表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/35

※第十三話 魔石病

 カインの騒動から何も情報を得られぬまま数日後、三人は今日も人混みの中へと足を運んでいた。


「今日も新しい話は得られそうにないな……二十年ほど昔の出来事じゃ、仕方ないか……」


 カインが半ば諦め気味に呟いた。

 そんなカインを元気付けようとしたのか、リリアが陽気な笑顔で話しかける。


「ねえ、カイン! このリンゴ、すごくいい匂いがする!」


 リリアが太陽の光を浴びて輝く赤いリンゴを差し出した。

 カインはそれを受け取り一口かじると、少し明るさを取り戻した。


「ああ、甘くてうまいな。エレナもどうだ?」

「ありがとう。私はもう少し見て回るわ」


 エレナは微笑んだが、差し出されたリンゴを断り、その視線は街を行き交う人々に向けられていた。


「どうしたんだ、エレナ? なんだか落ち着かないみたいだけど」


 カインがリンゴを食べながら、不思議そうに尋ねる。


「ううん、気のせいかな……でも、なんだかこの街、普通と違う気がするの。薬師として、ほんの少しだけど違和感を覚えるのよ」


 街の様子を穏やかな眼差しで見守りながら、エレナは浮かない表情をしていた。


「色々な経験をした事で、感覚が敏感になってるだけなんじゃないか? そもそもエレナは真面目すぎるから、気疲れしてるとか……」

「疲れのせいだと良いんだけど……」


 リリアの言葉に、エレナは腑に落ちないような表情で答えた。


 しかし、その違和感は街を歩くうちに次第に増し、エレナの表情をさらに曇らせていった。


「ついさっきも、道の端で若い男性が苦しそうに体を痙攣させていたわね……」


 周囲を伺いながら歩き、次第にカインたちから遅れ始めた彼女の言葉は、独り言のようにカインたちには届いていない。

 そんな彼女の視線の先では、幼い少女が不安げな表情で母親の腕にしがみついていた。


「あの母親……顔色は青白いし、その頬にはまるで黒い霜が降りたように、不気味な黒い結晶が薄く浮かび上がっているわ……」


 母親を見つめる少女の潤んだ瞳には光がなく、その小さな手は氷のように冷たい。


「気のせいじゃない……何かが、この街で静かに広がっている」


 エレナは、離れて前を歩くカインとリリアに気づかれないよう、そっと息を呑んだ。

 かつて、薬師として疫病に苦しむ人々を見てきた彼女の第六感が、静かに、しかし確実に警鐘を鳴らしていた。


(この平和なメイプルの街に、見えない影が忍び寄っている)


 その事実に、エレナは深い不安を感じ始めていた。


「やっぱり苦しむ人々を、見知らぬフリして素通りすることはできない!」


 エレナは、熱に浮かされたように、苦しむ人に駆け寄った。


「大丈夫ですか? 今、楽にしてあげますからね」


 そう言って掌から溢れ出すのは、いつもの清らかな光を宿した温かい癒しの力。

 これまで何度もカインやリリアの傷を癒し、苦痛を和らげてきた、彼女の回復魔法だった。


「どうか、楽になって……!」


 祈るような思いで、エレナは震える手で痙攣する男性の額にそっと触れた。

 淡い黄金の光が彼の体を包み込み、苦悶に歪んでいた表情が和らいだ。


「あぁ……痛みが和らいでいく……」


 痙攣していた男の言葉を聞いて、周囲で見守っていた人々から、かすかな安堵のため息が漏れる。


 しかし、その希望の光は、まるで儚い幻のようにすぐに消え失せた。


「グッ……」


 男性の体は再び激しく痙攣し始め、喉からは苦しげな呻き声が漏れ出す。


「えっ? どうしてなの?」


 エレナが次に触れた、頬に黒い結晶を浮かべた母親も同様だった。

 彼女の清らかな回復魔法は、まるで水面に落ちた一滴の雨のように、その異質な病には何の抵抗もなく弾かれてしまうのだ。


「そんな……どうして……?」


 エレナは、信じられないといった表情で自分の両手を見つめた。


「治癒魔法が……効かない?」


 カインの母マリアから託されたその力は、今や彼女の誇りであり、人々の希望となるはずだった。

 その回復魔法が、今日はまるで役に立たない。

 その事実は、彼女の胸に鉛のような重さをもたらした。

 これまで感じたことのない疑問と無力感が、エレナの心を深く蝕んでいく。


「一体、これは……? 私の治癒の力が無くなってしまったのかしら……」


 蒼白になった顔で、エレナは心配そうに駆け寄ってきたカインとリリアに問いかけた。

 その声は、わずかに震えていた。


「わからない。とりあえずこの病の事を、宿の主人にでも聞いてみよう」


 カインはエレナを気遣うように優しく話した。

 力無く頷いたエレナの瞳には、焦燥と困惑の色が深く宿ったままだ。

 メイプルの街を包む穏やかな空気は一変し、エレナの焦りの色が、周囲に重苦しい影を落とし始めていた。


 宿に戻った三人は、温かい暖炉に包まれた一室で、女主人と向き合っていた。

 不安げな表情を浮かべたエレナを見た女将は、困ったような、それでいてどこか諦めたような表情で、静かに語り始めた。


「ああ、それは『魔石病』と呼ばれているんです。ここ最近、メイプルの街に現れた厄介な病でして……」


 女主人の話によれば、魔石病は、その名の通り、地中から良質な魔石が多く採れる地域で発生しやすいという。最初は体の表面に薄い黒い結晶が現れ、徐々に全身へと広がっていく。進行すると、まるで石のように体が硬直し、内臓の機能が停止したり、最後には完全に動けなくなってしまうという、想像を絶する恐ろしい病だった。


「薬草も、普通の治療も、全く効果がないんです。腕の良いお医者様でも、首を横に振るばかりで……」


 さらに、女主人の言葉はエレナの心を深く突き刺した。


「聖職者様の神聖な儀式や、エレナ様のような特別な回復魔法を操る方でも、できるのはほんの少し、進行を遅らせるくらいだって……」


 話を聞くほどに、エレナの顔から光が失せていくのが、カインとリリアには痛々しかった。


「それだと、どんな傷も癒し、絶望的な状況さえも、切り抜けてきた私の回復魔法では、魔石病で苦しむ人々を救えないというの……」


 その悲しい現実は、彼女の純粋な心を容赦なく打ち砕いた。


「私が、みんなを助けられない……?」


 独り言のように呟いたエレナの胸には、これまで知らなかった、どうしようもない自己嫌悪の念が押し寄せた。


「あの、苦悶の表情を浮かべる人々の姿が、まぶたの裏に焼き付いて今も離れない……まるで私の身が切られるような痛みを感じるわ」


 そう言ってエレナは両手で自身を抱え込み、項垂れてしまった。


「そんなにエレナが責任を感じることじゃないさ。これは流行病で個人の力で同行できる問題じゃない。仕方ないことさ」


 カインは彼女を元気付けようと声をかけたが、反応は無かった。

 暖炉の火だけが、所在なげに赤い光を彼女の沈んだ横顔に落としていた。

 エレナの憔悴した横顔を、カインは心配そうに見つめながらも、その心は街の喧騒の中に向けられていた。

 指輪の禍々しい力、そして父アレクにかけられた汚名。

 心を乱す二つの暗い影を払拭するため、彼の心は奔走していた。


 昼下がり、カインは情報を得ようと訪れた薄暗い古書店の奥で、埃まみれの古文書を広げていた。


「魔王…封印…古代魔法…」


 呪文のような文字の羅列を、彼は一つ一つ丁寧に追いかけていく。


「何か手がかりは見つかったか、カイン?」


 心配そうなリリアの声が、書店の静寂を破った。

 彼女は、栗色の大きな耳をぴくりと動かし、周囲を警戒するように見回している。


「まだこれといったものはな。古い記述ばかりで、指輪の詳しいことはほとんど書かれていない」


 カインはため息をつき、ページを閉じた。


「それより、リリア。何か気になることでも?」


 カインの問いに、リリアは少し躊躇うように言葉を選んだ。


「この街……今日はなんだか、ざわざわするの。楽しそうな賑わいの中に、時々、冷たいものが混ざっている気がする」


「冷たいもの?」


「うん。敵意、とは少し違うんだけど……私たちを、じっと見ているような、そんな感じ。まるで、獲物を狙う冷酷な蛇の目みたいで……」


 リリアの獣人としての鋭敏な感覚は、カインやエレナには感知できない、微細な感情の動きを捉えていた。


「明確な殺意ではないものの、確かに存在する、監視するような、研ぎ澄まされた気配だ……」


「気のせいじゃないか? この街にはたくさんの人がいるし……」


 カインはそう言いつつも、リリアの言葉を完全に否定することはできなかった。


(もしかしたら人族とは違う、獣人特有の彼女の感覚が、何かを捉えているのかも知れないな。例えば野生の勘のようなもので……)


 カインがそんな事を考えている間も、リリアは言葉を続けている。


「それに……王都の方も、なんだか不穏な空気が流れているって噂を、少しだけ耳にしたの。詳しいことは分からないけど……」


 その言葉に、カインの眉がわずかにひそめられた。


(父の汚名、魔王の指輪、そしてリリアが感じ取った街の不気味な影と、王都の不穏な動き……なんだろう、この違和感と胸のざわつきは……それぞれは別の問題なのに……)


 それぞれの点が、まだ繋がることはない。

 しかし、カインの胸には、拭い去れない不安が、静かに、しかし確実に広がっていた。

 多くの心配の種が、彼の心に深く根を下ろし始めていた。


 メイプルの街は表向きこそ賑やかだったが、三人の周囲には、ゆっくりと、しかし確実に、不穏な影が忍び寄り始めていた。

 エレナの純粋な祈りは、憂鬱な病の前にもろくも崩れ落ちようとし、カインの探求は、予期せぬ政治的な陰謀の渦へと彼を引き込もうとしていた。

 そして、リリアの鋭い感覚は、すぐそばに隠れた脅威が迫っていることを告げていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ