東京に住めば住むほど生まれ育った山梨に帰りたいと思った
お前は何をしたかった。
静かに立ち昇ってきた言葉が視界にモヤを映す。一年前に上京した僕はIT企業に入社したが人間関係で失敗し、最後に退職を決めた。その夏のことである。
四畳半の狭いアパートの和室で一人仰向けで横たわる。畳の匂いは実家を思い出すようで心が空っぽになる。液晶がくすんでいる小型のテレビは電源が落ちていた。壁の奥から大人の罵り合いがする。
私はどうしてここで。
天井の電球は割れていて、真っ黒なフィラメントが剥き出しになっている。それが特段面白いものでもないのにのーっと半口のまま見つめている。隣の騒音は収まりそうになく小さい窓には黒い雨雲が浮かんでいた。
「おーい、航平」
玄関の戸は壊れんばかりの大音場で叩かれた。僕はフィラメントをみかげて玄関に足をやった。ひどいくまを隠そうともせず、だらけた寝巻きのまま戸を開けた。
「なんだよ、何か用か?こっちは忙しいんだ。」
戸の向こうの男はニコニコとした笑顔で僕の戯言を聞き流す。僕が一通り歓迎しない旨の言葉を吐き捨てた後、その男はようやく口を開いた。
「クビになったんだろ。それならそうと教えてくれても良かったじゃないか。」
目の奥には少し影が刺していて、口ぶりには憤怒の熱が込められていた。その物言いに僕は若干身を逸らした。
「正しくは退職だ。自発的だよ、能力だけはあるんだから。」
彼の言葉をわざわざ訂正した僕に向かって、彼はさっきよりも体を前傾させた。扉のノブを掴んで離さない彼の顔はあの日と変わらない僕への期待で満ちていた。
「人間関係が原因らしいけどさ。中学時代にクラスリーダーを5年続けた君が嘘だろ?」
彼はドアノブを掴んで前屈みになっていても中には入らない。それは僕が扉の前で仁王立ちしているからだ。
「あの中学とか生徒五人もいなかっただろうが。」
彼は何か納得したような表情で僕の顔から目線を逸らした。彼の勢いが弱まったのを後期に僕は賭けを始めた。
「まあお前も早く仕事見つけるんだな。僕は色々忙しいからまた後でな。」
そう言って扉を閉めようと力を入れた。ドアノブに引っ掛けていた彼の腕は自発的に腰の方へ戻っていって簡単に扉は閉じた。彼の顔も見えなくなった。
「案外…」
しばらくせずとも扉の向こうから足音が伝ってきた。だんだんと小さくなるそれは彼のことだろう。郵便受けの穴から外を除いても彼はいなかった。
玄関に背を向けて私は部屋へ戻った。動のない静の空間。何かが終わってしまったかのように僕の心の糸が途切れた。そうして穏やかな霧が僕の頭に立ち上ったのだ。
生まれ育った山梨に帰りたい、と。




