※第十九話 ガルガの昔話
「そう……彼女と初めて出会ったのは、魔物の群れに滅ぼされた村を偶然訪れた時のことだった……」
そう呟くごつごつした顔には、微かな光が灯り、じんわりとした喜びと懐かしさに満ちた、穏やかな表情が浮かんでいた。
その場にいた者たちも、息を潜め、緊張した面持ちでガルガの次の言葉を待つ。
周囲はそこだけ隔離された空間のように、張り詰めた静寂に包まれた。
やがて篝火を見つめるガルガの視線は遥か彼方、過ぎ去った日々へと吸い込まれていった。
若き日のガルガは、夕焼け空が、まるで巨大な炎が燃え尽きた後のように、赤黒く染まるのを眺めていた。
風に乗って鼻腔を刺激するのは、焦げ付いた木材の匂いと、鉄錆のような微かな血の香り。
立ち並ぶのは、黒い骨組みだけを残した家々の残骸。
まるで時間が止まってしまったかのように、村には生きた人間の息遣いがほとんど感じられなかった。
「……また、魔物の爪痕か。無惨なものだな」
ガルガは、その焼け野原のような光景を前に、低い声で呟いた。
彼の隣には、憂いを帯びた瞳で村を見渡し、悔しそうに硬く拳を握る、若きアレクの姿があった。
「ああ……まだ、息がある人もいるようだが……もう少し早くこの村を訪れていれば、救えただろうに……」
アレクの表情は、夕焼けに照らされ、一層陰影を深くしていた。
「貴様のせいではなかろう。弱ければ滅びる。それだけの話だ」
強さこそが絶対だと信じるガルガは、焼け付いた地面にへたり込む村人たちに、冷たい視線を投げかけた。
苦痛に歪んだ彼らの表情は、ガルガの金色の瞳に、何の感情も映し出さない。
「相変わらず、容赦がないな、ガルガは。だが……」
アレクは、やりきれない思いを噛み締めるように呟いた。
その言葉には、弱き者への深い憂いが滲んでいた。
「『努力しても報われない者もいる。だからこそ、才能に恵まれた俺たちが手を差し伸べるべきだ』、だろう?」
ガルガは、アレクの言葉を予測していたかのように、うんざりとした口調で遮った。
何度も何度も聞いてきた、彼の甘い理想論。
「ふん、ようやく俺の考えが理解できたか」
アレクは、ガルガの皮肉な言葉にも屈せず、どこか嬉しそうに笑った。
その無邪気な笑顔に、ガルガの胸の奥に、微かな温かいものが灯るのを感じた。
「だがな、アレク。現実を見ろ。こいつらはもう、助からない。これだけの傷だ。そして何より、生きる希望を失った目をしてやがる」
ガルガは、アレクの感傷を切り捨てるように、淡々と言い放った。
その声音は、まるで冷たい刃のようだった。
その時、焼け焦げた瓦礫の向こうに、黒い影がゆらりと動いた。
「この村の者か? いや……どうやら旅のものらしいな」
アレクが目をやると、そこに現れたのは、小柄な少女だった。
アレクたちと同じくらいの歳だろうか。
しかし、その身に宿る空気は、どこかこの世のものではないような、神秘的なヴェールをまとっていた。
吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳が、二人をまっすぐに見つめる。
「あなた方は……冒険者の方々ですか?わたくしは、旅の回復魔法使いのマリアと申します」
少女は、鈴が転がるような透き通った声で、丁寧に自己紹介をした。
「ああ、俺はアレク。ま、冒険者みたいなもんだな。今は剣の腕を磨くために、強い魔物を探し回ってるんだ。で、こいつは……」
アレクが隣のガルガを指さすと、ガルガは短く低い声で応じた。
「ガルガだ」
二人が短い挨拶を交わしている間も、マリアと呼ばれた少女は、倒れたまま動かない村人たちを、熱心に見つめていた。
その青い瞳には、深い心配と悲しみの色が宿っているようだった。
「嬢ちゃん、諦めとけって。そいつらはもう、普通の回復魔法じゃ手遅れだ。むしろ、苦しみから解放してやる方が、連中のためってもんだぜ?」
ガルガの厳しい忠告をまるで聞いていないかのように、マリアは両手に集中させた魔力を、驚くべき光に変えて、倒れた人へと流れ込むように送り始めた。
「こいつは驚いた……凄い魔力量だな……」
「あぁ……魔力量だけなら、アレクより上じゃないか?」
それは、アレクもガルガも今まで見たことのないほどの、眩い黄金の光だった。
温かい光は、まるで時を巻き戻すかのように、ゆっくりと、しかし確実に、無惨に開いた傷口を塞いでいく。
「……すげぇな……まるでエルフかドワーフの魔法みたいだ」
「これだけの傷を回復させる魔法など、我は初めて見たぞ」
その様子を眺めていた二人は、驚きのあまり感嘆の声が漏れた。
やがてある程度、傷口が塞がると、彼女は次の怪我人の元へと向かった。
「なんで、あいつ最後まで治してやらないんだ?」
ガルガは、信じられないといった様子で呟いた。
普段は冷静な彼の声にも、わずかな戸惑いの色が混じっている。
「完治まで効果を保てない魔法なんじゃないか?」
アレクもまた、マリアの奇妙な行動に首を傾げた。
彼の穢れなき瞳には、純粋な疑問が浮かんでいる。
「あの人はもう、命の危険はないわ」
二人の会話が聞こえたマリアは、抑揚のない声で短く答えると、周囲を見渡し、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「本当は最後まで治してあげたいのだけど、これだけ重症者が多いと、わたくし一人の魔力では、全てを癒すには魔力が全然足りないの。それに……」
そこで言葉を切ると、彼女は何かを言いたげに口を開きかけたが、結局唇を閉ざしたままだった。
彼女の瞳の奥には、何か大きな秘密を抱えているような陰りが見えた。
「いいたい事があれば、話したほうが良いぞ?」
「我らにできることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
アレクとガルガは、マリアの様子を見つめながら、真剣な声で申し出たが、結局彼女が言葉を詰まらせた理由を語ることはなかった。
代わりに彼女は、二人の温かい言葉に微笑みを返し、回復魔法を施す手を休めることなく、静かに頷いた。
必死に回復魔法を施す彼女の笑顔には、感謝と、ほんの少しの希望が混じっているようだった。
「それに……って、何か隠してること、あるんですか? もしかして、その回復魔法には、何か別の制約があるとか?」
アレクはマリアを気遣うように優しく問いかけた。
「魔力の消費以外に、何か代償を払っているのか? それとも、この黄金の光に、何か秘密があるのか?」
ガルガは興味をそそられたように瞳を輝かせた。
二人の言葉に、マリアはしばらく何かを考えるように固まっていたが、やがて意を決したように、話し始める。
「ええ……この光は、わたくし自身の生命力を削っているのです。だから、一度に全員を完治させることはできません」
そう話すと、マリアは、何事もなかったかのように、再び治癒魔法を人々に施すのだった。
「聞いたかアレク。こいつ、自分の命削って、赤の他人に分け与えてるんだとよ」
ガルガは、驚きを隠せないといった様子で、さらに言葉を続ける。
「己の力こそ全てと信じる我には、自らの力を分け与えるなど、まるで理解できぬことだ」
「そうだろうな……」
アレクは、遠くを見つめるように呟いた。
「でもな、ガルガ。こんな魔物が蔓延る酷い時代なんだ。
そんな女神様みたいなやつが一人くらいいても良いんじゃないか?」
「そんなもんかね」
ガルガは、腕を組み、不承不承といった顔で首を傾げる。
「俺は嫌いじゃないね。誰かのために頑張るって生き方」
アレクの言葉に、ガルガは何も言わず、ただマリアの背中をじっと見つめていた。
「これでようやく全ての人を治せた……はず……」
やがて息のあるものを治療し終えたマリアは、そう言って安堵の表情を浮かべながら、眠るように倒れてしまった。
「大丈夫か、マリアさん!」
アレクの声には、明らかに動揺が現れている。
倒れたまま動かない小さな背中に、彼は懸命に呼びかける。
しかし、返ってくるのは静けさだけだった。
「まさか、魔力切れでくたばっちまったとか?」
ガルガの口から出たのは、いつもの冷酷な言葉だった。
それを聞いたアレクの顔に、余裕がないことは明らかだった。
「そんな、まさか!生命力を分け与えすぎたってことか?」
しかし、急いで駆け寄り、マリアの呼吸を確認すると、彼の強張っていた表情は、まるで重い石が落ちたかのように、安堵の色に変わった。
「良かった……冗談抜きでヤバいのかと思ったぜ」
アレクの腕の中で、彼女は弱いながらも、確かに息をしていた。
「大した嬢ちゃんだ……一人で、何十もの命を救うとはな」
ガルガは、焼け野原となった村を見渡し、再びマリアへと視線を戻した。
そこには、できるだけ多くの人々を助けようとした、小さな英雄の姿があった。
普段は皮肉ばかりの彼のぶっきらぼうな声にも、今回は密かな感嘆の響きが混じっていた。
「結局、マリアはその後、まるで深い眠りに落ちたように、二日ほど目を覚ますことはなかった。それほどまでに彼女は、自身の命の蓄えを削り、生きる力を人々に分け与えていたのだ。それは、これ以上ない自己犠牲の形だった。彼女に回復魔法の秘密の一部を明かされたのは、それからずっと先のことだった」
そこまで話したところで、ガルガは感慨深げにカインを見つめた。
半分は昔を懐かしむように、半分は今のカインを見定めるように、じっと。
そして、深く刻まれた目尻に、細い皺を寄せた。
「思えば、初めて会った時から、あの女はいつもそうだった。自分のことよりも何よりもまず他人を助けようとする、慈悲深い女性だった。アレクの奴も、きっとそこに惹かれたのだろうな」
カインは、今まさに語られた両親の偶然の出会いのエピソードを、色々と考えながら聞いていた。
(母さんと父さんは、どんな冒険を経験したのだろう?どんな場所を旅したのかな?いずれ魔王を倒すほどのパーティーなんだ。きっとまだ僕も聞かされていない色々なエピソードがあるに違いない)
カインは、温かいものが胸の奥にじんわりと広がるのを感じていた。
それと同時に、まだ聞けていないより詳細な物語への興味が、静かにしかし確実に湧き上がってくる事も感じていた。




