようだ」

「え?」

「わたしを動かせる“祈り”を持つ者との語らいは名残惜しいが、すまない。わたしは行かねばならん。――とおっ!!」


 そして、掛け声をひとつ残してラカンは飛んだ。

 両腕を前に突き出した見事なポーズで飛翔する姿はまさに現代に蘇った英雄そのもの。

 マントの他にも何か揺れているような気もしたが、無論、気のせいである。


「な、なんなのよ、もう……」


 後には、唖然としたまま取り残された少女だけが残った。



 ◇



 ラカンが護る街は辺境の中では発展している部類に入る。

 そのため、外から流入する者は絶えず、問題が起こることも少なくない。


「いいから金を出せ! あとは馬だ! 早くしろ、娘の命がどうなってもいいのか!」


 街の往来で暴れているのは、汚れた革鎧を纏った男だ。見るからに敗残兵といった風体で、目には恐怖と狂気が宿っていた。

 その腕の中には5,6歳と思しき子供が抱えられ、首に剣を突き付けられている。

 今にも泣き出しそうな子供はしかし、歯を食いしばって懸命に涙を堪えている。


「金も馬もすぐに用意する。だから、娘を離してくれ!」

「うるせえ! 早くしろ!」

「くっ……」


 周囲を囲んでいる自警団も子供に危害が及ぶのを恐れて手出しができない。隠れて弓兵が狙いをつけているが、強盗が死ぬ際に子供を道連れにされる公算が高かった。


「なにしてる! 早くしろ!」

「ここまでか……」


 唇を噛み締めた自警団長が苦渋の決断と共に弓兵に指示を出す。

 隠れた弓兵はそっと矢を番え、弦を引き絞り――


「……ラカン」


 緊迫した場の中に、ぽつりと子供の声が響いた。


「ああん? 黙れよ、ガキ!」

「ラカアアアアン!!」


 声は高らかに。幼子の純粋な祈りは確かに届いた。


 次の瞬間、強盗の目の前にズン、と巨大な石像が着地した。


「……は?」

「わたしを喚んだか、少女よ」


 超重量の着地に周囲一帯が震える中、石像のラカンは静かに立ち上がった。

 強盗はその巨体の威圧感と、石で出来ているのに、確かな意思を感じさせる視線に射抜かれて動きを止めた。


「この子は返してもらおう」


 その一瞬の隙を衝き、ひょいっとラカンの指が強盗の手から子供を取り上げた。


「ラカン!」


 輝かんばかりの笑顔で見上げる子供に、ラカンは穏やかに笑みを返した。


「よくわたしを喚べたな」

「うん。だって、しんじてるもん!」

「いい子だ。さ、お父さんの所に戻りなさい」


 強盗には目もくれず。ラカンは子供をそっと父親の許に戻した。


「さて――」


 そうして、振り向く姿は守護者としてのラカンだ。

 子供を救った手も、今は固く握り締められている。


「名を聞こうか、旅の戦士よ」

「意味わかんねえよ! オラッ!!」


 誰何を問うラカンの脛に向けて強盗が剣を打ち込む。

 人間相手なら十分な殺傷力を有するであろう一撃は、しかし――


 ラカンの石の体には傷一つ付けず、逆に、剣の方が刀身の半ばで折れてしまった。

 折れた刀身がくるくると宙を舞う。


「ふむ、名を問うて剣で答えるか」

「あ、あ……」

「つまりは、体に聞けということだな! うむ、明快でよろしい!」

「待て! 武器がねえじゃねえか。こんなのノーカンだ、ノーカン!」


 ようやく己が詰んでいることに気付いた強盗が慌てて弁解するが、ラカンは意に介さない。


「私は守護者だ。武器は持たない。この拳が全てだ」

「お前じゃねえよ! オレだよ! ほら、剣が折れてるだろ?」

「剣がないなら、拳で戦えばいいではないか。君も男なら聞き分けたまえ」

「ちょ、ま――」

「ゆくぞ!!」


 ラカンが大きく一歩を踏み込む。

 それだけで強盗は己の股下に入ってしまうが、鍛えた肉体には些細なことだ。

 ギチリと大腿四頭筋が鳴って踏み込みを受け止め、合わせて腰が旋回を開始、振り上げた右拳に向けて背筋を伝って威力を伝導。

 そうして、天から地へと全身全力で振り下ろされる一撃こそ、鉄拳の聖者と呼ばれたラカンの真骨頂。


「邪ッチェリアアアァッ!!」


 魔物すら叩き伏せた自慢の拳だった。



 ◇



「では、後を頼む、自警団長」


 泡を吹いて気絶している強盗を自警団が縄で縛り連行していく。


 ラカンの拳は強盗の目の前30センチに着弾していた。

 地面を貫き、手首まで埋めた一撃は、当たっていれば強盗を水風船のように粉砕していただろう。


「ご協力感謝いたします、ラカン殿!」


 そんな中、最敬礼を返す自警団長に、ラカンは僅かに苦笑した。


「わたしの力ではないよ。わたしが街の中で力を奮えたのはこの子の祈りのお陰だ」


 視線の先、父娘が揃って頭を下げている。

 が、頭をあげた子供は早速ラカンの許に駆け寄ってきた。

 ラカンも笑って巨大な掌を差し出すと、子供は躊躇わずに飛び乗った。


「わたしを駆動させるのは“祈り”。純粋な祈りがわたしの体を動かすのだ」

「そうでしたね。では――」

「やっとみつけた!!」


 その時になってようやく、アルナはラカンに追いついた。

 外壁から街の中までほぼ全力疾走した体は微かに汗ばんでいる。


「君は!?」

「大丈夫だ、自警団長。彼女は旅の吟遊詩人だ。先にわたしを動かした」

「成程、それなら安心ですな。では、本官はこれで」


 もう一度敬礼して、自警団長は詰め所に戻って行った。

 その背を見ながら、息を整えたアルナが子供を掌に乗せたラカンを見上げる。


「無理矢理入ってから言うのも何だけど、審査とかないの?」

「問題ない。わたしを喚ぶ、動かせるのは純粋な心を持った者だけだなのだ。この子のようなね」

「ねー」


 高い所が珍しいのか、ラカンの掌の上で子供は楽しそうに笑っている。

 それを見ながら、アルナはひとつの推論に思い至った。


「じゃ、じゃあ、私も子供だっていうの!?」

「いや、子供でなくとも心から信じれば喚べる。前の前の街長は50歳の時に落ちてくる隕石を砕くために私を喚んでみせたよ」


 そろそろ元の場所、己の立つべき場所に戻る時間だ。

 ラカンはそっと子供を地に降ろした。


「ただ、たまに一度喚ぶと二度と喚ばない子がいるんだが、何故だろうな? わたしの前を通る時も恥ずかしがって俯いてしまうのだが」

「控え目に言ってアンタの恰好のせいだよ!!」

「筋肉は怖くないぞ?」

「ちっがあああう!!」

「はっはっは!」


 青空の下、石像と吟遊詩人の声が響き渡った。



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