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第二章 言葉を話したカラスと旧世界の落し物 -2-

 グラスヘイムの日曜日。町は人と光にあふれている。町の端っこにこじんまりと存在するギフ郵便局の屋根裏部屋にも、小さな窓から光のカーテンと人々の喧騒が漏れ聞こえてくる程だ。

「ふぁあ」

 ソーマは顔の半分を埋め尽くすような大きな口をあけて欠伸をすると、ようやくベットから起き上がった。無愛想で無干渉なトウワタ老との暮らしの中で、ソーマは日曜日の楽しさというものをはじめて知った。それまでいたパン屋の生活では、平日も休日も関係なくナツメに叩き起こされるので、ゆっくり寝ていられないのだ。普段の二倍は好き勝手に飛び跳ねている髪もそのままに、覚束ない足取りで屋根裏部屋から二階に降りる。

 顔を洗い、歯を磨く。それでも頭に紗がかかったような状態で、ナマケモノのようにのそのそお湯を沸かして紅茶を入れると、早速昨日ナツメに貰ったパンからレーズンなしのみを取り出して、思いっきり噛り付く。

 トウワタ老はいない。日曜になると必ず職人街の仲間たちの元に出かけていくのだ。スズリ通りの職人は大酒のみが多く、トウワタ老もよく酒の匂いを振りまきながら帰ってくるのだが、なぜか酔ったところは見たことがない。

「今日一日は、ゆっくりできるな」

 悠々と窓の外に目を向ける。スズリ通り近くは、グラスヘイムの中でも家がひしめいている地域で、隣との距離が一メートルもなく、それが皆似たり寄ったりの高さで密集しているものだから二階から景色は屋根裏部屋よりもさらに悪い。窓の外はほとんどお隣さんの壁と窓で隠れ、空の面積は十分の一もない。

 その貴重な狭い空には僅かな青空と白い雲、そして横切る黒い影があった。

「……不吉だ」

 ソーマは別に迷信深いわけではない。しかし、慣習として呟いてしまう。

「アンタ、まさか今起きたんじゃないでしょね」

「うわっ」

 言った側から不吉がやってきて、ソーマは猫のように毛を逆立てて飛び上がった。

「なんでナツメがここにいるんだよ」

 見ればナツメの顔が床からひょっこり生えている。生首のようでかなり不気味だ。

「いきなり来ちゃいけないような、やましいことでもあるの? トウワタおじぃさんには来るときにお邪魔しますって言っておいたから問題はないわ。今日は仕事休みだったわよね」

 ナツメは遠慮のかけらもなく上がりこむと、窓を開けて影の主であるヒオウギを部屋の中に招き入れた。ヒオウギはナツメの肩に乗ると珍しそうに部屋を見回した。

「人が食事をしているときに、ヒオウギを入れるなよ……」

「大丈夫。ヒオウギは頭がいいから無闇に羽ばたいたりしないわよ。埃や羽が口に入る心配は無し。そもそもこんな中途半端な時間に朝ごはんを食べているほうが、どうかしていると思うけど?」

「うるさいなぁ。一体、何の用なんだよ。昨日渡された本なら、ちゃんと返したぞ。カラスの分厚い本」

「そう、ありがと。……で、今日はちょっと図書館に付き合ってほしいのよ」

「はぁ?」

 予想外の申し出にソーマは絶句した。

「一人じゃ持ち帰れそうにないから、荷物もちお願い」

「……一人じゃ持ち帰れないほどのカラス関係の本が図書館にはあるのか?」

 さすがはグラスヘイム一のでかさを誇る建物である。

「違うわよ。カラスの専門書は今回は諦めるわ。……残念だけど」

「……」

 どうつっこむべきか分からず、ソーマは黙ってしまった。

「でも、これはヒオウギの為でもあるのよ。だから、ソーマも家族の一員として協力しなさい」

 ナツメの表情はまじめだ。

「ヒオウギ、病気か何かか?」

 ソーマは首をかしげながらヒオウギを見た。取り立てて変わった様子はない。

「昨日も今日も元気に飛んでいるところを見たぞ」

「病気……じゃない」

「じゃあなんだよ?」

 ナツメは手を顎に当てて考え込んだ。さばさばとした性格のナツメらしくない歯切れの悪さだ。

「ちゃんと私の言うこと、信じる?」

「……なん……だよ」

 張り詰めた空気にソーマは居住まいを正した。ヒオウギはこの雰囲気をわかっているのか、辺りを見回す仕草をやめて、ソーマのほうをじっと見つめている。

「ヒオウギがね。……言葉を話したの」

「……は?」

「しゃべったのよ。三回も」

 ナツメは、自分の分の紅茶を入れながら押さえた声でそう告げた。

「はぁ。で、でも。昨日会ったときそんなこと一言も……」

「昨日まではそんなに重要なことだとは思っていなかったのよ。空耳かとも思ったほどだし。でも、昨日の夜も話したの。はっきりとね」

「……カラスはしゃべらないぞ」

「だから、驚いたんじゃない」

 ソーマはヒオウギを見つめた。慰めるつもりなのか、ナツメの肩の上でヒオウギはカラスらしい鳴き声を一言放った。ナツメは深呼吸をすると、真っ直ぐにソーマの目を見て話し出した。

「いい? 最初に聞いたのは一ヵ月前。夜にヒオウギを鳥かごに入れたとき。ヒオウギっぽくない澄んだ声で……。でも、小さくてよく聞こえなかったし、その時は私も空耳だと思って気にしなかった。それで、すぐにその事は忘れたわ。その次に聞いたのは一週間前。お昼の散歩から帰ってきたとき。今度も同じようなかわいい声で話したのよ。最初のときと同じように小さい声で一言だけ、後はどんなに呼びかけてもヒオウギはカァとしか言わなかった……。それで、最後は昨日の夜。また同じような声だった」

「よくわからないけど、もしかして、それでカラスの生態を調べようと思ったのか?」

「そう。前々から興味もあったし、一晩で二冊とも読んじゃった。でね、カラスって頭がいいから人の社会で暮らすと人の言葉を覚えることもあるんだって書いてあった」

「じゃあ、話しても不思議じゃないんだな。なんでナツメはそんなに深刻な顔をしてるんだよ」

 ソーマは方を撫で下ろした。そこまで分かったならそんなに驚くこともない。ナツメにとっては逆に喜ぶべき事だと思う。それなのに、ナツメが不安に思う理由がわからなかった。

「だから、声が違うのよ」

「声?」

「ヒオウギの声じゃないの。絶対。それに誰も教えないような言葉をいきなり話すのは変でしょ?」

「……なんて言ったんだ? ヒオウギのやつは」

「最初の言葉はさっきも言ったように聞き取れなかった。二回目は、〝世界はもう終わっちゃったんだ″そう聞こえた。……まだ幼い、子供の声だと思う」

「確かに、ヒオウギがそんな事を言ったら驚くよな。それで、昨日は何て?」

「少し震えた、やっぱり子供の声。〝私も消えちゃうんだね〟って……。はっきりとね」

 ナツメはヒオウギの黒く光る体を優しく撫でた。ヒオウギはナツメに身を任せている。

 ソーマは、少し温くなった紅茶を一口飲んだ。

「それで、ナツメは何を調べるつもりなんだよ。まさかヒオウギに幽霊が取り付いた、なんて思ってはいないだろ?」

「私は、ヒオウギの言葉がどういう意味なのか、それが知りたいの。それが分かれば、どうしてヒオウギにそんな事が起こったのか、分かるかもしれないでしょう」

「そんなものに、意味があると思うのか?」

 顔をしかめながらソーマは訊いた。

「無いかもしれない。でも、気になるの」

 ナツメは引かない。ソーマはナツメの顔を見つめた。ナツメは真っ直ぐにソーマの瞳を見据えている。

「心当たりがちゃんとあるんだろうな。ゼロから手探りで探すなんて面倒くさいことはごめんだぞ」

「昨日ソーマに返してもらった本。そこからはじめようと思うの」

「あの、『世界の終わりの物語』って本か?どんな本なんだ?」

「行ったら分かるわ。もうすぐ二時よ。急がないと図書館が閉まっちゃう」

 そう言うなり、ナツメはソーマを立たせるとせわしなく身支度を始めた。

「ほら、早く!」

 ソーマは寝癖もそのままに、ナツメに外に引きずり出された。

 ソーマが愛用の自転車にまたがると、当然のようにナツメは後ろに乗った。

「自分の自転車はどうしたんだよ」

「今日は天気で気持ちが良かったから、散歩がてら歩いてきたのよ」

 ナツメがヒオウギの止まった腕を高く掲げると、ヒオウギは赤いリボンをなびかせながら天へ舞い上がった。

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