第11章 帰還
翌日、大地は島で唯一存在するらしい桟橋に来ていた。かと言って、海岸沿いを毎日走っていた大地にとってみれば、初めてお目にかかるような珍しい桟橋でもなかった。気をただ単に組み立てただけのようなぼろついた桟橋には大地も少し苦い思い出がある。言うまでもないが、上に乗ったら床が抜けて海にドボンだ。何とも情けなく苦い。びしょびしょになった時の姿を頭に回想した大地は再び同じ失敗を繰り返さぬようにゆっくりと桟橋に乗る。ふわふわと浮いていられ妖精族のフィアラを羨ましく思いながら、衣服の下にパンツがチラッと見えて、久々に性的な感情が復活した。この短期間にそんな機会が一度もなかったとも思えなかったのだが、修行に没頭する意思の強さを逆光から確かめることができたのは良かった。
何より、今回の修行で得たものは大きいと思う。主には戦闘力だが、今頃普通に村で生活していたら絶対に身に着けられないような雑学的な知識などを学ぶことができた。この島には本当に感謝したい。残していくものの点でないが、幻獣オイガランを倒したことがこの島に唯一住んでいる朧の脳裏にでも残っていてさえくれれば幸いだ。
「大地よ。舟の準備ができたぞ」
桟橋の先端で手を振って待っている朧に大地は手を振り返す。「師匠に会うのも今日が最後か……」と聞こえないぐらいの声で呟くと、涙腺が緩む気がして思わず目を瞬かせた。
「見よ! この舟」
目の前には小さな舟が一艘あった。極普通の素材で構成された船の中心には象徴ともいえる帆が張られていて、並の航海はできそうな船だったが、巨大な魔物に遭遇したら確実に一瞬で消されるような船だった。いわゆるヨットというヤツだ。
大した船だ。この海で魔物に一度も会わないことなどあるはずがないのに、その中でも一切の劣化を許さずに健在している。または朧が毎回壊してそのたびに作り直しているとも考えられるが。大地は首を振った。そんなことがあっては堪らない。それならどういう根拠があってこの移動手段を選んだのかを訊いてみたいものだ。っていうか訊いた。
「師匠。どうして舟?」
「これしかないから」
爽やかに笑った。不安だ。こっちにはフィアラもいることもお忘れないでほしかった。見えていないも当然の中で今まで会話成立させてきた仲だろう。パートナーである以上死なせるわけにもいかなかったし、無責任的なじいさんには今さら尊敬などできなかった。
「これ沈まないですか?」
「大丈夫、だと思う。一回だけ巨大な魔物に出くわして一掃されたことがあったが、今の大地なら万が一そんなことが起きても泳いで行けるじゃろ」
不安っていうか、『いやいやフィアラがいるんですが』と言いたい。
「わしもついて行くから安心せい。2人で舟と嬢ちゃんを死守せんとな」
意外とフィアラにも気をかけていてくれたことに安心。「ダイチ、パートナーとして絶対に守ってよ」とフィアラが大地の肩に手を乗せて託した。言われたからには守るしかないだろう。相棒として。
「分かったよ。絶対守るから」
「早く乗るのじゃ」
急かせる朧の乗る船に大地は乗船した。ついに出航の時だ。
朧が桟橋から舟が勝手に流れださないように止めておいたロープをほどくと、舟は予想以上に自然な流れで海を進み始めた。帆が風を受け、船をぐんぐん前へと進める。海風というものは陸で感じるものとはまた違った演出を寄せ付けてくれる。陸では感じられない波の静けさ、吹き抜ける風の涼しさ、周囲が海だからこそ見られる風景もここにはあった。少しばかり感銘を受ける大地であったが、そう呑気に遊船を楽しんでいられないのも現実だ。
「ダイチも3000かぁ」
今はまだな。呑気に大地の強さを読み取っているフィアラとその向こうの平穏な海を見る限りでは安心できる。「師匠、しばらく魔物は?」と確かめる。「しばらくはな。ここらへんは平和な海域じゃよ」との言葉に大地は真面目に安心した。
元々弛んでいた身体をさらに弛ませる。フィアラを見た。呑気にしてやがる。魔物にも一切ビビらない。出会った当時から思っていたことなのだが。不意に頭の中に蘇ったあることをフィアラに訊くことにした。島の周回修業の後は毎度くたくたになって帰ってきてすぐに眠りについてしまうものだからフィアラには訊く暇がなかったのだが、今この機会は都合のよいタイミングだった。
「フィアラ、そういえば何か瞬間移動呪文とか使えたの?」
「ぶっ!」
前触れもなく飲んでいた水を海へと噴き捨てたフィアラに大地はぎょっとした。この頃のフィアラは何かおかしい。時折こういう変な行動を見せるのだが、その要因となる言葉の共通点が何なのかを考える前に大地は心配に想って話しかけていた。
「どうしたの? この頃何かおかしいよ」
「うぐ、え、いや何でもないの。ただ咽ただけ。それで何だったっけ?」
「瞬間移動呪文とかは使えるの?」
「え……え~っと、何で?」
「師匠が言ってたんだけど。僕が洞窟にいた豚の魔物にやられた時にフィアラが瞬間移動呪文で救ってくれたんじゃないかって」
「え、え~っと。あたしも知らない。き、気が付いたらあの島にいたから」
「ほんとに? 何か隠してるんじゃないの? そんなの使えるならもっと有効に……」
「うるさい! そんなの使える訳ないじゃないの。使えるんだったら、あたしだってどれだけでも使ってるわよ」
やはりこのごろのフィアラはおかしい。確信っぽいのが持てた。フィアラの声に反応したのかは定かではないが、帆の陰に胴の長いウツボのような怪魚がこちらを睨んでいるのを大地は見た。「来た!」と咄嗟に剣を抜いて船端付近から顔を覗かせていた怪魚の頭部を切り裂く。
それが引金の合図となったのかもまた定かではないが、反対側の船端から特攻魚が姿を現す。周回修業の時によくお目にかかっていた魔物だ。
「ふっ、こんな稚魚など、剣を使うまでもないわぃ」
剣も抜かず、帆の高さぐらいまで跳び上がった朧は魚のエラ部分に的確に拳を入れていく。絶命した魚たちが舟の中に雨のように降ってくる。気を遣った訳ではないが、大地は元々足場の狭い舟の中に散乱した魚共を集めて朧に差し出した。
「今日の飯じゃ」
「そういえば、師匠。何時間ほどで向こうに?」
「だいたい半日ほどかな。一食分ぐらいは必要になるな」
再び静けさに包まれた船内。結構大地は安心していた。この調子でいけば何の苦もなく向こうの島にまで行ける、と思ったからだ。フィアラは「半日」という言葉に時間の余裕を感じたのか、今はぐっすりと眠ってしまっている。いざとなれば守ってやれる自信はあるし、大丈夫だろう、とフィアラを見ながら思う。朧師匠も同じく眠っている……のだろうか。腕組んでじっとして目を閉じているのだが、あの朧のことだ。時には直感強く、時には恐喝的なことをし、時には呵呵するような爺の行動など見ても分からないようなものだ。
波に揺られながらも船酔いする勢いではなく、大地も周囲の状況に合わせて一眠りつこうかと思った。周囲の環境が大地の心情に合わせてくれているかのように甘い風を吹きかけ、眠りに落とそうとしてくれる。眠くなってきた……。
鋭い直感。それが瞬時に揺さぶられ、大地はハッとして我に返った。フィアラはともかく朧はもう戦闘体勢に入っている。さすが師匠! 尊びつつ背後に聳える黒い影を見た。これはもう可愛いウツボちゃんともいえないレベルだろう。というよりもウツボと同じ類とも思えない。まさに海竜。猛々しく鋭い刺の突起した表皮は大海を域とする長のプライドの塊のようだ。だが、その大きさは規格外のようだ……。
「な、なんと。これほどまで巨大な生物が生息していたとは。初めて見る大きさじゃ」
オイガランとまではいかないが、大きいと言えば大きい。確実に帆の先端は越えているから全長は5メートルはあると見える。視界に映る大半である口を開かせて海を揺るがす咆哮を放った。正直、咆哮をあまり耳にしたことのない大地にとって耳をふさぐのは当然の行動だ。フィアラは何故か耳栓していて咆哮も微動だにしなかったのだが、大地は苛まれた気分になりつつも、心の中ではわくわくした気持ちが抑えられなかった。
「竜なんて初めて見た!」
その通りだ。大地が竜を目撃したのはこれが人生初のこと。トウシン島にも適当な類は豊富なくせに竜の類が見られなかったのが大地のトウシン島に対する批判の声の1つでもあった。竜を目撃することも大地の心の片隅における夢だったのだが、ここでそれが実現された。
「一撃で死んじゃったら面白くないけど」
天に向けた剣先を海竜の喉元に斬りこませる。血が噴き出す。悲鳴を上げて海の中へと帰っていく。結局一撃で倒してしまった、と己の力に自惚れていた大地。緩んだ直感の背後から迫ってきた気配を感ずるのに遅れたのは不覚だった。危うく体を噛み砕かれそうになったところを朧に救われたのは弟子として愧じてもおかしくないことだ。まさか生きていたのか、なんてあとから思うなど今までの修行が実を結んでいないのと同じようなことだ。
「師匠。ありがとうございます」
「気抜いたらいかん」
「すみません」
大地が謝罪したころには再び海竜は姿を晦ませていた。「気をつけろよ、大地」「はい」
ばしゃん! という水しぶきの音と共に現れた海竜は大地たちの上空――船の帆を狙っていた。朧が瞬間的に反応して対処する。帆の前に現れては海竜の猛々しくも鋭い巨体を受け止める。が、修行始まって以来の事態を大地は目撃することとなる。海竜の身体は朧に止められるどころか、さらに速度を上げて突き飛んでいく。朧もろとも帆を貫いて、海竜は海の中へと消えていった。
「師匠!」
共に海の中へと消えていった朧を心配して暗黒の海を覗き込む。思いがけなすぎた。師匠が今までにあれ程まで強く飛ばされたのを見たことがなかった。あの海流、オイガランよりも強い力を持ってると推測することができた。ただ、大地の怒りの強さがそれを上回る勢いで込み上がってきたのは確信を持って言えることである。拳を作って、突然現れては突然姿を消してしまった卑怯な海竜に憎しみを燃やす。フィアラと大地を残して消えてしまった朧を弔う気にもなれない。師匠は絶対に生きている。そう心の中で信じていたからだ。または、まだ幼い心を我が心だと知りながらも制御できない自分がいたためだ。
ばしゃ……! 音も立たなかった。オイガランの時と同じだ。刹那の間に集中力の泉を満たした大地の直感が海竜の姿を見る前に察知した。
「撃沈!」
耐えない怒りが生んだ大地の怒りを含んだ両腕が海竜の背中側から首に突き刺さる。地上なら確実にクレーターが創られそうなほどに流れ出した大地のエネルギーが会場に轟々たる波として現れる。海竜の首が折れるぐらいに曲がり、懐中へと沈んでいく。が、大地の暴走は続く。「ラゴス!」と唱える。水は電気を通しやすいのだ。確実の全身を刺激する。朧が海の中にいることも考えず放ってしまった大地の呪文が海竜を死に際まで追いやった。沈みゆく海竜を大地は凝視する。師匠は大丈夫だろうか。思った直後には海の中から朧が顔を出して、大地は急に力を抜いて安堵の笑みをこぼす。
「師匠、生きてた……」
「馬鹿者。わしが死ぬものか。……じゃが、あの一撃。いまだかつて受けたこともない衝撃じゃった。ここらの海域も魔物たちもこれほどまで強くなっているとは。もしや魔王とやらの影響はこんなところにまで出てるか」
「魔王の力が海にまで?」
魔王が生み出した魔力が海を満たせば、無論魔物たちも成長するだろうな。早々魔王に臨みたいという今はまだ無謀な考えが逆に大地をせかせる。現実には船の帆はぽっかり穴が開いていて、使用不能になっていた。これでは急ぐにも急げない。「ほれ、大地。海に入って舟を押せ」と命令が出されたが、どうにも承れないのが大地の本意だ。今戦ったばかりの海竜が生息している海になんか入れ体は足はどこにもなかった。「無理ですよ。海竜に足食われます」ときっぱり命令を否定する。
「じゃあ、オールでこげ」
きっぱり作戦を変えられたが、大地はそっちの方がよかった。
朧が舟の隅から取り出した櫂を大地は受け取った。朧はもう片方の櫂を手に持って船端で構えた。大地も対称的に船端に構える。
「大地よ。タイミング合わせろよ。舟が変な方向行くからな」
「師匠も力入れ過ぎないでくださいよ」
「いちにのさん、で行くぞ」
「はいはい」
辺りが静まり返った。この海域にはさっきの海竜しかいなかったように見渡す限りどこにも魔物の姿が見えない。大地のラゴスで全滅してしまったのかもしれないが、今のこの空気に乗ってくれているのかもしれない。
「いち、にの、さん!」
朧がかけ声を言い放つ。
2人とも、それを舷にかけもせず、海中に沈めて思いっきり海をかいた。タイミングはピッタリだった。さすが、この2週間を共に過ごしてきた2人だ。常人からはもうほど遠い存在となっていた大地の膂力は果てしなく、一回のかきで相当な距離を移動した。めくるめくような風を感じながら、朧と大地とフィアラを乗せた船は海上を航進する。
「師匠。最初からこうすればよかったんじゃないですか?」
「まぁ、気にするな。元々奥の手に使うつもりだった」
櫂を船端に突き刺すようにして持っている朧が何となく皮肉に思えた。短時間で行ける方法を知っていたにもかかわらずそれを使わなかった安気な性格が。あれだけ振動とか轟音とかすごかった中でいまだにぐっすりと眠っている呑気すぎるフィアラが飛ばされないかを心配して大地は後方を見遣った。
「大地よ。見えたぞ」
前方に目線を戻す。本当に目を凝らしてしか見えないが、遥か遠方に島らしきものが見えた。胸が躍る。ようやく我が故郷の島に戻ることができるのか、と考える。半日と言われていたが、実際には6時間しかたっていないのだ。この移動方法がどれほど有効だったのかを改めて感じる。
「う、う~ん、よく寝た」
フィアラが目覚めた。逆に今目覚めてもらうと困るような気がした。ちょうど船の速度も衰えてきたころだ。ということは再び買いで海を書く時期なのだ。
「ダイチ、今どこ?」
「お目覚めのところゴメン。フィアラ、船につかまって」
「はい?」
前にも同じようなことを経験したような気がしたフィアラは眠気の残る目をこすりながら、言われたとおりに何となく船につかまった。
「いちにのさん!」
朧の声に合わせて大地は櫂をこぐ。舟が勢いよく風を切って進む。
「うわっ! えっ、何?」
フィアラの寝起きドッキリには最適だろう。慌てながらも飛ばされてはいないフィアラに安心しつつ、大地は潮風に押されてフィアラの元へ降りた。木の板一枚ばかりで作られたへっぽこの舟だ。こんな速度で進んでいたらいつ壊れてもおかしくはない。フィアラを気遣って大地は頭の上へ乗ることを勧めた。
フィアラを頭の上に乗せて大地は再び船端に上がる。
「ダイチ、今どういう状況?」
「フィアラが寝てる間に海竜が現れて帆を突き破られちゃったから。オールでこいで進んでるんだよ。フィアラずっと起きないんだから」
「そんなことがあったの。……それにしても、気持ちいいわね~」
さっきよりも一層島へ近づいていた。島の影はずんずん大きくなっていく……。
それは何度も櫂をこぐにつれてどんどん大きくなっていった。
きがつけば、島は恐ろしいと思える大きさになっていた。よくここまで船がもったな、と自分の乗っている舟に感心したくなる大地。周囲にはもう凡人たちの舟が浮かんでいる状況だったのだが、それを気にせず朧は最後の一押しを呼びかけた。「いいっすよ」と準備を始めた大地に朧はちょっと命令した。
「大地。軽く押してくれんか?」
「え、あ、はい」
言われた通り軽く押す。舟は若干右に航路を変えた。その方向には確かに港が見えるのだが、大地には朧の命令の意味が全く分からなかった。何故、わざわざ右に曲がったのか。海上を注視した大地は何やら嫌な予感を感じて、背筋に汗を伝わせた。港より少し手前。そのには尖がった岩がある。まさか、師匠は――!
師匠の企みに気付いた時には大地の手に貝はなかった。朧は後方で企みの笑みを露にして、櫂を準備している。「師匠、まさか――」と止めに入ったが、朧は止まらなかった。てこの原理を利用して2本の櫂を思いっきり踏んだ朧の前方で水しぶきが上がった時は既に臨終だった。
全速力で海の上を滑る舟はあっという間に尖がった岩にまで進み、そのまま勢いが衰えることもなく、船は岩をジャンプ台として宙を舞った。下界の様子がよく見えるわ~なって思っていられるか~! 無人だったため良かったものの、船の落ちる位置は確実に陸だった。着水ならともかく、着陸とは。朧の考えがさっぱり分からなくなって、大地はいつの間には絶叫していた。こんな高さは屁でもないはずの大地が情けない。今まで自分を乗せて頑張って来てくれた舟の安否を心配しているのかもしれないが、事実上フィアラより絶叫しているのは確かだった。
「降りるぞ」
朧の声に呼応した大地はフィアラを頭に乗せたまま冷静になって舟から飛び降りた。結構慣れている高さだ。それほど足に負担は及ばない。朧なんかは格好つけているのか空中で回転しながら体操選手さながらの着地を決める。
ドーン! という激しい音と共に船が落ちてきた。確実に壊れたな、と思ったが予想外。舟は一切、木の破片1つ港の地に零さずに原形を留めていたのだ。驚愕というか唖然というか。今まで壊れなかったから当然だと思っていたのだろう。
「ダイナミック入港」
師匠はこれを狙っていたのか……。正直溜息つきたくもなる。老いぼれても……いないが……長年生きてきた年配の爺がこんな独創的且つ幼稚くさいことをするなどだれも予想できない。
「師匠。舟、何で壊れてないんですか?」
「木のように軽いのに鉄のように硬い特殊素材の舟じゃ。島を出るときに言ったことは嘘じゃ。あんな海竜でも、この舟を壊すのは一苦労するぞい。……まぁ、帆は普通の物じゃから破られたが」
そんな木があるんだ、と思いつつ、大地は周囲を見渡した。
港の者たちが皆こちらを向いていた。やはり師匠はとんでもないことをしてしまったんじゃないか、察して他人の振りして逃げようとした次の瞬間。「朧さん、お久しぶりです」となかなか声質のいい中年男の声が聞こえてきた。振り返る大地。よく見たら皆笑っているじゃないか。嫌らしい笑い方ではない。心の底から喜んでいるような快気の笑みだ。
「師匠、これは?」
朧が答えを出す前に聞こえてきた皆との人々の言葉から状況を把握することにした。「我らが救世主様!」「港をお救い下さった神様!」「海竜を討ち取った最強の男!」など。とりあえず呑み込めたことは、この港の人々は朧を神のように崇めていること。それと海竜を討ち取った、ということか?
「師匠、一体……」
「うむ。わしは数年に一度、この島を訪れておるんじゃ。最初は普通にこの島に渡り、自分の強さを隠しつつ普通の人間のように一時を過ごしていた。が、ある年のこと。わしがこの島を訪れるとちょうど、この港にさっきも戦ったあの海流が出現しておったのじゃ。そしてわしはごくあっさりと海竜を仕留めたと。それがこの結果じゃよ」
両手を前に差し出して大地に状況を説明し終わる。
「人気者ならいいんじゃないの?」
フィアラの考えも間違ってはいない。ただ、あのトウシン島でずっと過ごしてきた朧にとってみれば、人達に囲まれるのには少し抵抗があるのだろう。
「そうかもしれん」
にこやかに笑いながら、朧はフィアラの頭をなでた。確信につながったような気がしたのだが、「最後の最後まですまんが、見えてはおらん」という発言で切断された。
「大地よ。お前もいつかこうやって、人々を救い尊敬されることがある。魔王を倒したとなったら、なおさらじゃ。それを頭に覚えておけよ」
いつの間にか大地は押し飛ばされ、港の人たちに囲まれた朧師匠が目の前にいた。
「ダイチよ。わしはここでちょっくらのんびりするぞい。ここでお別れじゃ」
港の人々に監視された中から朧は手を伸ばして大地に手を振る。その手には追加で「魔王討伐、頑張れよ」と書いてあるように思える。大地はしみじみ思えてきた。こんな最後はあんまりだ、と。それでも、最後は最後なのだ。別れの時はいつか来る、と出航する時かその前々から思っていたことだ。周回修業も実はずっと見守ってくれていたのだ。時には厳しく、時には優しくしてくれた師匠のことを想うと、涙腺が緩みかける。
「師匠ー! ありがとうございました~!」
人混みの中から再び手が上がったのを見て、今の声が届いたことを確認した。
「行くか」
「そうね。強くなった大地をもっと見てみたいわ~」
「フィアラももっと強くなってよ」
「あ、あたしも、もちろん」
大地の肩の上で志すフィアラ。
朧の手は、大地が港を出るまで上がり続けていた。