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第17回

 ファードは元の席に戻り、時間を取らせてしまったことを再度男性社員に詫びた。早速依頼内容の詳しい説明と、契約締結へ向けた話し合いが始まった。

 詳しくはなっても、依頼内容は風野商店でカラから聞いた話に、推測で若干の細部を補ったものと大体同じだった。付け加えられた事としては、先ずファードとフータは今夜できるだけ早い内に首都を出発、フェンサリサの東側の麓にほど近い、HMLフェンサリサ東支店まで移動することが正式に求められた。その東支店が今回の山越えの拠点となる。

 東支店は、ファードとフータにとっても懐かしい場所だった。西側の麓近いリアテリアに住所のある西支店と併せ、風乗りの山越えにまだ価値が認められていた頃も、それらは拠点だったのだ。東支店で可能な時間仮眠をとった後、積み荷の受け渡し、最後の打ち合わせや準備等、翌朝の日の出前から動き出し、日の出と同時に山越えに挑むスケジュールだった。

 山越えが成功した後のサポートは、西支店に引き継がれる。戻りは社が仕立てた船で、フータ共々こちら側の港まで運んでくれるとの事だった。

 一時的な雇用関係を結ぶだけでも、契約書には色々な事が書かれている。危険を伴う仕事内容だから、事前の両者の合意という点で特に事細かく文面が作られていた。その中の報酬に関する条項を読んだ時、ファードは思わず吹き出しそうになった。そこには仕事の結果によらず支払われる通常の報酬に加え、山越えが叶った場合追加で支払われる成功報酬についても書かれていたが、それがあり得ないと思える額なのである。カラに聞いた話を思い出し、なるほどと思った。落ち着いて契約書に署名し、このような場合にだけ使う判も捺した。

 エレベーターが止まる。目的の最上階に着いたのだ。壁にもたせかけていた体を、背で一押しして起こした。頭の中に取り留めなく漂っていた短い間の出来事が、ふっと消えて無くなった。

 ファードは廊下を進み、厩舎へ足を踏み入れた。吹き抜けていく微風をすぐに感じた。

 ゆっくりと確かめるように歩を進める。風が吹き抜けていくのは、屋外の発着デッキに通じる扉が、彼らが到着した時のまま開け放たれているからだった。その扉は風乗りが社から全解雇された際、彼がフータの声を聞いた、あの扉だった。

 社が用意した藁のベッドにフータの姿はなく、そもそも使われた形跡がなかった。扉から外を窺ってみる。発着デッキが半円形に、本社屋の巨大な庇のように広がり、その周縁近くにうずくまるフータを認めた。注射の後、風を欲しがってあそこまで出たものらしい。そこはあのバックライトの薄明かりもあまり届かず、ほぼ満月に近い月明かりの方が優勢で、フータの体をほの青く染めていた。

 ファードは歩み寄る。50階建てのビルの最上階だが、風は穏やかだった。周辺の巨大な建築群も明かりの無い所は無く、この国の経済の中心地らしい人の営みの激しさを物語っていたが、その明かりの殆どは庇の下から来るものだから、その場所は一際影が濃いように感じられた。

「待たせたな」

 相棒の傍らに立ち声をかけた。フータは初めて目を開き、ファードを見上げ低く唸った。なるほど、相棒の陣取るこの場所には、殊の外心地よい夜風が吹いていた。風乗りが全解雇されたあの日にも、ここで風を感じた。それは苦い風だった。今は二人を天翔あまがけに誘い出す、黄金色の風だった。万年雪に冷たく乾かされて吹き下ろし、麓の深い森で薫る風に変えられる、あの神々しい山裾で感じる風だった。

 扉の所に人の気配を感じる。二人分の人影を予想したファードは振り返り、意外そうな顔付きになった。思い浮かべた内、長身の影の持ち主は確かに現れた。小柄で細い影は欠けていた。倉庫内を寂しげに照らす蛍光灯の光、屋外のバックライトの光、双方が及ばないために出来た暗がりの中から、カラが静かに歩み出てきた。

「弥祐さんはね」ファードの表情を見てカラは頷いた。「一足早く、社の公用車で現地に向かったよ」

 カラは約束通り弥祐に連絡した顛末を、かいつまんで説明した。私的な同行者ではなく、彼の即席仮面部下として扱われると説明を受けた弥祐は、電話口の向こうで勢い込むようだった。少しつっかえながら彼女は思う所を話した。後から思ったのだが、自分もフータの後ろに乗っていけば夜間飛行の負担になってしまい、それでは同行が本末転倒になってしまう。車などで会社の誰かが現地に向かうのなら、便乗できないかとちょうど考えていた所で、聞き入れてはもらえないだろうか。

「先行して僕のサポート部隊の『本隊』が出発する事になってたんだけど、彼らが出かける前で良かったよ」冗談めかして言うカラは楽しそうだ。「ちょっと寄り道して別動隊員を拾っていくよう、指示しておいたよ」

 重たい荷物を担いだ少女が、息せき切って現れなかった理由がはっきりした。スカーラル・シーは昼行性の生き物の割に夜目が利くが、ファードの方はそうもいかない。日中の飛行に比べ、夜間飛行は確かに余計に気を遣う。そこに同乗者への配慮も重なってくるとなると、気の張り詰め方は普段と数段違ってくるのだった。

 それにしても、弥祐はあれで結構人見知りする方なのだ。見ず知らずの社員に囲まれて車で揺られて行くよりも、本当ならフータの後ろに乗りたかっただろう。ファードは彼女の心遣いを、しみじみ思った。

「分かりました。では、自分も行きます」外される事はなかったが、飛行前の鞍の安全点検は可能な限り行われるのが習わしだ。鞍をフータに固定する幅広の各ベルトの具合も、自身を鞍に固定する3本の細いベルトも異常なかった。飛行時計や方位磁針も問題なし。「フータ、ちょっと浮いてくれ」夜間飛行の安全のために、今の鞍には赤く点滅する標識灯も取り付けられている。一つは鞍の上面後端に、もう一つはフータの腹側、鞍の固定に尻尾の付け根に回したベルトに取り付けられている。尻尾を持ち上げてもらうだけでは見づらいのだった。両灯ともきちんと作動した。

「これ、今度電池を換えた方がいいよ」カラもチェックを手伝った。久しぶりでも案外覚えているものだと思った。片手で操作できる信号灯のシャッターを開閉させながら、明かりの強さを見て注意した。「まあ、今夜は問題ないだろう」鞍の脇のフックに、元通りぶら下げる。

「ここからなら、フータなら4,5時間かな」全ての点検が終わり、ファードは鞍に跨った。彼の腰に巻かれたベルトの留め具に、鞍から伸びた3本のベルトの金具をしっかりはめ込む手伝いをしつつ、カラはそう見積もった。

「夜間なら5時間以上かかるかも知れませんね」どのみち明け方までには着くだろうし、そのつもりでもあった。

「このあと少ししたら、僕も車で出られると思う」山越えの指揮官であるカラには、まだまだ事前に擦り合わせておかなければならない事が残っていた。それに個人的には、シャワーでもいいから浴びて一度さっぱりしておきたい。その機会は本社を発つ前にしかないように思えた。「君の方が早いだろうけど、仮眠はちゃんと取るようにね。東支店には配慮するよう言ってあるから」

「分かりました」

「気を付けて」

 ファードが頷いたのを見て、カラは数歩後ずさった。それを合図にフータの飛膜の下に飛翔の力が、彼の風が渦巻き始める。

 風の間欠泉にぽーんと吹き上げられたようだ。フータは真上へ音も無く一気に、かなりの高さまで舞い上がった。

 見上げるカラに挨拶をするように、彼らは一度空に小さな輪を描いた。フータの鼻面が西へ向く。飛行妖精の全身は全く自然体のようなのに、跳ぶ虫がその直前に後足に蓄えるあの跳躍の力、それに似たものが今フータの体にふっと宿る、元風乗りのカラにははっきりと感じられた。矢は放たれた。彼らは直ぐに、ここより丈高い向こうの双子ビルの間に隠れ、見えなくなった。

 彼らが掠め通ったビルの谷間の窓際に、慌てふためく人影が幾つか見て取れた。

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