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第五章 世界の壊れる音と世界の生まれる音 -1-


 闇を抜けると、そこには平原があった。どこまでもなだらかに続く、永遠の平原だ。それだけしか無かった。家はおろか木も生えていない。いや、草原以外に一つだけ。道があった。ソーマの立つ足元に横たわる、細く狭いどこまでも続く一本の道だ。

 気がつけば、そんな世界にソーマはいた。

「どこだ、ここは」

 ソーマは道の真ん中に立ち、その左右を見た。どちらを見ても草原と一本の道が続いており、鏡の真ん中に立った気分だった。どちらの道も、あまりに同じすぎてソーマはどちらに行こうか途方にくれてしまった。

 ふと、ソーマは前にヒオウギに触って町に落ちていったのを思い出した。今回はヒオウギに触ったわけではない。でも、ここの空気は前のあの寂しい町と同じ気がした。

 しばらく左右を見てどちらに行こうか迷っていると、片方に黒い小さな影が見えた。ゆっくりと、こちらに近づいてくる。ソーマはその影が近づくのを動かずにじっと待っていた。影はじれったいほどゆったりと、歩いてくる。

 ――人だ。

 ソーマはそう思った。よく見ると、向かってくる影には二本の足があり、引きずるようにして歩いてくる。もしかしたら怪我をしているのかもしれない。ソーマはそう思ったが、すぐに動くことはできなかった。妙な引っかかりを覚えて、眉をひそめる。

 何かがおかしかった。

 動きは確かにギクシャクして、歩きづらそうだった。しかし、それだけではなく何か根本的な部分がおかしかった。なんだろう。ソーマは考えた。

 ――そうだ、身長が低すぎるんだ。

 その人物は、ソーマの身長の半分しかない。

 ソーマは、とどまることなく歩み続けるその人物を見つめた。ようやくただの影ではなく、顔や手や足がはっきりと見分けられるような場所まで来て、それが女の子であることがわかった。長い髪を揺らせて歩いてくる。

 やがて、目や鼻や口といった細部まではっきりと見分けられるほどソーマの近くへと歩いてきたところで、ソーマは驚愕した。

 人だと思っていたそれは、人ではなかった。

 人になり損ねた人形。もしくは、人形になり損ねた人であろうか。少女が歩きにくいのは、右足の膝から下が毛糸でできた人形の足でだったからだ。少女の右腕は完全に人形になってしまっていて、だらりと垂れ下がっている。顔も、半分以上が毛糸で編みこまれた肌になっていた。そして、女の子が目の前に来たとき、片方の瞳が青い硝子になっているのが見えた。もやは、顔で皮膚が残っているのは左半分と口しかない。

 女の子は人形だった。

 ソーマが直前まで持っていた、保管室にあった不恰好な人形だった。

 ソーマはしばらく呆然とその人形を凝視した。一方、人形のほうはソーマにきづいていないのか、それともわざと無視しているのか、ただ真っ直ぐに前を向いて止まることなく歩き続けていた。やがて、ソーマの脇を通り、そして追い越していく。

「あの」

 人形の背に、ソーマは思い切って声をかけた。しかし、その不気味な人形は、何を言っても振り返ることなく、ただ道を歩き続けるだけだった。

 暫く悩んだ後、ソーマはその人形に着いて行く事にした。人形の歩みは非常に遅く、追い抜かないようにゆっくり歩調を合わせて進むのはなかなか大変だった。何も変化のない道で、唯一太陽だけが動いて時を知らせてくれるのが救いだ。

 人形はそれが存在意義であるかのように歩き続け、このまま永遠に続くのかと思ったとき、ようやく夜が訪れた。

 人形は夜になるとぴたりと歩くのをやめ、その場に立ち止まった。その場にうずくまると、無言で固まったように動かなくなった。人形も寝るのだろうか、それともどこかに螺子があってそれが切れてしまったのだろうか。ソーマが暫らく人形を観察していると、微かに上下に揺れているのが分かった。どうたら人形は歩くだけでなく息もするらしい。ソーマはうずくまっている人形の隣に腰をかけた。

 ずいぶん長い一日を休むことなく歩いていたはずなのに、何故かちっとも疲れは感じてはいなかった。



 少女は同じ道を歩いていた。

 少女は、道があるからにはどこかにたどり着くはずだと、何の疑いもなくそう思ったのだが、こう何もないとその認識が間違いではないかと不安になる。

 ずっと代わり映えしない世界を歩いていたせいなのだろうか、一日の長さが長くなっている気がする。相変わらず体は重い。最近は遠近感も乏しくなった。

 そしてまた、どこにも辿り着けずに一日が終わる。

 この何もない迷宮に出口はあるのだろうか。日が経つにつれ、少女の不安は巨人のように大きくなり、押しつぶされてしまいそうだった。



 朝日が昇ると人形も起き上がった。

 再び道を歩み始め、ソーマはついていった。この人形はいったい必死になって、どこを目指しているのだろう。そんな疑問がよぎるほど、人形の歩みは一途だった。重い足を引きずっているのに、一向に休もうとはしない。

「なあ、疲れないか?」

 ソーマの問いに、人形は当然のように何も答えはしない。ソーマも答えを期待していたわけではないから、特に落胆もしなかった。よく見れば、人形の両耳はもうすでに毛糸になってしまっている。もし人形がソーマの姿に気付いていても、声を聞き取ることはできないだろう。

 そして、人形は日が出ている間ひたすら歩き、夜になると道にうずくまるのを飽きることなく繰り返した。



 少女は途方にくれていた。町を出たとき、もう迷わないと思ったのに、後悔が打ち寄せている。やはり、町を出たのは間違いだったのかもしれない。この細い道がこんなにも長いなんて、少女は思っても見なかった。

 しかし、町を出てもう何日もたってしまった。もう引き返すのは困難なところまできてしまったのだ。ここまできてしまったのなら、もう最後まで歩まなければならないだろう。

 夜が来て、少女はまたうずくまる。

 どこまでも続く一本の道。どこまで進んでも、本当に自分が進んでいるのか、それとも進んでいるつもりで同じところを廻っているだけなのか、判別できない風景。まっすぐに見えるこの道は、実は円形に曲がっていて、どこにも続いていない気がした。道なんてなければいい。いや、それでもそこに一本の道があるだけでも幸せなのだろう。もし、道すらない草原に放り出されたら、きっと一歩も動けない。

 この光景はおばあさんのいない小屋よりも、温度のない森よりも、人の消えた街よりも、絶望に満ちていた。

「世界はもう終わっちゃったんだね。おばあちゃん」

 顔も上げず、少女は呟いた。




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