第三章 葬送式と消えたヒオウギ -1-
少女は夢を見ていた。
それはもうずっと昔、おばあさんと共に過ごした日々の、何でもない一日の夢だった。
少女は、おばあさんと二人で長い間山奥にある小さな小屋に住んでいた。周りは森に囲まれて、四季に合わせて色とりどりの変化を見せることから『色変化の森』と呼ばれている。あの頃はまだ町に住む人々も多く、週に一回町から遠く離れたおばあさんの家にも行商が来て、様々なものを見せてくれたのを思い出す。
あれは確か、ちょうど春から夏に変わる時期だったはずだ。いつものように行商人がたくさんの荷物を持って、おばあさんの家に来た。行商人の扱う商品には、見慣れた日用品のほかにたまに見たこともないような、不思議な品が混じっていることがある。少女はそんな不思議な品を見るのが好きで、いつもの様に大急ぎでその髭を蓄えた行商人の元へと向かった。
玄関に向かうともう行商人は大きな鞄を開けて、おばあさんが品定めをしているところだった。少女が品を検分する時間は、おばあさんが買い物をし終えるまでと決まっていたから、少女は急いで横から覗き込んだ。端から物を取り上げては、見聞する。綺麗な柄の織物や可愛い人形があしらわれた仕掛け時計、いくつも弦の張られた奇妙な楽器。
その中に、少女は手に納まるほどの小さな本があるのを見つけた。形は小さくても、しっかりと丁寧に製本された本だ。
少女はなぜかその小さな本がとても気に入って、おばあさんにおねだりをして買ってもらったのだ。
その本は、いろいろな町の特産品が書かれた本で、中には鮮やかな色彩のお土産品や食べ物の絵が隅々まできめ細かく描かれていた。小屋と近くの町にしか行ったことのない少女にはどれも新鮮で、その素敵な本は瞬く間に少女のお気に入りになった。
おばあさんにその本に書かれていることを、飽きるまで聞かせたものだった。おばあさんは、いつでもやさしく微笑んで、少女の話に耳を傾けてくれたのだ。本当に、なんでもない些細な少女の話にも、おばあさんは興味深げに聞いてくれたのだ。
少女は小屋の遥か西にあるという、町に大きな時計台があるという町の特産品について話しているときに、目を覚ました。
一瞬、少女は自分がどこにいるのか分からなくなった。
ゆっくりとあたりを見回して、自分が図書館で寝てしまったことを思い出した。本に囲まれていたから、こんな夢を見たのか。少女は本棚から一冊取り出すと、ページを捲り鼻を押し当てて匂いを嗅いでみた。しかし、紙の匂いはしない。
少女は、立ち上がってあたりを一周してみた。もしかしたら、少女の持っていた本と同じ物があるかもしれないと期待したが、同じ物を見つけることは出来なかった。あの本を小屋に置いてきてしまっていた事を少女は後悔した。あれだけ素敵な本だったのだから、沢山の本に埋もれている図書館においてもきっと多くの人から好かれるに違いない。今だったら、少女の日記帳を図書館の哲学の本に混ぜて置いておいても、誰も文句は言わないだろう。
少女は本の中に見覚えがある背表紙を見つけて立ち止まった。本を抜き取ると、少女はそれを開いた。それは、縫い物について描かれた専門書だ。
少女は心の底に眠る、思い出を揺り起こした。
昔、一度おばあさんからとっておきの本を見せてもらったことをあった。それは、おばあさんが皆と町に住んでいたときに買った本で、沢山の町のいろんな種類の高価な人形の写真が収められた本で、おばあさんの宝物だと言っていた。少女はそこに描かれていた、青い瞳の人形を気に入ってほしいと言ったら、おばあさんは次の日にわざわざ町で真新しい毛糸を買って少女のために人形を作ってくれた。写真にあった陶器でできた綺麗な人形とは違ったが、少女のお気に入りになった。
少女は、なぜ町で暮らさないのか聞いたことがある。町にいれば、たくさん人もいるし賑やかで楽しい。買い物にだって困らない。しかし、おばあさんはただ笑ってこっちのほうがいいんだよ、と答えるだけだった。
『でも、前は町に住んでいたんでしょう。何で、この小屋に住もうと思ったの?』
腑に落ちない少女がそう聞くと、困ったように『お前が来たからだよ』と言った。
『どういうこと?』
『お前は、ここの世界の人とどうも少し違うようだ』
『どこが?』
『いろいろさ。私はこの世界のあり方がすべてだと思っていたんだけどね。お前を見ていると、別のあり方も在るんじゃないかって思うんだよ』
おばあさんは、いつだって少女の質問に真剣に答えてくれていたけれど、少女は自分がその意味を理解できたことは少ない。おばあさんの答えはどれも謎をはらみ、少女にその答えを強いている。
もし、その答えを今わかっても、本当にそれがあっているのか少女には分からない。おばあさんは消えてしまったのだ。
そういえば、どうやっておばあさんは消えてしまったのだろう。
知っているはずの答えは現れず、少女は首を傾げた。