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編みかけの自己

作者: カトレア
掲載日:2025/11/11


 空想ができない。

 空想しようとするたび、現実が割り込む。

 理想の主人公を思い描こうとしても、途中で思考が逸れ、気づけば机の上の埃を数えている。

 どうしようもなく、現実を生きているのだと痛感する。


 世界は、私を中心に回っている。

 誰かと会話をしても、その声は遠く、響きの輪郭だけが耳に残る。

 根本的に、相手の気持ちがわからない。

 それどころか、理解しようとする意志さえ生まれない。

 私は、私以外の存在を真に理解できない。


 虚栄心に満ちている。

 他人を認められないくせに、比較することをやめられない。

 常に優れていなければならず、そうでないときは、誰かのせいにして安堵する。

 自分の小さな勝利で自尊をつなぎとめ、他者の欠点を鏡にして呼吸を整える。

 それが、私の歪んだ防衛であり、習慣でもあった。


 やがて、後悔が訪れる。

 心にもないことを口走る口が、憎い。

 思考と直結し、濾過もなく言葉を吐き出すその器官が、私を蝕む。

 けれど自戒は翌朝には風化し、また同じ言葉を繰り返す。

 誰かを傷つけ、自己嫌悪に沈み、そして再び息をする。


 そんな怠惰と自己否定に塗れた日々のなかで、ある日、私は「死にたい」と口にした。

 独り言のように、誰に向けるでもなく。

 理想は手のひらからこぼれ落ち、現実の私は地に手をつき、土の冷たさを確かめて嘆いた。

 生きていることの実感は、痛みの中にしかないのかもしれない。


 それでも、編み物をする。

 毛糸に触れ、思考を放棄し、ただ無心で編み棒を動かす。

 ひと目、またひと目と編むたびに、ざらついた感情が少しずつほどけていく。

 それは自責の時間であり、逃避の時間でもあった。

 ほどけかけた糸の柔らかさに、名もない後悔が吸い込まれていく。


 昼下がり、郵便受けを開けた。

 手紙が一通、古びた筆跡で差し込まれていた。

 差出人の名を見た瞬間、胸の奥がざらつく。

 数年前、私を拒絶した友人の名前だった。


 「久しぶりに会えないか」とだけ書かれている。

 文末には、謝罪も言い訳もなかった。

 けれどその簡潔さが、私には赦しのように思えた。

 紙を折りたたみ、机の上に置いたまま、返事は書けなかった。

 ペンを握ると、どの言葉も嘘に見えた。

 丁寧に書けば取り繕いのようで、率直に書けば幼稚に思える。

 ペン先を押しつけ、黒い点だけを残した。

 それが、私の返事のすべてだった。


 夕方、編みかけのセーターに手を伸ばす。

 けれど指先が動かない。

 代わりに、糸が静かにこちらを見ていた。

 続きを編む資格がないと告げるように。


 私は酷い人間だと思う。

 誰かの優しさを受け取ると、すぐに疑い、

 拒絶の予感を先回りして勝手に絶望する。

 稚拙で、臆病で、どうしようもない。

 けれど、その弱さが私を守ってもいる。

 信じなければ、傷つかない。

 愛さなければ、失わない。

 そうして私は、自分の小さな現実の中で息をしている。


 窓の外から、笑い声が聞こえた。

 隣家の子どもの声だろう。

 その明るさに、少しだけ未来を夢想しようとした。

 もし私にも、あんな笑い方ができたなら。

 もし私が、誰かを素直に信じることができたなら。

 けれど想像の途中で、思考が途切れた。

 光景は輪郭を結ばないまま、霧のように消えた。


 やはり私は、空想ができない。

 幸せを思い描こうとしても、像を結ぶ前に現実が割り込む。

 机の上のほこり、茶渋の跡、編み棒の冷たさ。

 それらの感触が、私をここに引き戻す。


 私は、現実を生きている。

 それがどんなに不完全でも、私はここにいる。

 編みかけの糸は今日も机の上に転がり、

 私はそれを見つめながら、動かない手を静かに握りしめた。


 それが、私にできる、ただひとつの現実的な祈りだった。



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