第六章 本当の贈り物 -2-
ソーマは一人、白く染まった道を歩き、家に向かった。縫うように路地を抜け、郵便局に着くとその小さな二階建ての建物を見上げた。二階に薄く明かりがついているのがわかる。ソーマは「ただいま」と、遠慮なく大きな声で言うと、二階へ上がった。
「こんな時間まで何していたんだ?」
トウワタ老はちょうど起きたところらしく、顔を洗っていた。
「カガチさんの家に行っていたんだ。外、雪が降ってるよ」
「そうか。どうりで寒いはずだ」
トウワタ老はそういうと、朝食の用意をした。
「お前は食うのか?」
「ううん。食べてきたからいいよ。紅茶だけ飲む」
トウワタ老が食事をしている前で、ソーマは熱い紅茶を飲む。外を歩き体が冷えたせいか、熱いものが通る感触が一層際立って感じる。
「なあ、じいさんひとつ提案があるんだけど」
「なんだ?」
雪道を歩きながら考えていたことを、ソーマは言った。
「従業員を増やそう」
「お前が楽するためにか? 二人で出来るうちは二人でやると言っただろう」
「いいや。これから町はもっと広くなっていくよ。きっと二人じゃ配達しきれなくなる。だから、今から人を増やしたほうがいいと思うんだ。町が広がっているのは、じいさんだって知っているだろう?」
「ああ。先週南の開発が終わったばかりだ」
「だろ? だから、きっと必要になるよ」
トウワタ老はソーマのほうをじっと見つめ、考え込んだ。
「……そういえばお前、最近図書館に通っていたな。ヤツデのところだろう?」
「ああ」
「何を吹き込まれた」
「色々。でも、これはそれとは関係なくて、そう思うんだ」
トウワタ老は答えずに、食べ続けた。ソーマは、トウワタ老が食べ終わって言葉を放つのを黙って待った。トウワタ老は、食べ終わるとまっすぐにソーマの瞳を見つめ、いかつい顔で言った。
「……ふん。考えておこう。……すぐに、とは行かないがな」
「うん、今はそれでいい」
ソーマが満足げに笑って言うと、トウワタ老はやれやれとため息をついた。
「そうだ。そういえば、今日、朝起きたらこんなものが枕元に在ったんだ。お前が持ってきた……わけじゃあないよな」
そういうと、懐から手紙を出し、ソーマに渡した。宛名も差出人もない封筒。それは、かつて見たものに似ていた。郵便局に眠っていた手紙は『落し物』の一つだと思っていたが、違ったのだろうか。
「これは、あの手紙……? 言っとくけど、俺じゃないぞ。今帰ってしたんだし。……開けて、いいか?」
「ああ、開けてみろ」
ソーマは急いで鋏を取り出すと、封を切った。無地の手紙を取り出し、読む。
「これ、今までのとは違う」
ソーマが言うと、トウワタ老は横から覗き込んだ。
色褪せた白い便箋には、綺麗な字がきちんと並んでいる。始めてみる、小さくて、可愛い字だった。ソーマは、その手紙を読み上げた。
ソーマが読み終わると、トウワタ老は鼻を鳴らした。
「確かに内容は違うな。それなりに誰かに宛てた手紙の形はしている。しかし、随分と頓狂な内容じゃな」
「やっぱり、これは旧世界から来た手紙だったんだ……。しかも、これはあの女の子からの手紙だ……」
「どういうことだ?」
ソーマはヤツデ女史から聞いた事を話した。トウワタ老は信じているのかどうか、いつもの険しい顔で聞いている。
「ふん。その話は、ワシも昔聞かされたな。そんな話をお前は信じているのか」
「信じてる。話したとおり、実際にその子に会ったからね。そうだ。この手紙、俺がもらっちゃいけないかな。できればブリキの缶ごと」
「それはできん。これはお前に当てられて物だとは限らないだろう」
「いや、きっと俺たちに宛てたものだよ。じいさんの枕元に置いてあったんだろう?……俺、じいさんが俺と同じ境遇で生まれたって聞いたんだ」
「ふん。確かにワシも両親などいないが、だからって、お前もわしもそんな得体の知れないものじゃあない」
「得体はあるよ。この町の最初の人だって、つまり、ナツメのおばあさんのおばあさんのおばあさんぐらい遡ったら、俺たちと同じように手品みたいに生まれた人がたくさんいるんだ」
トウワタ老は、黙りこくった。
「……なあ、どうしてトウワタ老は郵便局に勤めようと思ったんだ」
「そんな大した理由はない。ただ、ワシに合っていただけだ」
「そっか。俺もこの仕事、自分にあってると思うんだ。この手紙を見て、ちょっとその意味がわかったよ」
トウワタ老は、片方の眉を吊り上げて、ソーマを見た。
「ほう。それはヤツデ説ならぬ、お前の説というわけか?」
「うん。俺たちはさ、伝えなきゃいけないんだよ。この手紙に書かれたことをさ。これは、俺たちに、世界中の人に届けてほしいってことで、ここにあるんだよ」
トウワタ老は、腕を組んで考え込んだ。
「世界がどこまでも広がっていくんなら、俺たちはどこまでも遠くへ届けなきゃいけないんだ」
「一体、何を届けるって言うんだ」
トウワタ老は腕を組むと、顔を伏せ唸るように訊いた。
「色んな物だよ。繋げていくんだ。この子がしたみたいに明日へ。例えば、この子が最後どんなに頑張ったのかとか、そういう人の思いだよ。手紙ってそういうものだろ」
ソーマはそう言うと、トウワタ老を見た。『なぜわざわざこの小さい町で郵便配達をするのか』といったナツメの質問の答えが、驚くほどすらすらと出てソーマ自信驚いた。人の思いを届けたかった。同じ町に住む人にも、遠い未来に生まれる人にも。トウワタ老は顔を伏せたまま、小さく肩を震わせている。
「おい、どうしたんだよ……」
トウワタ老は、とうとう抑えきれないほど怒ってしまったのだろうか。ソーマは身構えた。くつくつと、トウワタ老の口から声が漏れた。どうも様子がおかしい。
「大丈夫か?じいさん、もしかして具合悪いのか」
「いいや。大丈夫だ。怠け者のお前から、そんな言葉が出るとはなぁ」
くつくつという声の中から、苦しそうにトウワタ老は言った。ソーマはあまりの事に、思わず口をあんぐりと開けたまま、しばらくの間固まってしまった。
「じいさん、もしかして、笑っているのか?」
ソーマは信じられない思いで、トウワタ老を見た。トウワタ老は顔を上げた。眉間には長い間刻まれ続けた皺は、変わらずに刻まれている。しかし、その瞳は間違いなく笑っていた。
「よし、お前を見込んで、このブリキ缶を預けよう。いいか、やるんじゃない。預けるんだ。例えこれが何であったとしても。宛名が書かれていない限り、この手紙が他の誰かに宛てたものだという可能性もあるのだからな。それが分かったなら、お前に預けよう」
「……分かった。ありがと」
呆然としたまま、ソーマが頷くと、トウワタ老が棚の置くからブリキの缶を取り出し、蓋を開けた。そこには変わらず、たくさんの古びた封筒が収められている。その一番上に、ソーマは最後の手紙を置いた。そこに、白い光が当たる。
ソーマは顔を上げ、窓の外を見た。小さな窓の十分の一しかない空の端から、朝日が漏れている。雪に白く色づいた世界は光を受けて、薄く輝いていた。
「もうすぐ朝だ」
ソーマは手紙の詰まったブリキ缶を抱いたまま、朝日に目を細めてそう呟いた。
図書館の一角に、その本は置いてあった。
特別人気な本でもなく、時折誰かが気まぐれに手に取る程度の、地味な本。
作者名もなく、いつ書かれたのかも分からないその本は、全部で十二章から成り立っている。
その最後の一ページに、こんな事が書かれていた。
私の住む世界は終わってしまいました。
私はその最後まで、その世界に存在して、その終わりを目撃していました。
最初の一日で二分の一。
次は一週間かけて残りの二分の一。
そして、私は一人残されました。
皆、消えてしまったのに……。
鳥は鳥籠に。
行商人はそろばんに。
子供達はおもちゃに。
おばあさんは編み棒に。
そして、一人取り残された私はゆっくりと人形に。
そういう風にして、一瞬に消えしまったのに……。
中途半端な私は歩き続けました。
森を横切り、町を抜け、一本の長い道を歩んで。
そして、世界が壊れる音を聞きました。
私たちの住む、丸い世界が壊れる音です。
たくさんの思い出とともに、私も世界とともに消え去ろうとしていました。
その先に、私は不思議な光景を見たのです。
世界の終わりに生まれる世界。
私たちの世界よりもずっと長く進むことのできる世界。
この世界のことなど、すっかり忘れて進んでいく世界。
私たちの世界などすべてはき捨てて、成り立っていく世界に何かを残したかったのです。
繋げたかった。
それは私のわがままでしかないのかもしれないけど……。
世界を一人進む私を、おばあさんの暖かい思い出が守ってくれたように。
私たちの消えてしまう世界が、新しい世界を支えたいと思ったのです。
この世界には、私たちがたどり着けなかった場所へ目指して行ってほしい。
ずっとずっと遠くまで、世界は進んでいってほしい。
どこまでも、どこまでも遠くへ―――。