※第六話 リリアとの出会い
「全く、威勢の良いお嬢ちゃんだ。これなら、物好きな貴族様に高値で売りつけられそうだ。せいぜい、優しく躾けてもらうことだな」
ちょび髭短足の男は、下卑た笑みを浮かべ、少女の体を舐め回すように見つめた。
その目は、獲物を値踏みする商人のように、冷たく光っていた。
「汚らしい目で見るな!このリリアは、お前達に捕まろうとも、魂までは捕えられない! 誇り高き獣人ガルガの娘として、最後まで抗ってやるぞ! 人族の者達よ、獣人に仇なす者達よ! この、リリアの生命が潰えようとも、必ず父ガルガが、お前達の命を奪う。そのことは肝に銘じておけ!」
リリアは、縄で縛られたまま、荷台で上体を起こすと屈辱に歪む顔を上げ、奴隷商人たちを睨みつけた。
その金色の瞳には、怒りと憎悪が燃え盛っていた。
しかし、同時に、捕らわれた仲間たちを救えない無力感と、これから起こるであろう残虐な行為に対する恐怖も感じていた。
「うるせぇんだよ!獣ごときが、勝手に喚いてんじゃねぇ!」
護衛の一人が、少女の腹を蹴り上げた。
少女は、苦痛に一瞬声が漏れ顔を歪めたが、それでも、すぐに睨み返し、その金色の瞳から反抗の炎が消えることはなかった。
「何度でも言ってやる。卑劣なお前達人族に、獣人リリアは屈しない。一族の誇りに賭けて、お前達の好き勝手など許すものか!」
リリアの言葉は、カインとエレナの胸に、熱い鉄を押し当てられたかのように、深く突き刺さった。
「カイン! 私、もう我慢ならないわ! こんなに虐げられているのに、見て見ぬ振りをするなんて、私には出来ない!お願い。獣人の人々を助けてあげて。このまま見捨てたら、一生後悔すると思うの」
エレナは、涙を堪えながら、必死に訴えかけた。
その瞳には、強い正義感と、自分ではどうすることもできない無力感が入り混じっていた。
「……わかった。無茶苦茶な扱いを受けている、あの娘を見捨てるわけにはいかない。いくぞ! エレナ、例え剣を交えてでも、彼らを助けるんだ!」
カインは、静かに頷き、剣を抜き放つと走り出した。
「なんだ、お前達、まだいたのか……って、うわっ!」
ちょび髭短足の男は、カインの不意を狙った一撃を運良くかわすと、嫌悪感を露わにした。
そして次の瞬間、彼の顔は驚愕に歪んだ。
「何しやがんだ小僧共! まさか、俺たち相手に喧嘩を売ろうってんじゃないだろうな。変な正義感は出さない方が身のためだぜ?」
男は、脅すように言ったが、子供だと思っていたカインの攻撃に驚いた声には、僅かな動揺が滲んでいた。
「女子供を攫おうとしているのを、黙って見過ごすわけにはいかない。僕らは、獣人達に味方させてもらう」
カインは、男の言葉を無視し、冷たい声で言い放った。
その瞳には、獲物を狩る獣のような、鋭い光が宿っていた。
カインは剣を構え直すと、改めて辺りを見回した。
「リーダー格の男と、護衛の屈強な男達を合わせて五人。対するこちらは、僕とエレナと、怯える獣人達……やれるか?」
カインは、先程の街道で出会った盗賊より強そうな男達五人を相手に、どのように立ち回ろうか、考えを巡らせた。
しかし答えが出る前に、護衛の男達が、カイン達を取り囲もうと左右に広がる。
(とりあえず囲まれては駄目だ)
そう考えたカインは、エレナに視線で下がるように指示を出しながら、剣を構えて相手を威嚇しつつ、ジリジリと後ずさる。
「どうってことないさ。一人づつ仕留めていけば良い。僕とエレナなら出来るはずだ」
カインは、鼓動の早鳴りを覚え、喉の渇きを覚え、首筋に汗が流れ落ちるのを感じた。
それまで吹いていた風が一瞬止まり、風に靡いていた草花がその姿を元に戻した時だった。
「……グエっ!」
突然、潰れるような悲鳴をあげて、カイン達を包囲しようとしていた男達の一人が、前のめりに倒れた。
その背中には、まるで獣の爪で抉られたような、深くて赤い傷跡があった。
「……何が起こった⁉︎」
ちょび髭短足の男は、突然の出来事に目を丸くし、周囲を見渡した。
「あれは……!」
その視線は、倒れた男の背後に立つ人影を捉えた。
「……あの獣人の少女……馬車からあの距離を一瞬で詰めた上に、一撃で男を倒したのか!」
カインは、思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、先程まで囚われていた、獣人の少女、リリアだった。
馬車では、隙を見た獣人の夫婦が子供を救おうと、縄を解き放っていた。
束縛を解かれたリリアは、鋭い爪と牙をギラつかせ、憎悪に燃えた瞳で、次の獲物を見定めている。
「お前たち人族の好きにはさせない!」
リリアの咆哮が、静まり返った集落に響き渡った。
「この場にいるすべての者達を殺してやる!
その声からは、狂おしいまでの怒りが感じられた。
「……!」
奴隷商人の男は、リリアの姿に戸惑い、一瞬、動きを止めた。
しかし、すぐに我に返り、リリアに向けて武器を構えた。
「くそっ、獣ごときが……!」
その時、カインは、自分から注意を逸らした、男の隙を見逃さなかった。
「今だ!」
大地を力強く蹴り、稲妻のような速度で前に走り出した。
彼の剣は、獲物を狙う獣のように、男の腕へと迫る。
「くらえ!」
「……ぐっ!」
男は、カインの攻撃に気づき、体を動かそうとした。
しかし、その動きは、森の魔物達との戦闘で鍛えられたカインの剣速に、追いつくことはなかった。
「遅い!」
カインの中段から繰り出された剣は、男の二の腕を捕え、鮮血が宙を舞った。
「なんて速さだ!」
男は、信じられないという表情で、剣を落とすと、斬られた利き腕を押さえながら、その場に崩れ落ちた。
やがて男の悲鳴が、静まり返った集落に響き渡った。
カインは、隣で驚きのあまり立ち尽くしていた次の獲物へと、休む間もなく飛びかかっていた。
「遅い!」
無防備な敵の懐に潜り込み、渾身の肘打ちを叩き込む。
「……ぐあああっ!」
みぞおちを強打された男は、思わず得物を落とすと、苦痛に顔を歪め、悲鳴を上げながら、その場に倒れ伏した。
「……な、なんだ、こいつら……!」
一瞬にして仲間を二人も失ったちょび髭短足の男は、恐怖に顔を青ざめさせ、震える声で呟いた。
「なんて奴らだ、化け物だ!」
「撤退だ撤退!逃げるぞ、お前たち!」
戦力の差を目の当たりにした男は、そう言い残すと、仲間を引き連れ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「大丈夫だった、カイン? 一瞬で二人も倒しちゃうなんて、さすがね」
エレナは、安堵の表情を浮かべ、カインに駆け寄った。
しかし、カインは、剣を構えたまま、周囲を警戒していた。
「……まだだ。敵意をむき出しにする気配が残っている」
カインが呟いた瞬間、リリアは、鋭い爪と牙を剥き出し、低く唸り声を上げた。
腰を落として獲物を狙うような彼女の瞳は、獣のようにギラギラと光り、今にもカインたちに襲い掛かろうとしていた。
「リリアさん、私達はあなたに危害を加えないわ。だから、警戒するのをやめて」
エレナは、リリアに向かって、優しく語りかけた。
まるで春の小川のせせらぎのような声は、敵意を鎮める魔法のように、リリアの心をゆっくりと静めていった。
リリアは、しばらくカインとエレナを睨みつけていたが、やがて、ゆっくりと爪と牙を納め、敵意を和らげた。
すると辺りにそよ風が吹き、小鳥達のさえずりが聞こえ始めた。
「……何故だ、お前達も人族なんだろう? なんで、リリア達なんか助けたんだ? 下手なことを考えてるんじゃないだろうな? どうせ、後で騙して、何か奪おうって魂胆なんだろう!」
リリアは、警戒心を少し解きながらも、鋭い視線はカインとエレナから離さない。
その声には、依然として強い疑念が込められており、人を容易には信用しない強情さが滲み出ている。
「僕たちは、自分達が正しいと思った事をしただけだ。君達と戦う気はない。魔王に関する伝説を調べるために、古い神殿を訪ねるところなんだ」
カインは、リリアの問いに、静かに答えた。
その瞳には、嘘偽りのない誠実さが宿っていた。
「あと、怪我や病で苦しむ人々を助ける旅も、ね」
エレナは、そう言って、馬車に乗せられていた、傷ついた獣人の子供達に近づき、回復魔法をかけた。
優しい光がエレナから子供達へと流れていくと、あざや腫れを癒していく。
「お前たちはリリア達獣人族にも分け隔てなく、治療してくれるというのか……人族の中にもお前たちのような者がいようとは……」
そう言ってリリアは、驚きの表情を浮かべ、カイン達に対する警戒をさらに解いていった。
「……どうやらお前達は、これまでリリアが出会ってきた連中と、ほんの少しだけ違うようだな!」
リリアは、カインとエレナを交互に、まだ探るような視線で見つめた。
その声のトーンは、警戒こそしているものの、先程の敵意むき出しの状態からは幾分か落ち着いている。
しかし、素直に認めるのは癪だという気持ちが、言葉の端々に滲み出ていた。
「全ての人族が、獣人に酷い扱いをするなんて考えないで」
エレナは、悲しそうな眼差しで、祈るように答えた。
その瞳には、獣人達への深い同情と、理解を求める切実な願いが込められていた。
「わかった。ありがとう」
リリアは、深々と頭を下げた。
その瞳には、先程までの鋭さはなく、代わりに仲間を思う切実な光が宿っている。
「獣人を代表して、改めて礼を言わせてくれ。お前達が、我ら一族を救ってくれたことに、心からの感謝を」
わずかに顔を上げたリリアは、カインとエレナの二人を真っ直ぐに見つめた。
その真剣な眼差しは、まるで二人の魂を見透かそうとしているかのようだ。
しばらくの間、何かを深く考えている様子だったが、やがて小さく息を吐くと、決意を宿した強い眼差しを向けた。
「……カイン、エレナ。どうか頼む。しばらくの間、リリアをお前達の仲間に加えてはもらえないだろうか? この身、必ずやお前達の戦力となることを誓おう」
再び、リリアは二人に頭を下げた。
その声は、先程までの敵意など微塵も感じさせない、ひたすら感謝と信頼に満ちたものだった。
夕焼け色の光が、彼女の栗色の髪を優しく照らしている。
カインとエレナは、顔を見合わせ、微笑み合った。
その表情は、リリアの申し出を快く受け入れることを物語っていた。
「もちろんだ」
「リリアさん、よろしくお願いしますね」
二人の言葉に、リリアは、わずかに微笑んだ。
その表情は、まだ硬かったが、その瞳には、確かな希望の光が宿っていた。
「それじゃ、古い神殿を目指して、山脈へ向かおうか」
カインがそう提案すると、獣人の夫妻が慌てて駆け寄って来た。
「皆さん、助けて頂きありがとうございました。間も無く日も暮れ始めます。何もない集落ですが、食事を用意しますので、どうぞ一晩、お休みになっていってください」
そう言われた三人は、西の空が色づき始めた事を知り、夫妻の好意に甘えることにした。
日が沈み、焚き火を囲みながら、串刺しにした肉や芋を頬張るカイン。
エレナは一つ一つ味わうように、口へと運んでいる。
リリアはあまり野菜を好まないようで、生焼けに近い串肉ばかりを豪快に平らげていた。
焚き火の炎が、幻想的な雰囲気を醸し出す中、リリアは遠い目をしながら、寂しげな表情で語り始めた。
「リリアは、我が種族を守る族長となるため、強い伴侶を探す旅をしていたところで、捕えられたのだ……」
リリアが語り始めた時、あたりの森の木々が、風にざわめき、葉音を立てた。
静まり返った森の方から、フクロウの声が寂しげに聞こえて来る。
焚き火の木が音を立てて崩れると、リリアは、遠くを見つめるような寂しげな瞳で、静かに語り始めた。
「……それは、私達獣人が、決して忘れてはならない、血塗られた歴史……あの日、このリリアは、子供達の希望を奪う残酷な光景を目の当たりにしてしまったのだ。今でも、あの時の、子供達の泣き叫ぶ光景が、脳裏に焼き付いて離れない」
リリアがそう語り始めた時、彼女の瞳には、強い憎悪と悲しみが宿っており、わなわなと震える背中や硬く握られた拳から、怒りの激しさが感じられた。