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※第一話 少女との出会い

 夕闇が迫り、森の木々が黒い影を落とし始める頃。

 エレナは、薬草の詰まった重い鞄を背負い、足元の覚束ない獣道を急いでいた。


「痛み止めの薬を作るために、ケシの実を探して、こんな森の奥深くまで来たのに、全然見つからないわ……」


 不安げにエレナが空を見上げると、木々の間から、星が瞬き始めていた。


「朝から歩き続けているのに、薬草は見つからない……帰り道もわからない……このままじゃ、こんな森の中で野宿する事になりそう……どうしよう……)


 その足取りは疲労困憊といった様相だった。


「諦めちゃ駄目よエレナ。頑張って薬草を見つけて、この森を抜けるの。痛みに苦しむ人々を救うのよ!」


 エレナは、心臓が早鐘のように打ち、浅くなる呼吸を必死に抑えながら、足元の覚束ない獣道を急いでいた。

 暗闇に目が慣れない中、わずかな月の光だけが頼りだった。


 周囲の木々が黒い影を落とし、まるで何かが潜んでいるかのように見える。

 風の音、木の葉のざわめき、遠くで聞こえる動物の鳴き声。

 それらがすべて、彼女の恐怖心を煽る。

 土や木の匂いに混じって、獣の生臭い匂いが鼻を突き、彼女の恐怖をさらに増幅させた。

 恐怖で脈打つ心臓が、足元の不安定な獣道と相まって、彼女の焦りを限界まで高めていた。


(もし、ここで魔物に襲われたら……誰も助けてくれないし、逃げられないかもしれない……空から襲ってくる魔物……狼みたいに集団の魔物……熊みたいな抗いようもない魔物……考えてもキリが無いわ)


 不安げに周囲を見回すエレナ。

 頼りになるのは、微かに照らしてくれる月明かりと、薬草の詰まった重い鞄だけ。

 しかし、それよりも彼女の心を捉えるものがあった。


「何かしらこの気配……強くて異質な魔力……禍々しくてとても嫌な感覚と、優しい温もりを感じる……まるでこの先の森で誰かに呼ばれてるような気がするわ……」


 薬師である彼女は、微弱ながら魔力を感知する力を持っていたが、これほど強烈な魔力を感じるのは初めてだった。


「……何かいるっ!」


 エレナが奇妙な魔力に気を取られていた時、背後の茂みから、ガサガサと不気味な音が聞こえた。

 エレナは、反射的に振り返る。


「漆黒の体躯に大きな牙と鋭い爪!あれはシャドウウルフ……!」


 背後の茂みから現れたのは、エレナと同じくらいの体躯を持つ、シャドウウルフだった。

 その体は、まるで影のように黒く、月の光を吸い込むように鈍く輝いている。

 獲物を一撃で仕留めるための鋭い爪とくちに収まりきらない大きな牙、そして獲物を捉える冷たい眼光がそこにはあった。


 シャドウウルフは、エレナを見据えるように、ゆっくりと首を持ち上げた。

 その体躯は、エレナを噛みちぎり、一飲みにしてしまうには十分な大きさだ。

 奴は、荒い呼吸を繰り返し、涎を滴らせている。

 その鋭い牙と爪は、月の光を反射し、ゾッとするほど冷たく輝いていた。


「……っ! まさか、こんなところでシャドウウルフと出会うなんて……!」


 先程まで感じていた不安が現実のものとなり、エレナは恐怖に怯え、何とかやり逃そうと薬草の鞄を抱えながら後ずさる。

 しかしシャドウウルフは、ゆっくりと、確実に、獲物であるエレナに狙いを定めて距離を詰めてくる。


「……来ないで! 来ないで!」


(このまま襲われたら、ひとたまりもないわ。どうにか怯ませて、その隙に逃げないと!


 エレナは、持っていた呼吸を阻害する薬草や、目潰しになりそうな調合した粉末を投げつける。


「駄目だわ……小物の魔物ならともかく、こんな凶暴な魔物には私の薬草じゃ歯が立たない!」


 シャドウウルフは一瞬怯んだだけで、すぐに体勢を立て直し、全く効果がない。

 それどころか、薬草の匂いに刺激されたのか、シャドウウルフは牙を剥き出し、低く唸り声を上げた。


(……もう、だめ……!やっぱり……やるしかないの!?)


 エレナは、覚悟を決めて、最後の抵抗を試みる。

 薬草の鞄から、小さなナイフを取り出し、それを握りしめた。

 しかし、薬師の彼女に、魔物と戦う力がないことは明らかだ。


 シャドウウルフは、獲物を捉えるために、大きく跳躍した。

 鋭い牙が、エレナの首筋に迫る。


(……誰か……助けて……!)


 エレナは、心の奥底で叫んだ。

 流行病で両親を亡くし、孤独の中で生きてきた彼女。

 誰かに助けを求めることなど、考えもしなかった。

 しかし、今、彼女は、心の底から、誰かの手を求めていた。


(私は……まだ……! まだ、苦しんでいる人々を救いたいのに……!)


 エレナの願いは、虚しくも闇に吸い込まれ、絶望が彼女を覆い尽くそうとした。


 その刹那。


「――ッ!」


 耳をつんざく金属音と共に、黒い影が宙を舞った。

 それは、紛れもなくシャドウウルフの巨体だった。


「……え……?」


 エレナが目を見開くと、そこには、漆黒の闇夜に異質な光を放つ、銀色の軌跡が残っていた。

 そして、その軌跡の先に、黒髪短髪の青年が、血の滴る古びた剣を手に立っていた。

 精悍な顔立ちをした歳の近そうな青年の青い瞳は、獲物を捉える獣のように、鋭く、そして冷酷に輝いていた。


「……怪我はないですか?少し下がっていてください」


 エレナを見ずに話す青年の声は、冷たく、しかしその奥底には確かに、エレナを気遣う感情が込められていた。


「あ……ありがとう、ございます……」


 エレナは、恐怖で震える体をなんとか抑え、か細い声で礼を述べた。

 しかし、魔物に襲われ、死を覚悟した声は、まだ恐怖で震え、まともに話すことができない。


「……油断しないで。まだ終わってない」


 青年の言葉が終わると同時に、倒れたはずのシャドウウルフが、深い傷を負った体を引きずり、再び立ち上がった。

 一太刀を浴びてなお反撃を狙う赤い瞳は、狂気を宿し、獲物を求める獣の執念を、なおも滾らせていた。


「……くそっ、やっぱり一撃じゃ仕留められないか……!」


 青年は、舌打ちをしながら、剣を構え直した。

 決して筋肉質な体つきではないが、先程その体から繰り出された力強く俊敏な動きは、無駄がなく、研ぎ澄まされていた。

 それは、まるで獲物を狩る獣のように、静かで、そして確実な動きだった。


「……無理しないで僕に任せて。あなたは後ろに下がっていてください」


 青年は、エレナにそう言い残すと、まるで疾風のように、シャドウウルフに向かって駆け出した。


「速いわ!まるで手練の戦士……いえ、それ以上かも知れない!」


 青年の動きにエレナは、思わず感嘆の声を上げた。


「どうだ!」


 再び、耳をつんざく金属音が響き渡る。


「凄い……あの青年、シャドウウルフの攻撃を紙一重で回避しながら、次々と魔物の体に攻撃を叩き込んでいくわ」


 シャドウウルフもその爪で青年の剣を防ごうとしているが、あまりの速さに対応しきれていない。


「綺麗……まるで魔物相手に剣で舞踊をしてるみたい……」


 エレナには青年と魔物の戦いは美しく見えたが、青年が剣を振るうたびに魔物は傷付き、その光景は一方的で残酷だった。


 シャドウウルフは、その猛攻に押され、息を荒げながら徐々に後退していく。

 しかし、それでもなお、牙を剥き出し、赤い瞳をギラつかせ、反撃の機会を伺っていた。


「これで終わりだ!」


 青年は、シャドウウルフが魔法を使おうと、魔力を集め始めるわずかな隙を見逃さなかった。

 一瞬の隙を突き、剣を突き出す。

 青年はシャドウウルフの胸元に飛び込むように剣を突き立てた。

 それは深々と突き刺さり心臓を貫く。

 やがて魔物は動きを止めると崩れ落ちた。


「……はぁ……」


 青年は、荒い息を吐き、剣についた血を払った。

 冒険者でも手こずるシャドウウルフを倒した顔には、戦いの興奮と、わずかな安堵が浮かんでいた。


「凄い……私、助かったのかしら……それにしても、こんな森の奥で人と出会うなんて」


 エレナは、ようやく恐怖から解放され、青年に話しかけた。


「……ああ、もう大丈夫ですよ」


 青年は、剣を鞘に納めると、エレナに近づいた。


「……僕は、カイン。あなたは?」


「……私は、エレナ。薬師です。助けてくれて、本当にありがとうございます」


 エレナは、ようやく落ち着きを取り戻し、カインに深く頭を下げた。


「……薬師、か。こんな森の奥で、何をしていたのですか?」


 カインは問いかけたが、どこか照れくさそうで、命を救われて喜ぶエレナの顔を、まともに見ることもなかった。


(歳の近い女の子と話すのは、いつ以来だろうか)


 実はカインは、そんな事を考えながら、かける優しい言葉も見つからず、緊張から視線を彷徨わせていた。


(魔物は倒したのに、どうしたのかしら……こちらを見てくれない。もしかしたら、他にも魔物がいるかも知れないからなのね。まぁ、こんな強い人がいてくれるなら、大丈夫よね)


 そう思うとエレナは、カインの問いかけに少し戸惑いながらも、事情を説明した。


「……はい。私は、薬師で、珍しい薬草を探していました。この森の奥に、難病の痛みを抑えるケシの花が咲いていると聞いて……」


「難病……か」


 カインは、エレナの言葉に、わずかに眉をひそめた。

 その表情は、何かを思い出すように、険しかった。


「……それで、なかなか見つからずに、いつの間にか道に迷ってしまったんです。しかも日が暮れて、帰り道も分からなくなってしまって……」


 エレナは、俯き加減に呟いた。

 先ほどの魔物との遭遇で、まだ心が落ち着かない。


「……そうなんですか。でも、こんな時間にこれ以上、一人で森を歩くのは、危険すぎます。特に、この辺りの魔物は凶暴ですし」


 カインは、エレナを諭すように言った。

 その声は、優しく、気遣う気持ちに溢れていた。


「……すみません。でも、難病には、どうしてもその薬草が必要で……」


 エレナは、必死に訴えた。

 彼女は、どうしてもその薬草が必要だと信じていた。


 カインは、エレナと話すうちに、以前母マリアから聞かされた話を思い出していた。


「カイン。お前は、もっと外の世界を知るべきだ」


 母の声は、優しく、しかし、どこか寂しそうだった。


「お前は、優しい子だ。いつか、お前を理解してくれる人が現れるだろう」


 その言葉を思い出したカインは、少し考えるような仕草を見せた。


 (これはもしかしたら、運命のようなものかも知れない。それなら素直に母の言葉に従うべきじゃ無いか?)


 カインは優しい眼差しを向けてくるエレナの瞳を見つめた。


 (僕も外の世界を知りたい。彼女なら、僕のことを理解して、協力してくれるんじゃないか?)


 エレナを見つめるカインの青い瞳には、不安と、そして、わずかな希望が宿っていた。


「……わかりました。だけど、もうこんな時間で危ないですので、うちに来てください。今夜は、うちで休んで、薬草探しはまた明日にでも」


「……え? いいんですか?」


 エレナは、驚いてカインを見上げた。


「もちろん。こんな時間に、一人で森を彷徨わせるわけにはいかないから」


「ありがとうございます。お世話になります」


「あぁ……」


 エレナは嬉しそうな笑顔でカインに言った。

 カインは、照れ臭いのか、俯き加減に視線を合わせず声を漏らすのが精一杯だった。

 そのままカインは、どう話して良いかわからず、無言のままエレナを古屋に案内した。


 二人はカインの自宅に到着した。

 こじんまりとした木造の古屋で、生活感に溢れ、どこにでもありそうなものだ。


「ここがカインさんのお家なのですね」


 そう話ながら、エレナは何か考えるように、浮かない顔をしていた。


(この森で感じ始めていた奇妙な魔力が、ここに来てさらに濃くなっているわ……この古屋には何かある……)


 エレナはそんな予感を覚えていた。

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