第六章 本当の贈り物 -1-
「雪だ」
ソーマは夜空に舞う、小さい白い雪の欠片を見て呟いた。夜の十二時過ぎ。灯りの付いている家はない。町は眠りについていた。ただ、後ろに聳え立つ図書館の、小さな灯りに照らされてかすかに家々の輪郭が見える程度だ。
ソーマとナツメとカガチの三人は、夜空を見上げた。雪を見上げると体を空に持っていかれそうな不思議な錯覚に陥る。
「寒いとは思ってはいたけど、今年は随分早いわね。お祭りの直後に降るなんて。きっと私たちがこの町で一番初めに今年の初雪を見たんじゃない?」
白い息を吐きながら、目を輝かせてナツメは言った。
「ああ、そうだな」
カガチも空を見上げながら、感慨深げに呟いた。帰ってもいいと何度も言ったのだが、結局二人はソーマがヤツデ女史に話し終わるまで待っていてくれたのである。
町には、まだ祭りのあとが残っていた。誰もいない出店に、引っかかったままの風船。地面には紙吹雪が風に吹かれて舞っている。しかし、数時間後にはすべて雪に埋まってしまうのだろう。
ナツメが図書館に向かって手を振ると、ヒオウギが闇の向こうから飛んできた。ナツメの肩に行儀よくとまる。ソーマはその首に巻かれたリボンを目をやった。赤いリボンはどこでもあるような飾り気のないもので、本当にあの少女がしていたものなのか確信はもてない。でも、ヒオウギの言葉は少女の言葉だったのだ。ヒオウギはあの少女を知っているのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。
「そうだ。お祭りのお土産」
思い出したように言うと、ナツメはぱんぱんに膨れ上がった袋をソーマに差し出した。中には人形やら食べ物やらおもちゃやら、色々なものがすし詰め状態で押し込められていた。ほとんどガラクタといってもいいような物ばかりだ。
「すごい量だな」
「黙っていたお詫びに、奮発したの」
呆れた声で言ったソーマに、ナツメは胸を張って言った。
「良かったじゃないか、ソーマ」
「……もしよければカガチさんにも何か分けますよ」
「ちょっと。私の好意なんだから、ちゃんと残さず受け取りなさいよ」
ナツメが口を尖らせていう。どうやらひとつ残らずもって帰らなければならないらしい。とりあえず、ナツメの気持ちだけは伝わったので「ありがとう」、と素直に言った。
「で、どんな女史からどんな話を聞いて、何に対してあんなに熱心に話していたの?」
「うん。でも、それは長くなりそうだから……今から話したら、遅くなる」
「そうか。……明日はソーマは仕事だっけ?」
「ううん。明日も休み。……まさか」
「気になるから、今すぐ聞きたい。家に帰っていないって知って、本当に心配したんだからね。ヒオウギも探してくれたのよ」
ヒオウギの頭を撫でながら、ナツメは言った。
「どこで話すんだよ。ナツメの家じゃあ、かあさんたち起こしちゃうだろうし、郵便局でもトウワタ老はもう寝てるぞ」
「なら、僕の家ですればいい」
カガチの言葉にソーマは驚いた。
「僕も明日は休みでね。もしよければ、どんな話をしたのか聞きたいな」
カガチはそういうと笑った。
「カガチもそういうんだし、行きましょう」
三人は、闇に包まれたアウトリ通りを抜け、カガチの住むアパートまで歩いた。眠りについた町は開発地で見た灯りのない町と似ていたけど、三人で歩いているせいか、不思議と寂しさは感じなかった。
アパートに入ると、ナツメは真っ先に三人分の紅茶を淹れた。カガチは簡単な食べ物を皿に出し、ソーマは、ナツメがお祭りで買ったお菓子を出す。なぜか、袋の中には家で作ったパンが入っていて驚いた。当然のように、レーズン入りのパンも入っていて、ソーマは肩を落とした。なぜ、お詫びの品にわざわざこんなものが入っているのだろう。
三人は、思い思いの場所に腰を下ろし、ソーマは保管庫での出来事を話し出した。
「何、それじゃあ、あんなに熱心に話していたのに、ただの夢かもしれないわけ?」
ナツメは呆れたようにいうと、紅茶を啜った。
「うん、まあね。でも、あれは本当に世界の最後にいた女の子の記憶だったんだと思うよ」
「ヒオウギのリボンも、その女の子のものだった……か。不思議な偶然ね。まあ、この町が小さいからそんな事もないのかな。でも、保管庫ではどうしてヒオウギが居なかったのに、そんなものを見たのかしら」
自分の家から持ってきたレーズン入りのパンを齧りながら、腑に落ちない顔をして聞いた。
「どうしてだろう。ヤツデさんの言うには、俺が落し物に近いからっていうんだ」
「そう。それで、カラスもそれに近いの? だからヒオウギは話したってこと」
「それは違うんじゃないかな。ヤツデさんが啓示がどうとかっていってた」
「カラスは、天と地を結ぶ役割をしているって神話があるんだよ。ずっと昔、神様の声を人に届ける役目を持っていたらしいよ」
カガチがソーマの説明を補足した。ヒオウギはカガチの家のソファーの一角を陣取って我が物顔で寝ている。
「神様の啓示、ねぇ。そんな不思議な事があるんだ。でも、なんとなく分かるかな。ヒオウギってちょっと哲学的なところがあるものね」
ナツメは二つ目のレーズンパンを取り、齧りついた。哲学的なカラス。そんなことを言うのはナツメぐらいだろう。
「ヒオウギのどこが哲学的なんだ? 普通のカラスだろう。……それにしても、どうしてナツメはわざわざレーズンの入ったパンを持ってくるんだよ。俺がそれ嫌いって知っているだろう?」
「知ってる。でも私が好きなの。だから、入れておくのよ」
当然と言う顔で、ナツメはいった。
「自分が好きだからって、他人も好きだとは限らないぞ」
「そうね。でも、自分の好きなものはなるべく人にも好きになってもらいたいでしょう? 今は嫌いでも、いつか好きになるかもしれないじゃない。いつか好きになって食べたくなったとき、いつでも食べれるように渡してあげるのよ」
「そんな事あるわけないだろう」
「いや、味覚って大人になれば変わるものだって言うよ」
おかしそうに微笑みながら、カガチがいった。
「そうですかね」
「そうそう。だから、これからも持っていってあげるわ」
ということは、好きになるまで永遠に持ってくるということだろうか。「……よけい嫌いになるぞ。それ」と、ため息混じりにソーマはいった。
「それにしても、女史は今頃嬉しがっているだろうな」
「そうね。ソーマのおかげで本が完成するんだものね。それにしても、あの本があの人の書いたものなんて驚いたわ」
ソーマは、すべてを話し聞き終わった後のヤツデ女史の浮かれようを思い出して、苦笑した。あの後、女史はすぐに最終章の執筆を始めた。カガチが言うには、ああなったら終わるまで寝ずに仕上げるだろうとの事だ。
「そういえば、結局、ヤツデさん命名の『落し物』と、カガチさん命名の『贈り物』のどちらが相応しいんでしょうね」
「どうだろう。ソーマの話を聞くと、やはり女史の『落し物』のほうが相応しい気もするね。旧世界で亡くなった人たちの形見みたいなものだからね」
「そうですね」
ソーマが相槌を打つと、隣でナツメが「二人とも何言ってるのよ」と、呆れた声を出した。
「ナツメはやっぱり『贈り物』だと思うのか?」
ソーマの質問に、ナツメは長いため息をついた。
「呆れた。旧世界からこの世界に来たものはきっと『落し物』と『贈り物』の二つがあったのよ。落し物は貴方たちの言っている、あの地下に眠るってるもので、見えないものが『贈り物』よ」
「見えない物? 他に何かあったのかい」
「保管庫にあるもの以外で、何があるんだ?」
ソーマとカガチは驚いた顔で、ナツメに聞いた。
「どうして、本をたくさん読んでるのにカガチはそういう事に疎いのよ。ソーマも実際に見てきたのにどうしてそんな事も分からないの。その女の子が浮かばれないじゃない。いい、現実にあるものばっかり、二人は言っているけど、人から人に受け継がれる本当に大切なものっていうのは、目に見えないものなの。こんなの世界の常識じゃない」
「目に見えないって、例えば、どういうものだよ」
ソーマの質問に、ナツメは向き直った。
「例えば、わざわざこの小さい町で、二人は郵便配達なんてやってるのはどうしてよ。ここは旧世界と違って町一つしかないのよ。用があるなら走っていったほうが速いじゃない。なのに、二人が郵便局で働いて、町の人も何の疑問を持たずにそれを活用とするのは、そういう世界を知っているからよ。今は町が小さくて、意味がないように見えても、それが必要だと知っているからよ。つまり、そういう事。そういうのが、きっと目に見えない『贈り物』のひとつなのよ。図書館にある物語だって、言葉だって、私の家で作っているパンの作り方だって、そうなのよ。そういえば、郵便局の名前だってギフトっていう言葉を縮めて『ギフ』になったって言ってなかった?」
「……そういえば」
ソーマは、働き始めたときにトウワタ老から聞いたことを名前の意味を思い出した。郵便局で働いたこの三年間、そんな事はすっかり忘れてしまっていた事だ。何より、なぜ自分が郵便局で働いているのか。そんなことは当たり前すぎて、深く考えたことがない。あんぐりと口を開けたままのソーマに変わって、カガチが「なるほど」と頷いた。
「そうだ。トウワタ老といえば、この事を話すのかい?」
「……実は、ヤツデさんが言うには、その昔、そのことで大喧嘩したらしいんです。それ以来、じいさんはヤツデさんの言うことは信じていないみたいで……」
カガチの質問にソーマは肩をすくめた。
「……確かに、信じてもらうのは難しそうだね。事実にしても、突拍子もない話には違いないからなぁ」
「でも、それはもしかしたら、信じる気にならなかったのって、相手がヤツデ女史だったせいもあるかもしれないわよ。あの人、没頭すると人の迷惑考えないっていうか……そんなところあるし。ソーマの話だったら、ちゃんと聞くかもしれないかも。――それにしても、どうしてソーマとトウワタ老はこんなに遅くこの世界に生まれたのかしら」
ナツメは首を傾げた。
「うん。そこがよく分からないんだよな。ヤツデさんの調べだと、百年ぐらい前までは俺たちみたいな遅れて世界に生まれて来る人もいたみたいなんだ。その最後にじいさんがいて、暫くはいくら待っても誰もいなかったから、ヤツデさんはもうこれで終わりだと思っていたんだって。その後、五十年近くして俺が現れた」
「あんたの後にも、誰か現れるってこともあるの?」
「いや。その確率は低いだろうって。ヤツデさん曰く、人は旧世界で消えた順に世界に現れて、それは『落し物』が現れた周期と似ている。最後に、ヒオウギが言った言葉はあの女の子の最後の言葉だったから、もう終わりじゃないかって。残念がってたよ」
「まぁ、確かに新しく何かが現れることはないかもしれないけど、ナツメのいう『贈り物』の方は気付かないうちにすっかり根付いちゃっているから、そうがっかりすることもないだろうに」
「少し寂しい気もするけど……その代わりこれから先、町もいっぱいできるんだろうから、そうでもないのかな。この町はどこまで広がっていくんだろう」
「きっと、ずっと……だよ」
ナツメの言葉に、ソーマは答えた。ここから先、世界はずっとずっと先まで続いてゆくのだ。そう少女が願ったのだから、ソーマはそれを叶えてあげたいと思った。
「そっか。ますます賑やかになるのね。……そういえば、お母さんたちには、いつ話す? 本当のことを知ってるって。……私から伝えてもいいけど」
「いいや。自分で言うよ。今度、また夕飯食べに来くって伝えておいて」
「了解したわ」
ナツメはにこりと笑って、敬礼のポーズをとった。
「さて、もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
時計を見ると、ソーマはいった。
「うん、そうね。朝が来る前に帰りましょう」
欠伸をかみ殺しながらナツメが言うと、三人は窓の外を見た。闇の中で雪は降り続き、うっすらと世界を白く染めていくのが見えた。