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第5回

 風野商店のある郊外から都心まで、フータで飛べば10分ちょっとである。バスは平均でその3倍強、馬車しか使えないなら、最初から小旅行くらいのつもりで行かないと難しいだろう。フータの速度と、最短距離を行ける利点は大きい。

 腰に巻いたベルトの3点で鞍としっかり繋がれてはいても、弥祐は常にファードの腰にも手を回すよう言われていた。今もしっかりと回している。そして、気に留める間も無く流れ去る足下の景色を黙って見詰めていた。いつもなら、それでも目に付いた何かについて色々とファードに話しかける彼女である。だが、今は黙っていた。屋根を開けたり、フータに鞍を載せたりしている間から、ファードの様子が少し硬いようだった。話しかけ辛いのだった。

 やがて、目に付く緑が極端に少なくなってきた。賑やかな街角を歩いている最中は、頭上の街路樹や道端の花壇をいかにも爽やかに感じるものだが、今高い所から一望したそれらは、むしろ砂漠に蝕まれゆく世界をふと想像させる、悲しき囚われの緑だった。首都の中心部に近付いている。初めて空から見るその様子に、弥祐は目を見張った。

 思ったほど広い通りは少ないのだと知った。圧倒的なのはそれら大通りの間を縦横に走る、やたらと数の多い細道だった。舗装の墨色が手を加えすぎた迷路のようにこんがらがっている。細道が囲む土地のひとかけらには、大小様々の建物が互いに身じろぎなんかできっこなく、各々ただ真っ直ぐに固まっていて、そんな小片が地上にモザイクをなしていた。真上を過ぎる時に見下ろせば、建物の谷間谷間が黒く見えるようだった。細い針の束を先端の方から眺めた、あの黒さをふと思い起こさせた。

 夕暮れへと向かう時間帯で、特に大きな通りには人の行き交いが激しい。乗り物の数となると更に多かった。流れの所々で黒煙が筋を引いているのが見える。石炭や木炭を燃料とする古い車が、ここまでがたぴし聞こえそうな様子で、渋滞ののろのろに一息ついていた。すぐ後ろについてしまった、こちらはガソリン車らしいオープンカーが気の毒に思えてしまう。黒煙の上をすっと追い抜いていくと、片側3車線の一番中央寄りに2頭立ての小さな馬車が一台、どういう訳か入り込んでいた。左の車線が流れ、詰まっていた車間が空くたびに御者はそちらへ逃れようとしてしていたが、待ってやる車も無いようで、かえって全体の流れを悪くしていた。クラクションや罵声が高くなって近付き、低く遠ざかっていく。いくら騒音といったってこんな高所まで届くものかと、弥祐は驚くしかなかった。何処まで飛んでも乗り物の流れは悪いようだった。良く見ていると、渋滞を縫うように動き回るバイクや自転車、時には歩行者もあるようだった。それらが更に交通の邪魔になっていた。

 高層のビルが増えてきて、フータの高度も徐々に上がっていくようだ。道を失いたくないならば、主要な道路も上空なら開けているだろうから、それらをなぞるように進む方が良いだろう。ファードは方角も確かなのか、一直線に目的地へ進む行き方を選んだようだった。

 周囲を威圧する岩山のようなビルの群れは、巨大銀行の各本店が集まった一角だ。それらの頂を越え、大きな街道の交わる広い交差点の上に差し掛かった。そこで信じ難い大混雑が起こっている。先ず目に付くのは、全長10mはあろう2両連結の長大なセミトレーラーだ。それが路上駐車の車に邪魔されて右折し切れず、完全に交差点を塞いでしまっている。2本の大通りの一方には、ネットモビルの線路も通っていた。自動車や馬車と並んで、上下線とも交差点の手前で停車を余儀なくされている。高みから一望すれば、四方のずっと先まで黒々と車両に埋め尽くされているようだった。この事態の収拾は一見でも容易そうでは無い。問題のセミトレーラーを牽くのは、8頭の大形妖精馬だった。体高2mを越すそれらの生き物が、周囲の苛立ちに煽られるようにいきり立ち、御者も近付けないような有様だった。

 交差点から随分離れた所で、パトカーがやけっぱちのようにサイレンを鳴らし続けている。その上を弥祐らはすいすい過ぎていった。

「なんか、すごいね」眼下の混沌に気圧されてか、先程までの気まずい雰囲気も弥祐はきれいに忘れていた。いつも通り、広い背中に話しかけていた。

「前に飛んだ時よりも、一段と酷くなってるみたいだな」ファードの受け答えも普段通りのものである。

 その時、フータが低く一声唸った。眼下の秩序なく荒んだ有様を、不快に思っているらしかった。

 先を急ぎたいが建物の森は自然の森と違い高さが極端に不揃いで、そもそも飛ばせる環境では無い。もっとも、周りは空ばかりという状況でも無い限り速度には常に自制があるもので、それは飛行家の良心みたいなものだろう。

 旋回のため速度を緩めながら、壁のあちこちにひび割れの補修あとが白く目立つ、背は高いが古ぼけたビルの上を過ぎようとしていた時だった。足下で不意に歓声が上がったようなので、弥祐は覗き込んだ。数人の男女の姿が見える。そこはどうやら病院の屋上らしかった。看護婦が2人と、歳も様々な寝巻き姿の子供たちが3、4人、屋上出入り口の鉄扉の前でこちらを見上げていた。そろそろ病室へ戻ろうとしていた時に、こちらを見付けたようだった。

「見て見て! 風乗りよ!」

「うわー、久しぶりに見るなぁ」

 若い看護婦二人は、額に手をかざしながら声を弾ませている。

「かぜのりー?」

 子供らの内、中学生くらいの女の子は看護婦と同じように目を輝かせている。他方まだ小学校に上がるか上がらないか、それくらいに見える子らはきょとんとしていた。今日、初めて風乗りを知ったのかも知れなかった。

「そうだよー。風乗りさんだよー」

「おねえちゃん!」

 看護婦の一人が一番背の小さな男の子の両肩に手を置き、しゃがみ込んで身を寄せると、その男の子が弥祐を指さして叫んだ。

「ゆうくん良かったねぇ。後ろに人を乗せた風乗りさんに会うといいことがあるって、昔から言うんだよー」

「あったあった、そういうの」もう一人の看護婦が思い出したように言う。「私は一度何処かへ行っちゃったうちのわんこと、もう一度会えたことがあったよ」

「あ、いっちゃう」

 他の男の子の声を合図に、全員が手を振ってくれた。弥祐ははにかみながら、それでもはっきり分かるように手を振り返した。

 都心でも最中央の地区へ入った。遠目ながらすぐに目的地の巨大な建物が目に付く。地上50階、地下3階建てというのは、一私企業の本社屋としてはなかなか類を見ない規模だろう。その隆盛ぶりは他にも有りがちな鉄とガラスとコンクリに、ただ無骨に覆われているのでは無かった。曲面を多用した優雅なデザインの外壁を、憎らしい様子で着こなしていた。屋上近くの外壁に、“HML”と大きなロゴが取り付けられている。多年にわたり物流業界の最大手として知られ、この国有数の巨大企業でもあり続ける、ハンス&マクレガー・ロジシステム、略称HMLの本社屋であった。ファードがかつて一等雇用者として、そして風乗りのエースとして勤めた、その企業でもあった。

 ファードの胸に様々な思いが去来する。彼とフータは世界中を駆け巡り、人と物・情報を繋ぐのが仕事であったから、この本社屋で過ごした時間自体は少ない。各地の支店で荷の受け渡しと確認、打ち合わせをした時間の方がずっと多いだろう。それでも仕事を命じられ、報告に帰るのは常にこの本社屋内の配送部門・全統括室であったし、かつては最上階に設けられていた、風乗りと飛行妖精のための発着場(厩舎)という、思い出深い場所もあった。

 フータは外壁に取り付けられたロゴ目掛け吸い込まれていくようだったが、目前でぐうっと速度を落とした。実は自分の背丈よりもずっと大きかったそのロゴの一文字に、弥祐は少し身を反らした。

 ホバリングのような状態でフータはゆっくり高度を下げていく。ファードは下を覗き込みながら、さて何処に降りたものかと考えた。下は正面玄関前の舗装された広場だった。社の敷地だが一般の通行人で一杯で、一部はエントランスへと続く、ガラスと鉄骨の低い大屋根に遮られていた。

 離れた場所も結局歩道だから、ここも人通りが多い。言わんこっちゃ無い、これだからばあさんの3輪バイクの方が良かったんだと口の中で悪態をついていると、ファードは懐かしい声を聞いたように思った。

 はっとして足下の人込みの中を探す。彼が見回しているのに気付いたのか、行き交う人の流れの中で、合図のように大きく両手を振る者があった。

「ここへ降りてくればいいよ!」

 最早聞き違えようも無い。予想通りの人物が、大きな声で彼を呼んでいた。

「すみません、ちょっと場所を空けてもらえますか。頭上にご注意下さい」

 見ていると、その男は勝手に交通整理を始めてしまった。通行人が事態を飲み込めないのも当然で、足下が少し騒がしくなった。

「信じらんないよ」頭上に注意と言われた通行人たちが、次々にこちらを見上げ始めている。鞍の上で弥祐は隠れ場所を求めるようだ。「あの人何なの? 恥ずかしいよ」

「しかし、こうなったら降りるしかないぞ」

 その言葉に異を唱える間も無く、残りの20m前後をフータは一気に落ち始めた。体が浮き上がりそうになり、弥祐は慌ててファードにしがみつく。今度は急制動。フータの飛膜の下に、安全な着陸のための風が力強く渦巻いた。

 その風が路上の埃を舞い上げ、人々は軽く顔を伏せた。幾重かの人垣の真ん中へファードらは潔く着地したのだった。風がおさまると小さな歓声と、まばらではあるが拍手もあった。久々に見る風乗りが時ならぬ余興のように空から降ってきて、大抵の人が目を輝かせたようだった。

「皆さん、お騒がせしました。ご協力有り難うございます」

 この人垣を作った張本人が、今度は事態の収拾に努め始めた。そのためか長く立ち止まっている人も無く、程なくして人垣はばらけてしまう。新たな通行人が振り返っていくものの、弥祐はようやく、強張っていた体を動かすことが出来た。

「大丈夫か?」

 差し出された大きな手を見て、ようやく我に返ったようだ。ファードは一足早く鞍を降りていた。弥祐も慌てて固定具を外しにかかる。ファードも手伝ってくれた。

 弥祐に手を貸し、鞍から降ろした後でファードはその男に向き直った。一度口を開きかけ、逡巡し、結局「ご無沙汰しています。部長」と、かつてHMLで上司だったその男を、当時の肩書きで呼んだ。

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