※第八話 囚われたリリア
(くそっ!人質を取られて、これでは無闇に手出し出来ぬではないか!リリアはどうすれば良いのだ……このままでは……)
リリアの心臓が、絶望で凍りつく。
「……お前が現れなければ、この者たちは、無事だったんだ。だが、お前は、その運命を変えた」
男は、そう言い残すと、手に持ったナイフを、子供たちの親の首筋に当てた。
「……やめろ!」
リリアは、悲痛な叫び声を上げた。
しかし、男は、躊躇なく、ナイフを突き刺した。
「……ぐっ!」
男のナイフが、親たちの首筋を容赦なく切り裂いた。
赤い血が、地面に広がっていく。
「お父さん!お母さん!いやだ、死なないで!リリアさん、助けて……!」
その光景を目の当たりにした子供たちは、親の死に、悲鳴を上げた。
「なんて事を……」
リリアは、目の前で起こった惨劇に、言葉を失った。
全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。
リリアの瞳から、とめどなく涙が溢れ出した。
それでも男は獣人達を殺す手を休めなかった。
「フハハははは!苦しめ苦しめ!暴れるだけの獣など、所詮、俺たちにかかればこんなものだ!」
そう言いながら男は、また一人、また一人とその手で命を奪っていく。
「やめて!もうやめてくれ!リリアはお前達の命まで奪ってないじゃないか!なぜ、こんな酷いことを……!」
リリアは、無惨な光景を目の当たりにして、絶望のあまり震える声で呟いた。
「どうしてお前たちは、そこまで残酷になれるのだ……」
リリアはすっかり戦意を喪失させていた。
「やめろ……殺すならリリアを殺せ……子供達をこれ以上、苦しめないでくれ……」
それまで強気だったリリアが、すがるように懇願してくる姿を見た男は、その言葉を嘲笑うように喜んだ。
「へへっ、せいぜい泣き喚くがいい。お前たちの悲鳴が、俺たちの酒の肴になる」
男の言葉が、リリアの心の奥底に眠る、獣のような怒りを呼び覚ます。
リリアは、ゆっくりと顔を上げた。
大きく見開かれた金色の瞳には、復讐の炎が燃え盛っていた。
「……お前たち獣人に、人として自由に生きる権利があるものか。お前たちは、ただの獣だ。人間様の所有物だ。獣が人間と対等だ、などと思わぬ事だな」
男の言葉に、リリアの怒りは頂点に達した。
「……貴様ら、人族どもを、絶対に許さない!」
リリアは、集落全体に鳴り響くほどの咆哮を上げた。
「今度は容赦なく息の根を止めてやる!」
そう言ってリリアは再び男たちに襲い掛かった。
しかし、その時、リリアは、物陰から狙いを定める、男の影に気づかなかった。
「弓矢……だと……!」
リリアは、背後から放たれた矢が、自身の肉を貫く感触を確かに感じた。
「信じられん……このリリアが、弓矢などに……怒りで我を失っていたと言うことか……」
矢に細工がされていたようで、次第にリリアの意識は朦朧としていく。
「手足が……思うように動かない……敵を……人間たちを皆殺しにするまでは……」
そう言ってリリアは、まるで泥の中に沈んでいくような感覚に襲われながら、その場に崩れ落ちた。
「毒矢とは卑怯な……」
リリアは必死に立ち上がり、戦おうとするが、その身体は再び力を取り戻すことはなく崩れ落ちた。
「……お前は、ここで終わりだ。獣人ごときが、人間様に逆らうからだ」
毒矢を放った男は、薄汚い笑みを浮かべ、リリアを見下ろした。
その目は、獲物を捕らえた獣のように、冷たく輝いていた。
「こいつ一丁前に、悔し涙を浮かべてやがるぜ!」
他の男たちは、リリアの苦悶する姿を見て、哄笑を上げた。
その笑い声は、まるで悪魔の嘲笑のように、リリアの耳に突き刺さった。
「これはやられた仲間の分だ!」
「お前みたいな獣が人様を傷つけた報いだ!」
男たちは、リリアが動けないことを確認すると、容赦なく踏みつけ蹴り飛ばし、ある者は唾を吐きかけるものもいた。
「思い知ったか、獣無勢が!」
やがて泥と傷だらけになった身体を縄で縛り上げると、馬車へと押し込んだ。
リリアの体は、まるで荷物のように、乱暴に扱われた。
(くそっ……リリアが何故こんな目に……)
リリアは、朦朧とした意識の中で、屈辱と怒りに震えながら、馬車に揺られた。
(……くそっ、こんなところで……!リリアは、まだ、復讐を……!例え囚われようと、リリアは、決して屈しない。必ず、この屈辱を晴らして見せる)
リリアは、心の中で誓った。
その瞳には、復讐の炎が、激しく燃え盛っていた。リリアの瞳に映る復讐の炎が、焚き火の炎と重なり、現実の場面へと意識が戻る。
「その後、カインとエレナが現れ、リリアは救われたのだ……」
焚き火が、ほのかに広場を照らす中、カインとエレナは、リリアの言葉に無言のまま耳を傾けていた。
そしてその話を聞き終えて、改めてリリアの心情に心を痛めると共に、怒りを感じていた。
「そんな事が……」
エレナが、悲しそうな表情で呟いた。
「例え捕えられたとしても、仲間のために命を賭けた、リリアさんの行動は素晴らしいものだと思います!その仲間を思う気持ちがあれば、私たちとの旅で窮地に陥ったとしても、必ず共に乗り越えられると思います!」
そう言葉を続けたエレナは、真っ直ぐリリアを見つめていた。
「リリアさんも、辛かっただろうな……」
(リリアは本当に辛い過去を経験してきたんだ……僕はそんな彼女を助けてあげたい。例え彼女が人間を信用出来ないとしても、僕は彼女の力になってあげたい……)
カインは、恥ずかしくて言葉に出来なかったが、そんな想いを抱いていた。
「リリアは、卑劣な人族の存在を決して許さない。獣人の自由と誇りを守るために、一人となろうとも最後まで戦う」
「リリアさん、あなたは一人じゃないわ。これからは私たちもあなたの力になります」
「そうだな。そんな悪事を働く奴らは許せない。僕らを頼ってくれ」
リリアは、カインとエレナの言葉に、戸惑いを隠せなかった。
(人間を、信じる?そんなこと、できるはずがない。これまで人間は散々、仲間たちを苦しめ、土地や命を奪い去ってきたのだぞ?)
それでも、二人の瞳に嘘偽りのない温かさを感じ、リリアの凍り付いた心が、ほんの少しだけ、解け始めた。
(もしかしたら……彼らなら……初めて人間という種族にも、理解し合える者がいるのかもしれない……)
リリアは僅かながらに期待を抱き始めた。
しかし、それは、まだ確信には程遠く、リリアは、二人の言葉を、試すように、静かに見つめ返した。
「リリア、僕らは、きみを信じている。一緒に、この世界の真実を解き明かそう。きみが探している強い伴侶も見つかると良いな」
カインは、リリアの瞳をまっすぐに見つめ、その言葉に、嘘偽りのない、強い意志を込めた。
「リリアさん、私達は、あなたの味方です。必ず、理解し合えます」
エレナは、リリアの瞳をまっすぐに見つめ、その小さな肩に、そっと手を添えた。
その瞳には、強い決意と、リリアを支えたいという優しさが溢れていた。
「……ありがとう、カイン、エレナ。お前達となら、共に歩めそうな気がする。その事を、これから行動を共にする事で確かめていきたいと思う」
リリアは、カインとエレナを、信頼に値するものだと認め始めていた。
それは初めて人族に、心を開き始めた瞬間でもあった。
カインとエレナの言葉は、リリアの心の奥底に、温かい光を灯した。
それは、リリアが長い間忘れていた、信じるという感情だった。
リリアの心の氷が、カインとエレナの言葉によって、ゆっくりと溶け始める。
それは、まるで、長い冬が終わり、春の訪れを告げる、暖かい日差しのように、リリアの心を包み込んだ。
「明日には、あの山脈の麓に見える、古い神殿に辿り着ける。そこで、きっとこの指輪の謎も解けるはずだ」
カインは、遠くに見える神殿を見つめ、そう言った。
それは、長い年月を経て、風化が進んでいるはずだが、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「えぇ、必ず何か指輪の手がかりが見つかるはずよ。楽しみね」
エレナも、期待に胸を膨らませた。
「お前たちに受けた恩を返すため、そして、獣人族の未来のためにも、必ずリリアが役に立ってやろう」
リリアは、彼らと共に、この世界の真実を解き明かしたいと思った。
そう言って語り合う三人の頭上には、無数の星々が煌めき、まるで宝石を散りばめたようだった。
その光は、カイン達の未来を祝福するように、優しく輝いていた。
その時カインは、魔王の指輪が微かに魔力を放ち、自身の意識に語りかけようとしている事に、気付くことはなかった。
それは、魔王の指輪がカインの力に反応し始めた事を意味していた。