※第十七話 魔物の大群
奇妙な装飾品と、多種多様な獣の剥製が所狭しと並べられた広間は、静寂に包まれていた。
その奥にどっしりと腰を下ろしていたのは、巨大な牙、鋭い爪、カインの二倍以上はあろうかという太い手足を持つ、堂々たる体躯の獣人ガルガだった。
カインは、父アレクが成し遂げられなかった、魔王の指輪の呪いの謎を解明し、破壊する事で、両親の弔いになると考えた。
そのために、勇者であった父アレクを乗り越えなければならないと思い始めていた。
「ガルガ、僕たちは、この指輪を破壊するか、安全な場所に封印したいんです。どうか、そのための知恵を貸していただけませんか?」
父の過去の核心に触れることができないのなら、せめて指輪の謎だけでも解き明かしたい。
カインはそう願い、ガルガに真剣な眼差しを向けた。
「貴様の両親が成し遂げられなかったことを、未熟なお前がやろうというのか?そんな夢物語を語るよりも、もっと現実的に、その忌まわしい指輪を捨て去るべきだとは思わんのか?」
ガルガは鼻を鳴らし、荒い息を吐き出すと、再び冷淡な態度でカインを突き放した。
(どうやら、僕らに協力するつもりはないらしい。それとも、何か他に理由があるのだろうか……どちらにしても、このまま引き下がるわけにはいかない)
カインはそんな思いで、さらに言葉を続ける。
「駄目です。中途半端な場所に捨てて、もし魔王の指輪が悪人の手に渡ったら、母さんに申し訳が立ちません。母さんだって、破壊か封印を望んでいました」
カインは、偉大な戦士を前にしても臆することなく、自分の考えを毅然と伝えた。
「マリア、か……」
懐かしい響きを持つその名に、ガルガは遠い目をしながら、記憶の糸をたぐり寄せた。
その名前は、普段は頑として動かない族長の心を、揺さぶる力を持っているようだった。
「父上、リリアからもお願い申し上げます。どうか、この人族の者たちに、知恵とお力をお貸しください」
その言葉を聞いてカインとエレナは驚いたように互いの顔を見合わせた。
あれほど嫌っていた人族を、本気で助けようとするなんて……といった表情で。
娘リリアの真剣な願いに、ガルガもまた、隠しきれない驚きの表情を浮かべた。
(あれほどまでに人族を忌み嫌っていた娘が、これほどまでに真剣な眼差しで助けを求めるなど……)
ガルガは、小さくない衝撃に息を詰まらせた。
(そうか……)
何かに気付いたガルガは、思い出すように瞼を閉じた。
(リリアもまた、我と同じように……)
ガルガの瞼に遠い記憶が蘇る。
かつて、自身もまたアレクという異質な存在と出会い、固く閉ざしていたはずの考えを揺さぶられたのだ。
そして今、そのアレクの息子であるカインが、自身の愛娘であるリリアの心を動かし、新たな未来へと足を踏み出そうとしている。
「子供だと思っていた愛娘も、いつの間にか成長して、自分の考えを持つようになっていたのだな……アレクよ……お前は、我に過去の過ちを繰り返すなと、そう言っているのか……」
ガルガは、ゆっくりと瞳を開くと、込み上げてくる感慨を抑えきれず、虚空に向かって問いかけるように呟いた。
そして、深く深く思案する仕種を見せた。
しかし、それでも拭いきれない不安があった。
(我らが犯した過ちを、この若い世代が繰り返さぬとは限らん。ましてや、目の前にいるリリアやカインは、我らが魔王と対峙した頃よりも、遥かに力弱く、経験も不足している。そのような状態で、強大な魔王の指輪の魔力に立ち向かえるはずがない……)
熟慮の末、ガルガの心に浮かんだ答えは、ただ一つだった。
「断じて、お前たちに力を貸すことはできん。その忌まわしい指輪ならば、火山の燃え盛る火口にでも投げ捨ててくるが良い」
そう言い放ち、ガルガは何かを訴えかけようとするリリアの、真っ直ぐで痛いほどの視線から、 冷酷に顔を背けた。
「父上の、頑迷な石頭!族長がそれだから、獣人族はいつまでも変わらないんだ!」
リリアは、これまで抱えてきた、不満を爆発させるように声を荒げ、言葉を吐き捨てた。
周囲の獣人たちは、驚愕の表情を隠せない。
なぜなら、たとえ親子であろうとも、獣人族における族長の権威は絶対的なものであり、その決定に異を唱えるなど、決して許されることではなかったからだ。
ましてや、自分たちを迫害する人族のために、族長に反論するなど、常識では考えられない行為だったのだ。
「リリア……獣人族でありながら、我に刃向かうというのか!」
ガルガがそう言いかけた時、言葉を飲み込み、両手を上げて周囲に静寂を促すと、辺りの気配を鋭く探り始めた。
突然のガルガの仕種に、何かを予感した広間は、瞬く間に緊張が走り、静まり返る。
リリアをはじめとする獣人たちも警戒の色を露わにする中、一人の獣人が慌てた様子で広間に駆け込んできた。
「族長、大変です!魔物の大群が押し寄せてきました!」
その言葉を聞いた広間の者たちは、一斉にざわめき立ち、動揺の色を見せた。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、奥にどっしりと座する族長ガルガの言葉を待った。
「戦える者は前線へ!子供たちはこの屋敷に避難させろ!」
ガルガはそう叫ぶと、仲間たちを引き連れて、勢いよく屋敷を飛び出していった。
カインたちも遅れじとその後を追うが、獣人特有のあまりの速さに、追いつくことすらできなかった。
屋敷の門を一歩出ると、遥か遠方の地平線に、黒々とした塊がうねりながらこちらへ迫ってくるのが見えた。
「あれが全て魔物だってのか……」
それはまさしく、数百という途方もない数の魔物の群れだった。
「これ、勝ち目ないんじゃないかな……」
カインは、生まれて初めて目の当たりにする異様な光景に、足が地に着かないような衝撃を受け、思わず弱音を吐くと後ずさっていた。
隣に立つリリアは、全身の毛を逆立て、唸り声を上げながら激しい怒りをあらわにしているが、その眦には、明らかな苦痛の色が滲んでいるように見えた。
「一体どうして……こんなにも大勢の魔物が……」
カインは吐き捨てるように呟いた。
「ゴブリンやシャドウウルフといった、これまでにも何度か遭遇したことのある魔物の群れに混じって、魔物の群れの奥に、見たこともないような魔物までいるじゃないか……」
カインが見つめるその先には、遠目にも異質な存在感を放つ、巨大な体躯のトロルらしき魔物の姿さえ確認できた。
「駄目だ……数が多すぎる……」
カインの声には深い絶望の色が滲んでいた。
圧倒的な魔物の大群を前に、カインはただ呆然とその様子を眺めていた。
「……カイン!」
エレナの声が、カインの意識を戦場へと引き戻した。
「ぼうっとしてる場合じゃないわ!今は一匹でも多くの魔物を倒して、リリアさんたちの集落を守るのよ!」
その言葉と同時に、大地が震えるようなガルガの雄叫びが戦場に轟いた。
「我が刃こそ敵の先鋒を断つ!貴様らは、その裂けた隙間を縫い、溢れ出す残滓どもを塵と化せ!」
ガルガの号令一下、周囲の獣人たちは野獣の咆哮にも似た雄叫びを上げ、地を蹴り上げ、怒涛の奔流と化して魔物の群れへと殺到する。
「族長に続け!」
族長ガルガの屈強な背は、彼らの進むべき道を示す灯台だ。
「す、凄い……魔物の群れが、まるで風に舞う木の葉のように……!」
カインの目の前で繰り広げられる光景は、常識を覆していく。
「ガルガが棍棒を振り回すたびに、魔物たちが薙ぎ払われていくじゃないか……」
ガルガが、己の身の丈を遥かに超える巨棍を渾身の力で薙ぎ払うたび、凶悪な貌をした魔物たちが、目に見えぬ衝撃波に打ち抜かれたかのように、肉塊となって四散していく。
大地に叩きつけられた魔物は、原型を留めぬほどに粉砕され、黒い染みへと変わる。
その動きは、まるで嵐が荒野を駆け抜けていくかのようだった。
「さすが父上だ。これなら魔物たちを追い払えるかも知れない」
ガルガが通過した跡には、跡形もなく粉砕された魔物たちの残骸が、無造作に転がっているだけだ。
「流石は、魔王と肩を並べた勇者パーティーの一員ね!」
エレナは、その圧倒的なまでの戦闘力を目の当たりにし、息を呑むほどの感嘆の吐息を漏らした。
その双眸には、畏敬の念が宿っている。
「僕だって!」
エレナの言葉が、カインの闘志に火をつけた。
彼は即座に腰の剣を抜き放ち、雷光のように魔物の群れへと躍り出た。
「どうだ!」
研ぎ澄まされた刃が空気を切り裂き、 低いゴブリンの粗い皮膚を容易く裂き、赤い花を咲かせる。
「ギャッ!」
「まず一匹!」
カインは、容易く最初の犠牲者をあっという間に薙ぎ倒した。
「二匹目!」
牙を剥き出しにして素早く襲いかかるシャドウウルフの素早い攻撃を、カインは紙一重で身をかわし、優雅な動きでその胴体を切り裂いた。
血なまぐさい軌跡が空中に描かれ、シャドウウルフは悲鳴を上げる間もなく地面に崩れ落ちた。
しかし、戦果に気を取られ、功を焦って前に出過ぎたカインの隙を、狡猾な魔物たちが見逃すはずもなかった。
「カイン!あまりにも離れすぎだわ!わたしの回復魔法が……!」
届かない……
エレナの悲痛な叫びが空気を震わせたその瞬間、カインの周囲には、低い呻き声を発する数十のゴブリンたちが、獲物を見つけた猟犬のように、不吉な笑みを浮かべながら群がっていた。
「……くっ!ワラワラと群がって、しつこい奴らだ!」
カインは全身の筋肉を最大限に収縮させ、必死に攻撃を回避しようとしたが、密集したゴブリンの包囲網は鉄壁であり、ついに逃げ場を失った。
太い棍棒が雨あられのようにカインの体を打ち据え、鈍い打撃音が連鎖的に響き渡る。
「カイン!」
「大丈夫だエレナ……まだ、やれる!」
それでもカインは喉の奥から低い唸り声を発し、傷ついた体に鞭打ちながら、持てる全ての剣技で群がる敵を追い払い応戦しようとする。
「くっ……体が思うように動かない……息をするたびに胸が痛む……これはいよいよやばいかも知れないな……」
呟いたカインの体は、すでにあちこち悲鳴を上げており、満身創痍といった状況だった。
エレナの青い瞳が、親しい男の危機的状況を目の当たりにし、恐怖に歪んだ。
「カイン、駄目よ!その傷では……!」
エレナの制止の声も虚しく、カインはその場に現れたトロルの荒々しい攻撃が直撃して、体勢を崩す。
鋭い爪がカイン脇腹を激しく抉り、鮮血が空間に赤く舞った。




