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※第二話 魔王の指輪

「……入ってくれ」


 カインは、そう短く言うと、目の前にある古びた木の扉に手をかけた。

 それは、長年風雨に晒されたのか、所々色が褪せ、軋みそうな音を立てる扉を静かに押し開けた。


「……ありがとうございます!」


 エレナは、深く頭を下げ、カインの後について古屋の中に入った。

 古屋の中は、粗末な造りではあるが、きちんと掃除されており、生活感があった。


(暖かい……もう魔物に襲われる心配をしなくて良いのね)


 エレナは外の寒さと命の危険から解放され、安堵していた。


「……母さん、お客さんだよ」


 カインは、緊張した様子で、少し言葉に詰まりながら奥の部屋に向かって声をかけた。

 

 (思えばずっと母さんと二人で暮らして来て、自宅に人を招くのは初めてなんだよな……しかも木こりやハンターじゃなくて、歳の近い女の子だなんて……)


 そんなことを思いながら、緊張してしまうのも仕方ないと自分に言い聞かせていた。


「……お客さん? こんな時間に、珍しいわね」


 奥の部屋から、か細い女性の声が聞こえた。


「……エレナさん、こちらは僕の母マリアです。母さん、彼女はエレナさん。薬師だそうです」


 カインは、暖炉に火を焚べながら、マリアに紹介した。


「……初めまして、エレナです。森で魔物に襲われたところを、カインさんに助けていただきました。今夜は、お世話になります」


 エレナは、横になったままのマリアに挨拶をした。

 マリアは、病に臥せっているようだった。

 しかし暖炉の灯りに照らされたその表情は、清楚で慈愛に満ちたもので、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……いらっしゃい。こんなところで、ゆっくり休んでいってくださいね」


 マリアは、息子が初めて連れて来た客人に、優しく微笑み、嬉しそうに迎えた。


「すみません。お礼と言うわけでもないのですが、薬師として、役に立てるかも知れないので、少し見させてくださいね」


 そう言ってエレナは、マリアの傍に寄り、その容態を観察した。


(マリアさん、こんなに痩せ衰えてしまって……しかも肌は黒ずんで、呼吸も酷く弱い……)


 エレナは思わず悲しそうな表情を浮かべる。

 しかしそれ以上、気になる事があった。


(微かに溢れ出す、今まで感じたことのない、けれどどこか懐かしくて優しい、不思議な魔力の気配……これは一体、何なの?……温かい、けれど、それだけじゃない……?そしてマリアさんの辺りから、相変わらず奇妙な禍々しい魔力も感じ取れる……)


 そう思いながら、エレナは我に帰ったように瞳を見開いた。


(何を考えているのエレナ。まずは、患者の容体を診察するのが先よ!)


 エレナは自分に言い聞かせる。

 その手で体温を計り、脈をとり、肌や喉の具合を観察すると、呼吸や胸の音を確かめていた。

 薬師とは言え、その程度の医療の心得はある。


(何か効能のある薬草を処方出来れば……)


 エレナはそう考えながら診察を続けていた。

 用事を終えて部屋に来たカインは、少しでも良くなればと、その様子を心配そうに眺めていた。


「……これは……重度の末期症状……」


 しかしエレナは、手の施しようのない状態を前に、力無く呟いた。


 (薬草で地道にどうこうできる状態ではない。むしろ、命を保っているのが不思議なくらい……)


 エレナには今日明日が峠なようにも見えたのだ。


「……ええ。何とか私の治癒魔法で生きながらえていますが、もう長くはないでしょう」


 エレナの呟きを耳にしたマリアは、穏やかな声でまるで他人事のように静かに言った。

 自分の生命の灯火が間も無く尽きようとしていると、改めて聞かされた声には、諦めと、わずかな寂しさが滲んでいた。


「そんな……母さんがもう治る見込みがないなんて……」


 そう呟いたカインは魂が抜けたように項垂れ、彼の肩は、重い重荷を背負っているかのように、深く沈んでいた。


「……何か、私にできることはありませんか? 薬師として、少しでもお役に立てれば……」


 エレナは、必死に訴えた。

 彼女は、目の前の命を、少しでも長く繋ぎ止めたかった。


「……ありがとう、エレナさん。でも、もう、手遅れなの。それよりも、あなたには、別のことをお願いしたいの」


 マリアは、エレナに、何かを伝えようとしているようだった。

 真剣に見つめる瞳には、強い決意が宿っていた。


「……エレナさん。ここに来てからあなたには、何か見えているのでしょう?」


 マリアは、静かに言った。

 ただの病人には見えない底知れぬ力を秘めた瞳は、エレナの心を覗き込むように、真っ直ぐ見つめていた。


「……え……?」


 エレナは、驚いて言葉を失った。

 まさか、自分の魔力が見える力を見抜かれているとは、思ってもみなかった。


「……あなたの瞳には、私と同じものが映っている。そうでしょう?」


 マリアは、優しく微笑み、エレナの手を握った。

 その手は、痩せ衰え冷たかったが、不思議な温かさも感じさせた。


「……はい。あなたの体から、清らかな、けれど、とても強い魔力を感じます。そして、それとは別に、何か奇妙な、とても禍々しい強力な気配も……」


 エレナは、正直に答えた。

 魔力を感知する力は、彼女自身も、まだ上手く説明できない、不思議な感覚だったのだ。


「……そうですか。やはり、あなたには、魔力が見えるのですね」


 マリアは、静かに頷いた。

 その瞳には、安堵と、わずかな寂しさが入り混じっていた。


「……あの、それはどういう意味ですか……?」


 エレナは、恐る恐る尋ねた。

 マリアの言葉には、何か、隠された意味があるように感じた。


「あなたに見えている、奇妙で禍々しい魔力。それは私が、ずっと隠し持って来たもの。世界を破滅させる力を持つ、禁断の宝具……魔王の指輪の魔力……」


 暖炉のパチパチという音だけが響く静かな空間で、マリアは静かに告げた。

 その言葉に、エレナは息を呑んだ。


(まさか、目の前の女性が、そんな危険なものを隠し持っているなんて……魔王の指輪と言えば、御伽話に出てくるような伝説の宝具よ。手にした者は、指輪から得られる莫大な魔力で、英雄にも魔王にもなれるという……)


 エレナは想像もしない話に驚きを隠せなかった。

 

 カインも指輪を隠していた事実を初めて耳にしたようで、瞳を大きく見開き、呼吸を忘れたように会話に聞き入っていた。


「……魔王の指輪……? そんな物、実在したのですか。しかもなぜ、あなたが……?」


 エレナは、戸惑いながらも、尋ねた。


「……それは、カインの父、アレクが、魔王を倒した時、手に入れ、命をかけて守り抜いたもの。そして、妻である私が、その遺志を継ぎ、保管していたのです」


 マリアは、そう言うと、わずかに微笑んだ。

 過去を振り返るような瞳には、誇りと、深い愛情が宿っていた。


「……アレク……? カインさんのお父様は、あの、勇者アレクなのですか……?」


 エレナは、驚いて呟いた。

 まさかカインが、昔、魔王を倒した勇者アレクの息子だったなんて。


「あなたに頼みたい事というのは、その魔王の指輪に関わる事なの」


 マリアは、静かにカインとエレナを見つめた。

 死を間近にした病人とは思えない、輝きを取り戻した瞳は、まるで二人の未来を見据えているかのように、深く、そして温かかった。


(これから聞かされるのは、これまで僕が知らなかった話だ)


 そんな予感に、カインは思わず息を呑んだ。


「……カイン、エレナさん。二人には、大切な話があります」


 マリアは、ゆっくりと話し始めた。

 その声は、弱々しく、今にも消え入りそうだったが、その言葉には、強い意志が宿っていた。


「……私は、エレナさんの見立てどうり、もう長くはありません。だからこそ、あなたたちに、どうしても伝えなければならないことがあります」


 マリアは、そう言うと、カインに厳しい視線を向けた。

 カインはそれを聞いて、寂しそうな表情を浮かべている。


「……カイン。あなたの父、アレクは、かつて、世界を救った英雄でした。しかし、彼は、魔王の指輪を守り抜き、そして、そのために、命を落としたのです」


 マリアはゆっくりと胸元から指輪を取り出した。

 それは、くすんだ金色をした、重厚な指輪だった。

 指輪の表面には、歪んだ古代文字が刻まれており、まるで悪魔の言葉を書き記したようだった。


(指輪が冷たい光を放ってる……見てるだけで背筋を凍らせるような、不気味な気配だ……)


 カインは、その異様な光景に息を呑んでいた。


(駄目……凄く不安な気持ちになる……こんな危険な魔力を感じたのは初めてだわ)


 エレナは指輪から目を逸らせると、少し額を抑えるような仕草を見せた。


「……これは、魔王の指輪。世界を破滅させる力を持つ、禁断の宝具です。アレクは、この指輪を、悪しき者たちの手から守り、破壊しようとしたのです」


 マリアは、指輪をカインに見せた。

 その指輪は、微かに瘴気を放ち、周囲の空気を歪ませているようだった。


「……しかし、夫アレクは、目的を果たせず、指輪の力と誘惑に抗えず精神を病み続け、やがて、命を落としました。私は、アレクの遺志を継ぎ、この指輪を破壊が無理なら封印しようとしましたが、それもダメでした。そして私の寿命も、終わりを迎えようとしています」


 マリアは、そう言うと、今度はエレナに優しい視線を向けた。


「……エレナさん。あなたには、特別な力があります。あなたなら、私の血筋に流れる、清らかな力を引き継げるはず。そして、魔王の指輪を封印するためには、私の清らかな力が役に立つはずです」


 マリアは、そう言うと、魔王の指輪を手にして、エレナの手を優しく握りしめた。

 その瞬間、マリアの体から、黄金色の光が溢れ出した。


「これは一体……何が起きようとしているの?まるで命の輝きそのもののよう……温かい……」


 光は驚くエレナも包み込み、部屋全体を照らすと、眩しいほどの輝きを放つ神聖な光で、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「……これは、私の血筋に宿る清らかな力。特別な治癒の力があります。簡単な怪我や病気ならすぐに治せるでしょう。使いこなせるようになれば、さらに効果は高まります。そして、おそらくですが、指輪を封印するために必要になる鍵……」


 マリアがそう話す間も、光はエレナの体を優しく包み込み、彼女の奥底へと流れ込んでいく。


「これは……マリアさんが、これまで回復魔法で人々を癒してきた光景が走馬灯のように流れ込んでくる……」


 エレナは、そう言って、体の中に、今まで感じたことのない、温かく、力強い魔力のようなものが満ちていくのを感じた。


「これで私にも回復魔法が使えるようになったのでしょうか?傷ついた人々や、病に苦しむ人々を助けることができるのでしょうか?」


 そう言ってエレナが右手に意識を集中すると、手のひらがぼんやりと輝き、暖かくなるのを感じた。

 その様子に彼女は好奇心とも使命感とも取れる喜びを感じた。


「その通りよ。そしてその力でカインの旅を支えてあげて欲しいの。大変な旅になると思うけれど、エレナさんの他に頼める人がいないから……私達が、果たせなかった過酷な運命に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい……」


 光が収まり、マリアは、エレナに力を託すと、カインに指輪を手渡した。

 その表情は、まるで長年背負ってきた重荷をようやく下ろせたかのように、安堵の色を浮かべていた。

 しかし、その瞳の奥には、カインとエレナの未来を憂う、深い悲しみが宿っていた。


「……カイン。この指輪の力に甘えては駄目。使わないでください。そしてこの指輪を破壊してください。それが叶わないようなら、安全な場所へと封印してください。そして、エレナさんと共に、この世界を救ってください」


 マリアは、そう言い残すと、その体から、まるで蝋燭の火が消えるように、ゆっくりと生気が失われていった。

 マリアは自身の病を抑えていた清らかな力を、エレナに譲り渡した代償として魔力を失っていた。

 それは、長年患っていた病の歯止めがなくなったということ。

 病は彼女の体を急速に蝕み、ついにその命の灯火を消し去ろうとしていた。


「……母さん……! まだ、ダメだ……! まだ、話したいことが……聞きたいこともあるんだ!」


 カインは、必死にマリアの手を握りしめ、その名を叫んだ。

 しかし、マリアの瞳は、すでに虚ろで、カインの悲痛な叫びに応えることはなかった。


 マリアの呼吸は、徐々に弱くなり、やがて静かに止まった。

 エレナと出会い、自身が持つ清らかな力を託し終えた事で、その顔は、安らかで、まるで長い眠りについたようだった。

 しかし、病との戦いで頬はやつれ、蝕まれ続けていた体は、まるで枯れ木のように細くなっていた。

 それは、長年の苦しみと、それでも懸命に生きてきた証だった。


「……母さん……! 嘘だ……! こんなの、嘘だ……!」


 カインは、マリアの冷たくなった体を抱きしめ、慟哭した。

 これまでずっと母と二人で暮らして来た青年の瞳からは、熱い涙が溢れ出し、止まることを知らない。

 その涙は、まるで、心の奥底に溜まっていた悲しみが、一気に溢れ出したかのようだった。

 必死に看病しても一向に回復せず報われない苦しみと共に。


「……母さん……! なぜ、僕を置いていくんだ……! なぜ、こんな……!」


 暖炉の炎が静かに揺らめく中、カインの慟哭が古屋に響き渡る。

 その声は、悲痛な叫びというよりも、むしろ、幼子のように、母を求める哀しい慟哭だった。


 エレナは、そんなカインの背中に、そっと手を添えた。

 彼女もまた、マリアの死に深い悲しみを覚えていた。


(彼にかける言葉が見つからないわ……)

 

 しかし、今は、そんな思いからカインの悲しみに寄り添うことしかできなかった。

 

「……カインさん……」


 エレナがようやくその名を呼ぶと、カインはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は、悲しみと、そして、強い決意の色を宿していた。


「……エレナさん……。母さんは、僕にとって、たった一人の家族だった……。だけどもう、誰もいない……」


 カインの声は、震え、今にも消え入りそうだった。

 深く青い瞳には、溢れる悲しみと、そして、孤独が宿っていた。


「……カインさん……。私、カインさんと一緒に、指輪を封印します。そして、この世界を救います。だから、一人じゃない……」


 エレナは、カインの瞳を見つめ、力強く言った。

 彼女の言葉は、カインの心を、わずかに温めた。


「カイン。お前は、もっと外の世界を知るべきだ」

「お前は、優しい子だ。いつか、お前を理解してくれる人が現れるだろう」


 カインはマリアの言葉を思い出すと、その瞳は再び輝きを取り戻した。


「……ありがとう、エレナさん……。共に、母さんの、そして、父さんの遺志を継ぎ、この世界を救おう……」


 カインは、そう呟くと、立ち上がり、父アレクが残した形見の剣を手に取った。

 その瞳には、悲しみを乗り越え、使命を果たすという、強い意志が宿っていた。


「はい、カインさん。私もマリアさんから受け継いだ治癒魔法の力で、怪我や病気で苦しむ人々を救うためにお供します」


 二人は、指輪の封印に必要なものを探す旅を始める決意を固めた。

 それは、困難と、そして、希望に満ちた、長い旅の始まりだった。


 マリアを埋葬して数刻後、夜明け前の静寂が、森を深く包み込んでいた。

 冷たい空気が肌を刺し、吐く息は白く立ち上る。

 目覚めたカインは、誰も住むものがいなくなった古屋の古びた木の扉を静かに閉め、背後に広がる暗い森へと足を踏み出した。


 その背には、父アレクの形見である剣が、まるで彼の意志を示すかのように、静かに輝いていた。

 それは、長年使い込まれた武具特有の、重厚な存在感を放ち、カインの決意を物語っているようだった。


 カインの瞳は、遥か遠くの山脈と雲ひとつない青空を見据えていた。

 そこには、まだ見ぬ困難と、そして、かすかな希望が広がっている。

 彼の心には、母マリアの遺言と、父アレクの遺志が深く刻み込まれていた。


「必ず、指輪を封印する。そして、この世界を救う……!」


 カインは、誰に言うともなく呟くと、固く拳を握りしめた。

 その手には、母から託された魔王の指輪が、微かに熱を帯びていた。


 隣には、エレナが静かに立っていた。

 彼女の瞳にも、カインと同じ強い決意が宿っている。

 二人は、互いに頷き合い、共に歩み始めた。


 古びた剣を背に、魔王の指輪を手に、カインとエレナは、まだ見ぬ困難へと立ち向かう。

 彼らの旅は、この世界の運命を大きく左右する、壮大な物語の幕開けだった。

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