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第一章 迷子の手紙と世界の終わりの物語 -2-


「起きんか、馬鹿者」

「痛ってー。何も百科事典を顔に落とすことないだろ!」

 トウワタ老が野太い声でそう怒鳴ったとき、ソーマは顔面に受けた衝撃に悶絶している最中で、すぐに起き上がることができなかった。目の前に飛ぶ星を振り払おうと頭を振ると、余計に気持ち悪くなって思わずうな垂れてしまった。

「仕事もせんで、こんな所で居眠りしおって。ほら、配達いって来い」

 ソーマの苦痛に満ちた抗議をあっさりと無視すると、トウワタ老は使い古されてよれよれになった鞄を投げつけた。ひびの入った黒い革に赤い縁が付いた年代物の肩掛け鞄だ。

「相変わらず愛想ないなぁ。ちょっと居眠りしていただけなんだから、もっと優しく起こしてくれればいいのにさ。……それにしても、何か、一段と増えてないか?」

 ソーマはいつも以上の重量感を持ったその鞄を受け取ると、ため息混じりに中身を確認した。鞄の中には、はち切れんばかりに手紙が詰まっている。

「仕事なんだ。増えたことを嘆いてどうする。さぁ、とっとといかんと今日中に配達が終わらんぞ。急ぎの手紙もあるかもしれん。待たせるなといつも言っておるだろう?」

 トウワタ老は今年で還暦を迎えたとは思えない鋭い眼光でソーマを睨みつけた後、矍鑠とした動きで一階の仕事場に戻って行った。いつも寡黙なこの老人は、怒るときだけはなぜか饒舌になって手に負えない。そもそも、この小さい町で急ぐときに手紙なぞ使わないと思うのだが、トウワタ老はそうは微塵も思わないらしい。

「それにしてもこの量……、今日中に終わんないって……」

 ソーマは老人に聞こえないような小ささで愚痴を言いながらのっそりと起き上がると、伸びを一つした。変な体制で居眠りしていたせいか、体中が固まってしまっていた。

 狭く薄暗い屋根裏部屋の小さな窓から外をのぞくと、真っ白な雲を湛えた青空が広がっている。ごみごみした地上と違って何も遮る物がない空を、一羽のカラスが悠々と旋回していた。目を凝らすとカラスの頸には赤いリボンが巻きついている。

 このグラスヘイムにおいて赤いリボンを着けて飛ぶ酔狂なカラスは、西の商店街にあるパン屋の娘ナツメの飼っているヒオウギしかいない。

「ヒオウギの散歩の時間って事は、もう一時をまわってるな」

 ソーマは急いで鞄を肩にかけると急いで梯子を降り、手紙の仕分けをしているトウワタ老の横をすり抜け外に飛び出した。その際、仕分け途中の手紙がいくつか宙に舞いトウワタ老は眉をしかめたが幸いにもソーマはドアを開け、外に飛び出したあとでそれには気づかなかった。

「行ってきます」

 ソーマはドアが閉じる直前に叫ぶと、配達用の赤い自転車を漕ぎ出した。


 グラスヘイムは自転車を使えば一日で回れるほどの小さな町である。

 中央にある天に向けても地に向けても一番高い言われているニゼル図書館を中心に、北に役所が集まるノルズリ通り、南に職人が集まるスズリ通り、東に学園があるアウトリ通り、西に商店が集まるヴェストリ通りという四つの十字に走る大通りが、この街の生活の基盤になっている。そして、その真っ直ぐな大通りの間を葉脈のように入り組んだ狭い道が走っていて、どこまでも平凡な住宅が立ち並ぶこの細い道が、とんでもなく迷いやすいのだ。

 ソーマの勤めるギフ郵便局はグラスヘイムの南の端にある、従業員はトウワタ老とソーマの二人のみという非常に小さな、しかしこの街唯一の郵便局だ。ソーマはこの郵便局で住み込みで働くようになってもう三年になる。働き始めた時ソーマはまだ十歳で、仕事は仕分けのみ、配達はさせてもらえなかった。配達を任されるようになったのはちょうど一年前からだ。最初の頃こそ手間取ったが、今ではこの街で知らない抜け道はないほどだった。おそらく自分が一番この街の裏道を把握しているのではないかとソーマは思っている。

 ソーマは郵便局で働くまで、スズリ通りのいろいろな職人の下に手当たり次第に弟子として押しかけては挫折するという事を繰り返していた。元来怠け癖があるソーマには、学校の勉強よりも根気の要る職人芸を身に着けるのは困難だったのだ。数多の店を渡り歩き、途方にくれたソーマが最後にたどり着いたのがトウワタ老のギフ郵便局であった。

 前々から朝早くから夜遅くまで忙しなく働く他の店に比べ、午前中は仕分けをして午後になると配達に出かけるトウワタ老の細々としたその生活は魅力的に写っていた。しかし、郵便局を取り仕切るトウワタ老は偏屈なことで有名で、性格があわずやめていく人間も多く最悪な場合は顔を見ただけで追い出されるという話があったため、ソーマは最後までトウワタ老の元へ行くのを躊躇っていた。しかし、いよいよ追い詰められたソーマが働きたいと申し出るのを、意外なほどすんなりとトウワタ老は受け、トウワタ老の性格も確かに偏屈で笑顔がなく最初こそ戸惑いはしたが、慣れてしまえばそんなにも気にならなかった。 そうして、トウワタ老の生活が始まったのだ。今では、この職場が気に入っていた。

 ソーマは、愛用の赤い自転車をこぎ、建物が密接して薄暗い石畳の道を抜け、南の大通りスズリにでると真っ直ぐに北に向かった。手紙の大半は役所に当てたものが多い。そのため役所への配達を終え、軽くなった後に家々の配達を行ったほうが楽なのだ。

 街の奥の家が密集した狭い道を抜けると、広い大通りに出た。スズリ通りは光に満ちていて、暗がりから出ると眩しさで目を細めるほどだ。職人の店が多いため他の大通りよりは人が少なく、一番身近だという理由を除いても、ソーマはこの落ち着いた大通りが好きだった。

 街の中央に聳え立つ図書館に近づくにつれ、行き交う人は多くなっていく。ソーマは自転車を漕ぎながら鞄からメモ用紙を取り出すと今日の配達予定を確認した。いつもどおり役所への手紙が大半だが、今日はそれ以外の配達も多い。急がないととても日が暮れるまでには配達しきれない量だ。

 ソーマは配達リストの中に先ほど見かけたヒオウギの飼い主、ナツメの名前を見つけ眉をしかめた。なるべくなら避けて通りたいがそうもいかない。ソーマはため息とともに紙を鞄に戻すと、地に自分の影に重なるようにしてもう一つの影があるのに気付き、ソーマは天を仰いだ。

 地を走る自分とそれに覆いかぶさるように広がる空の間を、赤いリボンを揺らしながらヒオウギが飛んでいる。遥か上を競争をするかのようについてくるその影に追い抜かれぬよう、ソーマはペダルを踏み込む足に力を入れた。


 グラスヘイムにおいて一番賑やかなヴェストリ通りは、夜遅くまで人で賑わっている。

 時計の針は七時を回り、商店街――主に夜から始まる飲み屋だが――は一層騒々しさを増していた。

 今日の最後の一枚を届けるために、ソーマは通りの図書館に近い場所にある、馴染みのパン屋の中に重い足で入っていった。店内を見回すと一番会いたくない人影が真っ先に目に入って、ため息をつく。

「まだあんた仕事を続けてるなんて驚きだわ」

 ここ三年、ナツメとの会話はいつもそれから始まる。ナツメはソーマが学校にも行かず、パン屋も継がず、家を出て行ったことをよく思っていないのだ。

 郵便局で働く前、ソーマはヴェストリ通りでパン屋を営むこのナツメの家に住んでいた。夫婦はソーマを本当の息子のように育て、四つ年上のナツメとは本当の兄弟のように育ったし、ソーマ自身、彼らとは本当に血の繋がった家族だと思っていた。ソーマの両親は、物心つく前に死んでしまったのだと聞いたのは、家を出る少し前の事だ。

 その事実はソーマにとってショックではあったが、長い間家族として育ったその家を嫌いになる理由にはならなかった。


しかし、それを知ったことでソーマの中で何か変化があったのは事実だ。自他共に認める怠け者のソーマが、学校に行かず外に働こうと決めたのもその時だった。

 職人通りとも呼ばれるスズリ通りには早くから技術を教え込むために学校に行かず働く子供も多い。養父母は、快く受けたその申し出を、なぜかナツメは最後まで反対していた。それ以来、ナツメとの会話の半分は文句で出来ている。

「うるさいなぁ。そっちこそ客が入っていない店でサボってばかりいるんだろう」

 ソーマは決まりが悪そうに呟く。どうやら嫌な物を最後に回してしまったのが仇となってしまったらしく、最悪なことにガラス張りのこじんまりとしたパン屋の中にはナツメしか居なかった。 養父母のどちらかでもいればナツメの文句も半分に減るのだが、店内を見回しても見当たらない。

「あら、見ての通り殆どパンは売れてしちゃったのよ。うちのパンは美味しいって評判だから開店と同時に人が入って目の回る忙しさなの。まぁ、いつも朝は遅くまで寝て、昼間起きてもほとんど手伝いをしなかった誰かさんは知らないかもしれないけどね」

「今はちゃんと見ての通りしっかり働いてるだろ。こんな時間までさ」

「どうだか。勉強が嫌で朝早く起きるのも嫌でこの家から出たあんたの事だから、寝坊したからこんな時間まで配達が終わんなかったんじゃない?」

「う……」

 ソーマは図星を指されて閉口した。家を出た理由はそれだけじゃないと反論しようとしたけれど、寝ていて配達が遅れたのはまぎれなく事実だった。ソーマは苦し紛れに話題を変えた。

「義母さん達はどうしたんだよ」

「見てのとおり出かけているわ。お父さんは明日の買出し。最近二軒先にある洋服屋のおじさんの具合がよくないから、店が暇になるとお母さんは手伝いに行くのよ。ほら、クコのおじさんよ。昔、クコとはよく遊んだでしょう? 二人暮らしだから、いろいろ大変なのよ」

 クコはナツメよりも一つ年上で、ナツメの一番親しい友人だ。昔、ソーマもナツメに引っ張られて一緒に遊んだことがある。

 ナツメは受け取った手紙をすばやく確認し終えると、パンを適当に見繕い袋につめた。ソーマはナツメの手元を盗み見て、そこにレーズン入りのパンが幾つも含まれているのを見逃さなかった。ソーマにとってレーズンは天敵の様なものだということは、もちろんナツメも知っているはずだ。

「はい。お土産よ」

 満面の笑顔でナツメはそれを差し出す。

「優しいお姉さんからの好意なんだから、ちゃんと受け取りなさい」

「嫌がらせだろ。それ」

 ソーマの言葉にナツメはビクともしない。笑顔を崩さず無言でパンを差し出すナツメの姿は、背筋が寒くなるものがある。断ったら鉄拳が飛んでくるに違いない。

「ドウモ、アリガトウゴザイマス」

 この場合いつも引くのはソーマのほうだ。大人しく受け取るとずしりと重いその袋の中に、パン以外の物が入っているのに気付いた。本だ。やけに分厚い本が三冊詰まっていた。明らかにパンよりも幅を取っている。

「本? 何だこれ」

「私が借りた本。ついでにそれ図書館に返してきてほしいの」

「ナツメが本を読むなんて珍しい―――っていうか、何で俺が返さなきゃいけないんだよ。それに図書館なんてもう閉まっているだろう?」

「大丈夫よ。図書館が閉館した後は入り口の脇にある返却用のポストに入れておけばいいの」

「暇なんだからナツメが返してくればいいだろ。ポストに入れるだけでいいんならさ」

「見ての通り、今私以外に人はいないのでここを離れることは出来ません。もう配達はこれで終わったんでしょう?」

 ぺしゃんこにつぶれた郵便鞄を指してナツメがいった。

「その間、俺が店番してるよ」

「店のものでない人に店番を任せるわけにはいかないもの。何かあったら困るでしょう?」

 言い切るナツメ。まるで信用がないらしい。

「分かったよ。じゃあ」

 これ以上いってもナツメは引き下がらないだろうとソーマは諦め、重い本とパンの山を抱えて店を出た。

「今度お母さん達が居るときに、顔見せに来なさいよ」

 背後でナツメがそう叫ぶ声が聞こえた。

 なぜナツメはこうなのだろう、とソーマはいつも思う。腰まで伸びた艶やかな栗色の髪に、緑色の瞳は大きく輝いている。遠くから見ても目を引くほどの美人だ。しかし、一度口を開くとうるさくてかなわない。その上、ソーマが下手に抵抗しようものなら鉄拳が飛んでくるのだ。

 何より一番の問題は、飼っているペットはカラスだということだ。カラスに赤いリボンをつけて可愛いなどと言っているその美意識はソーマには全く理解できない。真っ黒でどこに目があるかよく見ないと判別できないようなその風貌は可愛いいどころか逆に不気味だとさえ思う。

「それさえなければいい姉貴だって認めるんだけどなぁ」

 思わず深いため息と共に本音が口をついた。

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