編みかけの自己
空想ができない。
空想しようとするたび、現実が割り込む。
理想の主人公を思い描こうとしても、途中で思考が逸れ、気づけば机の上の埃を数えている。
どうしようもなく、現実を生きているのだと痛感する。
世界は、私を中心に回っている。
誰かと会話をしても、その声は遠く、響きの輪郭だけが耳に残る。
根本的に、相手の気持ちがわからない。
それどころか、理解しようとする意志さえ生まれない。
私は、私以外の存在を真に理解できない。
虚栄心に満ちている。
他人を認められないくせに、比較することをやめられない。
常に優れていなければならず、そうでないときは、誰かのせいにして安堵する。
自分の小さな勝利で自尊をつなぎとめ、他者の欠点を鏡にして呼吸を整える。
それが、私の歪んだ防衛であり、習慣でもあった。
やがて、後悔が訪れる。
心にもないことを口走る口が、憎い。
思考と直結し、濾過もなく言葉を吐き出すその器官が、私を蝕む。
けれど自戒は翌朝には風化し、また同じ言葉を繰り返す。
誰かを傷つけ、自己嫌悪に沈み、そして再び息をする。
そんな怠惰と自己否定に塗れた日々のなかで、ある日、私は「死にたい」と口にした。
独り言のように、誰に向けるでもなく。
理想は手のひらからこぼれ落ち、現実の私は地に手をつき、土の冷たさを確かめて嘆いた。
生きていることの実感は、痛みの中にしかないのかもしれない。
それでも、編み物をする。
毛糸に触れ、思考を放棄し、ただ無心で編み棒を動かす。
ひと目、またひと目と編むたびに、ざらついた感情が少しずつほどけていく。
それは自責の時間であり、逃避の時間でもあった。
ほどけかけた糸の柔らかさに、名もない後悔が吸い込まれていく。
昼下がり、郵便受けを開けた。
手紙が一通、古びた筆跡で差し込まれていた。
差出人の名を見た瞬間、胸の奥がざらつく。
数年前、私を拒絶した友人の名前だった。
「久しぶりに会えないか」とだけ書かれている。
文末には、謝罪も言い訳もなかった。
けれどその簡潔さが、私には赦しのように思えた。
紙を折りたたみ、机の上に置いたまま、返事は書けなかった。
ペンを握ると、どの言葉も嘘に見えた。
丁寧に書けば取り繕いのようで、率直に書けば幼稚に思える。
ペン先を押しつけ、黒い点だけを残した。
それが、私の返事のすべてだった。
夕方、編みかけのセーターに手を伸ばす。
けれど指先が動かない。
代わりに、糸が静かにこちらを見ていた。
続きを編む資格がないと告げるように。
私は酷い人間だと思う。
誰かの優しさを受け取ると、すぐに疑い、
拒絶の予感を先回りして勝手に絶望する。
稚拙で、臆病で、どうしようもない。
けれど、その弱さが私を守ってもいる。
信じなければ、傷つかない。
愛さなければ、失わない。
そうして私は、自分の小さな現実の中で息をしている。
窓の外から、笑い声が聞こえた。
隣家の子どもの声だろう。
その明るさに、少しだけ未来を夢想しようとした。
もし私にも、あんな笑い方ができたなら。
もし私が、誰かを素直に信じることができたなら。
けれど想像の途中で、思考が途切れた。
光景は輪郭を結ばないまま、霧のように消えた。
やはり私は、空想ができない。
幸せを思い描こうとしても、像を結ぶ前に現実が割り込む。
机の上のほこり、茶渋の跡、編み棒の冷たさ。
それらの感触が、私をここに引き戻す。
私は、現実を生きている。
それがどんなに不完全でも、私はここにいる。
編みかけの糸は今日も机の上に転がり、
私はそれを見つめながら、動かない手を静かに握りしめた。
それが、私にできる、ただひとつの現実的な祈りだった。




