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第五章 世界の壊れる音と世界の生まれる音 -3-


 少女は足を止めた。

 空気が動かなくなったり、音が聞こえなかったり、体が重くなったり、異常に家が大きかったり。ずっと、おかしなことが起こり続けてきたけど、これは格別だと少女は思った。

 壁に大きな姿見がかかっていた。

 ひび割れた姿見で、床にはいくつも鏡の破片が落ちている。少女は鏡とは、自分の姿をどんな時だって正確に映し出すものだと思っていた。なのに、今目の前にある姿見には、少女の姿は映ってはいなかった。変わりに移っているのは、体中を毛糸にかこまれ、片方の瞳にはガラス球がはまっり、顔の半分とん右手の先の部分だけ皮膚のようなものが残った、奇怪なお化けの姿だった。

 少女が首をかしげると、鏡の中のお化けも首をかしげた。少女が瞬きすると、片方の目だけで瞬きをした。少女が右手を上げて鏡に触れると、お化けも同じように鏡に触れてきた。少女は息を飲んだ。お化けも息を呑む。

 ここに来て、ようやく少女は思い出した。おばあさんがどのようにして消えてしまったのかを。

 力なく少女は呟く。

「そうか、私も消えちゃうんだね」

 なぜ今まで忘れていたのだろう。少女は思った。

 皆こうやって消えてしまったのだ。

 鳥は鳥籠に。

 行商人はそろばんに。

 子供達はおもちゃに。

 おばあさんは一本の編み棒になって消えてしまったのだ。

 少女の目の前で、おばあさんの姿は一瞬の内に編み棒になって消えてしまったのだ。人々の終わりは、そうして訪れたのだ。

 誰もが皆ばらばらに、物になって消えてしまったのだ。ただ一人きりで消えてしまったのだ。どこにも繋がっていくことのできなかった人々は、こんな風に物になるしかなかったのだ。

 ―――そうだ。だから、温度がなくなったのだ。物には温度など感じられない。だから、音が聞こえなくなったのだ。物には言葉など通じない。だから、こんなにも体が重いのだ。物は歩くことなんてしないのだから……。

 少女が泣くと、鏡の中のそれも泣き出した。



 人形が急に涙を流し始めて、ソーマは驚いた。

 鏡に右手を押し当てて、左目だけで泣いている。何が悲しくてないているのかは分からない。もしかしたら、人形は自分が人形であることを知らなかったのかもしれない。ソーマは泣き続ける人形の前にしゃがみこむと、鏡を覗き込んだ。

 そこには、ソーマの姿は映ってはいない。ただ、左目を真っ赤かにしてないている人形の姿があるだけだった。ソーマは動かない少女の右目を見た。無機質なガラスの瞳には、鏡に反射した人形の泣き顔が幾重にも連なっている。

 悲しみに閉じ込められた気がして、ソーマは思わず人形を鏡から引き離した。その反動で人形は鏡に背を向け、ソーマの方に向き合った。ガラスの瞳にソーマの姿は映らない。しかし、その人形の左目は真っ直ぐに瞳を見開いてソーマの顔を見続けた。

 人形の涙は止まらない。人形は拭うこともせず、ただ、立ったまま泣き続ける。零れ落ちた涙をソーマは拭いた。触れた涙は暖かくて、ソーマが、その人形が少女だと知った。

―――ぎしり。

「え?」

 ソーマは驚いて、辺りを見回した。ぎしり、再びきしむ音がする。この廃屋が壊れは始めた音なのだろうか。ソーマは身構えた。しかし、家に変化はなかった。音だけが頭に響き渡る。

 ソーマは少女に視線を戻した。少女はもう泣いてはいなかった。先ほどと同じ姿勢のまま、ただ見えないはずのソーマを見つめている。完全に人形になってしまったみたいで、ソーマは不安になる。

 ぴしり。

 きしむ音に、何かがひび割れる音が加わった。少女にもその音が届いたのか、ピクリと体を震わせ、天を仰ぎ見た。



 何かがひび割れる音に、少女は驚いた。

 地面は揺れていないし、家の中では何一つ動いてはいない。それに、ほとんど物に為りかけている少女には外界の音など聞こえるはずがなかった。

 なら、これは何の音だろう。

 少女は視線を戻した。しかし、そこには何もない。最初から何もない。でも、何かがあるんだと、少女はそう確信していた。この一見何もない、視線のその先に、少女の辿り着くべき場所のその先があるのだ。

 昔、おばあさんに言われたとおり、少女はずっと遠くまで来ていた。誰よりも遠くまで来てしまっていた。

 でも、その先にもまだ道はあったのだ。少女にさえ歩むことのできない道が、ずっと先まで繋がっているのだ。世界が終わったその先にも、世界は続いていくのだ。少女は、その楔となる場所に立っていた。

 ―――この世界が無くなってしまっても、忘れられてしまっても、繋げるだろうか、この先へ。私たちのこの世界を、先へと届けられるだろうか。

 何かがひび割れる音が聞こえる。音の失った少女にもそれが聞こえるのは、その音が少女の中にも満ちているからだ。音は、少女の体から外へ、そしてきっと、外から中へも響いている。もうすぐ、この世界は終わってしまうのだと、そう悟った。

 この音は、きっとこの世界の壊れる音なのだ。

 少女は静かに瞳を閉じて、その音に耳を澄ました。



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