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第二章 言葉を話したカラスと旧世界の落し物 -4-



 約束の日曜日の朝。案の定ソーマはナツメに叩き起こされた。時刻は九時。休みの日にこんな時間に起きるのは久しぶりのことだ。

「おはよう」

 トウワタ老はまだ出かけてはいないらしく、屋根裏からナツメに引きずられるソーマの事を険しい顔で見つめていた。

「お前がこんな時間に起きたせいで、今日は天気が悪い」

 窓の外の曇った空を指して言った。トウワタ老の朝の挨拶はいつもこんなものだ。

「で、お前たちはそんなに張り切ってどこに行くんだ?」

 トウワタ老が質問をした。猫が逆立ちするくらい珍しいことだ。

「図書館だよ」

 寝起きのかすれた声でソーマは答えた。

「そうか、雨も降るな」

 トウワタ老は険しい顔をさらに歪めると、「出かけてくる」と言い残し黒い雨傘を持って出かけていった。

「そういえば先週は雨降らなかったわね。不可解なことに」

 ぽつりとナツメが呟くのが聞こえた。

 さすがに今日はナツメも自分の自転車で来ていた。籠には沢山の本が詰まれている。先週押しかけてきたときのような切迫感は無いものの、逸る気持ちが抑えられないのかナツメの自転車をこぐスピードは速い。薄曇の空を裂くような勢いで走っていく。張り切りすぎて図書館につくころには、いつも自転車で町を走り回っているソーマでさえ息が上がってしまっていた。

「ナツメ……気合はいりすぎ……」

 ソーマのぼやきを無視すると、真っ直ぐに図書館に入っていった。

「わ、ちょっと待ってよ」

 慌ててソーマはナツメを追いかける。

 開館前の図書館は想像以上に慌しい。前にカガチが規模の割には職員が少ないと言っていたのを思い出した。忙しなく働く人々の中に動かない影が一つ。カガチは図書館に入った真正面ですでに待っていた。

「早いね。さぁ、行こうか」

 二人を手招くと、ゆっくりと歩き出した。二階に上がり、一番奥の関係者以外立ち入り禁止の札のかかった扉を開けると、長い廊下が現れた。両脇に等間隔に部屋が並んでいる。閲覧禁止の本などが納まっている部屋だとカガチが教えてくれた。

 その奥に、狭い階段があった。三人はゆっくりと上っていく。

「そういえば前に言っていた変化する絵ってどういう話なんですか?」

 ようやくソーマが聞きそびれていた質問をした。

「それは私も気になる。どうなの? カガチ」

 ナツメも気になっていたのか、すばやく話に乗ってきた。

「その話は、これから紹介する人に聞いんだ。直接彼女に聞くといいよ」

 階段はずいぶんと長い。この階段を毎日上り下りしている研究者は、やはり体力が必要なのだろう、とソーマは思った。ようやく、到着すると、一番奥の扉の前でカガチは立ち止まった。

 カガチがノックをすると、中から小動物のような甲高い、それでいて妙にしわがれた声で返事をするのが聞こえた。カガチは、ゆっくりとドアを開ける。

「失礼します」

 狭い部屋の中は、文字通り本で埋まっていた。部屋の真ん中に設けられた木製の机の上にも、椅子の上にも床の上にも、ところかまわず本が平積みにされている。研究のためだろうか、とソーマが本棚を覗き込もうとした時、これから会う相手が何の研究をしている人か聞き忘れていた事に気づいた。恐らくナツメも聞いてはいないだろう。

 ソーマは本から目を離すと、研究者の姿を探した。

 声はしたはずなのに、人の姿は見当たらない。カガチは構わずに部屋に入っていく。床に本が散乱しているので、本の山を崩さないように慎重に歩かなければならないのだが、慣れているのかカガチは魚の泳ぎのように滑らかに進んでいく。ソーマも職場ではがきの山を崩さないように走り抜けたりするので、こういう場所は慣れているのだが、唯一ナツメは足場を見つけるのに苦労していた。

 机の脇に行くと、そこに研究者がいるのかカガチは軽くお辞儀をした。

「おはようございます。全く、また随分本を溜め込みましたね。借りた本はちゃんと各自の責任で本棚に返していただけると嬉しいのですが……」

 責めているという感じではない。諦めてはいるのだけれど、とりあえず言っておこうという程度の小言を言うと、カガチは二人に手招きした。

 ソーマとナツメは本が山積みになった机を覗き込んだ。二人は目を丸くする。

 小人のような老婆が椅子に腰掛けていた。

 小柄な老婆は白いブラウスとブラウンの床につくほど裾の長いスカートを履き、顔に合わない大きな分厚い丸めがねをかけ、まるで珍種のフクロウといった印象だ。少なくとも研究者には見えない。

「ナツメとソーマです。彼らがあなたの研究に興味をもった者たちです」

 カガチは老婆に向かって簡潔に説明すると、二人に向き直った。

「二人とも、彼女がヤツデ女史だよ」

「「よ、よろしくお願いします」」

 同時に二人が挨拶すると、女史は頷いた。

「ええ、カガチから聞いているわ」

「それじゃあ、僕は仕事があるので」

 そういうと、カガチは二人の脇を抜け、出て行ってしまった。ソーマとナツメはいきなりこの奇妙な、何の研究をしているのか分からない研究者と取り残されて、呆然とした。

「貴方たちは、どういった人たちなのかしら」

 ヤツデ女史の、一番最初の質問がこれだった。漠然としすぎていてどう答えたらいいのか分からず、ソーマは口をつくんでナツメに助けを求めた。

「ヴェストリ通りにあるパン屋の娘です。こっちは私の弟です。不思議な事がありまして……そのことで貴方に話を伺おうと思ってきました」

 個性的過ぎていまいちつかみどころの分からない女史を前に戸惑っているのか、ナツメの言葉は妙に硬かった。

「そう、それじゃあ貴女もパンは焼く? 誰からそのことを教えてもらった?」

「はい、両親に教えてもらいました。前から簡単な手伝いはしてましたが、本格的に教えてもらったのは学校を卒業してからです」

「パン屋は貴女の両親が開いたのかしら?」

「いいえ、父が祖父からパンの作り方を教わったといっていたので違います」

「いつから開いたのか分かる?」

「……いいえ」

 こちらが質問しようと意気込んでやって来たのに、逆にヤツデ女史の意図の分からない事務的な質問攻めにあい、ナツメの顔には困惑の色が広がった。

「弟君。君は知っている?」

「い……いいえ。知りません」

 いきなり話を振られて油断していたソーマは飛び上がった。どうやら質問の矛先がソーマに向いたらしい。

「貴方はいくつかしら?」

「十三です」

「貴方は今何を? 学生かしら」

「あの、違います。郵便局で働いていて……」

「郵便局で……? そう……」

 機械のように精密なタイミングで出されていたヤツデ女史の声に僅かに詰まったが、それも一瞬のことですぐに元のリズムを取り戻した。

「いつからはじめているの?」

「五年前からです。配達を始めたのは一年前からですけど……」

「貴方以外に配達をする人はいるの? 従業員の数は?」

「いいえ。配達は俺一人です。従業員は仕分け担当のトウワタじいさんと二人」

「貴方はお父さん似かしら、それともお母さん似?」

「あの! 私たちが質問しに来たんですけど……」

 いつ終わるとも知れないヤツデ女史の質問攻めを、とうとうナツメが遮った。ヤツデ女史は「そうだったわね」とあっさりと質問を取りやめ、椅子から立ち上がると、折り重なった本の中から何かを取り出した。

「これが変化した絵」

 差し出された絵をソーマは受け取った。脇からナツメが首を伸ばして覗き込む。

 キャンパスに描かれた絵は古く、保存状況が悪かったせいか――誇りっぽい本の墓場のような部屋に混じっていたから当然というべきか――ところどころ痛み、かすんでいる。

 ソーマに絵の知識はないが、それでも名画などといわれる絵ではないことは分かった。何の変哲もない町の風景が描かれている絵は、細かく丁寧に描かれてはいるがどこかぎこちない。ただ、どこか懐かしいような暖かい雰囲気は伝わった。

 この絵がどう〝変化″するのか、ソーマにはまったく想像できなかった。

「普通の絵……ですね」

 ナツメも分からないのか、首を傾げている。

「私がこの絵を初めて見たのはもう二十年も前のことよ。それはこの図書館の地下にある倉庫で見つけたの」

 独特の高く少ししわがれた、それでいてどこか甘い声でヤツデ女史は話し出した。早口なわけではないのに、その声質のせいか急いて聞こえる。

「その絵の中に、最初はたくさん人がいたのよ」

 人?

 二人は再び絵を見る。しかし、そこには人影ひとつ見当たらない。

「二十年前に、気づいたら突然誰もいなくなっていたの」

「いなくなった?」

 さらりと言い放つ女史の言葉にソーマは首をかしげた。

「後で消されたんじゃなくて?」

「いいえ違うわ。誰も何も触っていないのに、ある日気付いたら消えていたのよ」

「そんな事って」

 ナツメも隣で顔をしかめながら呟いた。

「普通は無い、わね」

 ヤツデ女史は淡々と、抑揚も淀み無く無機物のような整然さで話を続けた。

「でも、調べてみるとそういう事がこの街ではよく起こっていたのよ。昔は特にね。無いはずの物が在ったり、起こりえない事が起こるの」

「無いはずのものがある」

 ナツメの顔に僅かに不安の色が浮かび、考え込んでしまった。

「最近は本当に少なくなってしまったみたいだけど。昔はもっと多かったでしょうね。あなた達も、変な事を聞いたって、カガチ司書からきいたけど」

 ヤツデ女史の分厚いメガネの奥で、瞳が光った。

「はい。俺は聞いていないんですけど、ナツメのヒオウギが喋ったって、な?」

 ソーマが話を振ると、ナツメは慌てて頷いた。

「あ、そうです。ヒオウギ……私の飼っているカラスなんですけど、いきなり言葉を話したんです。世界の終わりがどうとかって」

「世界の終わり、なるほどねぇ。カラスが話すというのは、初めて聞いたわ。興味深いわね。ところで、あなた達はこの街の神話について何か知っているのかしら?」

「ちょっとなら。この世界の前にも世界はあって、それが滅びてこの世界ができた」

 ナツメの説明に、女史は頷いた。

「そう。私はね、こういう不可解なことってその旧世界から落ちたものだと思うの」

「落っこちた?」

「旧世界の残り香。あなたのカラスが話したこともずっと昔の落し物を拾ってしまったためね。きっと」

 女史の言葉にソーマとナツメは顔を見合わせた。腑に落ちない、お互いそんな顔だ。

「その旧世界ってもうずっと前に滅んでしまったんですよね?それが何で今頃落ちてくるんですか?」

「さぁ、それを今研究しているの。知っている?この図書館にある本はほとんど作者不明のものなのよ。本だけじゃなくて、この地下に眠っている絵画や彫刻のような美術品もね。この街だってどこから来たのか誰も知らないわ」

「その事がヒオウギが喋った原因だとはとても思えません」

 ナツメはきっぱりと言い切った。

「まぁ、そうね。それはまだ仮説の域を出ていないもの」

 ヤツデ女史はあっさりとナツメの意見を肯定した。

「でもね、事実この街では不可解なことはたくさんあるの。不可解な事だけじゃない。私は私たちのこの世界そのものも旧世界の落し物のひとつだと思っているの」

 この世界が落し物である。そんな突拍子も無いことを、まっすぐに女史は言った。ソーマには全く想像できない。

「もし時間があるなら地下に行って見なさい。そこに沢山この絵のようなものがあるから」

 最後にそういうと、ヤツデ女史は研究に戻りたいからとソーマとナツメを追い出した。


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