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第8回

「そんなことが…」突拍子もない話のようだが、カラの表情に一笑に付そうとする気配はまるで無い。むしろ息を詰めて話を聞いていたことにようやく気付き、一つ大きく呼吸したくらいだった。「『双子』には、そういうこともあるってことなのかな?」

「さあ、それは…」実際、ファードにも答えられる質問では無かった。

 ここでカラは、風乗りが使う意味で“双子”と言っている。風の妖精であるスカーラル・シーは、この星の動物相を構成する一員であると同時に、風そのものとも言える存在だ。故に風乗りの方も、ある程度風を読むことに長けていないと、そもそも彼らに背を借りる資格が無い。ファードは風への感受性が人並み外れて優れているようで、時には誰もが望める訳では無い高い領域で、相棒と一体の飛行が可能であった。このような、余人に一度でも特別な結びつきを実感させた風乗りと飛行妖精が、以後双子と呼ばれるのだった。双子である風乗りと飛行妖精は、何か強い共感で結びついていると言われているが、詳しいことは何も分かっていない。その結びつきは、今のファードの受け答えからも窺えるように、当事者にとっても無意識的なものらしいのだ。

 ファードがHMLに在籍していた頃、風乗りを抱えていた他の企業なども含め、少なくとも把握出来る限りにおいて双子は彼とフータのみだった。当時、彼が風乗りのエースと呼ばれた所以であった。

「妙な話ですが、お前は風だと言われて何処か納得するところもあるんです」ファードは続けた。「風が空を渡っていくのを見ると、時折凄まじく郷愁を感じることがある。我ながら変だとは思うんですがね」

「…」カラはふと昔のことを思い出す。自身HML所属の風乗りとして、働いていた頃のことだ。その日、彼は丁度ファードと組み、難しいルートを越えようとしていた。気流の乱れる中、気の抜けない飛行が続いていた。集中力の維持をどれくらい長く強いられていただろう。突然、少し前を飛行していたファードとフータが、吹きつけてくる風に固くぶつかることを止め、するりと渦を巻き、その風をやり過ごしたように見えた。それはそう、まるで風が、風を上手くいなしたようだった。カラは目をしばたたかせる。ファードらは既になんでもない、風に固くぶつかるいつもの彼らだった。

 あの出来事は当時思ったような、疲労が原因の目の錯覚では無かったのだろうか。

「私が空にしがみついていなければならないことを、フータは私よりも見抜いているのかも知れません」ファードはコーヒーカップを傾け、少しぬるくなった中身を飲み干した。「そんな自分にフータが背を貸してくれる限り、私はあいつを裏切れません。あいつ抜きで今後を考えろと言うのは、やはり無理なんです」こう思える時、付きまとう不安はいつも薄らいだ。再び前を向き、歩き出す気になれるのだった。

 ファードのこの愚直さ、不器用さは彼の弱みであり、同時に強さなのだと思った。カラ自身はあの全解雇の際、会社が提案した配置転換を受け入れ、今の営業部門へ異動した。つまり彼は、風乗りであることを捨てたのだった。彼は器用にリスクを避けたかも知れない。しかし時折、今この場でもそうだが、過去風乗りであった自分が何かを問い質してくる、そんな落ち着かない気分になることはあった。

「…ファード。これだけは言わせて欲しい」カラは心の中で首を振った。引き下がるか決める前に、まだ話し足りないことがあった。「君はうちを辞めて、同業の他社へ掛け合いにいくと言っていたね」

「ええ、そんな話もしました」

「そう言えば、HMLが最大手なんだから他所も追随するだろうって、僕も話した覚えがあるよ」

 ファードは苦笑した。カラを含め、当時の同僚全員にそう説得されても彼は思い止まれなかった。退職金の代わりにHMLの財産であったフータを譲り受け、振り切るように社を去った。

「君が辞めた数日後、新聞を見て溜息をついたよ。思った通り、大部分の同業が風乗りの全解雇を、しかも一斉に発表したんだ」

「…」

「そして、これは陽さんから聞いたことだけどね。その時点で方針が定まっていなかった社でも、現段階では契約期間の限定された二等でしか雇えない、そう言われたそうじゃないか」

「ええ」提示された賃金も人の足下を見るような額だったが、ファードは甘んじてその条件で雇われた。状況はいつか変わるかも知れない、それも風乗りが居続けてこそだと思ったのだ。しかし—「その社も結局、3ヶ月後には全解雇に踏み切りました」こうして世界から、風乗りを抱える企業は消滅したのだった。

「君が風乗りであり続けたい、特別な事情は察したつもりだよ」理解した上で、カラは敢えて言う。「けれど、今の君を取り巻く状況を見ていても、やはり風乗りはもう、この世界での役割を終えたんだと思う」

 カラが静かに言ったことは、他ならぬ再宣告だった。周囲の喧騒が、少し遠のいたようだった。

「ファード。うちに一等で復職しても、時間の相談ならある程度応じられる。だから、もう一度考え直して…」

「違います!」

 そう力強く遮ったのは、ずっと黙って話を聞いていた弥祐だった。その声は決して張り上げたものではなく、けれどその分鋭さに特化したようで、それまで大声で自分の話に夢中になっていた隣の客が、刺されたように振り返ったくらいだった。彼女は俯き、テーブルの上できつく両手を握りしめていた。

 ファードはすぐに悟ったが、声をかけるよりも早く、弥祐がきっと顔を上げた。

「風乗りはまだ、必要とされています」声が一度震えかけた。それを押さえ込み彼女は続けた。「今日はそれを確かめにファードと一緒に街へ行けって、おばあちゃんに言われたんです。おばあちゃんの言いたいこと、私には分かりました」一旦言葉を切った。彼女はこれから、新しい宣言を行うのだ。「風乗りはこれからも必要とされます。居場所が無くなるなんてこと、絶対にありません」

「…」弥祐の瞳の中に揺れる光に、カラは圧倒されるしかなかった。

「ファード」弥祐は慌てたように視線を外し、急に立ち上がった。「随分長居しちゃったよ。もう出よう」テーブルの脇に、注文伝票と一緒に一枚の木札がかけてある。それを掴み、さっと身を翻した。大股に歩いて階段を下っていく。あの木札には、フータが通された個室の番号が記されていた。そこで待っているとの意思表示だろう。

 弥祐は挨拶も無しに行ってしまった。そのことにようやく気付けるくらい、彼女の衝動は激しかった。

「済みませんでした」深く溜息をついて、ファードは頭を下げた。「風乗りに憧れているところがあって、つい興奮したんだと思います。しかし、物の分からない子でもありません。後で良く話しておきます」

「陽さんのお孫さんで、君の一番近くにいる子だったね」カラは弱々しく微笑んだ。「いや。そんな彼女の前であんな話をした、僕がうかつだったんだ」

「そんなにお気になさらないでください」

「今すぐにでも謝りたいが、あの様子では暫くそっとしておく方が賢明だろうね」

「分かりました。代わりに伝えておきましょう」

「ああ、頼んだよ…」椅子に深くもたれようとして、ふとまた身を起こす。「そうだ。君からの誤解も解いておかなきゃいけないね」

 ファードは良く分からないといった顔をした。

「今日君を誘ったことだよ。陽さんに頼まれたみたくなったが、そうじゃないんだ。これは前々からの腹案でね。いつもは陽さんが荷物を持ってくるのに、今日はたまたま君が来たから打ち明けてみたんだ」

「そうでしたか。全く気にしていませんでした」

 ファードはさっぱりとした笑顔を見せた。そのこだわらない様子に、カラもようやく自然に笑うことが出来た。

「彼女を待たせてはいけないね。僕らも出よう」テーブルの脇を探って、注文伝票を手に取った。ファードが何か言いかけたのを身振りで制す。「誘ったのは僕だし、君にも弥祐さんにも悪いことをしてしまった。せめて僕に持たせてくれ」

 ファードは頭を下げ、「お誘いのことは改めて考えます。いずれお返事できるまで、いま暫く時間をください」と言った。自身の思う所は述べたが、それでもカラは納得していないだろう。結局の所、ファード当人が今後の身の振り方をはっきり示し、誰をも納得させる必要があるのだ。

「そうしてくれると助かるよ。じゃあ、今の連絡先を教えておこう」上着の内ポケットから深い空色に染められた、革製の名刺入れを取り出した。

 1階に降り、会計で支払いを済ます。会計係は注文伝票を伝票差しに、また別の伝票に判を捺して、カラに手渡した。カラはそれをファードに差し出す。礼を言って、ファードは受け取った。

「じゃあ、気を付けて」

 正面玄関は会計のすぐ後ろだ。挨拶を済ませたカラは、重厚な木枠に飾りガラスのはまるドアを押し開けた。風除け室があらわになり、ゆっくりとした間を置いて、木枠と飾り細工が景色を散らすガラスとに、再び隠されようとする。じりじりと弧を描いて閉じようとする飾りガラスの向こうが、ほんのり明るくなった。カラが最後の扉から表へ出て、一瞬、外の光を直に導き入れたのだと分かった。


 カラを見送り、ファードは踵を返した。正面玄関とは正反対の、店の奥へ向かっている。最初この1階フロアへ入ってきた時に使った、あの出入り口を目指していた。

 ドアも無いその出入り口を一歩またげば、簡素な木の床の細い廊下に出る。客席のあるフロアよりも照明が落とされていた。喧騒もにわかに遠くなった。

 廊下の片側には、同じような作りの木製のドアが並んでいる。木札は弥祐が持っていったが、彫り込まれた数字は覚えていた。ドアに表示された部屋番号を横目に、迷わず進んだ。

 目的のドアの前に誰かが立っている。近付くと向こうも気付き、安堵の笑みを浮かべ歩み寄ってきた。フータの世話をしてくれていた、あの壮年の世話係だった。

「先程お連れ様がいらして、もうお帰りになるので後のことはご自分でと仰って…」

「すみません。ご迷惑をおかけしました」ファードは先程カラから受け取った、判が捺された伝票を差し出した。これは既に支払いを済ませた証明書で、これを確認しない限り世話係の仕事は終わらない。彼がファードの顔を見てほっとした様子だったのも、所在無く待たねばならない時間からようやく解放されたからだろう。

「はい、確かに」伝票を検め、世話係は頷いた。

「飛行妖精の方は何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」

「いいえ、とても紳士的でした。お出ししたものも残さず食べてくださいましたよ」世話係はファードに一礼した。「では、案内係に屋根を開けさせます。本日は有り難うございました。また是非、お越しください」

 ファードは一人、廊下に取り残された。

 ちょっとためらった後、結局、ごく普通にドアを開けた。

 戸口で一度立ち止まり、中の様子を窺う。先へ行くほど緩く広がった、フータのへら状の大きな尻尾が、ファードの足下近くまでゆったりと伸ばされていた。辿っていけば尻尾の付け根から背中まで、均整のとれた盛り上がりがあった。その盛り上がりの向こうに、弥祐の頭が覗いている。床に座り込み、フータの頭を抱いているようだった。

 フータの左飛膜の脇をそっと歩み寄った。彼の丸い耳が、一見すると神経質な様子でこちらを追いかけている。弥祐が抱きついているから頭を動かせないのだ。傍まで来てみれば、その彼女は眠っているように見えた。

 声をかけようとした。それを察したように、弥祐が目だけを、力無く開いた。

「…カラさん、帰ったの?」

「ああ」頬に涙の跡が見えたようだった。一歩下がって壁にもたれ、窓から差し込むはちみつ色の光と、その中の細かな、ゆったりとしたきらめきを見詰める。「弥祐の気持ちを考えずに済まなかったと、謝っていたよ」

「…ごめんなさい」そっと、でも素早く目許を拭った。

「ん?」

「私、また短気起こしちゃった。カラさんにも謝らなきゃだよね…」

「そうだな。だが、カラさんも分かっておいでだと思う。余り気にするな」

「カラさんはファードのこと、心配してくれてるだけなんだよね」一度興奮し、だから余計に隅々まで思い返せて、今は素直にそう言えた。

「昔からそういう人だった」ファードも頷いた。「自分よりも人の心配を先にしてしまう。HMLを辞める時から、心配かけっぱなしだ」

「でもさ、風乗りが必要ないっていうのは、断固反対だよ」

 ファードは小さく笑った。釣られるように、弥祐も。

「…ねぇ、ファード」少し間を置いて、弥祐は再び口を開いた。ファードと話していると、こんな小さな笑いにも勇気付けられるようだった。

「うん」

「一等とか二等って、なんなのかな…?」

 ファードは腕を組み、息を長く、静かに吐いた。

「さっきね、フータとも話してたんだ」フータの額から長く伸びる、2本の触角状の器官の間を、彼女は優しく撫でた。彼の穏やかな息遣い。「ファンさんがね、ファードのこと褒めてたんだよ。ほら、藍や碧と一緒だった日。今ではファンさんたちの方が、ファードに助けられてるんだって」

「やけに騒々しいと思ったら、そんな話だったのか」あの閉館間際の出来事は、今でも良く覚えている。

「そういう話にしたのは碧だよ」ちょっと拗ねたように言い、静かな調子に戻す。「そして、今日はカラさんが褒めてたね」

「どうだろうな。そういうのは、自分では良く分からんからな」

 弥祐は微かに首を振った。彼女の髪と、フータの毛足の長い体毛が擦れ合って、静かな室内にさらさらと音がこぼれる。

「ファードは、一所懸命が当たり前の人だから」あの日、ファンはそう言っていた。弥祐は深く頷ける。カラも陽も、きっとそう思っている。「そう言うのも分かるけど、そこは認めてよ」

「…」

「だからね、一等とか二等とか、余計に変だと思うんだ」弥祐はゆっくりと、フータに預けていた身を起こした。背はファードに向けたままだ。細い体だった。これが普段、小振りなバネのように躍動しているとは、うなだれて背が丸くなりがちな今、俄には信じ難かった。「なんで頑張って仕事して、結果を出しても、肩書きだけで差別されなきゃならないんだろう?」

 ファードは黙っていた。搾取出来る労働力は多いほどいい、そう企むのは雇う側の本能だとか、連中は顧客満足度には一家言あっても従業員満足度なんぞは思いも寄らないんだろ、良くサービスの質を云々する割には、などと、もっともらしいことを言うのは簡単だった。今は理屈より、もっと深く差し込む何かが必要なのだ。

「私…」弥祐は急に小さな肩を震わせた。「悔しいよ。なんでファードとフータが不安に思わなくちゃいけないの? フータだっていい子だし、働ける。報われる資格が無いはずない」彼女は立ち上がり、振り返った。気丈に見張った目は、しかし今にも涙をこぼしそうだった。「ねぇ」掠れた声で言う。「ファードは、悔しくないの…?」

 弥祐は、本当に目に力のある子だった。この力を正面から受け止めれば、誰でも例外なく打たれた気持ちになるだろう。気付かされたり、反省を促されたり、今のファードはぐっと心を引き締められた。どう伝えれば、彼女の問いに誠実に答えられるのか。思い巡らし、彼女の涙が頬を滑り落ちる前に、心を決められた。

「弥祐」ファードは天井を見上げた。折しもそれは、モーターの力でゆっくりと開かれつつあった。「上がろうか」壁から背を離し、彼女の正面に立つ。

「上がる?」目から力が散じた。虚を衝かれたようだった。

「空へさ」もう一度見上げると、暮色を濃くし始めた空と、幾重にも折り畳まれていく天井とが半々に見えた。「そこで、ゆっくり話をしよう」

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