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第13回

 時計は既に18時を回っている。この時間、風野商店は案外忙しい。

「ちょっと砂糖取ってくれる?」側にいるはずのファードにそう頼む弥祐は、振り向きもしない。学校から帰ったままの制服にエプロンという格好で、フル回転の夕飯作りに励んでいた。彼女はクラスで委員長をしている。そして彼女の通う高校では、新入生として落ち着いた今の時期、いきなり移動教室がある。その打ち合わせやら何やらで、今日は帰宅が遅くなったのだった。

「皿は何を出すんだ」ファードも慣れたもので、砂糖壺を弥祐の手元に滑らせた後はもう食器棚の前に立っている。「ばあさんが呼んでる。用があるなら、まとめて言ってくれ」ファード自身、この時間帯はいつも慌ただしく過ごしていた。仕事から戻れば一息つく間も無くフータを連れ出し、小一時間は空にいる。互いに名残惜しい気持ちを押し込めて帰宅すれば、今度は弥祐や陽の手伝いが待っている。

「取り敢えず大皿2枚と深皿1枚、大どんぶりと小どんぶりが1つずつ、それから取り皿と小鉢」使う食器は大体決まっているから、安心して大雑把に言える。数を言わなければ人数分だ。「茶碗やお箸も出してって。今はそれでいいよ」弥祐は煮物の鍋に、目分量の砂糖を迷いの無い手付きで放り込んだ。かと思うと皮剥き器を引っ掴み、ニンジンの皮を、一枚に繋がったままと錯覚させるほどの恐るべき手際で剥き始める。

 ファードは書店の方へ顔を出した。駄菓子屋の方はもう閉まっていた。毎日薄暗くなってきて、今日はもう子供も来なかろうと陽が判断すると、こちらはおしまいになる。つまり、日の長さに合わせて閉店時間が違っていた。書店の方は、常に19時まで営業していた。

「そろそろ閉店作業を始めるよ」近くの書棚の陰から陽の小声だけが聞こえてきた。奥からそっと窺ってみただけのファードを、いちいち確認しなくても察知できるものらしい。ファードはサンダルを突っかけ、店へおりた。書店を閉める作業は、店内の様子を眺めつつ出来る所から進めていくようになっていた。見てみると出入り口脇の文庫棚の前に二人連れの客がいて、彼らが塞いでいない通路、店中央を書棚の列で仕切った、もう一方の通路を陽が動き回っていた。レジ回りで出来ることを片付けようと決めて、すぐに取り掛かる。

「ファードぉ!」

 程なくして、奥から弥祐の呼ぶ声が聞こえてきた。陽が先程の書棚の陰から、今度はひょこっと顔を出した。

「ほれ、早く行っておやり」囁くように促す。

 ファードは足音を忍ばせて急いだ。頭の中では、店と台所の間の客に悟られないコミュニケーション方法について、これまでで何度目かの反省が始まっている。まったく、この時間のファードは忙しい。


 台所と隣り合っている居間では、テレビが点けっぱなしになっていた。この家では珍しいことだ。大トンネルでの事故が気掛かりなので特にファードが頼み込み、今だけ特別計らいをしてもらっている。流し続けているのは、この時間帯に各局がこぞって放映している、些かエンタテイメント色の強い報道番組のひとつだった。居間の出入り口の前に来ると、自然と平らな画面へ目が向いた。その右隅に表示されているテロップが、強く気を引く。ファードは思わず足を止めた。

 テロップには“HML社長 緊急記者会見”“HML本社より生中継”とあった。画面の中では、一人の男が束ねられたマイクを前に着席し、時折無数のフラッシュを浴びながら話をしている最中だった。綺麗にアイロンのあてられたシャツは着ているが、髪への無頓着さはまだ残っている。ゼンハイズが会見を行っていた。

『私共もそれらを船に載せ替えただけでは、以後はともかく、今の急場への対応としては不十分だと考えています』ゼンハイズは頻りに喉元を気にしていた。その度に、きちんとしていたネクタイは歪んでいくようだった。『海伝いに飛行機で行けないか、現在のところ空路を策定中です』

 記者団から小さなどよめきが上がった。思い切ったことをやると捉えられたのだ。コースは見付かりそうなのか、時間は船より早いのか。続けて幾つもの質問が飛ぶ。

『空路について確かなことは、もう暫くお待ち頂きたい』ゼンハイズはあっさりと質問を遮った。そのようにあしらっても、知りたがりの記者たちの執着をこの話題から引き剥がせる、更なる隠し球を持っていた。『時間は限られていましたが、私共は先ず、可能な代替手段全てのリストアップに注力していたのです。その甲斐はあったと言えるでしょう。更にもう一つ、検討に値する手段を見付けられたのです』記者たちが怪訝そうに口を閉ざした一瞬の好機を逃さず、彼はその言葉をほうった。『私共は、以前我が社で働き、今もなお風乗りを続けている人物を把握しています。そして既に、その風乗りと交渉に入っています』

 記者たちが先程よりも大きくどよめいた。だが、ファードはもっと驚いた。相手が画面に映った像であることも忘れて、思わず詰め寄りかけた。

『まだ風乗りが残っていたと仰るのですか』一人の記者が挙手も忘れ、上擦った声で聞いた。

『私共も、この事故が起きるまではそう思っていました。聞いた所ではもっと知られていてもおかしくない印象を受けましたが…』ゼンハイズは言葉を切り、一瞬物思う表情を見せた。『まあ私を含め、人は余り薄情だと後で驚かされるようです』

『その風乗りに、山越えをさせるおつもりなのですね』別の記者が、まだるっこしそうに早口で問う。

『そのための交渉です』

『ちょっと待ってください!』会見の場は騒然とし始めた。一人の女性記者がたまらずといった様子で高々と右手を挙げ、有りったけの声を張り上げたのはその時だった。

『はい、どうぞ』

 ゼンハイズが促したため、場内が興奮の慣性を感じさせたまま静かになる。

『あの』まだ若い女性記者で、立ち上がる時には少し腰が引けた印象だったが、いざ話し出すと言葉の方はしっかりしていた。彼女は先ず、自分は気象予報士の資格を持っていると述べた。その上で、気象に通じた者には周知だが、一般には余り知られていない重要な山の事実を、一息に明らかにした。『私の記憶が正しければ、今の時期、フェンサリサ上空の気流は特に不安定になっているはずです。風乗りですら未だ誰一人越えたことが無い、それほどの酷い荒れようだと聞いています』

『それは本当なのか?』

 この事実を初めて聞く者もやはり多いらしく、記者たちは周囲の誰彼にも情報を求め始めた。ゼンハイズは質問の意味を十分に理解したと仕草で示したあと、ゆっくりと切り出す。

『仰ることは、私共もしっかりと認識しています』疑問の解消を預けたように沈黙した記者たちを、彼はゆっくりと見回した。『ですから、私共は交渉に当たり…』

「ファード早く! ちょっとこれ掻き交ぜて!」

 弥祐の切羽詰まった声で、ファードは何処で何をしている最中だったかを思い出したが、表情は硬くしたままだった。無言のまま菜箸と木ベラを手に、火招石の発熱するコンロの前に立った。

「も〜。たまにテレビが見たいって、それはいいけど夢中になっちゃわないでよぉ」弥祐は自分の手元に集中していて、ファードの様子に気付かない。

「HMLの社長が面白いことを言っている」声も硬く話を始めるが、フライパンに溢れんばかりに刻まれた野菜を一片もこぼさず、しかもきちんと火を入れる芸当なら手先が勝手にやってくれる。「風乗りに、山越えをさせるつもりだそうだ」

「え?」今度は弥祐も手を止め、意外そうな顔で振り返った。「山って、フェンサリサのこと?」

「そうらしい」野菜の山は汁気が抜けて、次第にその高さを低めていく。「昔HMLで働いていて今でも風乗りを続けている誰かと、何処かで交渉中とも言っている」

 普段は一を聞いて十を知る所のある弥祐でも、これを聞いて直ぐ飲み込むには無理があった。ぽかんとファードの難しそうな顔を見詰めてしまう。

 店の前で控えめに1回、車のドアが閉まったような音が聞こえた。

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