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第15回

「ええ、構いませんよ」

 そう応じた陽自身、最初から箸を取ろうとはしていなかった。一度は手を上げかけた弥祐も、すぐに察して両手を膝に戻す。

 二人に詫びた後、カラは自分の来意をかいつまんで説明した。「その薬品の今すぐに出せる分だけでも、我々に代わってファードとフータに運んでもらいたいのです。病が広がっている地域にも、こちらは自業自得ですが私たちにも、もはや一刻の猶予もありません。今は風乗りの機動力だけが頼りなのです」

「御山の向こうへねぇ…」陽自身何度も経験した山越えは、常に気を引き締めてかからねばならない、その一回一回を鮮明に思い起こせるほど特別な飛行だった。フェンサリサの名はそれだけでも強く彼女に響くが、彼女くらいの世代になると、そこが“御山”であることがまたその名を重くする。フェンサリサにはこの星の唯一神、女神エレナの住まう館があると遠い昔から言い伝えられていた。昨今、その普遍の真理は次第に影響力を失っていくようである。だが陽のように、信じられてきたことを今もしっかりと胸に抱き続けている人々も、一方では少なくない。

「御山の大嵐は、もう吹かなくなったんですかね?」静かな口調だった。陽も元風乗りだ、仲間内にも恐れられた今のフェンサリサを、知らぬはずはなかった。

「それを承知の上で申し上げているのです」そう言い切る前に一瞬のためらいがあったことを、カラは自分でも意識している。

「ばあさん」ファードが口を開いた。「確かに、今の時期の山を越えた風乗りは一人もいない」

「お前さんなら越えられると?」

「そうは言わない。だが、全く不可能だと決まった訳でもない。風乗りは、昔っからそうやって地図の白い部分を無くし、未知を無くしてきた。そうじゃないのか」

「小僧みたいなことを言うんじゃない、ファード」

 陽の隣に座っている弥祐が、びくりと身を竦ませたのが分かった。決して荒げた訳ではなかったのに、この一言には、聞く者を一打ちする力がありありと籠もっていたのだった。

「そうやって冒険に憑かれた風乗りが、いったい何人亡くなってきたと思う。今の世に、好きこのんでの冒険など必要ありはせん」

 沈黙が降りた。小さく溜息が漏れる。カラだった。「…確かに、もう取り繕う必要はないんだが」独り言のように呟いた。視線が集まっているのを感じて意を決し、顔を上げた。

「今からお話しすることを、僕はHMLの社員として言うつもりはありません」全員の顔を順に見回す。「皆さんを友人と願う、僕自身がお話しすることです」

 3人は黙って頷いた。カラも頷き、先を続ける。

「ファード。さっきも言ったけど、君はこの話を断ってもいい。いや、断るべきなんだ」

「どういうことですか?」

「これは茶番なんだ。HMLは最初から、君とフータの成功を期待していないんだよ」

「…」ファードは訝しげに眉を上げ、更なる説明を求めている。

「確かに社は色々と手を尽くし、遅れを取り戻そうと必死みたいだ」頭の中で話を整理しながら、そうすることで自分も平静さを保っているとふと感じる。「でも実際は違う。社の上層部は今に手を打つように見せて、実はこれからに手を打っている。つまり、意外性のある対策、テレビを通じた広報、これらは責任のある行動に見せかけて、本当は社の真摯な姿勢を社会に印象づけ、後の批判を幾らかでもかわそうとする、全てが保身のためだけの策なんだ」

「…パフォーマンスなんですか」

 視線を落とした弥祐が呟いた。和解して直ぐに嫌な思いをさせてしまうようだが、カラは堪えて肯定するしかない。

「僕に君との交渉を命じた社長自身、今の山の状態を知っていた」胸が空くのを追いかけるように悩みが絡みついてくる、カラはそんなおぼつかなさを感じている。それでも最後まで伝えられた。「その上で、その風乗りは別に山を越える必要はないんだよ、二重遭難なんて馬鹿馬鹿しいからね。そう言ったんだ」

「…お話は良く分かりました」暫く黙って考えた後、ファードの声は落ち着いていた。「しかしカラさん、まさかその茶番に付き合って、振りだけしろなんて言わないでしょうね?」

「受けるつもりなのか?」陽が先に非難の声を上げる。

「ああ」

「…ファードは冒険しにいくつもりなの?」

 声の静かな感じで、弥祐が試してきてるのだとファードには分かった。直感的に悟るのか、こういう時の彼女は当人も気付かぬ真意を正確に見抜くことがある。自分の中に、本当に子供っぽい昂ぶりはないのか。答える前にもう一度、ファードは己の胸の内をきちんと探ってみた。

「仕事に行くんだ」自信を持ってそう言えた。「無茶するつもりは全く無い。先ずは正しい判断のために、山頂の風の状態を直接見てみたい。全てはそれからだ」

「そうは言うが…」珍しく、陽はうろたえているようだった。

「誰もが飛べる空じゃないから、風乗りには人よりちょっと余計に使命がある。ばあさんが言ったことだったな」

「つまらんことを覚えているね」陽は深く溜息をついた。諦めのそれに思えた。

「僕は複雑な気持ちだよ」カラは言葉そのままの顔付きをしていた。「君は茶番に付き合うんじゃないと言う。でも真剣にやったところで、それはやはり茶番に付き合うことになるかも知れないんだ。本当にそれでいいのかい?」

「ここに風乗りがいると分かっているなら、芝居抜きでも話は来たでしょう」言葉にも表情にも、ファードに気負いはない。「お引き受けしますよ。詳細をお願いします」

「そうか」カラも腹を括った。「詳細は本社で話そう。僕は君を迎えに来ただけで、契約書は本社にあるんだ」

「あの」弥祐が急に慌てだした。「もう行ってしまうんですか?」

「ええ」カラは頷く。「先程も申し上げましたが、事は急を要します。ファードとフータには、明朝すぐに山越えにかかってもらうかも知れません」

 と言うことは、今夜の内に首都を発ち、遠くフェンサリサの麓まで移動する可能性もある訳だ。ファードが山越えを決意した時にふと思ったことで、きちんと考えてはいなかった。けれど弥祐は言っていた。

「私が付き添っては駄目ですか?」聞いた全員が目を丸くしたのが分かったが、勢いのまま続けた。「お話を伺っていて思ったんです。今のフェンサリサが危険なら、ファードとフータもいつも以上の良い状態でいないといけません。私が居て手伝えれば、余計なことに気を遣わないで、集中できると思うんです」

「なるほど。それは仰る通りですね」

「あのな」申し出をまともに受け取ったらしいカラとは対照的に、また突拍子もないことを言い出したとファードは呆れている。「仕事は一日二日の勝負だろう。長くなる訳はないんだし、俺とフータだけでも大丈夫だ」

「いいや」陽はゆっくりと首を振った。「家主の言うことを聞かずに無茶をしに行くのだったら、弥祐だけは連れてっておやり。それにたとえ短い間でも、身の回りの世話をしてくれる者が居るのと居ないのとでは、やはり体調に差が出るだろ」

「ところで弥祐さん。明日、学校の方は大丈夫なんですか?」カラが聞く。

「はい。明日は祝日です」

「そうでした」カラは額に手をやって、自分のうかつさをおかしがった。「毎日会社ばかりだと、日付の感覚が無くなっていけませんね…お申し出のことですが、アシスタントという名目で通せない話ではないと思います。私に任せてください」

「ありがとうございます!」

 安堵に表情を崩し、弥祐は喜んだ。その正面ではファードが頭を掻いている。

「さぁて、すっきりしたら猛烈にお腹が空いてきましたよ」カラも笑顔を見せ、今度こそ箸を取った。「こんなごちそうを前にして、一体何をやってたんでしょう。いただきます」両手の親指の間に箸を挟み、手を合わせた。

「ああ、もう冷めてしまったでしょう」陽が慌てて腰を浮かす。「ちょっとお時間を。温め直しますから」

「ご心配には及びません」陽と、続いて立ち上がりかけた弥祐を押し止め、カラは茶碗を持った。「このような手料理は久しぶりですから。おいしいに決まってます」先ずは白飯のみを一口頬張って、眼を細めた。

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