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第10回

「号外だよ! 号外だよ!」

 空で弥祐と語り合ってから数日後のことだ。今日もファードは“時の三精霊”での仕事を終え、帰宅するところだった。バス停へ向かい、5分くらい歩いた後だろうか。周りを高級百貨店、何面ものスクリーンを持つ大きな映画館、国立古典劇場などに囲まれた、ちょっとした広場のような場所を通り抜けるのだが、待ち合わせや一時の休憩などに良く利用され普段から賑やかなその一角に、何かの人だかりが出来ていた。その人だかりの真ん中で、表情にまだあどけなさの残る少年が、出し過ぎで枯れたのか、それとも単に変わりつつある最中なのか、少し掠れた声で叫んでいるのである。背ばかりがひょろりと高い彼は、多くの人々に囲まれても、まだ首から上を宙に突き出していた。

「事故だよ! 大きな事故だよ! フェンサリサの大トンネルで、大事故発生だよ!」

 ファードは最初、これもこの場で良く見掛ける、販促や路上パフォーマンスの類いだと思っていた。だから気にも留めずに人垣の脇を通り過ぎようとしたのだったが、少年がそう報じた途端、打たれたように立ち止まった。「ああ、すみません」すぐ後ろを歩いていた人を驚かせてしまい、慌てて謝罪する。謝罪しながら、体はもう、人垣の中へ分け入ろうとしていた。

 何度か空を掴んだ後、ようやく一部を手に入れた。大新聞の一紙が発行したその号外は、本紙よりも判が小さく、2つ折り4ページで、紙の質が悪いのかとても手にざらついて感じられた。

 掴み取った紙片を守りながら人を掻き分け、やっと圧しながらよろめく塊の外へ脱出できた。自然と足早に歩きながら、早速目を通し始める。一体何段抜きと言うのか、驚くほど大きな見出しが先ず目に飛び込んできた。

「フェンサリサ大トンネル 崩落」

 白抜きの大文字がそう読めた。ファードは眉をひそめ、思わず立ち止まった。


 ファードは繰り返し記事に目を通した。郊外へ向かうバスの中、吊革に掴まり不安定に揺られている今も、その行為以外は忘れたように読み返している。

 その事故が起きたのは、本日の13時ごろだった。

 峻険な大山脈を東西に横断して貫く、フェンサリサ大トンネル。総延長20km超、実際には複数のトンネルを露天の道路で繋ぐ一つのルートなのだが、そのほぼ中間点、ルート中最長のトンネル(6748m)の半ば辺りでもあって、下りながらの長い右カーブが続く地点での、大型トラックを含む自動車数十台による多重衝突だったという。事故車は全て激しく炎上。その高熱がトンネルを支える鉄骨を歪ませ、広範囲での天井・壁面崩落という、更なる惨事を招いた。広大な山脈の最深部で起きた事故は初動を遅らせ、長いトンネル内最深部での消火・救助活動は容易に困難を予想でき、被害の拡大が懸念されている。事実、この記事が書かれた発生から2時間の時点では、炎の勢いを幾らかでも弱めることすら、絶望的と思えるほどの状況のようだ。目撃者の証言から、当局は現在のところ先頭を走っていた大型トラックのスピードの出し過ぎ、もしくは居眠りが事故の原因と見て調べを進めている。死傷者の数については、まだ何も判明していなかった。

 とにかく凄まじいばかりの事故である。誰であっても胸を痛めずにはいられないだろう。それは無論、ファードも例外ではなかった。

 だが、彼の感じるこの痛みには、単に事故の大きさを思っただけではない、彼だけに特別な痛みも、実はない交ぜになっている。

 順を追って話していこう。先ず問題のトンネルの名称に見える“フェンサリサ”であるが、これは平均標高で4000m超、この国の中央を北の海際から南の海際まで、実に二千数百kmにわたって縦断し、国土を完全に東西に2分する、途方もない大山脈の呼称である。それにしても平均で4km超の標高とは、一体自然はどれだけの力を見せ付けるのか。この山脈を挟んでの行き来は、考えなくたって容易くない。国家東西分裂の危機は常にあったろう。ところがこの国は、国土が現在のように定まった遙か昔から今日まで、長きにわたり一つの国として成り立ってきた。分裂しかかった(分離独立派が負けた内戦とか、民衆による大規模な分離独立要求運動とか)経験すらなく、時折分離独立を是とする者がマスメディアに登場したとしても、殆どの人々はこういった連中に常に冷淡だった。まったく奇跡的な統治の在り方のようで、特に同胞と他国人にならざるを得なかった人々から、または内外の歴史・政治学者などから、賛嘆の声が良く聞かれた。

 この天然の大要害の向こうへ行くのに、人々はどのようにしてきただろう。一つは越えようとせずに海を迂回する方法で、海路は古いけれど今も壮健な東西の大動脈だった。だが船便は緊急の用件にはもどかしく、物や人の移動が激しくなるばかりの昨今では、山脈を避けるだけの短い航路は慢性的に大渋滞の有様で、一便当たりの積載量の改善によって緩やかではあるが、時間の空費という問題は益々深刻になってきている。速さを補う流れはかなり以前から、一方で数年来は、根本的に新しい大動脈の開発が切に望まれていた。

 海路以外では空路と陸路ということになるが、空路はどうだろうか。先ず最初に触れておかなければならないのは、フェンサリサ上空の特徴的な気流の在り方だ。それは年間を通じて続く予測不能な大気の大運動で、山脈の北端から南端まで、こちらも二千数百kmの嵐の帯となって、どこからも越させじと空を行く者を阻んでいるのである。これのために、飛行機や飛行船など、近年発達著しい航空技術を以てしても、現在もなお、これらの乗り物で山越えを果たすことは出来ていなかった。勿論、一度海上へ出て山脈を迂回する空路も考えられるが、飛行船は速度がほぼ船と同じ、運搬能力では劣るので利用がためらわれ、速度では群を抜く飛行機も、単発の小型機が主流の今は積載量で見るべきものがないため、こちらもコストの面で折り合いがつかない。故に、海伝いに山脈を迂回する空路は、そもそも開発自体が行われていなかった。

 ただ、空路には素晴らしい例外が一つあった。風乗りである。風を読み、風と共に行き、気流と対峙するのではなく挨拶を交せる彼らは、今のところ唯一、フェンサリサを見下ろしながら越えて行ける存在だった。彼らは昔から船便の遅さを補う役割を担っていた。積載量では飛行機と同等か、むしろ貧弱なくらいという欠点はある。しかし、フェンサリサをまともに越えて行ける彼らは、他のどんな手段よりも短時間で、山脈を挟んだ2地点を結ぶことが出来た。この点で彼らには需要があった。

 残るは陸路であるが、これはどうだろう。フェンサリサの大山脈は個々の山々が幾重にも重なり、連なって形作られている。周辺部は比較的なだらかな低山が多く、実際その辺りには大きな舗装路も敷かれ、リゾート施設などに繋がっていた。だがこの山の重なりは、山脈の中央部へいくほど高く、切り立った姿を見せ始める。周辺部のようななだらかな山頂が、東西に連なる箇所が一ヶ所でも発見されれば、道路敷設の可能性は高くなるだろう。その期待を胸に、過去幾度となくルート踏査が行われた。そして調査隊は、山脈最深部へ近付くたびに、跳躍したように急に上へ逃げる山頂を見上げ溜息をついてきた。この辺りに棲む、ネコ科の動物やカモシカの仲間にはその先にも道があるだろう。この山脈を越えて東西を行き来した、まだ船も十分に発達していなかった頃の人々にも、道はあっただろう。しかし現代の人々に、大量輸送のための道は、どうも厳しいようだった。

 このルート踏査は現在も続けられている。その一方で、人は陸路における別の可能性も考えた。山頂や山腹に道を敷くのが難しいのなら、山を貫いて敷けばよい。この大胆な計画が持ち上がったのが、今から約70年前だった。惑星ほしの背骨のごときこの大山塊に風穴を穿とうというのだから、ルート踏査の規模だけでも数倍になった。延べで万単位の人員が動員され、結果が出るか分からない事につぎ込むにしては、莫大と思える費用が国庫から捻出された。しかし人々は、ついにほぼ理想的なルートを発見するのである。計画が動き始めてから、既に20年近くが経っていた。その後、経済の難しい時期があり10年ほどの中断期間はあったが、今から40年と少し前、それは着工された。いつか計画された場所で出会うため、岩塊の東西から、巨大な掘削機がフェンサリサ大トンネルを穿ち始めたのである。

 ここで思い出して欲しい。風乗りは科学技術の数々の勝利により、この世界での居場所を徐々に失っていったのだった。そして、ファードがその仲間入りをした数年の後には、前述の山越えの需要ただそれだけが、風乗りを世界に繋ぎ止める、たった一本の糸になっていたのである。他の、自動車や鉄道、飛行機などで代替可能なルートでは、補佐名目という以外に彼らが用いられる機会は殆ど残されていなかった。フェンサリサ大トンネルは、丁度そんな状況の中、歴史に残る難工事の末に開通している。

 この建築物は20km超という総延長の外にも、大トンネルと呼ばれるに相応しい特長を幾つも持っている。滑らかな舗装路は、馬車専用が一車線、自動車専用が三車線の上下八車線が備わり、鉄路も上下二本ずつが敷かれていた。物の動く道ばかりでは無い、情報の行く道も抜かりなく用意されていた。特筆すべきは、近年普及の著しいネットワーク用の基幹ケーブルが、海上の小島伝いの架線等、従来的な方法よりも早く実現され、初めて東西のネットワーク網を繋いだことだろう。電話は将来の利用者増を、テレビは多チャンネル化を睨み、それらも新しい、潮風に蝕まれることのない基幹ケーブルを手に入れた。電力についても送電線が準備されたが、こちらは東西で定められる交流の周波数が異なる関係で、東西での電力の融通は、もう少し先になりそうである。

 フェンサリサ大トンネルは人々の待望久しかった、海路と並ぶ新しい東西の大動脈であった。妖精馬の牽く大型馬車が、自動車が鉄道が、山越えの風乗りと遜色ない時間で、風乗りよりもずっと安全に(フェンサリサを越えるのは、風乗りといえどもやはり危険を伴う行為なのである)、一便単位では船に劣るものの、数の力で海路を凌ぐ輸送を行えるようになったのであった。

 そして、フェンサリサ大トンネルが開通したその日、風乗りは、世界から自然死を宣告されたのである。


 バスが大きく揺れた。ファードは吊革を掴んだ右腕に強く力を込めたが、それは一時の苛立ちを、紛らわせるためのようにも見えた。

 彼は大トンネルの開通記念式典が執り行われた日のことを、苦々しく思い出している。その模様は全国にテレビ中継され、彼もHMLの風乗り仲間と一緒に画面の中の華やかな式典を見守った。同僚たちは、職場の休憩室に備え付けられた古ぼけた小さなテレビを囲み、口々に将来の不安を言い合う。風乗りを使った配送業務の相次ぐ縮小により、仲間の数も、一頃に比べれば随分少なくなっていた。

 ファード自身も、大トンネルの開通により風乗りの立場が益々難しくなることは予感していた。だが同僚たちのように、これで風乗り廃業とまでは懸念していなかった。それも今思えば、努めて信じようとしていなかっただけなのかも知れない。

 当時から業界最大手だったHMLは、大トンネル開通から1年も待たずに、風乗りの全解雇に踏み切った。その敬意無き業務整理のあり方を、同僚らは嘆くよりむしろ、白けた目で眺めていたようだ。社が提示した他部門への配置転換も、生活のためと淡々と受け入れ、風乗りを捨てていった。そこまで割り切れなかったファードは、諦めたくなかったのか、それとも信じたくなかったのか、結局はどちらだったのだろう。いずれにせよ、それ以来彼はこの世界の中で、風乗りとしての誇りは忘れずともずっと宙ぶらりんのままで、それもまた否めないことだった。

 フェンサリサ大トンネルの名は、耳目にする度に追い縋ってくるようで、何度でも、その宙ぶらりんを彼に思い出させようとする。

 気が付くと、もう何度目か、また号外の最後まで読み通していた。吊革から手を放し、両足でバランスを取りながら紙面を折り返す。今度は最初からではなく、記事の途中に目を落とした。気になる所があるのである。

 今の所、今回の多重衝突の原因は、先頭を走っていた大型トラックにあるらしいと報じられていた。これが横転して道を塞いだ所へ、後続の車が次々に突っ込んだという。事故車は全てガソリンエンジンを積んでいた。大トンネルの換気事情が主な規制理由だというが、このトンネルへは、木炭・石炭自動車、蒸気機関車などの、煤煙が気になる乗り物はそもそも乗り入れ出来ない。引火性の強い燃料を積んだ車ばかりだったというのも、事故を大きくした要因の一つだろう。紙面では、別囲みの記事でこの大型トラックのことがもう少し詳しく報じられていた。搭載している、出力と低燃費を高い次元で両立させた、新世代のエンジンが話題になったこと。量産体制の確立は後のこととし、月産数台の規模から製造が始められようとしていたその車両を、いち早く一つの企業が多台数注文し、結果的に向こう2年間、買い占めたことも話題になったこと。その企業がHMLであった。

 先日会ったばかりのカラの顔を、思い出さずにはいられない。大トンネルの崩落は道路部分に収まらず、鉄道も不通にしたという。壁面伝いに引かれた各種のケーブルも絶望的だろう。HMLに監督責任のあるトラックが原因で、東西の大動脈の一つが完全に機能を停止し、犠牲者の数もかなりなものになると考えられた。これは社の信用を揺るがしかねない、大きな事件であるはずだった。

 そしてカラは、役員に昇進したと語っていたのだった。営業部門といえば、広報などと共に外部からの批判の矢面に立たされそうだった。カラほどの立場になると、問題をどれだけ抱え込まされることになるのか、正直ファードには分かりかねる。ただ漠然と心配するより外ないのが、少し情けないような気がした。

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