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第四章 名前のない名簿と萌芽したばかりの町 -1-



 少女は街の出口に立っていた。

 小さな街には四方を低い壁に囲まれて、小さな門がついていた。その小さな門はずっと前から開けはなれたままで、少女は町の中から外を見たまま、ただ立ち尽くしている。

 目の前には真っ青な草原が広がり、その中央を一本の道が走っていた。朝日が目に眩しくて、少女は目を細めた。太陽はやはり、規則正しく昼と夜を刻み続けている。

 なのに、歩いても歩いてもいまだに何処にもたどり着けないのは何故だろう。

 少女は迷っていた。

 先の見えない一本道。もう此処で立ち止まってしまおうか、それともこの先に、何かが待っているだろうか。

 長い間歩き続けたせいか、最近、足が思うように動かない。

 温度はない。音も響かない。誰もいない場所で消えてしまうより、かつて人がいたはずの場所で終わりを迎えたほうが、寂しくはないかもしれない。

 ああ、でも―――

 少女は三日、その場所から動けなかった。四日目の朝が来てようやくその一本の細い道を歩いていくことを決心した。

 少女を後押ししたのは、遠いおばあさんの言葉だった。

 この世界はすべてが平行に動いているとおばあさんは言っていた。人も街も物も全てが交わることなく、一方の方向を目指して留まることなく進んでいくのだと。

 マフラーを編んでいるときだった。そうだ、世界は毛糸球に似ていると、そういった後だ。少女が「分からない」と口を尖らせていたときだ。少女は一定のスピードでマフラーを編んでゆくおばあさんの手元を見つめながら、話を聞いていた。おばあさんは丁度一つ毛糸が終わってしまって、マフラーを編む手を止め新しい毛糸を取り出した。

『一定の方向に、迷うことなくね。それはずっと続くと思っていた。でも、いつかは終わりが来るんだろうって、最近はそう思うのよ』

『終わっちゃうの?』

『ええ、でもそんなに悲しむことでもないわ。ほらこの毛糸のように、無くなってもまた別の毛糸を絡めれば、先へ編み進めることができる。お前はきっと、この部分に生まれた子なんだろうね』

 まだ小さかった少女は、首を傾げた。

『また、おばあちゃんよく分からない事言ってる』

『そうだね。ごめんよ、私もよく分かっているわけじゃないんだ。ただ、編み物をしていると、世界はきっとこのように動いていくものなんだと、そう思うんだ。……でも、でもね』

 おばあさんの顔が曇って、少女はどうしたの、と覗き込んだ。

『私たちはそんな風にはできてはいなかった。そんな気がしてならないんだ』

『おばあちゃん……』

『ふふ、しんみりしちゃったね。世界がどう続こうと、私たちがどうできていようと、お前はどんな道でも、先に進みなさい。お前はきっと先まで歩み続けられる。きっと、私たちの誰よりもずっと遠くまで行けるんだからね』

 おばあさんは微笑みながらそう言った。なら、おばあさんの言うとおり歩き続けようと少女は思ったのだ。ずっと、遠くを目指して。

 陽が昇り、目の前の前の草原が光に満ち溢れていた。少女は一歩前に踏み出す。その一歩踏み出せばもう後はもう迷うことはなかった。

 少女は歩き出した。果ての見えない草原の、その先を目指して。




 日落ちが早くなり、季節が変わるその少し前に町では祭りが執り行われる。日に日に町は着飾れていき、人々は祭りの前の独特の熱病にかかったかのように頬を高揚させて浮き立っていた。

 寒さが身にしみるこの時期はいつも以上にギフ郵便局は慌しくなるのだが、今年は格別だった。今年は冬が来るのが例年よりも一足も二足も早いらしく、一気に冷え込んだため、トウワタ老が風邪で寝込んでしまったのである。おかげで、仕分けから配達まで、すべてソーマ一人でやる羽目になったのだ。自分が入る前はトウワタ老が一人でこれらを全てやっていたと思うと頭が上がらない。特に、早朝の郵便物を回収するときなどはそう思う。ソーマは悴む手を擦りながら、とろけそうな瞼を何とか押し上げてポストから手紙を回収する。朝寝坊ばかりしているソーマには堪える仕事で、普段はトウワタ老に任せきりだった。

「おい、ちゃんとできているのか?」

 トウワタ老は寝込む羽目になって、余計に口うるさくなったようだ。しょっちゅう仕事場に下りてきては口を出し、ソーマが慌ててベットに帰すというやり取りが何度か続いた。

「頼むから、仕事を増やさないでくれ。上でおとなしく寝ててくれよ」

 ソーマのその言葉にトウワタ老は「なら普段から信頼できるような働き振りをしろ」と文句を言った。いっそのこと病院に入院してくれればありがたいのだが、医者はこれだけ文句が言えれば大丈夫などと言って薬を出しただけだった。

 忙しくなったおかげで、ソーマは寝坊もできなくなった。朝早く起き、仕分けをし、手紙を回収し、配達に出かける。あまりの忙しさにソーマは、従業員を増やそうと言うと、トウワタ老は、一人で出来るうちは一人でやれと怒った。

 仕分けの最中に一度、宛名のない手紙が入っていて驚いたことがある。また、あの手紙かと思ったが、裏にはちゃんと差出人の名前が書いてあり、ただのミスだということが分かった。こういう些細なミスを犯す人は、意外とたくさんいるものなのだと改めて知った。

「あら、あんたまだちゃんと仕事続いてたの?」

 配達に出向くとナツメの声が出迎えた。ちょうどクコも遊びに来ているところだったらしく、店番をしているにもかかわらず二人で紅茶とお菓子をほおばっている。日が経つにつれ、クコにも明るい表情が戻ってきた。最近は、よく一緒に家で夕飯を食べたりするらしい。

「大丈夫? 疲れているみたいだけど。トウワタさん、まだ風邪治らないんでしょう」

 クコが心配そうにソーマに訊いた。

「ああ、配達のほうはね。どっちかって言うと、じいさんの小言が多くなったのが大変だよ」

「でも、ソーマ君もちゃんと仕事をこなして、しっかりしてきたね」

「さすが、クコは分かってるなぁ。ナツメとは大違いだ」

 いい終わるかどうかのときに、ナツメの鉄拳が飛んできた。

「何いっているのよ。こんな素敵なお姉さん他にはいないでしょ、ね?」

 人の頭を叩いた後に、にこやかに言う台詞ではない。

「そういえば、もうすぐお祭りでしょ? クコと回ろうって言ってるんだけど、ソーマも一緒に回る?」

「……去年ナツメにわけわからない物をたくさん買って、その荷物もちをさせられた記憶が……。身の丈ほどもある巨大な帽子に、カラスを乗っけたおじさんの置物」

「ははは。今年はそんなの買わないわよ。さすがに置く場所無いって、お母さん達に怒られたし。それに、今年は久々にカガチも来るって言ってたし、暇だったらどう?」

 さすがのナツメも置物の件は反省しているらしい。因みに、家に置けないその銅像は、なぜか今役所の前に置かれていたりする。

「行くよ。でも、本当に変なものは買うなよ」

 効果があるかは分からないが、一応念は押しておく。

「そうだ、ソーマ君、配達はもう終わり?」

「いや、あといくつか残っているけど、何?」

「配達頼みたいんだけど、墓守のおじいさんに」

 ああ、とソーマは頷いた。墓に眠る者の近親者は、三月の間、墓を訪れてはいけないという慣わしがある。その間に訪れると、死者が眠りから覚め起き上がるといわれているのだ。

「お礼の手紙、まだ出していなかったの。頼めるかな?」

「大丈夫。渡しておくよ」

「ありがとう。今年は特に寒いみたいだから、ソーマ君も風邪ひかないように気をつけて」

 ソーマはクコから手紙を受け取ると、郵便鞄に入れ、次の配達へと向かった。墓場は遠いので、急がなければならない。日が暮れると、いっそう不気味になるあの場所へは、なるべく日の高いうちに行ってすばやく終わらせたい。さすがにあの墓守のじいさんが人を喰うなんて話は信じていないが、骨と皮だけの目玉が零れ落ちそうなほど見開かれたじいさんと夜中に二人きりで顔を合わせたくはなかった。

 ソーマは急いで配達を終わらせると、北の墓場へと向かった。空の端が赤く染まり始めている。陽の傾きは、日々早くなっているのだ。ソーマは根性で、何とか空が茜色に染まりきる前に墓守の小屋へと辿り着くと、深呼吸をして気分を落ち着かせてからドアを叩いた。

 中からがさごそと何かが動く気配がした後、ようやくドアが開き墓守の骸骨のような顔が現れた。

「配達です。クコから」

 平静を装って、ソーマは手紙を墓守に渡す。早く受け取って、ドアを閉めてくれ。そんなソーマの思いを知っているのかどうか、墓守はその場で封を空けると、無言のまま読み出した。ソーマは立ち去るべきか、待つべきか迷い、結局墓守から何かいうまで、そこで彫像のように立ち尽くしていた。

「ふむ」

 ようやく墓守から声が発せられ、ソーマは安堵した。

「それじゃあ……」

「返事を書くから待っていてくれ」

 お暇します、の一言を言う前に墓守からとんでもないことを言われた。

「返事って、クコへの……ですか?」

「すぐ書く。中で待つか?」

「いいえ、ここで」

 とっさにそう答えしまった。狭い小屋で生っぽい木乃伊の様な墓守と一緒にいるのは怖いと思ったのだ。しかし、答えてしまった後で薄暗い闇に包まれた墓場で一人いるほうが、もっと怖いのではないかということに気づいた。一応、向こうはれっきとした生きた人間だ。

「ごめんなさい。やっぱり、中で待たせてください」

 中に入ろうとする墓守を急いで呼び止める。

「そうか、どうぞ」

 ソーマは恐る恐る中に入ると、周りを見た。小さな小屋は意外に、というと失礼かもしれないが綺麗に片付いている。中に入ると、墓守はソーマのためにコーヒーを入れてくれた。コーヒーのいい香りが部屋に満ちる。ソーマは受け取るとカップを覗き込んだ。ちゃんと黒い。しかし、黒いことがいいことなのか、図りかねた。もしかしたらいろんな色が混ざった末にできた黒なのかもしれない。ためしに一口啜ってみると、ちゃんとしたコーヒーの味がした。しかも、おいしい。

 ふと、視線を感じて顔を上げると墓守がこちらを凝視していた。変なものが混ざっていないか疑っていたのがばれたのだろうか。墓守は瞬きすることなくこちらを見ていた。

「あ、あの」

 凝視するあまり、墓守の顔がこちらに近づいてきて思わずソーマは身を後ろにそらした。

「味、まずかったか?」

「いえ、とてもおいしいです」

 慌ててそういうと、ようやく墓守は体を戻し、うちで轢いている、と満足げに付け加えた。もしかして自慢しているのだろうか。ソーマが呆然と突っ立っていると、墓守は椅子を出してくれた。今までまともに話したことはなかったが、意外と気が利く人なのかもしれない。薦められるままに椅子に腰をかけて、ソーマは思った。

 墓守は紙とペンを出し机に向かった。手紙を書き出すのかと思ったら、おもむろにこちらを向いて尋ねる。

「コーヒーお代わりいるか?」

「いえ、いいです」

「そうか。ほしくなったらいつでもいえ」

 墓守はそういうと、再び紙に向かった。ゆっくりと書き出す。が、すぐに手を止めてまたこちらを向いた。

「退屈か?」

「大丈夫です。気にしないでください」

 しかし、墓守は立ち上がり戸棚から分厚いファイルを取り出すと、ソーマに渡した。

「これはこの墓に入っている人の名簿だ。退屈なら見るといい」

 嬉しくない。小さい頃聞いたような悪い人ではないみたいだが、どうもこの人は気の利かせ方を間違っているみたいだった。こんな墓場に長いこと一人で住んでいればしょうがないことかもしれないが。

「あの、本当に俺のことは気にしなくていいので、手紙書いてください」

 恐る恐るソーマがいうと、墓守は頷いて机に戻った。しかし、名簿は手渡されたままで、しょうがなくソーマはそれを抱えたまま墓守が手紙を書くのを待つことにした。

 すぐ書くといった墓守の言葉とは裏腹に、時間がかかっていた。というのも、何が気に入らないのか、墓守は少し書いては捨てるのを何度も繰り返し、少しも前に進まないのだ。

 墓守が書き終わるまで随分と時間がかかりそうだった。手持ち無沙汰になって、ソーマは名簿を開くことにした。

 一番最初に出てきたのは一番新しいクコのおじさんの名前だった。名簿には亡くなった日と墓の場所と親族の名前が、墓守の几帳面な字で書かれている。おじさんの名簿の欄にはクコの名前と、ずっと亡くなったおばさんの名前が書かれていた。ページを少しめくるとクコのおばさんの欄があり、そこにも同じようにおじさんとクコの名が記されている。ほかの人もそうだった。この名簿を探ると昔の家系までわかるようになっているのだ。

 しばらく雑に捲ると、ソーマの義母の名があった。どうやら、義母の母親、つまりナツメのお婆さんの記録だ。どうやらナツメの祖母はナツメが生まれる前に亡くなったらしい。

 ソーマは家族の欄に自分の名がないか調べた。おそらく、そこには自分の両親の名が記されているはずだ。ソーマは一番最初のページに戻ると、今度は念入りに見落としがないように調べ始めた。家族欄には知っている人の名が多く刻まれていた。過去に遡れば遡るほど、見知らぬ人の名前が増えていく。誰一人知っている人の名前が無くなったところで、ソーマは手を止めた。

 おかしい、通りすぎたようだ。

 ソーマは再び最初から読み直す。しかし、ソーマの名はなかった。今度は的を絞って探すことにする。ソーマの生まれたのは十三年前だ。その付近の死者の名を捜したが、それでも見つけることは出来なかった。

「そんなに熱中する輩は初めてだ。楽しんでくれたか?」

 いつ書き終わったのだろう。墓守はちゃんと丁寧に封をした封筒を持ったまま、目の前に立っていた。

「これ、本当に亡くなった人の名簿なんですか? 書き漏らしがあるんじゃないですか」

「この墓に眠るすべての人のものだ。書き漏らしはない」

「じゃあ、ここ以外にも墓があるんですか」

「いいや、グラスヘイムで死んだ人間はすべてここに眠る」

「でもっ」

 ソーマは混乱していた。全ての人がここに眠るなら、この名簿にソーマの両親について書かれていないのはおかしい。ソーマの両親はもういないのだと、養父母からずっと教えられてきたのだ。

「みてみるがいい」

 ソーマの混乱をどう捕らえたのか、墓守は名簿を取ると一番古いページを捲りソーマに見せた。そこには見ず知らずの人の名が記されている。

「これが、最初にグラスヘイムで死に、ここに埋葬された人物の名だ。今から約百五十年ほど前の話だ。それ以来、すべての人の名が記されている。例外はいない」

 墓守はよどみなく言った。しかし、それはおかしい。なら、どうしてもソーマの両親の名が刻まれているはずだ。ソーマは頭を抱えた。見落としたのだろうか。こんなに何度も調べたのにもかかわらず。

 ソーマは頭を振った。きっとそうだ。自分が見落としたに違いない。両親がいないわけなんてないんだ。

「わかったか? ほら、手紙だ」

 ソーマは手紙を受け取ると、墓場を見ないように自転車に乗り、暗闇に満ちた道をひたすら走った。北の開発地区を抜け、無人の役所を抜けて、郵便局へと向かう。

(―――そう、自分は見落としたのだ)

 闇は重く、押しつぶされそうだった。夜になると風は一層冷たく凍っている。ソーマは突き刺すような寒さにもひるむことなく闇をひた走った。

(―――書かれていないはずなんてないんだ)

 郵便局につくと、二階の明かりが灯ったままだ。二階に上がると案の定、トウワタ老が起きて待っていた。

「こんな夜中まで配達に時間をかけるなといっているだろう」

 相変わらずの文句に、いつものように軽口で答える。トウワタ老は、納得がいっていないような顔をしていたが、無理やりベットへと連れて行く。

(―――両親の名がないなんて、そんなことはあるはずがない)

 ソーマはいつものように夕飯を食べ、風呂に入り、歯を磨くとベットの中に入った。明日も早い。すべてを一人でやらなければ行けないのだ。

(―――あるはずがないんだ。そんなことがあったらまるで)

 ソーマは目を閉じた。今日は遅くまで配達をした。量もそれなりに多かったし、何より遠くまで配達にいったのだ。疲れてきったすぐに眠れるはずだ。ソーマは強く目を瞑った。


 まるで――――両親が存在していないみたいじゃないか。


 追い払おうとすればするほど、不安は無数の糸に分裂し、ソーマはとうとう絡めとられてしまった。何をこんなに墓守の記録ひとつで怯えているのだろう、とどこかで自分がそう思っている。 しかし、一方では知ってはいけないものを知ってしまった恐怖に打ちひしがれてもいた。本当に自分が見逃しただけなのかもしれない。見逃すなんて、あんなに何度も調べたのにそんなことがあるわけがない。一方が打ち消せばもう一方は肯定する。行き場のない袋小路。その自分の中の不毛な争いの果てに、一番冷静な自分がこういった。

 あの名簿に両親の名を見つけることが出来なかったどころか、自分は両親の名前も知らなかったのだ。


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