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第二章 言葉を話したカラスと旧世界の落し物 -3-



「図書館の中に入るのなんて久しぶりだよ」

 日曜日の図書館にはいろんな年代の人が、それぞれに自分の世界のなかで読書にふけっていた。

 その中で膨大な本の山を抱えて忙しなく閲覧室と本棚を行き来する人々を、ソーマは物珍しげに眺めた。そういう人はこの図書館の職員なのだという。意外と司書という仕事には体力と運動神経が必要なのかもしれない。前が見えないほど高く積んだ本を抱えながら、何にもぶつからずに目的の場所にたどり着くのは、一つの芸当だとソーマは思った。

「ほら、よそ見していると人にぶつかるわよ。目的の本棚はこっち」

 ナツメに連れられて辿り着いたのは、人がほとんどいない神話コーナーの一角であった。ソーマはたくさんの本を見上げる。『神話百科』に『神話にかかわる動物』、『神話の読み解き方』まで。神話ひとつ取っても、様々な本があるらしい。

「これよ」

『世界の終わりの物語』。

 司書の仕事は早いらしく昨日返却したばかりの本は、もう何年もそこを離れたことがない様にその場所に収まっていた。

「神話だったのか」

 ソーマは本を取り出すと、ページを捲った。古い紙のにおいが鼻をくすぐる。

「実は私、これは最後まで読んでいないのよ。他の二冊を優先しちゃったから。半分ぐらいは読んだんだけど……これは世界が始まって終わるまでの話を書いたものらしくて……途中で返却期限がきちゃったの」

 ナツメの言うとおり、一章の題名は『世界創造』。目次を見ると全部で十二章あり、最後の題名は『最後の一人』であった。

「ナツメはヒオウギの言葉の中に『世界の終わり』って言葉があったから、これを借りようと思ったんだよな?」

「そう。初めはカラスの生態の本だけ借りる予定だったんだけど、ちょっと気になったから司書の人に訊いてみたのよ。世界の終わりに関する本はないかって。そしたらこれを紹介されたの」

「もしかしたら、全然関係ないかもしれないんじゃないか」

 呆れ返ってソーマが言うと、脳天に拳骨が降ってきた。さすがのソーマも少しむっとする。

「『消える』って言葉もあったでしょう? ある世界が消えた後に、この世界が出来たっていう神話があるのよ。きっと何か関係があるわ」

「そうなのか? っていうか、知っているならわざわざ本で調べる必要なんてないじゃないか」

「曖昧だから、ちゃんと調べる必要があるのよ。何か重要な事が出てくるかもしれないでしょう!」

「それは正論かもしれないけど、まずは静かにしてほしいなぁ」

「そうだよ。ナツメはいつも口煩すぎるんだよ」

「あんたのほうが声がでかいのよ」

「いや、二人とも大きいかな」

「「そんな事……うわぁ」」

 綺麗に声が重なった。

「お静かにお願いします」

 いつからそこに居たのか、カガチが後ろから覗き込んでいた。穏やかな微笑を浮かべ、注意する。

「カ……カガチさん!驚かさないで下さいよ」

「驚かして悪かった。それにしても息のあった兄弟だなぁ。双子みたいな反応だ」

 目を細めて感心したようにカガチは言う。

「あの、一応血はつながってないんですが……」

 カガチは苦笑いすると、ナツメに向き直った。ナツメは苦いものを飲み込むときのような不機嫌な顔をして、黙りこくっている。驚かされたことが、よほど頭にきたのだろうか。

「何か探し物かい?」

 それに対するカガチは普段と変わらぬ柔和な顔だ。

「……本よ。ここは図書館なんだから」

 怒りはまだ解けていないのか、ひどくそっけない。

「珍しいな。本なんて読むより、外で遊ぶほうが好きだっただろう?」

「いいでしょう。私だって、本ぐらい読むわよ」

 ソーマの手から本を取り上げると、ナツメは一人で閲覧室に歩いていってしまった。残された二人は顔を見合わせた。

「カガチさんが驚かすからナツメの奴、物凄く不機嫌になっちゃったじゃないですか」

 ソーマはナツメに聞こえないようにカガチに耳打ちした。

「あれはどちらかというと、君の失言が原因じゃないか?」

「何か言いましたっけ?」

 混乱するソーマに「図書館では静かにするように」と注意すると、カガチは仕事に戻っていった。


 来るのが遅かったせいか、調べ始めてすぐに西日が強くなってきた。

 閲覧室は光が満ち、暖かさで瞼が落ちそうになる。隣では渦高く詰まれた本に囲まれたナツメが一心不乱に本に向かっている。結局、二人は『世界の終わり』と『消える』という二つの言葉にあう本を片っ端から調べているのだが、城をたった二人で攻め落とそうとするようなもので全く歯が立たない。

 ナツメに引きずられるようにして調べ物に協力したけれど、この行動が本当に意味があるのかも分からないのだ。とても不毛な事をしている気がする。そもそもソーマ自身は、ヒオウギが言葉を話したのを聞いたことはないのだ。もしかするとたまたまヒオウギが発した鳴き声をナツメが聞き間違えたのかもしれない。ソーマはナツメを見た。ヒオウギのため、ナツメは真剣に調べている。

 ソーマは、一番最初にナツメが借りた『世界の終わりの物語』に目を落とした。第一章から斜め読みで読み進め、一番最後の章にようやくたどり着いたところだった。最後の一人の物語だ。

「あれ?」

 ソーマは首を傾げた。残ったページを見ると最後の章がやけに少ないのだ。いや、少ないどころか全くない。製本の途中で抜け落ちてしまったのだろうか。

「あぁ、もうすぐ閉館の時間だわ」

 ため息交じりにナツメは言った。見ると、時計はもう四時半を指していた。見回すと閲覧室で本を読みふけっている人はほとんどいなくなっていた。ただ、図書館の職員が相変わらず沢山の本を抱えて歩き回っている。

「なぁ、何か分かったのか?」

「何にも」

 ナツメは珍しく深いため息を吐きながら肩を落とした。

「意外と世の中は本で溢れているのね」

「そうだな。それにしても、図書館の職員って何やっているんだ? ずっと大量の本を抱えて行ったり来たりしているけど」

「さぁ……。向こうから歩いてくる人にでも聞いてみれば?」

 ナツメの指すほうを見ると、ちょうどカガチが歩いてくるところだった。

「カガチさんが正面から来るなんて珍しいですね」

「後が怖いからね。一日一回と決めているんだ。二人とも、もう閉館だよ」

 時計を指して言うと「その本は借りていくのかい?」と訊いた。

「ええ。全部……は、さすがに読みきれないから、この五冊を借りていくわ」

 ナツメは本を渡すと、大きく伸びをして立ち上がった。

「ね、カガチさん。あの大量の本を抱えながら行ったり来たりしてる司書の人は、一体何をしているんですか?」

「ああ、彼らは研究者だよ。研究に必要な本を下に取りに来ているんだよ」

「研究者って大学だけじゃなくて、図書館にもいるものなの?」

 ナツメが訊いた。

「見ての通りここは資料を調べるのに楽だからね。大学よりここに住み込んで研究しているものも多い。それにしても、科学に神話に小説。君たちは何を調べているんだ?」

 図書カードを改めながら、不思議そうにカガチが訊いた。

「カラスがしゃべったんですよ。なぜしゃべったのか、その言葉に意味はあるのか、それを調べているんです」

 例えカガチでも、どうせまともには取り合ってくれはしないだろう。ソーマはそんな軽い気持ちで打ち明けた。ナツメに少し睨まれたが、特に何もいわれなかった。

「カラスって、あのヒオウギがかい?……まぁ、そういう事もあるかもしれないね。で、なんて喋ったんだ?」

 首を傾げながらカガチは訊いた。取り立てて驚きもせず、笑いもせず、例えば道を尋ねるときのような自然な訊き方だった。信じているのか信じていないのか、判断できない。

「消えるとか、世界の終わるとかどうとか、そんなことよ。ヒオウギが知らないはずの言葉を喋ったのよ。もっと驚いてもいいと思うんだけど」

 カガチの反応が不満なのか、驚かされた怒りがまだ取れていないのか、突っかかるような言い方だ。

「ああ、カラスがしゃべったってのははじめて聞いた。でも……」

 カガチは一度言葉を切ると、手をあごに当てて上を見た。少しの間、何かを追いかけるように目が中をさまよった。

「似てる。……いや、全然違うんだけれど同じような不思議な話を聞いたことがあるんだ。ヒオウギは〝世界の終わり〟って言ったんだろう?」

「ええ、そうよ」

 上手い言葉が見つからないのか、歯切れが悪い。一瞬の間。ソーマとナツメはカガチの言葉を息もせずに待った。

「実は、変化する絵の話を聞いたことがあるんだ」

「……全然違うじゃない」

 最初に沈黙を破ったのは、ナツメの呆れたような声だった。

「そうですよ。似てるっていうから、猫がしゃべったとかそんなことかと思いましたよ」

 続いてソーマも口を尖らせていう。対するカガチはそんな反応を予想していたのか、苦笑すると「そういう不自然な事件はこの街では沢山起こってって話だよ」と付け加えた。

「つまり、ヒオウギがしゃべった事なんて大したことじゃないって言いたいの?」

「心配することではないんじゃないかな」

 カガチはきっぱりと言い切った。

 その様子に、ナツメとソーマはお互いに眉をひそめながら顔を合わせた。

「もしかして、ヒオウギがいきなり話し出した原因に心当たりがあるの?」

「もしかして、カガチさん何か知っているんですか?」

 もし、何か知っているなら教えてほしい。そう言ったソーマの言葉に、カガチは頷いた。

「力になれるかどうかは分からないけど、来週の日曜日にまたおいで。紹介したい人がいるんだ」

 そういうと、二人に本を渡し仕事に戻っていった。

 図書館から一歩外に出ると、もう空は真っ赤に染め上げられていた。ヒオウギはナツメを見つけると、最後に図書館を包むように旋回し、ナツメの腕に戻ってきた。夕焼けはヒオウギの翼さえ、茜色に染めている。

「お待たせ。ヒオウギ」

 ナツメはヒオウギの頭を撫でる。

「さ、帰ろうか」

 借りたばかりの本を自転車に乗せ、ソーマはナツメを家まで送り届けた。来たときには、あんなに賑わっていた街は不思議なほど閑散としていた。

「ナツメはカガチさんの話どう思うんだ? ヒオウギの事と、本当に関係あると思うか?」

「関係あるかどうかは分からないけれど、とりあえず聞いてみる価値はあると思うわ。それに、カガチの言う不可解な出来事ってのにも興味があるし……ね」

「そうだな……」

「ソーマも来るの? 日曜日」

 相槌を打ったソーマにナツメは真顔で訊いた。

「何をいまさら……」

「だって、今日は私が無理やり連れてきただけだし……。本当はヒオウギが話したって事だって私の勘違いだと思っているんじゃない?」

「それは……。でも、俺も聞くぞ。このままじゃ気になって仕事が手につかない」

 図星を付かれて動揺するソーマに、ナツメは「あんたはそんなに繊細じゃないでしょう」と言って額を軽くこずいた。

「じゃあ、また日曜日。午前中にいくから、寝坊はしないようにね」

 ヒオウギと大量の本を抱えてナツメは家に消えた後、真剣に本のページを捲っていたナツメの姿が脳裏に過ぎった。普段見たことのないナツメの姿。

 不可解な事件はこの街では多く起こっているのだとカガチは言った。なら、ナツメは前にも同じような不思議な事を体験しているのかもしれない。

 ソーマはふと、そんな事を思った。

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